吉田みきと ほぼ毎日ブログ

「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。」 吉田松陰・高杉晋作語録   「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない。」 西郷隆盛・山岡鉄舟語録

2014年05月

沸騰!図書館 100万人が訪れた驚きのハコモノ 樋渡啓祐著

人口5万人の九州の小さな町に、開館後、約1年間で全国から100万人が訪れる図書館が、武雄市図書館です。代官山TSUTAYAをモチーフにした、公設民営の図書館は、さまざまなアイデアの数々が凝らされていますが、それ実現するまでに高いハードルとその奮闘ぶりをを、仕掛け人である市長自らが解説しています。実は、この図書館、おもしろい図書館ができたと噂になっていて、私も今年1月に訪問したばかりの図書館です。

<武雄市図書館 TSUTAYA 指定管理者 行政財産の目的外使用許可は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/35932399.html 

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ひとことでいうと、樋渡啓祐市長と、市担当者、CCCスタッフ、関係した市民等の奮闘物語になっています。これまで、樋渡市長の書かれたた首長パンチと同様、率直な書きぶりです。

<首長パンチ、はコチラ>
http://www.mikito.biz/archives/22381908.html

先日、モチーフとなった代官山蔦谷書店にも行ってきましたが、ここはもう別格。書店という枠組みではくくりきれない、もう居心地良さナンバーワン、世界一の場所だと思います。私なら一週間くらい通い詰めても飽きないでしょう。こういったものを生み出せるCCC増田社長、日本人の誇りだと思います。それはともかく、その代官山蔦谷書店の居心地良さの数分の一くらいは、武雄市図書館に移植されていると思います。それが、地方都市の公立図書館で実現できていることに、驚きです。

<代官山オトナTSUTAYA計画は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/38427913.html
 
本の中で繰り返し書かれているのは、「チームで実現した」ということです。すなわち、市長のアイデア、行動力はきっかけに過ぎず、その実現には、猛反対・非難ごうごうでした。「今までのルールに従ってやってきたのだから、変える必要はない」「今まで一生懸命やってきたことを批判するのか」は、どこでも同じ。それを、まず市の担当者に大胆に権限委譲し、責任は市長がとるから現場で判断し、どんどん進めます。同様にパートナーである、CCCを信頼し、責任は市長がとるからCCCが実現したい店を作って欲しいと依頼。現場に考えさせ、自分達がベストだと考えたアイデアが即実現するというモチベーションを引き出します。

もちろん議会の手続や根廻しには、相当の抵抗や苦戦があったことは事実で、そこにはどうしても反対したい側からすれば、市長を攻めるべき点があるかもしれません。しかし、入館者満足度調査では9割を超える方が、満足という回答をしていることに結果がでているのだと思います。
 

星薬科大学 星一 歴史資料館

星薬科大学には、星一専用の歴史資料館が設置され、一般公開されています(平日のみ)。

星一のフレーズで有名なのはなんといっても、「親切第一」。長男にその名をつけるほど、他人に尽くすことで国家の利益を考えていた人でした(ショートショートで有名な作家、星新一は星一の長男、本名は星「親一」。親切第一を略した親一の意味です)。その直筆の書がこちら。

よくみると星一の名前の下に左という字が見えます。これは左手で書いたという意。星一は左利きだった。そしてその横を読むと、「為内田君」と読めます。いわゆる「ためがき」らしく、内田氏が星製薬のフランチャイズ店を出したときに、支援のために直筆を送ったものが巡り巡ってここに展示されています。

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星一のメモ帳も保管されていました。相当のメモ魔だったらしく、雑多なことが書かれています。

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手帳には、メモと予定がぎっしり書かれていました。几帳面な性格が忍ばれます。

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星一の戸籍謄本の原本も展示されています。確かに死ぬまで本籍は、福島県石城分郡にありました。

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星一のパスポート。

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明治43年に郡元売捌所、県元売捌所を設けました。これが後に日本で初めてのチェーンストア方式なり、今日の薬局のチェーンストアであるマツモトキヨシの形態で、京橋に本社がありました。

