吉田みきと ほぼ毎日ブログ

「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。」 吉田松陰・高杉晋作語録   「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない。」 西郷隆盛・山岡鉄舟語録

2015年10月

いわき地域復興センター 研究報告発表

平成23年度から文科省所管が取り組んでいる5カ年事業、「いわき地域復興センター」の事業成果の報告が、いわき明星大学でありました。これはいわき明星大学と東日本国際大学に向けて採択された補助金で、いわき地域復興センターという名称で活動が始まったものです。その事業の柱は、以下の4つです。

1. 放射線・放射能測定及び軽減
2. 震災記録の保存、
3. 被災地の情報発信による観光まちづくり
4. 被災障がい者自立支援
 
4.の被災障がい者自立支援活動を行った、東日本国際大学の学生・先生らにお話しを伺いました。これまで市内19カ所の障がい者就労支援所(就労移行支援・就労継続支援A型・B型事業所、生活介護事業所)を訪問取材したそうです。それら事業所では、材料や味にこだわった特徴のある商品(ジャムやパン、ドーナツ等)を生み出しています。それらを学生自身が、ウェブサイト「いわきユニバーサルマルシェ」やFMいわきの番組「いわきグローバルマルシェ」で発信していくことによって、事業者の活動がより活発になればと支援しているとのこと。学生の高い意識に、驚きました。

<いわきユニバーサルマルシェは、コチラ>
http://promotion.revive-iwaki.net/
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3. 被災地の情報発信による観光まちづくり、では、東日本国際大学に留学中の外国人学生によって、いわきのおもしろいスポットを、ウェブもしくはFMいわきを媒体として、母国語(や日本語)で紹介するサイトを運営していました。学生目線での取材、発信は、視点がフレッシュでいいですね。

<母国語での学生レポートは、コチラ>
http://global.revive-iwaki.net/report/?lng=jp
<RADIO 『いわきグローバルマルシェ』は、コチラ>
http://global.revive-iwaki.net/globalmarche/?lng=jp

震災記録の保存事業では、いわき市のみならず、浜通り地方一帯の震災当時の様子を示す、大量の写真が展示されていました。出色は、その撮影日・撮影者・撮影場所をきちんと特定していることです。流石、大学の研究室です。

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 とても良い内容の研究報告発表なのですが、本日は市内でたくさんの催事が重なってしまいました。多くの人に聴いて、見てほしかった内容でした。
 
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いわき発の奇妙なバンド「十中八九」

いわき発の奇妙なバンド「十中八九」ファーストアルバムが発売されています。ジャズ、ファンク、ロック、民謡等で、喫茶ブルボン(知る人ぞ知る珍妙なコーヒー店)じゃんがら・フタバスズキリュウ等を唄っています。かなりぶっとんでいて、面白い。実は同級生が、そのメンバーのひとりで、すでにその姿も、かなりぶっとんでいます。

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この「十中八九」は、バンドだけでなく、アートやダンスの創作活動もやっていて、今年の七夕には、平の本町通りに、巨大なシーラカンスを出品したりしていて、その活動範囲や存在感を増しています。。

<いわき平の七夕は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/45024428.html
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CDは、amazonでも購入できるようですが、Youtubeでダイジェストが聴けます。
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いわきの林業 伐採現場コスト削減の救世主ハーベスター

いわきの林業の伐採現場を見学させていただきました。場所は、川前・小白井地区の山中です。いわきの私有林の多くは、昭和30-40年代に主にスギが植林されており、樹齢が50年経過し、切り頃になっています。

国産材スギ丸太の価格は、35年前の昭和55年をピークに下落を続けています。当時4万円/㎥だったのが、昨今は1万円/㎥程度となり、約1/4まで市場価格が低下しています。この価格水準ですと、伐採と運搬に要するコストが、丸太の売却代金に限りなく近くなってしまい、結果として森林所有者の手取りが非常に小さくなってしまいます。それならば伐採しない、手入れもしない、コストもかけず、何もしないのが、ある意味合理的な判断です。
<平木材市場は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/43649810.html

しかしそれでは、幹が太くなるにつれ枝葉が重なり、地面に光が届かなくなり、草や小潅木が育たなくなり、保水力が失われます。結果、雨水が表土を流してしまい、木の根っこが露出し、それ以上木が育たなくなってしまいます。それでは木材の価値が出ないし、景観だけでなく、環境も悪化してしまいます。

その解決策のひとつが、伐採・運搬のコストを下げて、森林所有者の手取りを増やすことです。コストの太宗が伐採・運搬に関する人件費です。これを削減する救世主が「ハーベスター」です。

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このハーベスター、立木の近くまでキャタピラで自走でき、先端のアタッチメントが複数の役割を果たすことができます。この先端のアタッチメントが、「立木を切り倒す」「原木をつかむ」「原木を安全な場所まで引っ張っていける」「原木の枝打ちをその場で!自動で!あっという間に!やってしまい丸太にする」「丸太を指定された長さに自動で!切ってしまう」等を一台でやってしまうのです。

<YouTube動画は、コチラ>
https://www.youtube.com/watch?v=z4l6oYJn4eQ

これまでは上記作業を、人がチェーンソーを用いて、アナログの経験・カンでやっていました。その結果、多数の工数が必要となり、労働の割に低賃金構造になっていました。また危険と隣り合わせの職場環境ともあいまって、若手林業者が育たず、現場作業者の老齢化だけが進行していました。

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オペレーター一人で、ハーベスターの運転・操作をします。オペレーターが座る運転台は防護柵で守られているので、完全野外での作業よりも、かなり危険が軽減されます。そして人の何十倍もの作業量を、疲れ知らずの機械が、どんどん片付けていきます。課題を挙げるとしたら、その機械の導入コストが2000万円近いことと、幅3m程度の作業道を作ることが必要なことでしょうか。

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指定長の丸太になったら、後はそれをトラックに載せて、材木市場まで運ぶだけです。とはいえ指定長の丸太でも100kgを超え、人力では対応できません。そこで従来の機械「グラップル」で木材を「つかんで」移動させます。林業特有の重機ですが、導入されて数十年経っても現役です。

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山肌で丸太を運搬するのは「フォワーダー」です。キャタピラ駆動なので、山肌をぐんぐん登っていき、グラップルに丸太を載せてもらって、トラックが入れる林道・市道まで運んでいきます。

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フォワーダーで運搬してきた丸太は、林道・市道横に集めておきます。ここまで運べば、通常のタイヤのついたトラックでまとめて運べます。

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これまで林業は、チェーンソーと斧をもって、じっくり時間をかけて大木を切り倒して、人力で手間暇かけて丸太にしていっているという、思い込みがありました。実際には、機械化がきっちり進んでいました。
 
<住友建機の製品動画は、コチラ>
https://www.youtube.com/watch?v=s-a5_UZOZm8&feature=youtu.be
https://www.youtube.com/watch?v=ugcyFeNrdgM&feature=youtu.be
https://www.youtube.com/watch?v=zT0p4EobAH0&feature=youtu.be
https://www.youtube.com/watch?v=wxv8x64PrbM&feature=youtu.be 

ハマコン 浜魂

ハマコン(浜魂)終了!福島県浜通りを良くするアクションを皆で応援するプレゼン&ブレストイベントです。今回は「小学生ダンスチーム」「十中八九」「シンデレラバス」「温泉街」等をネタに、みんなで知恵・アイデアを出し合って、楽しんじゃいます。

自分たちの住む浜通りで、こんなことをやったら、地域が面白くなったり住みやすくなったり、もっとより良くなるのでは?という視点で、「私はこんなことを考えて、こんなことをやってみたい!」というアイデアや思いを、 5分間、50名近くのオーディエンスの前でぶつけてます。その後に、オーディエンス(応援者)からの30分間のアイデア出しをします。プレゼンターのアイデアをネタに、どんどん楽しいアイデアが重なっていくのが、おもしろい、

今回のプレゼンター(登壇者)は4組でした。いずれも新たな発想・視点から、浜通りをよくしたい!という思いを感じました。

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チャリティユニットの名前が決まった歴史的(?)瞬間。Seaside Sisters(シーサイドシスターズ)です。日本語で「浜娘s」(はまっこ)。浜通りの少女たちが語源ですが、ハマコンで決まった名前という意味もあります。これはもう、ハマコンの公式アイドルになったようなものですねえ。

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この場の魅力は、オーディエンスから共感やアイデアを得るだけでなく、一緒に活動する仲間や資金を集めることができることです。珍妙な同級生もプレゼンしていて、こっちもおもしろいことになりそうです。
 
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うんちく吉野家 室井まさね著 ベジ丼販売開始

牛丼 吉野家のうんちく本です。まさに「牛丼」と「吉野家」に関する、あらゆるうんちくが満載の、今までにない知的エンターテイメント・コミックです。

吉野家の看板のオレンジカラーの由来は?
あの世界的有名人も実は牛丼ファンだった!? 
吉野家ファンの聖地・築地店が、他店舗と違うのは何?
吉野家がアメリカ産牛肉にこだわる理由とは!? 

「早い」「安い」「うまい」牛丼って、ラーメンに並んで日本が世界に誇れる国民食だと思います。400円で素早く腹が満たせる食事は、学生のみならず、肉体労働者や、深夜に食事せざるをえない人たちにとって、パワーをつけ活動できるための必要なツールです。もっと大きなことをいえば、日本経済を胃袋から支えているわけで、日本の原動力といってもいい?かもしれません。

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牛丼が基本のメニューですが、さまざまなバリエーションがあるのも、昨今の牛丼屋さんの特徴。2003年のBSE(牛海綿状脳症)感染牛の問題では、一時、米国からの肉牛の輸入が停止され、牛肉の調達ができない時期には、「豚丼」が開発され、販売されていました。実は、あの豚丼、個人的に好きでした。また復活して欲しい。

それはともかく、牛丼メニューだけでなく、鰻丼や豚丼、麦とろ丼等、新規メニューの開発競争が続いています。これも、吉野屋・すき屋・松屋等の大手牛丼チェーンが、資本主義の世界で開発競争し、世界から最適調達をしているからこそ、実現していることです。グローバル化の一端を牛丼1杯から感じます。

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そんな牛丼屋さんが、ベジ丼(野菜丼)を販売開始したらしい。ヘルシーかと思いきや・・・しょっぱすぎて食べられない!舌が麻痺するほど、塩辛い!脳卒中への道、まっしぐらかも。

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見た目はヘルシーで美味しそうですが、健康には気を付けましょう!

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子どもの部屋保育園 無認可から認可へ移行

子どもの部屋保育園にお邪魔しました。以前は、認可外保育園として、24時間保育をやっていたところです。なんといっても外観がどピンクで目立ちます。また夜間に、子どもを送迎する車が横付けされていたりして、不思議な保育園だなあと思っていました。そこが、認可保育園に移行したそうなので、いわき市の担当者の方と同行していただき、内部を拝見させていただきました。

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今年、新たに設けられた「子ども・子育て支援新制度」の小規模保育事業A型の施設となりました。これにより、公的な資金補助が受けられます。これまでは完全に保護者からの保育料だけで、保母さんらの人件費、施設費、給食費を賄ってきました。そのかなりの部分が、市から補助を受けることになり、経営的に安定が見込めます。

一方、原則日中しか子どもを預かれなくなるため、これまでのような24時間保育のようなフレキシブルなサービスは提供できなくなったり、提出書類が煩雑になったり、いろいろな面で市の指導仰がなくてはならない等というデメリットもあります。

それでもやはり「認可」という安心感、そして経営の安定感は、大きいと思います。

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無認可施設が、経営メリットから小規模保育施設の認定を目指しますが、一定の部屋の面積、人員配置、精製設備等をクリアしなければなりません。そのうち最も高いハードルが、施設面です。特に園庭のあるなしは、一から容易に作れるものではないだけに、大変です。この子どもの部屋保育園は、もとから(無認可にもかかわらず)裏には、園庭を持っている希有な園です。実はこの園庭、建物の裏側にあり、また(防犯上の観点から)高い擁壁に囲まれているため、外部からは全く見えません。実は、そこそこ広い。夏はミニプールも出して、こじんまりと遊べます。中を拝見して感じたのが、お部屋はとても清潔だし、(定員数に対し)意外に広い!ということです。

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もともとは園長が自宅を提供して始めた無認可保育園がスタートのため、原則の仕様は家庭用設備です。それを改修に次ぐ改修を重ねて、面積も拡大し、また衛生面でも工夫が見られました。継続的に市への報告や検査もあるそうです。いろいろな保育の形態があるということを改めて感じました。

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認可上の利用定員は、15人と決められています(0才児:3人、1.2才児:12人)。3才になると卒園し、近隣の幼稚園もしくは保育園へ進学?していくことになります。今ならば、認可移行直後のため、定員枠に若干の空きがあるそうです。

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アパホテル 新橋虎ノ門 Always Pleasant Amenity

アパホテル 新橋虎ノ門に宿泊する機会がありました。アパホテルは、全国に新都市型ホテル事業や総合リゾートを展開するグループ企業です。一時は、代表の元谷芙美子氏が、ド派手な衣装・帽子で登場する広告でキワモノ的存在でしたが、リーマンショックをすり抜け、現在でも急拡大している、新興レジャー産業グループです。

そのひとつが新橋虎ノ門店。新橋駅からやや離れており、細い裏通りに面するため、とても見つけにくい場所にあります。

<アパホテル 利益を生み出す逆張りの成功哲学は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/44635363.html
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なんというか、他のホテルにない、色使いと質感の内装です。ひとことで言い表しにくいのですが、豪華・派手・高級・近未来・アーバン・こけおどし・安っぽい・オリジナリティ、どれもあたっているようで、それだけではない「アパ」らしい雰囲気です。万人受けはしないでしょうけれど、一定の層には受入れられるかも。

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小さいですが、西洋風のバール兼朝食会場。リーズナブルな料金でした。

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ホテルの外観に比べ、内装は落ち着いたトーンでまとめられています。ビジネスホテルに必要な、快適なベッド、仕事が(少し)できるデスク、落ち着いた照明等、基本的な仕様は、完璧です。

