良善忌は、いわき平の良善寺で行われる安藤家初代安藤信重の法要祭です。三河で地頭だった安藤信重は、江戸幕府2代将軍徳川秀忠に老中として務め、最終的に高崎城主を任じられました。没後、397年目だそうです。安藤家は、その後の転封により江戸時代中期から幕末まで磐城平藩を治めた家で、明治以降の貴族の集まりである霞会にも登録されているらしい。
安藤家御家流の家元 安藤綾信氏による呼びかけで、磐城平藩士の末裔である「平安会」、「御家流」の門下生らを中心として、50名近くが、良善忌本堂で法要を行いました。
柳井和尚の読経の中、安藤綾信氏のご息女が、お茶を点て先祖にお供えしました。
<安藤家御家流は、コチラ>
先祖に向かって、献茶する習わしは、流石、御家流安藤家。
良善寺の境内にあるお墓には、歴代の安藤家の墓がまとめてあり、磐城平藩最後の藩主、安藤信勇の墓もありました。しかし、幕末の中心人物のひとり、安藤信正の墓はありません。今では逆賊の汚名はありませんが、新政府軍に刃向かったという事実から、没後すぐに墓を作ることがはばかられたのかもしれません。
<安藤信勇(のぶたけ)は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/36153045.html
茶道・香道における安藤家御家流の家元 安藤綾信氏(茶道16世宗家・香道11世家元)自ら、安藤家包蔵の茶器の解説をしていただきました。才とは思えぬ、かくしゃくとした方です。
今回、濃茶をいただいた器は、「大高麗 銘 無生滅(むしょうめつ)」というもの。戊辰戦争で磐城平城が炎上後、その焼け跡から発掘されたものです。当時の炎から焼け焦げの跡や、割れ目を補修した鍍金がわかります。それでも茶器として生き残っていることから、不滅の意味で、無生滅と名付けられたのだとか。
濃茶に使われる抹茶は、宇治の上林春松。童謡「ずいずいずっころばし」は、お茶壺道中のときは子どもは外出してはいけないという戒めですが、そのお茶壺道中の行き先は、江戸発、宇治の上林春松行きの往復(行き:東海道、帰り:中山道)だったといわれています。
濃茶は、たくさんのお抹茶を使って「練る」ので、見た目からドロリとしていて、特徴は、二、三人で回し飲みするという飲み方が特徴。きちんとマイ懐紙を持ち、飲み口を拭き取って次の方に回す等、薄茶よりも格式が高い。
明後期の景徳鎮や、徳川義知公から恵贈された蓋置等、貴重なものを拝見させていただきました。
菓子に供されたものは、東京三田「伊勢大掾(いせのだいじょう) 大阪家」のねりきりです。いわれは不明ですが大阪屋は、一時期、安藤家御用達だったそうです。いまでも、安藤家だけに納める「あやめ」をかたどったねりきりを作っています(下写真)。これは店頭に並ぶことがない特注品だそうです。
古鍛冶町にある良善寺。安藤家の菩提寺ですが、歴代のお墓が杉並区から移転してきたのは20-30年前くらいだそうです。
安藤家御家流の家元 安藤綾信氏による呼びかけで、磐城平藩士の末裔である「平安会」、「御家流」の門下生らを中心として、50名近くが、良善忌本堂で法要を行いました。
柳井和尚の読経の中、安藤綾信氏のご息女が、お茶を点て先祖にお供えしました。
<安藤家御家流は、コチラ>
先祖に向かって、献茶する習わしは、流石、御家流安藤家。
良善寺の境内にあるお墓には、歴代の安藤家の墓がまとめてあり、磐城平藩最後の藩主、安藤信勇の墓もありました。しかし、幕末の中心人物のひとり、安藤信正の墓はありません。今では逆賊の汚名はありませんが、新政府軍に刃向かったという事実から、没後すぐに墓を作ることがはばかられたのかもしれません。
<安藤信勇(のぶたけ)は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/36153045.html
茶道・香道における安藤家御家流の家元 安藤綾信氏(茶道16世宗家・香道11世家元)自ら、安藤家包蔵の茶器の解説をしていただきました。才とは思えぬ、かくしゃくとした方です。
今回、濃茶をいただいた器は、「大高麗 銘 無生滅(むしょうめつ)」というもの。戊辰戦争で磐城平城が炎上後、その焼け跡から発掘されたものです。当時の炎から焼け焦げの跡や、割れ目を補修した鍍金がわかります。それでも茶器として生き残っていることから、不滅の意味で、無生滅と名付けられたのだとか。
濃茶に使われる抹茶は、宇治の上林春松。童謡「ずいずいずっころばし」は、お茶壺道中のときは子どもは外出してはいけないという戒めですが、そのお茶壺道中の行き先は、江戸発、宇治の上林春松行きの往復(行き:東海道、帰り:中山道)だったといわれています。
濃茶は、たくさんのお抹茶を使って「練る」ので、見た目からドロリとしていて、特徴は、二、三人で回し飲みするという飲み方が特徴。きちんとマイ懐紙を持ち、飲み口を拭き取って次の方に回す等、薄茶よりも格式が高い。
明後期の景徳鎮や、徳川義知公から恵贈された蓋置等、貴重なものを拝見させていただきました。
菓子に供されたものは、東京三田「伊勢大掾(いせのだいじょう) 大阪家」のねりきりです。いわれは不明ですが大阪屋は、一時期、安藤家御用達だったそうです。いまでも、安藤家だけに納める「あやめ」をかたどったねりきりを作っています(下写真)。これは店頭に並ぶことがない特注品だそうです。
古鍛冶町にある良善寺。安藤家の菩提寺ですが、歴代のお墓が杉並区から移転してきたのは20-30年前くらいだそうです。