私が参加している、龍馬プロジェクト全国会のメンバーと、靖国神社に正式参拝しました。正式参拝とは、246万柱が祀られている本殿内での参拝すること。龍馬プロジェクトは、「日本社会の問題を地方政治から変えていく」 という理念を元に、党や派閥の垣根を超えて日本各地の地方議員が中心のチームです。
龍馬PJオリジナルの「国是十則(【共生】【政治】【皇室】【憲法】【教育】【国防】【資源】【経済】【国土】【安心】)は、日本再興のためのヴィジョンであり、行動指針であり、志であり、魂。独立自尊の精神・敬神崇祖の心等を大事にしていて、2600年も続く皇室を敬っています。昨年は、メンバーらと、皇居の勤労奉仕を、4日間を一緒に作業しました。
<皇居勤労奉仕2018は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/52706679.html
代表のの神谷宗幣さんは、「地方から日本を変える」「日本から世界を変える」を提唱していて、私も賛同しています。著書の「大和魂に火をつけよう」は、まさにそれをどう行動に移していくかが書かれています。
<大和魂に火をつけよう 神谷宗幣著は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/41734494.html
靖国神社というと、大東亜戦争のA級戦犯も祀っていることで、中国・韓国から政治問題化されたりすることがありますが、戊辰戦争・西南戦争・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満洲事変・支那事変(日中戦争)で亡くなった、軍人・軍属の方、合わせて246万人(祭神なので、単位は柱)が合祀されています。軍人だけでなく軍属といって、看護要員として学徒召集されたひめゆり学徒隊等の女子も含まれています。
明治の創立から大東亜戦争敗戦までは、国に命を捧げた方を祀るための国の直営事業であり、英霊は家族にあてた遺書に「私に会いたければ、靖国へ来てくれ」と残して散華されました。家族を守るため、国を守るために命を賭した方に、心から哀悼の意を捧げたいと思います。
敗戦後は、GHQの神道指令により、国家神道は廃止されました。これにより靖国神社は、普通の宗教法人に分類されることになったわけですが、英霊は納得いっていないでしょう。それでも全国の靖国神社崇敬会の方々(遺族を含む)が、多額の寄付をして、靖国神社を維持・運営していっていることに頭が下がります。
この参集殿も、建て替えられバリアフリー仕様でした。ちなみに本殿も、高齢の方や車いすのためのエレベータが設置され、本当にていねいに運営されています。
正面に見えるのが拝殿。ここでお祓いを受けてから、さらにその奥の本殿で、二礼二拍手の参拝をしてまいりました。本殿には、明治天皇が初めて明治7年に参拝されたときに詠まれた御製「我國の 為をつくせる人々の 名もむさし野に とむる玉かき」が掲げられていました。
龍馬PJオリジナルの「国是十則(【共生】【政治】【皇室】【憲法】【教育】【国防】【資源】【経済】【国土】【安心】)は、日本再興のためのヴィジョンであり、行動指針であり、志であり、魂。独立自尊の精神・敬神崇祖の心等を大事にしていて、2600年も続く皇室を敬っています。昨年は、メンバーらと、皇居の勤労奉仕を、4日間を一緒に作業しました。
<皇居勤労奉仕2018は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/52706679.html
代表のの神谷宗幣さんは、「地方から日本を変える」「日本から世界を変える」を提唱していて、私も賛同しています。著書の「大和魂に火をつけよう」は、まさにそれをどう行動に移していくかが書かれています。
<大和魂に火をつけよう 神谷宗幣著は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/41734494.html
靖国神社というと、大東亜戦争のA級戦犯も祀っていることで、中国・韓国から政治問題化されたりすることがありますが、戊辰戦争・西南戦争・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満洲事変・支那事変(日中戦争)で亡くなった、軍人・軍属の方、合わせて246万人(祭神なので、単位は柱)が合祀されています。軍人だけでなく軍属といって、看護要員として学徒召集されたひめゆり学徒隊等の女子も含まれています。
明治の創立から大東亜戦争敗戦までは、国に命を捧げた方を祀るための国の直営事業であり、英霊は家族にあてた遺書に「私に会いたければ、靖国へ来てくれ」と残して散華されました。家族を守るため、国を守るために命を賭した方に、心から哀悼の意を捧げたいと思います。
敗戦後は、GHQの神道指令により、国家神道は廃止されました。これにより靖国神社は、普通の宗教法人に分類されることになったわけですが、英霊は納得いっていないでしょう。それでも全国の靖国神社崇敬会の方々(遺族を含む)が、多額の寄付をして、靖国神社を維持・運営していっていることに頭が下がります。
この参集殿も、建て替えられバリアフリー仕様でした。ちなみに本殿も、高齢の方や車いすのためのエレベータが設置され、本当にていねいに運営されています。
正面に見えるのが拝殿。ここでお祓いを受けてから、さらにその奥の本殿で、二礼二拍手の参拝をしてまいりました。本殿には、明治天皇が初めて明治7年に参拝されたときに詠まれた御製「我國の 為をつくせる人々の 名もむさし野に とむる玉かき」が掲げられていました。