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シーリー社製140cm幅の大型ベッド標準仕様なのが嬉しい。ビジネスホテル客の目的の第一は、快適に睡眠し、疲れをとること。一番大事なところだけに、ここにオカネをかけるのは正しいと思います。

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折り鶴がベッドの上に置かれていました。マニュアル通りの対応なのでしょうが、それもで心遣いは嬉しいです。

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超高速!参勤交代 老中の逆襲 土橋章宏著

今年大ヒットした映画、「超高速!参勤交代」の続編の小説が、同じ著者によって出版されています。前回のあらすじは、江戸期、徳川吉宗の治める時代にわずか1万5,000石の小藩、磐城国の湯長谷藩。その湯長谷藩が、幕府から突然の参勤交代を言い渡されます。湯長谷の金山を我が物にしようとする老中松平信祝から、藩主・内藤政醇(ないとう まさあつ)は通常8日を要する行程を5日以内に参勤交代せよと命じられてしまいます。この仕打ちに激怒した政醇は知恵者の家老に命じ、参勤交代を完遂するための奇想天外な作戦を仕掛ける、というものでした。

今回の続編「老中の逆襲」は、行きの前編に対し、その参勤交代の帰りが舞台です。今度は、「5日以内に江戸へ参勤せよ!」との命令です。今度こそ、内藤政醇に恥をかかせ、領地を取り上げてしまおうという欲望・野望。それを阻止するための作戦。 最後は、老中1万2000人 VS.湯長谷藩7人のサムライとの決戦、という荒唐無稽のお話しです。
<超高速!参勤交代 磐城国の湯長谷藩の物語 全国での封切りは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/34737297.html
 
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もっとも、続編ということで2番煎じの面は否めない。ストーリーの基本的な枠組みや、盛り上げる仕掛けもほとんど前作と同じだからです。
・敵が老中、味方が湯長谷藩のサムライと傭われ忍者、というのが同じ
・舞台が、水戸街道というのも、同じ
・参勤交代の人数をかさ上げする、姑息な手段も、同じ
・行程中に、忍者や侍に、襲われるのも、同じ
・カネがないのも、同じ
・お咲と琴姫が、内助の功をするのも、同じ
・終盤に、荒唐無稽なありえないチャンバラをするのも、同じ
・敵に、ぎゃふんといわせるのも、同じ

小説の中で、盛り上がるとしたら、お咲と琴姫が、江戸藩邸で、幕府の使者を色仕掛けをするシーンでしょうか。元飯盛り女のお咲が、長刀使いのベテランで主人公の妹である琴姫に、男性の落し方を伝授し、使者を籠絡して監禁してしまうんです。男が喜ぶ声の出し方や男性の欲望を手玉にとるシーンは、映像に・・しづらいだろうなあ。

前作では、磐城国の湯長谷藩の物語であるにもかかわらず、一度もいわき市内で撮影・ロケハンが行われませんでした。その反省を踏まえて、この老中の逆襲では、ロケが市内で行われ、「じゃんがら」の様子が出るとともに、キャストとして、村長役でいわき市長が出演するそうです。良かったですね。

<超高速!参勤交代への苦言は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/38989368.html 

こころみ学園のワイン醸造場 ココ・ファーム・ワイナリー

知的障害者が畑を耕して作ったブドウを地元名産のワインとして販売している、栃木県足利市にあるココ・ファーム・ワイナリーにお邪魔しました。こちらのワインは、2000年の九州・沖縄サミットの首里城での晩餐会にスパークリングワインが使用、2008年には、北海道洞爺湖サミットの総理夫人主催夕食会に赤ワインが使用されるほど、品質と名声を得ているブランドです。

ここは、障害者支援施設「こころみ学園」と、多機能型事業所「あかまつ作業所」、そして、ワイン製造・販売の有限会社ココ・ファーム・ワイナリーらの複合施設です。現在は100名近くの知的障害者がここに起居して作業訓練を行い、それを100名を超える職員が支えています。住み込みで支える職員も10名以上いるとのこと。

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その設立は1950年代に遡ります。創業者・オーナーである川田昇氏(故人)が、栃木県足利市の特殊学級を受け持ち、知的障害者の不都合な問題を解決するために、行政からの補助金なしで私費を投じて、この足利市の急斜面にある雑木林2ヘクタール余りを購入したことに始まります。そして人力で伐採・開墾し、ブドウ畑に作り替えました。

川田氏は、知的障害者が自立するのを妨げているのは、両親(及び周辺)の保護にあると考え、障害者自らが生き抜くための力をつけさせるため、変化に富んだ山の斜面で、身体を動かしながら働く作業や生活を通じ機能訓練をはかることを考えます。そして、自然な中で、ひもじさに耐えたあとの食事のうまさ、暑さ・寒さに耐えたあとの涼しさと暖かさ、疲れたあとの休息、空腹を耐えたあとの食べる喜び等、生きることの喜びを身体を通して味わうことのできる生活の中から、自らの情緒を安定させ、やる気をつける。身体を動かし、汗を流して働くことをなによりも大切にするということを、生徒にたたきこみました。

当初は、周囲から厳しすぎるという指摘もあったものの、見るからに知的障害者が生き生きと作業し、またたくましくなっていくのを見て、感謝し涙を流す両親が数多くいたそうです。

その後、社会福祉法人には葡萄をワインにするための果実酒製造免許が下付されないため、まず1980年に川田昇氏の考えに賛同する父兄たちにより有限会社が設立され、1984年に酒類製造免許を得てワイン製造を始めたそうです。
 
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収穫し立ての白ブドウ用のシャルドネという種類の果実です。一口頂きましたが、少し小さいのですが、そのままでも甘くて美味しいです。

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赤ワイン用のブドウ。ワイン製造用には、自社農園だけでは材料が不足するため、他の契約農家からブドウだけを仕入れてワインの材料とします。

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奥のステンレス製の醸造タンクが8,000リットル、手前の木製の醸造タンクが2,500リットルの容量があります。ワインの一次発酵自体は、数週間程度とのこと。

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発酵されたワインは、安定した温度・湿度を求めて、山肌をくりぬいて作った保管庫で、瓶詰め・貯蔵されます。

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山肌をくりぬいて作った、ワインの保管庫には225リットルのオーク樽が、約300個貯蔵できます。225リットルといえば、750ml換算で300本。すなわち225*300*300=約2千万本相当のワインが貯蔵できる計算になります。

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創業者の名前からとった「NOVO(ノボ)」という、洞爺湖サミットで提供されたスパークリングワインです。伝統的なシャンパーニュ地方の醸造法である、ビン内二次発酵を踏襲しています。すなわち8,500㍑のタンクで、ブドウについている自然酵母で一次発酵させた後に、シャンパン酵母と砂糖を加え、瓶詰めして二次発酵させます。発酵が進み、酵母等がオリとなって沈殿してくるのですが、それを集めるために、ビンを斜めに立てかけて、一日2回、オリがビンの内壁にくっつかないようにするために、きっちり45度だけ回転させます。それを100日間かけてやるとのこと、気の遠くなる手作業です。実は、このような作業は、こだわりを持つ知的障害者向きの作業なのだそうです。

オリが先端付近に集められた段階で、ビンの先端全体を-20°で凍らせて、コルクと凍ったオリを抜き取ります。そして再度コルクによる栓をし、ワイヤーをかけて完成、2年程度寝かせてから出荷となります。1本8,500円です。

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ブドウ栽培の傍ら、シイタケ栽培もやっています。ナラやクヌギのホダ木だけで1万本。これらは、近隣の雑木林から原木を切り出して、人力で運搬して、適切な長さに切り、水に浸け、叩いて刺激を与えるというルーチンを繰り返します。その直接的な肉体労働が、知的障害者の体力作り、達成感、ひいては自立支援につながるのだそうです。
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店舗併設のレストランで、ランチをいただきました。ブドウ畑を借景にした店舗は眺めが良い。ゆったりとした時間が流れていました。

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直営店舗では、ワインの試飲もできます。目の前の畑で取れたブドウで、隣の醸造所で発酵させ、瓶詰めされたワインが、そのブドウ棚の下で、試飲できるなんて幸せです。

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数量的に一番多く作っているのが、「足利呱呱和飲」だそうです。くせがなく、とても飲みやすい、とのこと。

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メイン商品のワインだけでなく、無農薬の関連商品として、ドレッシングやオイル、調味料等も、ココファームブランドで、この直売店で販売しています。

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各種ジャムも販売。大手流通ルートにはあえてのせていないそうです。考えてみれば、大手流通ルートにのせれば、大きな数量は期待できるものの、ココファームの物語性や、生産者・醸造家の思いは伝わりにくいです。価格としても、どうしても他の商品との比較にならざるをえないし、流通に支払うマージン、手数料の割合も少なくありません。その意味で、ココファームは、直売のみとすることで、足を現地に運んでもらうことで、ココファームの物語性や、生産者・醸造家の思いを共有してもらった上で、ワインをはじめとする商品を(値段をあまり考えずに)購入してもらっています。いわゆる、「6次化商品」のモデルケースのひとつといってよいと思います。

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潜水艦の戦う技術 現代の「海の忍者」その実際に迫る 山内 敏秀著

潜水艦の軍事オタクの本だと思っていました。ところが!これは防衛大卒、海上自衛隊幹部学校卒、潜水艦「せとしお」艦長による本です。実体験にもとづく潜水艦の実態と、潜水艦実機の内部の豊富な写真が掲載されており、国防上、本当にここまで公開して良いのか?という疑問さえ湧きます。

日本は、国土を海に囲まれていて、輸出入の99%以上を船舶に依存していて、海上シーレーンを自由に利用できるか否かは国の存亡にかかわります(その意味で中国が、南シナ海を自国領有化宣言していることは、フィリピンやベトナム、マレーシアの近隣諸国だけでなく、日本にも致命的な影響があると思います)。その防衛の任は、水上艇が主役なわけですが、圧倒的な水上艇兵力の差があってもそれを覆すことができるのが、潜水艦です。いったん水中に身を隠すと、(音響以外では)事実上、どこでどんな行動をしているか、現代でも全く捉えることができないからです。だからこそ、いまでもアメリカやロシア、中国などは核弾頭を装備した弾道ミサイルを搭載する原子力潜水艦を保有しています。

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艦長室・士官室・隊員の2段ベッド、魚雷発射管、ソナー室・艦橋・潜望鏡・艦内トイレの写真も掲載されています。艦内トイレの汚物をどうやって処理するか、その悪臭をどうするか等の下世話な話しから、海図が広げられないような狭さの艦内でどうやって、作戦計画を練るか等、狭い潜水艦内での活動等が、よくわかりました。

あくまで狭い艦内、いったん航海に出る数ヶ月帰投できない。さらには、めったに海上にも出れない、非常に過酷な任務です。海上自衛隊は、スマートを基本として活動していますが、こういった陰の役者がいて、海上自衛隊、ひいては日本が支えられているということをあらためて感じました。 
 

未来会議 in いわき 2015

未来会議 in いわき 2015に、参加しました。自分が講師を務めるセミナーが同じ時間帯にあったので、途中から参加です。いわきでの未来会議は、すでに10回近く開催されているようですが、私自身が参加するのは3回目です。

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基本的に、参加者同士でワールドカフェ形式で話し合われるところでは、ファシリテーターの方の上手な誘導で、活発に議論が出ます。感じるのは、意見を対立させるのではなく、相手を否定するのでなく、まず、出し合うこと。そして最終的に、いろんな価値観があることを認識し、それぞれを尊重することです。

ここでビジネスパーソンであれば、現状把握・分析ができたところで、次のステップとしての方策を立て、実行に移すところです。しかし、ここでは作為的に次のステップには移らずに、多様な価値観を認め合うところで、止めています。震災から現在に至るまで、人それぞれのスピード感は違うし、上述のように価値観も違います。ですから、性急に方策を立てるということが必ずしも望ましいとは限らないからです。そういう意味では、なかなか前に進んでいかないという面も確かにありますね。

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昼の未来会議と、夜の未来会議に、両方に参加しました。近くのバーに移動しての夜の部は、完全にフリートーク。話が弾んでいる内に、いつのまにか午前様になってしまいました・・・

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神様の背中 ー貧困の中の子どもたちー さいきまこ著

子どもの貧困、6人に1人といわれています。一億層中流社会といわれた日本はいつから、経済格差社会に変わったのでしょうか。生活保護の実態に焦点をあてた話題作「陽のあたる家」の著者による、さらなる深耕させた続編です。

<陽のあたる家 -生活保護に支えられて-は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/37109404.html

あらすじは、出産を機に教員を退職した専業主婦の主人公が、復職して小学校臨時教員に採用される。職場で貧困家庭の子と関わっているうちに、自分の家庭も、夫との不和から崩壊してしまう。DVを避けるため、自分と娘が夫から逃げ回り別居して、生活保護を受ける。そんな生活の中で娘が風俗への道へ陥りそうになるという、救済者と被救済者が大逆転し、入れ替わるという複雑なストーリーです。なんといっても、援助する側だった主人公=教師(典型的な中流家庭)が、自分でもはっきりと気づかぬうちに抱えていた問題によって、一転、援助される側(下流家庭)になってしまう。
援助する側にいたときに教師として生徒にかけていた励ましの言葉が、いざ、される側になってみたら「毒矢」と感じられるほどにキツい、しんどい。「私は何も判っていなかった、今その罰を受けている」という描写が、切ないです。

また児童施設の描写では、みそ汁がなんだか判らず「ドロ水みたい」という子、「親と車の中で暮らしてて、1日にスナック菓子1袋だけとかだったから、初めて学校の給食見た時、なんだこれ、と思ったし」という子供の台詞が、綿密な取材により作られたであろうと想像されます。壮絶な現実は、マンガというフィルターを通しても、ぐっときました。
 