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明治44年 星一、星製薬株式会社を設立。

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 大正4年 ホシ胃腸薬発売。「ホシの赤缶」として親しまれている芳純芳香胃腸薬です。芳香性、苦味性を持ち、味覚や臭覚を快く刺激し。胃液の分泌を促進して胃腸の働きを助け、すっきりとした爽快感をとり戻すベストセラーです。

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大正10年  星一が星薬科大学の前身である「星製薬商業学校」を設立、これが現在も残る星薬科大学の本館です。同時期に製薬会社として東洋一と言われる規模となる。
 
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星一が付けていた、星製薬の社員章も保管されていました。

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星一が参議院議員に立候補し当選したときの選挙ポスターです。

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最終的には衆議院議員になるのですが、一度は落選を経験しています。落選のときは、いわゆる選挙運動を一切やらず、逆に選挙民啓蒙のために「選挙大学」という小難しい冊子を執筆して配布していたそうです。選挙制度が定着していなかったのでそれを知らしめたいという意義は理解しますが、結果としては受入れられず、落選となりました。

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東京市本郷区に住み、福島県第3選挙区から、昭和17年に衆議院議員に当選したことが分ります。

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星一と野口英世は、同じ福島県人ということだけでなく、星一が資金援助をすることで野口が研究を続けられたという関係です。野口英世が、何度もアメリカ渡航資金を一晩の遊興費に使ってしまい、星一に資金の依頼しています。野口英世は研究成果は一流でも、放蕩癖があったことはあまり知られていません。

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関東大震災時の復興長長官を務め、東京市長で、大風呂敷と呼ばれた後藤新平の親友でした。当時、台湾総督も務めた後藤から、台湾からモルヒネの原料を融通してもらい、一大製薬会社を作ります。これがきっかけで、既得権益を有する同業他社と官業から妬みを買うことになり、執拗な嫌がらせを受け、製薬事業自体が経営悪化してしまいます。息子の星新一に経営を譲るもののうまくいかず、ホテルニューオータニの大谷家が、星製薬の財産を引き次ぎました。大谷米田郎は、力士出身、廃業後に鉄工会社を経営し大成功した資金を、ホテル事業に振り向け、経営が傾いた星製薬を引き継いだわけです。引き継ぎにあたり、社名を変更することもありえましたが、大谷米太郎は、星新一の「親切第一」の経営方針を信奉しており、星製薬の名前をそのまま引き継ぎ、現在でも営業を継続しています。
 
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こちらが現在の星製薬の看板製品である、クマザサエキスです。滋養強壮に良いらしく、白髪の方が黒髪になってしまうほどだそうです。ただその抽出には大量のクマザサが必要なため、かなり高額(1万円近いらしい)。

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こちらが原材料のクマザサです。大敷地内に薬草園が整備され、さまざまな薬草の生育を見ることができます。

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薬草園で見るべきは、「キナノキ」です。これは星一が世界発で大量生産に成功した薬「キニーネ」の原木です。

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 今回は、星薬科大学広報の高橋様にご案内いただき、大変助かりました。いわきの偉人の足跡を後世に残し、次世代の糧としたいと思っています。

星薬科大学 星一 訪問

いわきの偉人、製薬王の星一(ほしはじめ)さんの資料をお借りに、星薬科大学に来ました。レイモンド設計のホールは当時のまま、星一の関連資料も充実展示されてます。こちらの企画にいろいろご協力頂けることになりました。こちらの歴史資料館をミニ修学旅行コースに組み込んでもいいかも。

