磐城平城の門のひとつ、不明門が移築され現存しているという話を知人に聞いたので、早速確認してきました。結論からいうと、残念ながら震災による損壊のため取り壊され、更地になってしまっていました。戊辰戦争で平城が落城後、城の建造物の多くは民間に払い下げられました。3つだけ移築を確認できておりますが、他はちりぢりになってしまったようです。

名称   タイプ   所在     現在
1. 不明門  四脚門  平沼ノ内  賢沼寺の山門として使用されていたが、震災損壊で撤去
2. 掻槌門  高麗門  平藤間   個人宅の門として使用  
3. 長橋門  不明   新川町  個人宅の倉として使用されていたが、経年劣化により取り壊し。現在、市の倉庫に部材を保管中 

この裏門も同様に個人間で譲り受けられ、いわき市平藤間の賢沼弁財天の敷地内に移設されていました。
<ありし日の不明門の姿(下記リンクの写真からいただきました)>
http://blogs.yahoo.co.jp/tauberaccess/3619315.html
img_451417_3619315_0

弁財天を管理されている方にお話を伺ったところ、震災の損傷で修理できる状況になかったそうで、取り壊した後の部材等も残っていないそうです。残念ながら、もうこの立派だった裏門の姿を見ることはできません。郷土の歴史を残そうとしているわれわれにとって、大きな損失です。

賢沼の弁財天の建物も、2013年2月現在、地震による損壊からまだ復旧できていません。沼にせり出した建物から、沼をのぞき込んで、鯉や大ウナギ(天然記念物!)にエサをあげるのが好きでした。大震災により、本当にいろいろなものを失っていると実感します。
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