生活保護世帯に育ち、精神障害からくる母親のDVに耐えながら育った子は、仮に学力があったとしても大学へは進学しない。なぜなら奨学金は限定されるし、進学すると自分の分の生活保護費は支給されなくなるから。大学を卒業しても就職できたとしても、家族は一蓮托生、入社早々から精神障害を持つ母親を養い、医療費や介護費を負担しなければならない。さらに奨学金も返済しなければならない。ならば定時制でも高校までいけばそれでよい。次の世代も貧困の中にいる。そこに希望はない。

「生活保護受給は立派な社会保障制度のひとつです。国民なら誰でも利用する権利があるんです」「権利があるんだから利用する」と、著者は登場人物にいわせています。確かにそうかもしれない。ただ生活保護だけが、ラストリゾートとしてのセーフティネットというのは、持続的な仕組みでないし、(生活保護受給世帯と、保護をうけていない貧困世帯の間で)公平でもない。その希望は、次の世代が、きちんと進学して、足かせなく、自分の道を歩いて行けるように環境を作ってあげることなのではないか。
 
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いわきお寺に眠る本たち

「いわきお寺に眠る本たち」。いわきのお寺に保存されている資料の調査・分類されず、価値を見いだされないまま眠ったままのものがほとんどです。それを17年にわたって悉皆調査した一角が公開されました。調査研究にあたった門屋温先生と一緒です。

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展示の基本は、以下の3点。マニアックな視点に拘泥せず、一般人にも理解しやすい形の展示はありがたいです。中世時代の書物が、ここいわき地方の小さな寺に保存し続けてきたことに、小さな驚きです。現在は、小さな寺であっても、当時は僧たちが勉学をし切磋琢磨した、学習の場であったらしい。見た目の大小と、中身の濃密はまた別なんだなあ、なんて思いながら鑑賞させていただきました。

1. お寺の本の調査の進め方
2. お寺の本からわかること
3. お寺の本のいろいろな形

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日本初の本格的な春画展 細川家の永青文庫で開催中

日本初の本格的な春画展が、細川家の永青文庫で開催中です。2014年の大英博物館で絶賛され、逆輸入での開催です。これまで国内で実現されてこなかったのが、何かおかしい。歌川歌麿、葛飾北斎らの絵師が、当時最高の画材と超絶技術を駆使して、春画を描いています。そこには超デフォルメや大胆なありえない構図、いたずらちっくなユーモアとシリアスな死生観がないまぜになってます。

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グローバル社会に生きている日本人のひとりとして、日本が誇る過去の文化のひとつだと感じました。これまで日本でスポットライトがあてられず、黒船が来て(大英博物館の成功)、注目されるようになったのは、ちょっと癪ですが、個人的には北斎が描いた、"海女と蛸"の絡みが、新鮮でした。会場は、身なりの良いご婦人方や紳士らで、大混雑です。
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G1中国・四国

G1中国・四国。海上自衛隊呉地方総監の池田氏、GPIF理事の水野氏、元サッカー日本代表の岡田監督、獺祭の桜井社長、オタフクソースの佐々木社長、アンデルセン創業者一族の吉田氏、尾道U2を作った出原社長、宮城のみがきイチゴの岩佐CEOら豪華パネリストに加え、広島・岡山・香川の県知事らも加わって熱い議論でした。G1の3つの基本は、批判よりも提案を 思想から行動へ そしてリーダーとしての自覚の醸成、です。同時多発的地方創生に向かって、地方にいるリーダーの方々の思いに触発されました。

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それぞれ登壇された方は、インパクトのあるお話しをされましたが、特に私の心に残ったいくつかを紹介します。

・海上自衛隊呉地方総監の池田氏
リーダーとは、①決断し、②実行し、③責任を取れる者である。そのためには、権限を使って指揮するが、心をつかんで統率していくことも大事である。

・GPIF理事の水野氏
リーダーには、①パッション、②ビジョン、③説得力が必要。

・元サッカー日本代表の岡田監督
スペインでは16才までにサッカーの型を教え(型にはめるのではない)、大人になっていく過程でそれを発展させていく。人材教育一般にもあてはまるのではないか。

・NHKエンタープライズ エグゼクティブプロデューサー井上氏
地方においては、多様性や固有の方言等が付加価値となり、オカネになる。林業・水産業をかっこいい職業にすること地方のあり方。

・ファーム鈴木 代表 鈴木氏
そこにしかない、ちょっとしかない、ことが最高のヴィンテージとなる。

・多摩大学 田坂教授
1000人のリーダーは、1000人に対して頭を垂れる。祈りの意味は、神に「導き給うこと」と「その結果を受入れること」。人生で起こることは、すべて良いこと。

・星野リゾート 代表星野氏
売上ではなく、利益・生産性を追う。観光についてはいえば、KPIは入込み客数ではなく、宿泊数で計るべき。生産性は、付加価値÷人数。人数を減らすのでなく、付加価値をどう上げるかに注力すべき。

・瀬戸内ジャムズガーデン 代表 松嶋氏
直営店で販売するのが主、どうやって直営店に来てもらうかに注力。季節感や希少性を大事にし、一定期間内に売り切ることで、そのサイクルを実現。

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当初の会場となったグランドプリンス広島には、東京からのG1組、地元中国・四国からのリーダー等が集結しました。安倍昭恵夫人も登壇され、ファーストレディとしての活動等を忌憚なく話されました。

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場所を瀬戸内海の会場に移しての議論。ちょうど里山資本主義を林業において、里海資本主義を漁業について提唱されておられる方も出席されていて、議論が盛り上がりました。

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会議場を、世界遺産である宮島、厳島神社の千畳閣に移して、議論続行です。
 
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まるまる2日間を、同時多発的地方創生に向かっての議論を拝聴しました。地方にいるリーダーの方々の思いに触発されました。最後は、厳島神社の正式参拝をして終了です。
 
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江田島の海上自衛隊幹部候補生学校

海上自衛隊幹部候補生学校、第1術科学校を視察させていただきました。ここは元の帝国海軍兵学校です。現在在籍している9,500名の海上自衛隊幹部の全員(!)がここで研修を受けた卒業生です。太平洋戦争直後に連合国軍に接収されましたが、現在は、海上自衛隊幹部候補生学校として毎年500名近い幹部候補生を育成しています。戦前から継承する有形、無形の歴史と伝統を継承して今日に至っています。 

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旧帝国海軍時代から使用している、2000名収容の大講堂。現代も当時も、幹部候補生の入学・卒業時の節目に使われている建物です。スピーカーの設備は一切無し。それでも教官の声がいきわたるような設計になっているそうです。実際、御話いただいた自衛官の方は、地声のみでの説明でした。

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1917年建造の大講堂は、海軍兵学校時代から学生の入学式、卒業式等の節目で使用されてきました。石材は、瀬戸内海産の御影石で、約100年前の建物とは思えないほど、きちっと作られていました。

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海上自衛隊を担う士官の卵たちの教育を担任する学校長にご案内いただきました。学校長のランクは「将補」。旧海軍の中将と少将の間くらいにあたる役職だそうです(厳密ではないそうですが)。

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学校のシンボルでもある、通称「赤レンガ」とよばれる幹部候補生学校の庁舎は、旧海軍士官の登竜門であった海軍兵学校の建物をそのまま使用しているそうです。映画「坂の上の雲」でも登場した建物です。明治26年に建造された建物は、リニューアルを経て今でも教室として使用されています。長さ144mの建物は、ちょうど自衛艦の大きさと同じくらい(ちなみに戦艦大和は260m超)らしい。天井は6m近くあります。

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「海上自衛隊 幹部候補生幹部生学校」の看板です。70年前には海軍兵学校と呼ばれていた建物です。陸軍・空軍も国を守る役割は同じですが、海軍は船が沈めば一蓮托生という点で、陸軍・海軍とは違う面もあります。校長がおっしゃっていましたが「海軍は、スマートでなければならない」。現在の海上自衛隊は、旧海軍の歴史と精神をそのまま引き継いでいるといっていいと思います。

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旧海軍の戦艦 金剛(自衛隊のイージス艦 金剛ではありません)で使われていた床材を移築して、学校のエントランスホールの床に使っています。先人の歩み、歴史をいやがおうでも感じます。

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太平洋戦争時に歌われた「同期の桜」の歌詞の題材となった、海軍兵学校中庭に植えられた桜です。桜の木の寿命は70-80年といわれていますので、植え替えはされていると思いますが、この場所で、同期の誓いをした海軍士官の思いに思いを馳せます。「貴様と俺とは 同期の桜  同じ兵学校の 庭に咲く 咲いた花なら 散るのは覚悟  みごと散りましょう  国のため~」が浮かびます。

<同期の桜You Tubeは、コチラ>
https://www.youtube.com/watch?v=nR0cKe5PEOY
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イギリス式の建物様式、フランス式のレンガの組み方等、西洋ハイブリッドな建物です。当時、相当建設費をかけて作った建物らしく築120年を超えてもいまだ現役です。

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太平洋戦争の開戦の場所となった真珠湾攻撃に実際に参加し、座礁・捕獲された特殊潜航艇の5隻のうち1隻の実物が展示されていました。終戦後に引揚げられ、昭和36年に日本に返還されたそうです。

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日本国民を守るために戦った先人の歩みをしっかりと目に焼き付けることができました。彼らの思いや努力を紡いで、彼らのおかげでこんな立派な日本になれましたよ、と胸を張って報告できるような国になっていきたいし、活動していきたいと思います。

老後破産 長寿という悪夢 NHKスペシャル取材班著

2014年に放送されたNHKスペシャル「老人漂流社会 老後破産の現実」をベースに、高齢者の現実も含めて描き直したルポとのことです。多くの老人が生活に困窮し、行き詰まっているさまを丹念に描かれています。
 
<老人漂流社会は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/34516040.html

平均的な年金支給、自宅を所有、ある程度の預貯金……少なくとも貧困世帯ではないにもかかわらず、「破産予備軍」となっている現実。それが、些細なきっかけで「老後破産」に陥ってしまいます。子供のリストラ、介護離職が引き金で親子共倒れ等、未必の事態が予想されるのに、予防策は見えてきません。「こんな老後を予想できなかった」「早く死にたい」という、老人の心からの声が聞こえてきます。現実の厳しさを再認識するとともに、日本社会の荒廃ぶりに暗澹とした気持ちになりました。

●日常起こる病気やケガ、医療費負担が悲劇の入口
●家族思いの「介護離職」に潜む親子共倒れの罠
●減り続ける年金、預金ゼロへのカウントダウン
●「一人分では暮らせない」配偶者の死亡で年金が激減
●使えば使うほど家計を圧迫する介護サービス
●約半数の独居高齢者の年金は、生活保護水準以下
●「地方は裕福」は幻想、農村にも拡大する老後破産
●1100万人越えワーキングプアは破産予備軍
●我が子のリストラで始まる連鎖破産
●最後の砦のはずが・・・生活保護支援の壁
 
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日本の実態を、的確に分析しています。

・日本の年金制度はかつての親子同居時代に設計されており、国民年金では老人だけの世帯の生計を維持するのは難しい
・普通に暮らしてきて、自宅や多少の預貯金があっても、病気などで多額の出費があると、たちまち老後破産になってしまうケースがある
・原則、自宅を売却したり預金を使い果たさなければ生活保護を受けられないので、住み慣れた自宅に住み続けたい人や預金がなくなってしまったときに生活保護を受けられなかった場合の不安感から、生活保護を受けていない人も多い
・食費にも事欠く生活では十分な医療や介護保険による介護も受けられない
・生活困窮老人は、都市部でも田舎でも存在すること

平均的な年金支給、ある程度の預貯金があっても、家賃を支払えば、ほとんど生活費が残らない独居高齢者がどんどん増えているそうです。収入が少ないため、つながりもさらに喪失して行き、何のために生きているかわからない。生活保護支給には要件があるし、そもそもそうした老人全員を生活保護で救うなんて、社会がもたない。
 
今、在宅介護が推し進められていますが、誰を介護の担い手と想定しているのか。子等の家族だすると、在宅介護のために子供を、介護離職させてしまうと、以前のような条件で復帰するのはありえません。結果として介護にまわった方の将来も国に頼らざるを得なくなり、国が支払うコストの総額は確実に上がります。介護が必要な親族を抱えたとしても、(介護離職させずに)働き続けて自分の力で生活が可能なシステムの構築が必要です。 取材の中である研究者が、こういったそうです。「結局、高齢者問題は、ほとんどお金で解決できるのです」。現状の問題を複雑にせず、シンプルに考えるべきなのかもしれません。 

いわき遠野らぱん とろろ屋半兵衛

いわき遠野らぱん様は、自前の食品加工工場を持って、いわゆる農業の6次化商品の開発・製造・販売をやっています。特にパウチするレトルト食品は、他社ブランドでのOEM生産も受託されています。会社の場所は、遠野。御斉所街道沿いにありますが、決して交通便利な場所ではありません。しかし、センスの良い商品を次々に生み出しており、気になっていたので訪問させて頂きました。

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いわき遠野らぱんの平子佳廣社長にお話しを伺いました。当初、農業生産法人として「いわき遠野らぱん」は農業をして農作物の生産をしていましたが、自社製品を販売する過程で、加工を手がけることとなり、それが拡大して他社OEM生産も行うようになったとのこと。現在、販売中の製品の一部を並べて写真を撮っていただきましたが、本当にたくさんの商品を生み出しています。

今回、トマトジュースを試飲させていただきました。トマトそのものの味で、とても贅沢。塩を添加せず絞りたてそのままです。美味しくないはずがない。ただコストも正直なもので、気軽に買える値段でもありませんが。
 
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自社ブランドでのワインの生産販売もやっています。いわき産のブドウをつかってのワインですが、醸造自体は山梨のワインメーカーに委託して、いわきで販売しています。いわき産のブドウを使って、いわきで醸造するものとして、「いわき夢ワイン」がありますが、こちらはその先駆者です。