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<いわきの偉人 星一(ほしはじめ)氏のおさらい>
星薬科大学の創立者・星一は、1873年、福島県いわき市に生まれました。苦学して東京商業学校を卒業し、20歳で自由の地アメリカへ渡り、コロンビア大学で経済学と統計学を修めました。12年間に及ぶ滞米期間中の経験から帰国後、製薬を始めることを決意し、研究を重ね、ついに“イヒチオール”という湿布薬を販売します。この薬の爆発的な人気となり、その収益を基に、1911年、星製薬株式会社を創立します。星薬科大学のきっかけは、この会社の社内教育部です。星は斬新な発想と行動力で次々と新製品を開発し、会社は順調な成長を遂げました。

第一次大戦終結後、星は科学技術の最先進国ドイツの窮状を知り、明治維新後、多くの日本人が学んだドイツに恩返しができたらと、私費で援助を決断します。1919年~1925年までの7年間、送金を続け、その総額は200万マルク、現在の邦貨で20億円を超えるそうです。この援助により、今日のドイツ科学の礎を支えたといわれています。

星一の長男、星新一氏はショートショートで有名ですが、本名は星親一。その由来は「親切第一」だそうです。同様に次男の本名は、星協一氏。その由来は「協力第一」だそうです。星一の人生のスタンスがここに現れていると思います。

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胸像の奥に見えるのが、講堂。1920年に竣工の講堂は、当時のまま、震災を逃れてそのまま残されています。現在は、入学式・卒業式等の各種イベントや講演会等で使用されています。世界的な建築家 アントニン・レイモンドによる設計で、創立者 星 一(ほしはじめ)が米国留学時に学んだコロンビア大学のローホールを模しているそうです。

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1階席800席、2階席400席を有する堂々としたホールで座席数は1,228席です。大正13年に完成した星薬科大学のシンボル的建物です。昭和25年頃には、NHK「のど自慢」にも利用されていたそうです。設計は、アントニン・レーモンド。旧帝国ホテルを設計した巨匠フランク・ロイド・ライトの直属の弟子です。

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階段がなくスロープで3階まで上れるようになっているのが特徴で、日本建築学会の「近代日本の名建築」、品川区の「しながわ百景」にも指定されているそうです。メインホール天井は創業者の「星」形です。ラジオ時代の一時期、紅白歌合戦の放送にも使われたそうです。
 
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天井には、薬草をモチーフにしたステンドグラスがあります。第2次世界大戦の祭に、灯火管制のためにガラスを墨で塗りつぶしてしまったので、戦後新たに作り直したそうです。デザインのモチーフは、やはり、薬草です。
 
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いたるところに、アントニン・レーモンドの意匠が残されています。その建築様式を見るために、毎年多くの建築家の卵がこの建物に訪れているそうです。

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今回の訪問の主目的は、いわきの偉人である星一氏の資料を拝見し、お借りできるものをいわきの子供達に持ち帰ることです。歴史博物館という形で、大学の創始者である星一の足跡を、しっかりと保存されており、大変助かりました。

星一のフレーズで宥免なのはなんといっても、「親切第一」。長男にその名をつけるほど、他人に尽くすことで国家の利益を考えていた人でした。その直筆の書がこちら。よくみると星一の名前の下に左という字が見えます。これは左手で書いたという意。星一は左利きだった。そしてその横を読むと、「為内田君」と読めます。いわゆる「ためがき」らしく、内田氏が星製薬のフランチャイズ店を出したときに、支援のために直筆を送ったものが巡り巡ってここに展示されています。
 
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星製薬は京橋に本社を構えて、薬の販売を日本初のチェーンストア方式で実施しました。
 
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他にも星一の直筆の書が展示されていました。

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台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁、東京市第7代市長の、後藤新平が星一へ送った直筆の書がありました。日本の植民地経営者として、台湾で星のキニーネ製造に力を貸してくれた人物です。個人的には、関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁として、東京のグランドデザインともいうべき帝都復興計画を立案した尊敬する人物です。計画は予算の都合から大幅に縮小されてしまいましたが、現在の靖国通りや昭和通りは、後藤新平が計画したものでです。昭和天皇も、後藤新平のオリジナル帝都復興計画が完全に遂行されていたら、帝都の発展はもっとすごいものになったであろう趣旨を発言されています。書には「薬業報国」と書いてあります。製薬業を極めることが、引いては日本国全体に報じることになる、という趣旨です。当時、星は後藤が総統を務める台湾で、世界発のキニーネという医療麻酔薬を、工業生産していました。これを応援する意図が垣間見える書です。
 