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遠野らぱん様の特徴として、「ファイトケミカル」に力を入れていることでしょうか。これは、無農薬・無化学肥料の野菜を厳選した農家さんから直接取引を行って仕入れて、特殊な加工をして作った野菜のエキスを抽出した商品です。このデザインが秀逸です。シンプルなのに、自然・素朴・丁寧なイメージを想起させるパッケージデザインです。これは、自社社員によるデザインだとのこと。きらめく能力を持つ社員がいる会社なんですね。

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特徴のふたつめは、レトルト食品や、瓶詰め加工の他社ブランドのOEM委託生産を積極的に行っていることです。6次化商品の開発で、高いハードルのひとつが、スタートアップ時期に、衛生基準をクリアできるような生産設備を持つことができないということです。生産・販売数量が五里霧中のスタートアップ時期に、小ロットで生産受託してくれる会社が近くにあることは、新規事業立ち上げに非常に力になると思います。

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工場敷地内には、とろろ屋半兵衛という、自然薯100%の麦とろご飯+すいとんで有名な自社直営店があります。ぜひ次回はこちらもお邪魔したいです。

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いわきワイナリー収穫試飲会

いわきワイナリーの収穫試飲会に参加しました。6月に実がなる前のブドウ畑を見学させていただいてから、早4ヶ月が経過し、大きなブドウの房がたわわになっておりました!許可をいただいて、ブドウの実をそのまま、直接いただくと、、、、意外なほど、甘い。ワイン用のブドウは甘くないという常識を覆してくれました。

<いわき夢ワイン ブドウ畑と醸造設備を見学は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/44391088.html
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このマスカットベリーというブドウの品種は、ワイン醸造用だけでなく、生食でもそのまま食べれるくらい甘くなる品種とのことです。この品種の他にも、シャルドネやピノノワールという有名品種も栽培されています。

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本当にたわわになっています。このブドウの木は約5年の木だそうで、下段のほうからなっていきます。古木になると中段・上段にもぶどうの房がなるようになるとのこと。自然災害や病気さえなければ、約100年近く収穫できる木になるそうです。

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かじってみたところ。皮は柔らかいし、味覚は巨峰に近いかも。

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今回、ワイン醸造したのは13トン(ナシを含む)です。その約65%がワインになるとすると、9,000kl。750mlのフルボトル換算で、約12,000本ができる計算になります。

醸造中の白ワインです。18℃前後に室温をキープして、ブドウを入れたタンク内に酵母とそのエサとなる糖分を添加して、自然の発酵を待ちます。酵母はエサがなくなるとアルコールを作ることを自動的にやめるので、自然にワインのアルコール度数は一定の値(約12.5%)に収まるそうです。醸造所内は、すえた匂い、なんというかかびたような匂いが充満しています。発酵中は炭酸ガスを放出しつづけ、表面は泡立ちます。この状態から、「お酒」となりますので、数量等を適宜、税務署へ報告しなければなりません。

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基本的に醸造が完了したモノから瓶詰めして出荷することになりますが、一部はオーク樽につけて香り付けをおこなって、さらなる熟成をさせるものもあるそうです。

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醸造中で、オリを取り除く前の白ワインです。白濁しているのはオリが混じっているからです。このオリビキといって、上澄みだけをすくうという作業を4回程度繰り返して、透明な白ワインとなっていきます。

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1回目のオリを取り除いた白ワイン。テイスティングした方によると、ほとんど完成形に近いとのことでした。

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赤ワインも試飲させていただきました。ワイングラスの内側をしたたるルビー色の滴が美しい。味覚は、まだブドウジュースに近いかも。

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昨年同様、完成したワインは、オリジナルのラベルが貼り付けされ、市場に流通させる予定です。醸造をさらにすすめて、11/15に完成お披露目・試飲会を予定しているそうです。

<昨年のワインは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/43649871.html

ユザワヤでコスプレ

「ユザワヤ」は、手芸用品・生地等の材料専門店だと思っていました。実際、店舗の売り場には、多種多様な、被服のための生地が並んでいます。見たことのないようなカラフルで、なめらかな生地がたくさんあります。
 
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単に生地の販売だけにとどまらず、店舗内で、継続的・定期的に無料もしくは材料費だけの受講費で手芸教室を開催しており、平日昼間にかかわらず、たくさんの女性が受講していました。単なるカルチャースクールが目的ではありません。受講生を生み出し続けることができれば、その方が材料をユザワヤで買い求めることは必至ですから、中期的な潜在顧客の開拓を地道にやっているわけです。企業の経営と手芸という文化を広めることを同時達成していることに、新鮮な感動を感じました。

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店舗内で目に付くのが、コスプレ、です。ちょうどハロウィーンも近いこともあって、西洋のマントやカボチャをイメージした衣装が展示されていて、同時に制作の仕方とともに、その生地を販売しています。売り方がうまいなあ。

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初めて知りました。つねづね、おゆうぎ会の衣装ってド派手なことが多いけれど、どこで買ってくるんだろう?と思っていましたが、ユザワヤさんで、デザインやアイデアをもらって、そこで特殊な生地も購入して、オリジナルのを作るんですね。

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さらに!ド派手なコスプレ衣装も、ユザワヤさんの守備範囲内なんですね。コスプレの衣装ってどこで売っているんだろう?と思っていましたが、そうか!ここなんですね。

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コミックマーケットに出てきそうなコスプレ衣装のサンプルもたくさん展示されていました。ニッチなマーケットですが、絶対的に支持する顧客層の心をがっちり、ユザワヤさんがつかんでいるんでしょうね。

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新米が届きました 放射性物質検査結果

平成27年の新米ミルキークイーンが、市内の篤農家から届きました。原発事故後から続いている、福島県のお米の全量全袋検査の結果も添付されています。今回も測定検出下限値(25ベクレル/kg)未満でした。米袋に貼り付けされているQRコードを、スマートフォン等にスキャンすれば、その場で、以下のような結果が表示されます。

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ふくしまの恵み安全対策協議会が、この放射性物質検査を担当しています。
 
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この米袋「福島の米」は、県内の米卸業者の共通袋なのでしょうか、昨年も同じデザインだったような気がします。

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成田空港第3ターミナル LCC専用

広島出張のときは、通常、東京駅から新幹線に乗るのが常道だと思います。所要時間は約4時間、片道運賃は約2万円です。そこで飛行機です。成田空港から広島空港まで約1.5時間に加え、山手線から成田空港までの形成スカイアクセスが40分、広島空港から広島駅までの所要時間60分に、空港での待ち時間約1時間を加えると、新幹線利用とほぼ同じ所要時間となります。

ただ成田空港-広島空港は、春秋航空というLCC路線があり、運賃は(季節的変動はあるものの)1万円以下で利用できます。成田空港に就航しているLCCはその他に、全日空系のバニラエア、韓国のチェジュ航空等があり、新設された成田空港の第3ターミナルを利用します。

この第3ターミナル、既存の第2ターミナルから700m以上離れていて、徒歩だと約10分、連絡バスもありますが、待ち時間を考慮すると、徒歩移動以上に時間がかかるのが、難点ではあります。ただ毎日の通勤の10分プラスはつらいですが、たまに行く旅行の中の10分は、まあ許せるのではないでしょうか。

その移動の徒歩10分ですが、きれいに彩られたカラー舗装があり、外国人であっても完全に迷いようがない。完璧な案内・誘導でした。

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極めてわかりやすい、ピクトグラムで誘導され、あとどれくらいで到着するかの目安もあり、不安なく安心して、移動できます。

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驚いたのが、ターミナルについてまず置かれているのが、プレペイドの携帯用SIMカード(データ通信)です。これさえあれば、海外携帯も日本のキャリア経由でネット接続でき、メールだけでなく、LINE等のアプリを使った音声通話も可能となります。

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利用料金は、7日間で2000円。これくらいの価格設定なら、幅広い国の方に使い安いのではないでしょうか。それよりも何よりも、日本に到着してまず、必要とされているのが、SIMカードという点が、ご時世を表しているのでしょう。

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手荷物検査の手前には、清潔で広いフードコーナーがあり、アジア系の方を中心に賑わっていました。やはりLCC専用ターミナルなので、バックパッカーの姿も多く見られます。ここではフレッシュネスバーガーやリンガーハット、讃岐うどん、お好み焼き等があります。日本に到着して最初の食事、もしくは帰国する前の最後の日本の食事として、日本のイメージや第一印象になるので、大事かもしれない。

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成田から広島に移動中の山梨県上空?からは、雲海から富士山が朝日に照らされて顔を出しているのがみえました。何か得した気分です。

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まんがで語りつぐ広島の復興 復興のスピードは意外なほど早かった

戦時中・戦後の広島を語る上で、原爆は避けられないし、そしてそれは悲惨な体験だったという論調ばかりです。それは事実なのだけれど、その被爆直後から奇跡の復興に焦点をあてた本がありました。広島に投下された原爆は、その悲惨さとは別の視点から、広島がいかに迅速に復旧していったか、また、そこには、どのような人の思いがあって、どう実行されたかを、分かりやすく漫画で示した作品です。福島の原子力災害からの復興の参考となるのではないかと思い、購入しました。
 
1945年8月6日、世界初の原爆投下で広島は破壊され、10万人もの一般市民がアメリカ軍によって虐殺されました。当時、原爆による放射能汚染によって「今後75年は草木も生えない」といわれました。しかし、原爆投下直後、8日の午後には広島-西条駅間で鉄道が再開、9日には市内路面電車が運転開始しています。8日には日本銀行広島支店が業務を再開、焼け残った日銀の建物で地方銀行12行も営業を再開しています。復興のスピードは意外なほど早かった。

それはなぜか?原爆で、10万人もの市民が亡くなったにもかかわらず、この当時の人びとの「責任感」、「公共心」、「広島人の矜持」があったからといわれています。その三点によって、異常ともえいるスピードで復興をなしえました。福島の原子力災害からの復興はどうでしょうか。加害者にきっちりと責任を取ってもらうという視点だけでなく、それぞれの個人・企業が、「責任感」、「公共心」、「福島人の矜持」を持つことこそが、復興をなしえる条件なのかもしれません。条件なのかもしれません。

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第1章 復旧最優先!“水道・電気・ガス”
第2章 市民の足、路面電車を動かした女学生
第3章 被爆2日後に営業再開した12の銀行
第4章 活気づく広島の商い
第5章 輸送のかなめ“三輪トラック”
第6章 ともに学ぶ“学校”の再開
第7章 平和を願う街づくり
第8章 心の糧を求めて“映画・音楽・本”
第9章 広島の名物“市民に笑顔を”
第10章 市民球団・広島カープ誕生!

外務省ハレンチ物語 佐藤優著

元在ロシア大使館三等書記官、外務省国際情報局分析第一課主任分析官、「外務省のラスプーチン」と呼ばれた、佐藤優氏による著です。外務省時代の体験、刑務所に収監された経験等を元にした「憂国のラスプーチン」や「国家の罠」という真っ当な本ばかり上梓していますが、この本は、完全にエロ「官能小説」です。

いくつかの小話で構成されています。ロシアマフィアを怒らせた代議士のスケベ「海外政経等事情調査」、美人研修生に英語講習という名目でイケナイことをする首席事務官、在外公館の女性家事補助員が見た「公使の裏金とSEXの罠」等。そのストーリーの中で、まさに官能小説そのもののエロスがちりばめられていました。外務省では、知的美人を「トランジスタ・グラマー」と呼ぶ等、はじめて知る外務省の常識、トリビアが満載です。佐藤氏の筆は多才です。

氏による外務省の評価は、元の身内なだけに、とても低い。「官僚の職業的良心は出世すること」、「外務省の人たちの金銭感覚は、普通の日本人とはまったく異なっている」、「外務省はレイプや公金流用が日常化している犯罪組織」、「あいつらに国益を求めるのは、八百屋で魚をくれと言うようなものだ」「霞ヶ関では、かつて「自殺の大蔵(財務)」「汚職の通産(経産)」「不倫の外務」と呼ばれていたが、今では外務省がその3冠王」等。領収書の提出が求められない機密費を使った内部の飲み会や、外国人大使夫人への贈答品という名目で愛人のプレゼント購入、航空券の正規料金とディスカウントとの差額を浮かせたりする小話には、本棟に愕然とさせられます。

それでもそうしたことが露見されないよう、外務省が政治家や新聞記者のスキャンダル情報を握ることで、お互いを糾弾できないようにしているあたりが、現実なでしょうか。

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きものと帯 ふく屋 フォトスタジオ凜

きものと帯 ふく屋は、常磐湯本に店舗を構える呉服屋さんです。現在の店舗は、和装旅館を改装して作られており、1,000坪の和風庭園の敷地に300坪の本格数奇屋造りの店舗を構え、表通りから想像もつかないくらい、広い呉服店です。発祥は、遠野町で明治27年創業。120年以上の歴史があるとのこと。
 
またオリジナルの反物、「安藤つつじ染め」を制作するなど、先進的な取組みもされています。これは、いわき市の花である、つつじの染料を使い米沢の機屋に染め過程を依頼して作った紬です。つつじが市の花となったのは、旧平藩主安藤家が東京大塚の邸宅より松ヶ丘公園につつじ1,000本移植したことが由来です。その安藤家の御宗家の許可を得ての命名だそうです。
 
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5000点以上の在庫を持ち、常時300点展示の豊富な品揃えだそう。この膨大な在庫でどうやって自分の一着を見つけるか、想像もつきません。

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振り袖のお部屋。和室の部屋数がふんだんにある和装旅館を改装しているだけあって、訪問着、振り袖、七五三、卒業式、反物、小物等、それぞれのテーマで部屋がわかれており、とにかく広いという印象です。

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老舗呉服屋「ふく屋」ですが、新感覚のフォトスタジオ「凜」を、本店2階にオープンしています。和装だけでなく、洋装での撮影もできるスタジオです。普通のスタジオを背景だけをロールカーテンで変えるスタイルがほとんどですが、こちらはホンモノの和装の部屋、洋風アンティーク調の部屋を実際に作ってしまっていることが特徴。よくぞこれだけのスペースが確保できたものだと驚きました。
 
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撮影した写真は、その場でデジタル保存され、すぐに確認し、加工することができます。最新の撮影機器と日本家屋のロケーションの新しい組み合わせです。七五三、結婚式、卒業式の「前撮り」等にベストマッチするかもしれません。今までにない新感覚のフォトスタジオです。既存のフォトスタジオとの競合によって、さらなる顧客満足の工夫がなされていると思いました。

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いわき市の児童・生徒には肥満児が多い

いわき市の児童・生徒には、肥満児が多いです。正確にいえば、いわき市と福島県の肥満傾向児※の出現率が、いずれも全国平均に比べて著しく高い傾向を示しています。平成24年度の福島県学校保健統計によれば、6才から14才までの各年齢でいずれも、男女とも、すべての階層で、全国平均を上回る肥満傾向児の出現率となっています。

※ 肥満傾向児とは、性別・年齢別・身長別標準体重から肥満度を求め、肥満度が 20%以上の者 
肥満度=(実測体重−身長別標準体重)÷身長別標準体重×100%

<男子>単位:%
1

<女子>単位:%
2
 
これを震災による運動機会の低下や食生活の変化と分析する見方もあり、おそらくそういう一面はあろうかと思います。ただし、震災前からの要因も多くあると思われ、生活習慣が大きく影響しているのしょう。興味深いのは、いわき市と福島県の傾向が非常に似ていることです。県全体の食生活や行動様式が何か関連しているのでしょうか。謎です。

いわき市ペット保護センター

いわき市ペット保護センターを訪問しました。震災をきっかけとして飼い主不在になった、もしくは飼える状態でなくなったペットを引き取って、新しい飼い主が見つかるまでペットのお世話をしている施設です。震災直後の2011年5月に、いわき市内郷綴町船場のポリテクセンターの駐車場に建てられ、2015年9月の現在でもその役割を続けています。建物は、いわき市保健所、獣医師会、動物愛護団体などが協力し建設されました。一方、運営自体は、NPO単独の自主財源で運営されているそうです。
 
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仮設のプレハブを3つつなげてペットを保護する棟を作り、その棟を2つ並べ、中央に透明ポリの屋根をかけることで、屋根がある中庭部・通路を作っています。うまい工夫です。内部には垂木を使って、ペットの個室が作られていました。いわき市赤井にある野犬抑留所は、スペースの関係上ペットの個室がなく、うら寂しい雰囲気となっているのとはだいぶ印象が違います。

<野犬抑留所は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/27917887.html
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保護されているペットは、身なりがよいのが印象的でした。訪れるまでは、保護されるようなペットは貧相で(場合によっては凶暴で、吠えまくっていて)、人間に対して不信感を持っていると思っていました。ここで保護されているペットは、落ち着いていて、全く吠えたり、騒いだりしていませんでした。これもきちんと一匹一匹、手を掛けて保護されているから実現できているのでしょう。

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訪れた当日は、犬が6匹、猫が1匹、保護されていました。

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赤井にある野犬抑留所との比較してみました。

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これまでに保護され、新しい飼い主が見つかったペットは、300匹以上だそうです。課題は、運営資金と活動場所です。現在は、ペットのえさ代、ボランティアの活動は、民間からまかなわれていますが、これも容易ではありません。また、現在の場所も震災対応ということで借地していますが、震災から4年を経過し一定の役割を終えたという見方もあるそうです。

今回訪れてわかりましたが、いわき市ペット保護センターは、市の野犬抑留所とは違った役割として、ペットのマッチングという点で一定の役割を果たしているし、今後もそれが期待できるのではないか。すでに開設から4年を経過し建物は老朽化していますが、一定程度修繕すればまだまだ使えます。いわき市のペット保護政策としてどのような姿勢でいくのか、スタンスが問われていると思います。 

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注)撮影は、いわき市ペット保護センター様の許可を受けております。

被災地からの考古学 天冠埴輪のコスプレ

被災地からの考古学「浜通り地方から福島県の古代を読み解く」の解説・講演会。講師は福島県立博物館の学芸員 荒木隆氏で、「天冠埴輪」のコスプレでの語りがアツイ。今回の震災復興活動の中で新たな発掘調査の結果、いわきの古代時代に、たたら製鉄をやっていたことがわかってきました。中田横穴の派手・豪華な装飾との関係もあって、地域が誇れるコンテンツになりそうです。
 
今回の福島県立博物館の移動展は、東日本大震災からの復興事業に伴う発掘調査により、明らかになった浜通り地方の新しい歴史を紹介するものです。浜通り地方が福島県、東北地方、さらに日本全体の歴史の中で、どのような役割を果たした地域だったのか。

福島県浜通り地方は、東北と関東をつなぐ南北文化の交流の地域です。関東、東北、両者が折衷した文化の三様が見られ、また海上交通・河川交通・独特の文化風土を形成した地域です。誇るべき浜通り地域の過去の活動を知ることによって、地域の復興へ向けた一助としたい。
 
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福島県立博物館の学芸員 荒木隆氏がかぶっているのは、天冠埴輪を模したかぶり物です。当時から存在していた材料ということで、動物のなめし革を使った完全にオリジナル・ハンドメイドです。このかぶり物+古代の服装のコスプレをしながら、2週間に1度は、博物館の展示解説を行っているそうです。福島・いわきに対する郷土愛にあふれた解説は、聴衆の心を引き付けます。 
 
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やはり展示物を漫然と眺めるのと、その発掘の背景や、発掘物の持つ意味、当時の様子(仮説)等の解説を聞くことにより、何倍も楽しめますし、より地域を愛することができると感じました。

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いわき市の白岩堀ノ内遺跡から出土した鉄製の銛(もり)の頭です。県内最古のもりだそうです。鉄器を、動物の狩りでなく、まず魚の漁に使用したというのが、浜通りらしいところ。
 
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いわき市大猿田遺跡から発掘された、「丸鞆(まるとも)」。当時の役人が、腰紐につけることで、平民と区別したそうです。

主な展示資料
縄文時代:上田郷Ⅳ遺跡出土土偶(広野町)/新田遺跡出土土偶(新地町)/田子平遺跡出土土面(浪江町)/赤柴遺跡出土土器(南相馬市)
弥生時代:白岩堀之内遺跡出土鉄製銛頭(いわき市)
古墳時代:タタラ山遺跡出土石製模造品(いわき市)
奈良時代:横大道遺跡出土羽口付製鉄炉襞(南相馬市)/山岸硝庫跡出土須恵器異形壷(相馬市)
平安時代:小山B遺跡出土墨書土器「報恩寺」(楢葉町)/後作A遺跡出土土器(富岡町) 

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岩宿遺跡は、久之浜の災害公営住宅(市営久之浜東団地)が建っている場所になります。災害公営住宅の建設に発掘調査され、たたら製鉄が行われ、砂鉄と石炭から、鉄器を作っていたことが今回の発掘で判明したそうです。当時は夏井地区に役所があり、好間地区の良質な粘土と市北部の砂鉄を使って、久之浜地区で製鉄が行われて、鉄製の銛が作られていたかと夢想すると、悠久のときを感じます。

新築の久之浜東団地です。地面は完全に埋め戻された上で、アスファルト舗装されています。この写真からは当時の面影はありませんので、過去に想像力を働かせる必要があります。

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考古資料館のセミナー室で、アツイ講義を約2時間、さらに展示解説を約1時間、たっぷり語って頂きました。これらをツールにさら、地域を理解し、愛することできればと思います。

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津波に奪われた命、そして今の写真展

写真展・ドキュメンタリー映像上映&トークイベント『津波に奪われた命、そして今』。今回の震災で家族を失ったご本人に登場頂き、直接自分の言葉で話して頂きました。絶望と葛藤と、それでも生きていく決意と、それらがいまでもないまぜになって、それでも生きている。一方、いつ死んでも良いという焦燥感は、いまでもずっと残っているそうです。

「津波だけだったら、良かったのにね。」よく聞かれる言葉です。しかし津波で家族を失った家族にとっては、その言葉にうなずけない。なぜならその後の原発被害などよりも、津波こそが家族を失った原因そのものであり、それが「良かった」などといえるはずもない。それぞれの立場を不理解のまま、「復興」という言葉も安易に言葉を使って欲しくないという心情もあるそうです。なぜなら「復興」活動よりも、優先すべきものがあると感じている人もいらっしゃるからです。

震災の影響の感じ方は、それぞれの個人でペースが違うのは当然ですが、改めてそれを再認識しました。全体でものを考えることが多いのですが、個別対応も改めて大事ですね。

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バロウズはソニックプロジェクトが管理、運営しているアコースティック専門のライブスペースでした。足場の板を使った床、錆びたトタン屋根、無垢材を使った柱、白熱電球の光で落ち着いた雰囲気の内装等、独特の雰囲気で、椅子席で40人ほど入れるくらいの大きさです。

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現在バロウズは、 駅前近くに移転し、Music Bar burrowsとしてオープンしていますので、こちらの利用は今後、検討中とのこと。今回のような写真展にはぴったりだったのかもしれません。
 
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津波でご家族を失った方の言葉です。「先日の常総地域の台風・大水・堤防決壊の災害時の対応には、本当にがっかりした」。なぜなら、日本人は東日本大震災の教訓を全く、その後につなげていないと感じたからだそうです。津波で家族を失ったことを、なぜ教訓として伝えていけないのか。

東日本大震災も常総地域の台風・大水・堤防決壊も、「まさか、まさか」で済ませているのではないか。なぜ過去を教訓として、次回に生かせないのか。それは、個人の意識の問題に行き着くと思います。ご家族を失った方いわく、他の方に後悔してほしくない、だからこそ、過去を教訓として、次回に生かしてほしいとのこと。あまりに重い実体験からくる心の叫びを、重く受け止めたい。

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いわきヘアメイクアカデミー ビューティヘアファッションショー

アリオスで「ビューティヘアファッションショー」を開催されました。これは、いわき市平谷川瀬の学校法人iwakiヘアメイクアカデミーが主催しているもので、理美容を2年間学んでいる47人の学生が、ヘアメイクやファッションの技術を披露する機会です。基本的に、学生らがモデルを務め、メークを施すのを見せるショーです。
 
<いわきヘアメイクアカデミーは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/37304847.html
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いわきヘアメイクアカデミーでは、その活動を広報するため、このビューティヘアファッションショーのほか、学校見学も兼ねた、ビューティフェスティバルという催しを年に各1回ずつ行い、地域の方々と交流し、また学生に理美容に興味を持ってもらう機会としています。会場のアリオス中劇場は、学生の友人知人、家族だけでなく、ヘアメイクやファッションに興味のある学生が来ていました。

<ビューティフェスティバルは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/44891917.html
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ブライダルプロデュースのマーチ様やトータルフォトスタジオCoCo様が衣装提供してくださり、ホワイトドレスやカラードレスに学生が身を包み、さながらブライダルショー的な面もありました。

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ゲストとして、「1000万人が泣いた歌声、日本一のメロディメーカー」、ホワイトジャムが出演。追っかけのグループもいて、ラップでもりあがりました。3rdシングル「ウソツキ」がノンプロモーションにもかかわらずYouTubeで400万回再生されたという伝説のグループです。

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最後は、出演者全員がステージに上がってフィナーレです。これまでは日中開催でしたが、18:00スタートということで、アダルトな雰囲気の中、開催されました。構成や演出、技術等はすべて学生の手によるステージにもかかわらず、美しく、きれいで、かわいく、かっこいいステージで、2時間強を楽しめました。この学生たちが卒業して、ファッション・理美容の世界に入っていくのが楽しみです。

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徳川宗家 第18代当主 徳川恒孝氏 江戸幕府と湯長谷藩

徳川宗家 第18代当主 徳川恒孝氏(公益財団法人徳川記念財団初代理事長)。いわきの東日本国際大学で「江戸時代に築かれた日本の構造」を話して下さりました。穏やかな物腰と、発するオーラ、そして日本を心から愛する姿勢をひしひしと感じました。

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氏の日本の国の成り立ちについての博覧強記ぶりが、いかんなく発揮された著書を拝読させていただきました。氏の生まれは、会津松平藩の直系、松平容保公の実際のひ孫として生まれ育った方です。それが明治の激動を経て、徳川宗家へ養子に行くことになります。よって、徳川宗家と会津松平に対する思いを等しくお持ちの方です。

氏は、貴族議院議院議長であった祖父の家で育つ一流の華族ではありますが、本業としては、学習院大学卒業後に、日本郵船に一般就職した民間人という側面もあります。同期に加賀前田藩のご当主も日本郵船に入社され、机を並べて勤務されたそうです。在職中は、出身から本社勤務が多かったものの、海外勤務7年、海外出張は53カ国に及ぶそうです。現在は退職され、公益財団法人徳川記念財団初代理事長として、執筆活動・講演活動をされておられます。講演の中では、「長州」を敵扱いするようなジョークも交えられ、穏やかな語り口と合わせて、聴衆を引き込む話術は、巧みでした。

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講演会終了後に自筆のサインをいただきました。ペンを自ら持参されていて恐縮でした。感謝です。

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開会後は写真撮影をご遠慮下さいとのことでしたので、開会15分前の写真です。その後会場は満員になり、モニターで見る第2会場が用意されたとのこと。今回は同時に、湯長谷藩の第17代当主 内藤博氏もパネリストとして参加され、自らのルーツの湯長谷藩の歩んだ歴史を話して下さりました。徳川宗家の三つ葉葵、湯長谷藩の下がり藤の家紋が並び、いわきの歴史をダイレクトに感じることができた、貴重な時間でした。

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夏井川の河口閉塞 再び

夏井川の河口が、再び河口閉塞しています。河口部分が流出土砂で埋没したり、波風の影響によって砂洲が発達し、河口を塞ぐ状態が続いています。それが50年に一度といわれる先日2015 年09 月10日の大雨で、河口の砂が押し流されて、問題解消していたのですが、、、また閉塞してしまいました。

河口の新舞子橋左岸のほぼ、同じ位置から撮影した写真を比べると、本来流れるべき河口の流域が明らかです。

<2015.10.11 河口閉塞が発生している状態>
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<2015.9.14 河口閉塞が解消していた状態>
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2015.10.11に新舞子橋の中央付近から撮影した、パノラマ写真です。河口の左岸から右岸まで完璧に、流砂が数メートル程度堆積していて、まったく川の水が直接、太平洋に注いでいない状況です。いまは、横川という細いバイパスを通して、水が太平洋に流れていますが、横川自体の水かさが増しているので、危険な状態です。川の魚の生態系にもかかわってくるので、根本的な対策を打たねばならないと思います。

<夏井川の河口閉塞解消?は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/45398775.html
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高尾山 世界一の登山者数 絶景レストラン

恥ずかしながら、はじめて高尾山に登りました。高尾山(正確には、明治の森国定公園高尾山と呼ぶらしい)は、世界一の登山客数を受入れているスゴイ山です。世界のミシュランで三つ星(最高ランク)を獲得しています。新宿駅から、特急に乗り、一度乗り換えて、約40分で最寄り駅である高尾山口駅に到着するという、非常にお手軽なアクセスです。

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休日の高尾山口駅は、朝のラッシュも真っ青なくらいの混雑です。まさかこんな場所で、駅改札を出るのに渋滞するとは。駅は、非常にキレイで、駅舎は木をふんだんに使ったデザインで素晴らしい。

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駅前には、大きな登山マップがあって、登山するぞ!という気持ちを盛り上げてくれます。実際、登山初心者は地図を持たずに来るので、ここで高尾山の全体を把握するという重要な意味があります。

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高尾山口駅から数分歩くと、ロープウェイの高尾山駅(清滝駅⇔ 高尾山駅)に到着します。ここから徒歩で登山も可能ですが、高低差271mを、片道料金480円で運んでくれるサービスは、はっきりいって初心者には助かります。このアクセスの良さこそが、こどもやお年寄りも気軽に登山を楽しめ、世界一の登山客数となる主要因でしょう。 なおケーブルカーの最急勾配31度は、ケーブルカーの線路では 日本一の急勾配だそうです。

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自転車女子の姿も!高尾山口-山麓駅の間には、グルメなお店やオシャレがお店が建ち並んでいて、登山客を待ち受けています。登山の後の、甘いもの(甘味処、アイスクリーム点)は嬉しい。お店の建物のデザインも周辺に風景に溶け込むようなものばかりで、これも高尾山を世界一の登山客としている一因です。

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ケーブルカーの乗車時間は、たった6分。これで標高約200mから、470mの地点へあっという間に移動です。さあ、登山か!と意気込むと、「高尾山ビアマウント」の表示がありました。この高尾山駅からのパノラマ風景・都心の夜景を見ながら、飲み放題・食べ放題バイキングをするというものです。お手軽というか、登山というものに対して不謹慎というかは、評価が分かれるかもしれません。13:00にオープンして1時間で満席!という人気スポットです。

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絶景でした。多摩丘陵の向こうには、かすかに新宿の高層ビル群が見えます。天気の良い日には、東京スカイツリーも見えるそうです。

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登山道は、登山客でたくさんです。絶対に道に迷う心配がありません。外国の方をたくさんみかけました。感覚的には1割程度は外国人でした。

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「高尾山さる園」に立ち寄りました。約60頭が暮らしていて、説明員の方が、解説してくれました。トークが上手で、またなついているサルのコミカルな動作で楽しい時間を過ごしました。

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多摩の丘陵地は、高度成長期に市街化の波が押し寄せ、ナラやクヌギの落葉樹林帯は非常に少なくなっているそうです。高尾山野草園は、高尾山に昔から自生していた野草を中心として、約300種類あまりの亜高山帯植物や一部高山植物などを自生展示していました。遊歩道の中を歩いて行くと自然に見れる形になっています。あまり詳しくない私は、野草にはたくさん種類があるなあという感想ですが。
 
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バードウォッチングもできる。

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ロープウェイ高尾山口駅ちかくのソバ屋さんに昼食をとりました。

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ここの売りは、なんといっても「絶景レストラン!」。多摩丘陵、遠くに新宿高層ビル群を眺めながらの昼食は格別です。美味しさが10倍アップです。ここは、超オススメ!

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とろろソバも、ソバが太くて自然の味わいがあった美味しかった。

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高尾山登山は、おもいがけず、満足度の高い時間でした。登山未経験の知り合いにもぜひ、勧めたいです。ただひとつ難点をあげるとすれば、その混雑度でしょう。すべての登山経路を徒歩でいくぶんには問題ないのですが、リフト・ケーブルカーの待ち時間が、半端ではありません。でもある意味、ここが良い意味での入口のボトルネックになって自主的な入山規制になっていると考えれば、これも納得です。

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いわき湯本温泉月まつり 路上の大宴会

いわき湯本温泉月まつりに、参加しました。 第53回だそうで、もう50年以上続いているイベントだそうです。会場は、湯本駅前。普段は何の変哲もないアスファルト敷きの時間貸しの市営駐車場ですが、この日は、まさに路上の「大宴会場」に変貌していました。

駐車場には一面のゴザが引かれていて、800人が同時に座れます。300基近い数の七輪に、炭火が点火されていて、すごくいい雰囲気です。会場は18:00なのですが、17:30過ぎには(開会宣言がないにもかかわらず、勝自然発生的に)既に宴席が始まっています。

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七輪の炭火で焼く お肉は最高です! 余興を見ながら秋の夜長を楽しみます。この祭り、「ゆるくて」良い!開会宣言する前から、飲んじゃってますし、余興も聞くとこは聞いていますが、ホントに余興なんで、自分たちの焼き肉や飲みが第一。そこらから集まってきた地元の方々が、自由に七輪単位で盛り上がっていますし、とにかくルールとか縛りが、少ないのが良い!何かしなくてはいけないというようなのがない、肩肘張らないこのイベントはくつろげるなあ。以前は、湯の岳が会場でしたが、あまりにアクセスが悪いので会場を(まったく別の)駅前に移動してしまったという、利便性重視の極めて柔軟な運営の仕方も、良いです。月は出ていないのに、「月祭り」(笑)。細かいことは、気にしない。^_^

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一人券2,500円で焼き肉セット券(ラム肉・豚肉・タマネギ・たれ)が販売されています(当日券もあり)。だいたい4-5人で一つの七輪を囲んで、焼き肉開始。生ビールも会場で販売していますが、アルコールは持ち込み自由なので、めいめいにクーラー持参で会場に来られていました。さらなる「通」は、自前の良いお肉を追加で持ち込んで、焼いていたりしているようでした。本当に縛りがない、ゆるーいイベントです。

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妙齢のご婦人が主体となっている芸能保存会「芸の虫」による「常磐炭坑節」。ヘッドライトを付けて踊る常磐炭坑節は、とても風情があります。

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地元若者による「じゃんがら」も披露。女性がメンバーに加わるのは、かなり一般的になってきたようで、このチームにも3名の女性が入っていました。

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歌手?女優?の小沼寿恵さんが総合司会・〆の歌をご披露。華がある方です。

<小沼寿恵さんは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/45189175.html
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終了間際のいわき湯本温泉月まつりの全景です。手前のピンクのスタッフジャンバーを着ているのが、清水市長。目立つ色のジャンバーにもかかわらず、会場の雰囲気に溶け込んでいました。さすが地元です。

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アルコールが入っても、会場が湯本駅から徒歩1分の場所なので、帰宅は電車でとても便利。湯本駅からいわき駅まで約10分。
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朝、辻立ち。朝立ちではありません。

今週、朝、辻立ちをしています。写真は、いわき駅のペデストリアンデッキです。車社会といわれるいわき市ですが、いわき駅の乗車客は一日、6000人近くです。電車が到着すると、100人もの方が駅の改札から、どっと出てきます。その数分は賑やかなのですが、ものの数分すると閑古鳥がなくような静かな駅に戻ります。そのギャップがおもしろい。市域の境の勿来駅までは30km近くありますが、電車で30分弱で移動可能。公共交通機関はスゴイ。常磐線をはじめとしてインフラを作ってくれた先人に感謝です。
 
「朝、辻立ち」していると、しばしば「朝立ち、がんばっているね!」「いいよ、朝立ち!」と声をかけてくださる方が複数いらっしゃいます。ありがたいです。どうも、「朝、辻立ち」を簡略にしているようなのですが、何か違う意味になってしまうかもしれない。まあ、いいですけれど。

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6号国道沿いの五色町交差点です。この五色町は、江戸時代に「色街」だったそうで、地名にその名残が残っています。ここは歩行者は本当にまばらで、通勤で行き違う自動車の量がスゴイです。車社会を実感します。
 
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平・好間バイパス沿いの平谷川瀬です。市役所にほどちかいということもあり、徒歩・自転車での通勤・通学の方が多く通行します。

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核融合発電 核融合研究所

「核融合発電」なんて、夢のエネルギーだと思っていました。一方、それを本気で研究し、実現しようとしている研究施設が、日本にあることをはじめて知りました。というのも長男が、岐阜県土岐市にある「核融合科学研究所」を視察・見学してきたというのがきっかけです。

<核融合研究所は、コチラ>
http://www.nifs.ac.jp/index.html 

核融合が実際に起きているのは、太陽です。太陽は約46億年前に輝き始め、その核融合により、今後約50億年、輝く続けると考えられているそうです。太陽は水素を主成分とするガスのかたまりで、その中心部は1500万℃に達します。水素原子は電子と原子核に分かれたプラズマ状態となり、巨大な重力で超高温・高密度の中で、水素の原子核同士が合体して、ヘリウムの原子核が作られるという核融合が起きています。このときに莫大なエネルギーが発生し、それが太陽が輝き続ける源泉です。この核融合の作用を、人工的に起こして発電することが核融合研究の最大の目的です。

とはいっても、太陽のような 超高温・高密度のプラズマには、科学的にまだまだ未知に領域があり、その解明がなければ実用化にはほど遠い。そのために、まずは超高温・高密度のプラズマを作る研究が進められています。核融合研究所では超高温のプラズマを高密度で閉じ込めるための施設として「大型ヘリカル装置」を持っていて、世界のトップを走る研究を続けています。

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核融合研究は、1950年代から開始され、1990年代には人工的な核融合反応を起こし、エネルギーを取り出すことに成功しています。その次のステップとして、自分自身で燃える核燃焼を起こし、長時間運転できる仕組みが必要です。その研究がITER(イーター)計画で、EUを主力、日本を準主力とした国際協力研究が進められており、2020年代に核燃焼プラズマを作り、核燃焼の実験炉が、フランスのカダラッシュできるスケジュールらしい。うまくこれが成功すれば、2040年代に実証炉が作られ、早ければ2050年代には実用炉として、発電が開始されるかもしれません。

フランスのカダラッシュは、昨年訪問最多、マルクール核廃棄物処理施設と一体となって、原子力研究を行っている施設であり、フランスの原子力にかける強い意志を感じます。

<フランス マルクール核廃棄物処理施設を視察は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/40668915.html

参考までに、100万KWの原子力発電所1基を運転するための燃料は、濃縮ウランが年間23トン(10トントラックで2.3台分)程度必要とされています。火力発電なら、液化天然ガス(LNG)100万トン(20万トンの大型タンカーで5隻分)です。一方、核融合発電ならば、燃料となる重水素・三重水素が(理論的には)280kg程度で済むらしい。1グラムの燃料(水素・重水素)の核融合反応のエネルギーは、タンクローリー1台分の石油(約8トン)を燃やしたと同じ量というのですから、圧巻です。

自給エネルギーが不足している日本において、準国産エネルギーとして、またベース電源として原子力発電が、昭和40年代以降、これまで推進されてきた経緯があります。化石燃料をさらに使わずにすむ、核融合発電はその意味でも夢のエネルギーかもしれません。

現在は実用化の目処は立っておらず、夢のような話ではありますが、考えてみれば原子力発電であっても、その歴史は100年も経っていません。第2次世界大戦で使用された原子爆弾の転用技術が進み、発電で実用化されましたが、その意味でもまだまだ発展途上の新しい技術です。原子力も廃炉技術を含めてさらなる進化・研究が必要ですし、あと50年もすれば核融合のような、まったく新しい発電技術が実用化されるのも必然です。既存の技術をさらに研究し、一方、既存技術に拘泥せず全く新しい技術も平行して進めることが必要です。

日本がかつて太平洋戦争に突入せざるをえなかったのは、アメリカを初めとする連合国に石油の供給をストップされたのが主要因という歴史的事実があります。これからの平和を維持していくためにも、エネルギーの多様性(種類・地域を含む)の確保は、時代が変わっても日本の基本的スタンスであることは変わりありません。
 
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注)写真は、核融合科学研究所の広報リーフレットからです。

撤退戦の研究 繰り返されてきた失敗の本質とは 半藤一利著

なぜ、「撤退戦」の研究なのか。それは、撤退戦に失敗したからこそ、日本が「第一の滅び」として太平洋戦争を迎えなければならなかったこと、そしてその教訓を活かすことで、今後の日本の少子高齢化、経済力の衰退等を要因とした「第二の滅び」を悲惨な形に持って行かない知恵と方策を持つためです。いま日本に必要なのは、敗因と交代の冷静な分析と、自国文化に誇りを持ち、傲慢にならない程度の自信、そして勤勉の美徳を持ち続けることです。それと「情報戦」に強くなることです。これで「美しく成熟した日本」「極東のまことにユニークな、世界第三の経済大国」になれるでしょう。

いま世界中が不透明になっており、50年続いたパックスアメリカ-ナの時代から、世界各国が多極化しています。日本も少子高齢化の中で、国力の衰退もしくは財政赤字の崩壊も心配されています。しかし日本人の「和の心」「勤勉性」は、いまだ世界で際立っていると思いますし、引き続き、世界有数の経済大国の位置をキープできる可能性があります。そのためには、人口減少、国力減少という撤退戦を上手に切り抜けていく必要があります。そのためには、実現不可能な高成長(戦略なき膨張)という夢想と決別し、さらに過去の歴史に目をつぶらず、「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」を実践していくことです。

おさらいですが、太平洋戦争に負けたのは、単に物量作戦・工業力だけに負けたのではなく、以下のようなソフトパワーに負けていたためです。少なくともターニングポイントだったミッドウェー海戦では、日本海軍が兵器の能力、兵力、パイロットの熟練度など圧倒していたにもかかわらず、情報戦、そして人事で負けたといっていい。
・戦略と戦術の相違
・秀才主義と年功制の人事
・ムラの和と秩序、既得権の重視
・情報と補給に対する思想
・参謀の驕慢なる無知
・過去の成功体験にとらわれる
これら原因の分析については、「失敗の本質」に描かれていることと軌を一にしています。

<失敗の本質は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/20737667.html

ここではリーダーの条件として6つを上げています。
1. 権威を明らかにするとともに、責任をしっかりとること
終戦時に陸相阿南惟畿は、「不服の者は自分の屍を越えて行け」等、権威を明らかにしたが、敗戦にあたっては、その責任をとり8/15 AM5:00に割腹自殺。

2. 組織の目標を明確にするための決断をすること
連合艦隊司令長官 山本五十六は太平洋戦争の開戦の目標・目的をしっかり部下に伝え、周囲にもわかるよう、行動せねばならなかった。

3. 焦点の場に位置すること
海軍中将山口多聞は、現場に急行しその場で指揮を執った。

4. 情報を自分の耳で確実に聞くこと
提督ニミッツは、日本軍の情報将校として情報参謀レストンを手放さず、その情報を直接自分で聞き、分析した上で、ミッドウェー海戦に勝利した。

5. 規格化された理論にすがらないこと
ゼロ戦の空中戦のドッグファイトの成功に固執し、重装備化・チーム戦化した航空戦の戦いについていけなかった。

6. 部下に最大限の任務遂行を求めること
惨敗したインパール作戦の撤退戦において、宮崎繁三郎中将は部下に最大限の期待の言葉をかけ、奮起させた。

戦国時代は、率先型リーダーでなければ生き残れませんでしたが、江戸、少なくとも明治以降は「おみこし型」リーダーが多く、それを参謀というエリートが支えていました。問題は、参謀が学歴偏重で昇進し任命されていたことです。それにより、学歴エリート参謀は、「驕慢なる無知」となり、自己過信が起こりました。

今後の日本に必要なのは、現場の指揮官としてのエリート、士官エリートです。組織プレーと個人プレーの両方ができる、忠誠心を持つ真のエリートこそが現代社会、企業、特に撤退戦において必要とされるというのが、著者の主張です。

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キクモクさんで集成材加工作業を見学

集成材加工業者のキクモクさんにお邪魔して、どのようにして集成材が作られるか見学させて頂きました。集成材の材料は、海外産の材木、ラミーナと呼ばれる木材と、特殊な接着剤です。ラミーナは、主に北欧からコンテナ船で京浜港へ、そして積み替えられて小名浜港で陸上げされたものです。

<ラミーナの積み卸しは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/45269283.html
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初めて知りましたが、集成材を作るには、ラミーナという3mから5mの長さがある木材を、(大胆にも!)約60cmの長さに切ってしまいます。せっかく長い材料なのだから、できるだけそれを活かして使うと思っていたので意外でした。その理由は、強度確保のためには、ソリや節を避け、平均的な木目を使うほうが望ましいからだそうです。

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60cmの長さというと、これくらいの長さ。せっかく長い材料なのに、短く切ってしまうのは、素人的にはやはりもったいない気がします。しかし大きな節は一定割合で必ず発生し、そこは強度が出せないため、その部分は切り飛ばして捨てるしかない。ちなみにそのようにして大量に発生する端材やおがくずは、工場内だけでは処理しきれないため、外部の方に引き取ってもらっているそうです。昨今、地方でのバイオマス発電、エネルギーの地産地消が叫ばれていますから、ここに何かビジネスチャンスがあるかもしれません。

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工場自体は24時間稼働、40人あまりの現場担当の方が交代で作業を続けているそうです。

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もう一方の材料は、接着剤です。接着剤には屋外用と屋内用があり、キクモク様では屋外用を専門に作っています。溶液は2剤で、それぞれ木材に塗布し、木材を密着させ30分以上温めて硬化となります。

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複数のラミーナを接着剤でくっつけて硬化させた状態です。この後、4面にカンナをかけ、欠けた部分は補修をして完成品になります。

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縦方向にラミーナ同士をくっつけるには、このようにコバをぎざぎざに加工し抵抗を大きくした上で、接着・密着させてます。木材には、木そのものを活かした無垢材がありますが、現在では、木造では集成材を標準の仕様となっているそうです。その理由は、規格がしっかりとしているので、寸法の精度もよいし、反りなどの狂いが少ない。その結果、構造上も無垢より強いからだそうです。

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完成した集成材はJAS規格の強度試験をし、検査機械にパスすると、焼き印が押されて出荷を待つことになります。キクモク様の集成材は、全国のプレカット工場へ出荷され、最終的にはハウスメーカー等が作る家の「梁」にとして使用されることが多いそうです。

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直近では、為替が円安に振れているので、輸入材を使っている会社は材料費のコストアップですから、以前に比べて経営は楽ではないと思います。また船の運賃の観点から、全国の同業者と比べて、いわきという場所が、京浜港等のメインポートの運賃に加え、小名浜港のーカルポートチャージという追加コストを負担しなければならないので、相対的に不利な競争条件にあります。そういう条件下でも、経営努力によってここいわきを地元として拠点を構えつづけていることに、敬意を表します。

注)写真はすべてキクモク様のご了解を経て、当方が撮影したものです。

いわき市平地区中心市街地シンポジウム 空きは宝

いわき市平地区中心市街地シンポジウム 平中心市街地の活力あるまちなか再生-コンパクトな都市いわきの中心を目指して- が、2015.10.3(土)にいわきPITで開催されました。

<開催告知チラシは、コチラ>
http://bit.ly/1jH7INC 

現在、平地区は中心市街地活性化法(略して、中活法)の、中心市街地活性化基本計画認定申請を目指しており、まさにその目標、ゴールは何かを、明確にし共通の理解とするという点で、時宜を得た開催だったと思います。

第1部 基調講演
「コンパクトないわき市の形成に向けた平地区の役割」
筑波大学システム情報系社会工学域 域長・教授 谷口守氏
 
「まちなかを再生する21世紀型手法-"空き"のマネージメント」
株式会社 ワークヴィジョンズ 代表 西村浩氏

第2部 パネルディスカッション
 「平地区中心市街地の活力あるまちなか再生」
上記お二方に加えて、 ルクスグループ 代表 明石卓巳氏と、株式会社 夜明け市場 取締役 松本丈氏
 
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パネリストの方々は、それぞれまちづくりの実践者であり、実体験に基づくまちづくりを進める上での難しさや苦労を、体得されている方々です。その経験に裏打ちされた話は、それぞれ説得力のあるものでした。

谷口守氏からは、都市交通の専門家の立場で、コンパクトシティの定義を、「住民の一人当たりのガソリン消費量を少なくする都市」とされ、あいまいになりがちなコンパクトシティという言葉を、定量的に検証可能なものとしました。これによれば、単なるビルの高層化は域内の自動車通勤需要の減少につながらないので、コンパクトシティとは呼ばないこと(例えば、米ヒューストン)、LRT等の公共交通を充実させ、域内の通勤通学に自動車を極小化し、都心からは自動車を一定程度閉め出すような都市(例えば、独カールスルーエ)が、コンパクトシティのひとつのあり方という見方を示しました。

公共交通が成功するためには、1.頻繁に公共交通が来ること、2.ネットワークが密であること、3.利用価格が安いこと、の3点だそうです。しばしば日本の都市では、LRT路線の営業赤字が問題になりますが、欧州のある地域では、LRT路線単体の損益は捉えず、もしろLRTは都市の魅力を高める装置として、一定の地方自治体の財政負担がある(例えば、一般会計の10%程度)のは当然のことと考えられているそうです。

明石卓巳氏からは、岡山県問屋町の再生事例を紹介され、「量と速度から、質と密度へ」の転換が必要と主張されました。これまでは、主にハード事業としてその投資金額や速度(量)が重視されてきましたが、これからはソフト事業としてコンテンツのクオリティや住環境等が重視されるようになっているとのこと。またさまざまな利害関係者を説得し、協力を得ていくためには、事業を進めながら、小さな成功事例を作り、それを可視化し、説得材料として使い、それを拡大再生産していくのが大事だそうです。これはまさに、企業の事業再生の際に送り込まれた、雇われ社長、雇われ経営陣の取るべき行動と一致していたのと同じなので、ちょっと驚きました。
 
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今回の講演では、ワークヴィジョンズ代表の西村浩氏のお話が、図抜けていました。氏の本業は建築設計業ですが、「わいわいコンテナ」という、海上コンテナを利用したまちなか再生を手がけており、成功しているとのこと。

「空きは、宝」
「発明なくして、地方創生なし」
「たまねぎ戦法」
「100億円×1から、100万円×10,000へ」
「裏を表にする」
「敷地に価値なし、エリアに価値あり」
「ぜひ、もたれあいを」
等、刺激的なキャッチコピーのスライドを見せながら、ご自分の地元、佐賀市での商店街再生プロジェクトから学んだこと、日本の地方都市の共通の課題、それを克服するための処方箋等をお話し頂きました。

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「空きは、宝」
空き店舗、空き地が商店街が廃れる原因だといわれるが、発想を変えれば、そこに新業態のお店や、憩いスペースができる可能性があるということ。消費者に見向かれていないために閉店したお店には、早期に撤退いただき、新業態に積極的に来てもらえばいい。

「発明なくして、地方創生なし」
発明、が何より大事。右肩上がりが身についてしまっている昭和生まれ世代の人間と、生まれてこの方、右肩下がりしか経験していない平成生まれ世代では考え方が、根本的に違う。これから急激に生産人口が減るのを考えれば、平成生まれ世代の新しい感覚のほうが正しくなる。これまでの規制や先例等にとらわれることなく、何が求められるかを一心に考え、新たな発想で「発明」していくことが大事。

「たまねぎ戦法」
どんな時代、どんな場所でも、感度が高い人間は1%程度。仮に1000人を対象にターゲティングしても、その人数は10人程度である。その感度が高い10人が広い地域に拡散してしまうと、なにも起こらない。逆にその感度が高い10人がごく狭い地域に密集すると、相互作用が置き、そのごく狭いエリアが、とても先端的に魅力的なエリアとなりうる。そうするとそこにさらに面白い店や感度が高い人が集まり、エリアが漸次、膨張していく。膨張することで、自然と面白みがなくなってくれば、それが適正な都市のサイズであり、それこそがコンパクトシティの範囲だ。行政が事前にコンパクトシティのエリアや面積を決めるのではなく、事後的にマーケットの見えざる手にまかせたほうがうまくいくのではないか。

「100億円×1から、100万円×10,000へ」
これまでは(行政を中心に、市街地再開発等の)100億円をかけるような単発の巨大プロジェクトで、市街地の再開発を行うような手法がとられた。これでは時間もかかるし、利害関係者の調整の過程で、かえってうまくいかない。それよりも100万円でできるようなプロジェクトを、数多く、たとえば市民が10,000個を同時並行で進めることで、100億円に匹敵する事業効果を得ることができる。そのほうがスピード感もあり、市民の協力が得やすいのでうまくいく。

「敷地に価値なし、エリアに価値あり」
個人が所有する敷地単体では、自らその価値を上げることはできない。それよりもエリア全体の魅力を上げることが、自分の所有地の価値を上げることになる。

「ぜひ、もたれあいを」
自分が持つコンテンツで何でもカバーするのではなく、ぜひそれぞれが他店が持つ優良なコンテンツにもたれ合い、まち全体として、訪問者に魅力があるまちになれば良い。

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佐賀新聞に掲載された「わいわいコンテナ」が人気で、第2号店も完成したそうです。市民からはフランスの「セーヌ川河畔みたい」との、嬉しいコメントが寄せられています。ちょっとほめすぎ?

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いわきPITはオープニング以来、いろいろな会議や演劇等に利用されています。まだまだ利用の方法は未知数ですが、これからに期待したいです。

 <いわきPITオープニングは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/44885905.html
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オリーブプロジェクト 2015収穫祭

オリーブプロジェクト 2015年収穫祭が、上平窪のオリーブ畑で行われ、オリーブの実の収穫・仕分け・葉摘み作業等に参加しました。今回収穫したオリーブの実は、塩漬けにされて商品化される予定です。

オリーブオイルが健康に良いことは、経験的にも科学的にも実証されています。イタリアが有名ですが、スペインをはじめとする地中海に面した欧州が主産地となっています。日本では、小豆島が産地として有名ですが、そのオリーブを東北のいわきで栽培してみようと、2009年からいわきのオリーブプロジェクトが始動しています。

<オリーブオイルについては、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/22866222.html

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2010年に初めてオリーブの木をいわきに植えて、何度も挫折と失敗を繰り返しながら、作付けの規模を拡大してきました。現在では、いわき市内の耕作放棄地等の40カ所に約4,000本ものオリーブの木が植えられています。そしてさらに6,000本を越える苗木が鉢植えで育てられており、植栽を待っています。これだけの規模で事業を展開しているのは、ここいわきが日本の北限です。

ここの上平窪の畑は、もとは梨畑だったものを借り受けて、オリーブ畑に転用しており、現在800本のオリーブの木が植えられている、市内最大の畑です。

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オリーブの実が枝にかぞえきれないくらい、たわわに付いています。東北の地でも、オリーブの実が立派にできることが証明されました。

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実をかじると、果肉の中に大きめの種子があります。果肉そのものは、苦くて渋みが強すぎます。苛性ソーダもしくは塩で渋みを取り除く工程を経ないと、とても食べられません。この果肉から、重量の17-20%程度がオリーブオイルとして絞りとれるそうです。

まずは、オリーブの実を塩づけしピクルスを作りますが、今後は、東日本初のオリーブオイル搾り機を導入し、いわき産のオリーブを、いわきでオリーブオイルとして生産する試みをする予定とのこと。ぜひ収穫したて・絞りたてのオリーブオイルを飲んでみたい。その後、商品化していくのが、このオリーブプロジェクトの目標です。そして震災後はこの取組みに、各種ボランティア団体や大手企業等が賛同し、活動を続けています。

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実際に、「ミッション」「コロネイキ」という品種の手摘み収穫を体験させていただきました。実をつまめば簡単に採れるのですが、その数が尋常ではありません。ざっくりですが、慣れないせいもあって1本のオリーブの木から実を収穫するのに50分近くを要し、ビニール袋3袋程度が収穫できました。この手摘みの収穫作業が、なんといってもオリーブオイルの生産コストを左右するようです。なお、欧州等では、高級品はオリーブの実を人力で手摘みしますが、普及グレードの実は、枝の下に敷物を引いて、枝を揺らして落ちたものを回収するというやり方もあるそうです。

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収穫したオリーブの実を、人の目で選別します。枝等の異物だけでなく、傷ついているものや、しなびている実を取り除きます。最終的に、人の口に入るものなので、慎重になります。

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オリーブの葉も選別します。オリーブの葉は、乾燥させてお茶っぱとして使用するほか、細かく刻んで麺に練り込んだりして商品化しています。

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オリーブのお茶は、「FUKUSHIMA FOODS」として、オリジナルパッケージで販売されています。葉を練り込んだ「オリーブ麺」もいわき市内で販売されています。

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現在、畑の農作業は、地元農家さんの助けを得ながら、月に2-3回のボランティアさんの活動に頼っているそうです。東京の中野オリーブのはばたき、中野エイサー、早稲田大学アメリカンフットボール部、小豆島ヘルシーランド、パワーオブジャパン等(敬称略)が支援してくださっています。

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オリーブの枝は、冠にもなります!実は2014年・2015年のいわきサンシャインマラソンのゴール地点で、配っていたのが、このオリーブの枝で制作した冠でした!ぜひこのかっこいい、そして環境にもやさしいオリーブ冠を、いわきサンシャインマラソンだけでなく、これから開催される各種大会、東京オリンピック・パラリンピックでも採用してほしいと思います。



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東京防災 東京都オリジナル防災ブック・防災MAP

「東京防災」-今やろう。災害から身を守る全てを-として、東京都オリジナルの防災ブック・防災MAPが入ったA5版の冊子パックです。これは東京都が都民に向けて無料で配布されているものです。

防砂ブックの内容は、
・首都直下型地震シミュレーション
・備蓄ユニットリスト
・非常用持ち出し袋チェックリスト
・耐震・耐火チェックリスト
・家具転倒チェックリスト
・図説もしもマニュアル
・被災者体験コラム
・防災専門家コラム
・防災クイズ
・防災ワークショップ
・防サイくんパラパラ漫画
・漫画TOKYO"X"DAY等

最後の漫画TOKYO"X"DAYは、人気漫画家「かわぐちかいじ」氏によるもので、直下型大地震が都内で発生した時の、インフラの破壊の状況が、ビジュアルで表現されていて、東京都の本気度が伝わってきます。

災害時の行動について、具体的にイラストで描かれていて、また図表やデータなども充実していて、読み物として十分に興味深く、読めました。「もしもマニュアル」として、身近な用品を使って、トイレや食器の作り方等の、サバイバル術なども、簡単に紹介されていて、これは役立つのではないかと思いました。

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これは、以前読んだスイス政府が国民すべてに配布している「民間防衛」という本と、国民の自衛意識を高めるという方向性で一致しています。スイスは国防に重点が置かれており、東京都が防災に重点を置いているのは、これまでの歴史や憲法論議等もあって、(現段階では)妥当なものだと思います。東京都の迅速かつ適切な公道に賛辞を送りたいです。東京都だけでなく、各自治体もこれにならって、それぞれの地域でアレンジした上で、防災ブック・防災マップを全戸配布したらよいと思います。いわき市でも、このような「家庭用危機管理マニュアル」をぜひ全戸配布したい。

<民間防衛は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/45508828.html
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ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実 水間政憲著

戦後占領期にGHQ(連合国最高司令部)が日本人に施したWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)という、戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画が、ウソ満載であったこと、歴史の事実を曲げて伝えられたことを明らかにした本です。その事実と異なるウソを、第一次情報である戦中の報道写真から明らかにしています。反日日本人、アメリカ、中国、イギリスにとっては目にしたくないであろう一次資料が掲載されています。著者の水間氏は、国会図書館にもNHK放送博物館にもなかった「真相箱」の台本を手に入れた上で、引用・紹介していますが、これまでこういった本が世に出てこなかったのが不思議なくらいです。

WGIPを実施するうえで強力なツールとなったのが、NHKラジオで放送されたGHQ制作の日本人洗脳番組「眞相箱」です。そこでは日本軍が南京で暴虐の限りを尽くしたと伝え、また真珠湾攻撃における日本の不当性を自虐的に非難しました。「真相箱」「眞相はかうだ」(しんそうはこうだ)は、大東亜戦争敗戦後の被占領期、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の占領政策の一環として、1945年12月からNHKラジオで放送された30分間の宣伝番組で、ほぼ毎日のように放送されたそうです。脚本をGHQの民間情報教育局 (CIE) ラジオ課が担当し、満州事変から終戦に至るまで軍国主義者の犯罪や国民を裏切った人々を白日の下に、音楽や音響効果音を駆使しながら、ドキュメンタリー形式を装ったドラマ仕立てにされた番組であったらしい。その目的は戦勝国が、自らを正当化し、敗戦国の中枢を貶めて、日本を弱体化させ再起できないようにすることにありました。そして事実と異なるウソを、これが真実とばかり繰り返して戦後に日本国民に植え付けたのです。そして、それは(目的達成という意味で)成功しました。
 
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①南京大虐殺
掲載されている南京陥落直後の報道写真は、どれも鮮明でした。日の丸の腕章をつけた南京市民が幼い子を抱きかかえ、積極的に撮影に協力している写真があり、そして両隣には笑顔の少年らがいます。日本兵相手に商売をしている南京市民や日本兵を笑顔で迎える中国人婦女子の写真があります。南京市内の中国人は日本兵、日本人を恐れていないようです。南京陥落の2日後には、陥落を祝って天安門前に5万人の中国人が集まっている写真では、日の丸が振られています。

それに対して、真相箱の記載では、「日本軍は、その一週間後その恨みを一時に破裂させ、怒涛の如く南京市内に殺到したのであります。この南京の大虐殺こそ、近代史上稀に見る凄惨なもので、実に婦女子2万名が惨殺されたのであります。南京城内の各街路は、数週間にわたり惨死者の流した血に彩られ、またバラバラに散乱した死体で街全体が覆われたのであります。この間、血に狂った日本兵士らは、非戦闘員を捕らえ、手当り次第に殺戮、略奪を逞しくし、また語ることも憚る暴行をあえて至しました」とのこと。

②バターン死の行進
掲載されている報道写真では、多数の米軍捕虜たちが水筒かカップをぶら下げているだけの軽装なのに対して、日本兵は銃を持ち、重い背嚢を担いで、1人で200~300人の捕虜を監視しながら、同じ距離を歩いています。また、降伏した米軍首脳と日本軍司令官とが向き合って会見している写真では、敗者の米軍将校のほうが居丈高でした。

それに対して、真相箱の記載では、「日本軍は焦熱の日に、食料も水も与えられずに行進している捕虜を殴ったり、鞭で打ったりした。日本の金銭を所有している者は首を刎ねられた。死骸が道に沿って横たわっていた。そしてその多くは日本のトラックに轢かれてつぶされていた。3名のフィリピン人とアメリカ人の兵士3名はまだ生きているのに埋められた」とのこと。

③マニラ市街戦
「マニラ市街戦から70年目の真実」の報道写真で、米軍による凄まじい砲爆撃により、マニラ市街が完全に破壊されたことを示しています。
 
それに対して、真相箱の記載では、「昭和20年、アメリカ政府は、次のような公式声明を行いました。いまやマニラは灰燼に帰している。嘗て東洋の豪華都市を誇ったマニラも、今では全く死の町となっている。大部分の教会、修道院、大学は瓦礫の山と化し、爆撃と火災の犠牲となり、戦死者と惨死者の死体や、手足を切断された女、銃剣で刺し殺された赤子の死体がうずたかく積み上げられている。かかる惨禍をもたらした命令は、直接東京から指示されたものである」。

④香港陥落
1941年12月の香港陥落では、日本軍は市街戦による民衆の犠牲を避けるため、山岳地帯からヴィクトリア要塞の前面陣地カメロン山を占領して、勝敗が決しました。占領後の報道写真では、避難外国人がくつろいでおり、日本軍から抑圧がなかったようにみえます。「香港陥落2周年大会」の写真では、多くの中華民国人が日章旗をかざしています。また、日本軍の捕虜になった元香港総督ヤングを台湾の収容所で写した写真を見ると、スーツの着用が認められており、日本軍は元総督に敬意を払っていたことが窺えます。
 
それに対して、真相箱の記載では、「日本陸軍は、昭和12年に世界の文明人を恐怖に突き落とした南京の大虐殺にも比すべき、恐るべき野蛮行為を香港において行った。イギリス軍の将兵50名は手足を縛られたうえ、銃剣を以て突き殺された。婦人はアジア人たるとヨーロッパ人たるとを問わず暴行され、惨殺され……また或る中国人街は、住民の実情も調べず、そっくりそのまま遊女街に指定された。守備隊の中、生き残った者は、扉も窓もなく、採光や衛生の設備もない壊れたバラック建ての兵舎に押し込められた。この中には、インド人、中国人、ポルトガル人も含んでいた。1月の終わりまでに赤痢患者150名が発生した。しかし薬品は全く与えられず、また全然治療を施されることもなかった。死体は収容所の一角に埋葬することを余儀なくされた」「香港を脱走した最初のイギリス婦人の語ったところも同様でした。『私の家の下男は、彼の胃に銃剣を突き刺されて殺されました。また下女は4名の日本兵士に襲われ、その中の3名から暴行を加えられました。私の知り合いのイギリス婦人は、まず兵士の革のベルトで顔を打たれ、そして暴行を加えられました』」。
 
以上のように、当時の報道写真を丹念に見れば、真相箱の内容は「意図のあるウソ」とみるのが普通でしょう。一方、東京大空襲や広島・長崎への原子爆弾投下のような民間人大虐殺については、戦勝国に不利なので一切触れていません。当時も今も海外のマスメディアは沈黙したままです。中国や韓国の日本批判の荒唐無稽さに驚くことがありますが、その根っこをGHQひいては、アメリカが主導してきたということを著者は主張されています。著者は、歴史検証をする際に大事なことは『法と証拠と正義に基づいて』と公言していますが、真相箱の内容が人々の記憶を書き換え、日本の歴史を書き換えてしまったのあれば、その罪は重い。

市営南白土団地 取壊し・集約予定

いわき市が建設・管理運営している市営団地118団地、8,208戸のうち、最大のひとつが南白土団地です。ここだけで236戸があります。昭和40年代に建設された建物は老朽化が著しく、低層棟は新規募集が停止されており、将来的(20年以上かかる?)には、取壊し・再建築が検討されています。

退去した部屋は入居がないため、空室です(これを、「政策空屋」といいます)。政策空屋には、安全上の観点からガラス戸にベニヤ板が打ち付けられており、非常にさびしい雰囲気となっています。棟によっては、管理戸数の半分近くが、政策空屋になっていて、ベニヤ板の部屋が並んでいます。

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区画整然と並んだ市営住宅は、ある意味、美しい。ですが、入居者の平均居住年数は20年を超え、入居者の高齢化も、建物の老朽化とともに進んでいます。この地区の一部は、政策空屋が多かったことから、モデル事業として、南白土団地内だけで入居者の集約化を図り、空き屋だけの棟は取り壊して、更地にするという事業が始まっています。これは現在の住宅需要の逼迫に対応するものですが、モデル事業の成否次第では他の市営団地にも適用を検討しています。入居者の集約化といっても、同じ団地内での引っ越しとなりますし、入居にあたっては市が内装をリニューアルしてくれ、さらに引っ越し費用も負担することから、既存入居者にとっても、メリットがあると思います。

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政策空屋の内部を拝見させていただきました。多くの政策空屋は長期間空き屋の状態が続いているため、経年の老朽化以上の劣化が進んでいる部屋がありました。

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部屋の広さ・間取りには、タイプ・棟によって、若干の違いあるものの、概ね2DK、広さは約30㎡強といったところ。この家賃は、所得区分によって異なりますが、ざっくりいって、約1万円です。周辺相場からいえば格段に安いため、低所得者の方々にとってはありがたい制度だと思います。入居率がどの団地でも9割を越えているということが、それを示していると思います。なお、所得制限がありますので、年収が一定程度(平均月額で約16万円)以上の方は、入居できません。

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キッチンと風呂の場所です。風呂本体・バランス釜・ガスコンロ等は、入居者負担のため、退去すると「スケルトン」状態になっています。

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部屋によって劣化の程度の差がありましたが、ほとんどのケースで床材の貼替えや畳の交換という内装だけでなく、根太のチェック等も必要になるかもしれません。

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天井塗装等は剥がれ落ちていますので、入居にあたっては相当の補修が必要だと思います。

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トイレはどの部屋も洋式になっていました。

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注)写真は、許可を受けて撮影しております。
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吉田みきと プロフィール

ふるさとの福島県いわき市で、市議会議員として活動しています。いわき市は、震災後、複層的な問題が山積しています。公認会計士・一般社団法人日本アンガーマネジメント協会 認定 アンガーマネジメントファリシテーターとしてのキャリアを生かし、フレッシュな視点で問題点を洗い出し、解決策を提案していきます。

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