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第32代内閣総理大臣、極東軍事裁判で文官としては唯一のA級戦犯として有罪判決を受け死刑となった広田弘毅の直筆の書もありました。裏返せば後藤新平や広田弘毅と親しかったからからこそ、加藤高明内閣においては、排斥され事業が妨害されるという遠因にもなっています。「皇威靖亜」と書いてありますが、直訳すると国粋主義の匂いをダイレクトに感じます。
 
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<星薬科大学 星一 歴史史料館は、コチラ>

東北大学医学部 東北からの進学率が惨い

東北大学医学部 東北からの進学率が惨いです。平成25年度合格者135名のうち、東北出身者は42名のみ。その割合は、全体の31%です。合格者の6割近くが関東以西の地域から来ている事実があります。以前から医師の地域的偏在が指摘されており、西日本集中(いわゆる西高東低)といわれてきました。事実として、西日本には早期から各府県に国立大学が設置されたものの、東北の国立大学設置は後回しになりました。

これに対して東北大学は、旧帝国大学だから各地域から優秀な人材が集まる結果、地域出身者が少ないのは必然という見方もあります。しかしながら、同じく旧帝国大学である広島大学においては中国地方出身者が合格者の60%、熊本大学にいたっては九州出身者が合格者の87%を占めています(各大学HPの入試情報より)。これらから比較すると、東北大学の地元割合が低いのは、全国的に見ても異常と言わざるを得ません。
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出典:東北大学医学部入試パンフレットより加工

東北大学医学部の大内学長は、東北大学が、「他地方の学生のための医師養成機関」になってしまうことを危惧されています。

<東北大学医学部の大内学長は、コチラ
http://www.mikito.biz/archives/38222272.html 

東日本大震災をきっかけに、東北地方の高校生の一定割合が、医師・医療機関へ進学する動機付けがあったと思います(個人的には何人もそういう高校生を知っています)。にもかかわらず震災から3年後の入試結果に、それが表れてこないのは何故か。その遠因が、低学力だったとしたら非常に問題です。早期にかつ中長期的に、真剣に取り組まないと大変なことになってしまうと感じます。

仙台厚生病院 訪問

医学部新設申請予定の仙台厚生病院に来ました。東北大学医学部キャンパスに通り隔てて斜め向かいで、本当に近い。何もこんな近くに2つの総合病院を建てなくても・・・と思うのは私だけでしょうか。実際には、演題厚生病院が特化していることにより、棲み分けができているようです。東北大学の許可ベット数は1,262床、厚生病院は400ですので、合わせた許可ベッド数は1,600を超えます。こんなに多数の入院患者が集結している地区なんですね。

<仙台厚生病院 医学部新設は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/33697660.html
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ロビーは非常にシンプルでした。それだけでなく待合室や廊下、売店、食堂(ランチでラーメンを食べました)いずれも、非常に簡素な造りです。巨大な資金を要する医学部新設を検討中の病院のイメージとだいぶ違いました。
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理事長の目黒泰一郎氏をトップに、心臓血管センター・消化器センター・呼吸器センターの3つに特化していることが組織図からもわかります。

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週刊朝日MOOK「手術数でわかるいい病院2004」が一人一冊、無料配布されていました。自分の病院に客観評価に自信があるという証左だと思います。記事広告が多い雑誌ですが、豊富なデータと、わかりやすい解説は、一般人にとっての医学読み物として、有用でした。

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仙台厚生病院の特色のひとつは、診療科が特化し、循環器、呼吸器、消化器の診療を専門とする紹介型、急性型病院となっていることです。その結果、特定の治療領域では、地域一番店になることができます。下の写真は、胃がん内視鏡の分野で東北一の治療数を示しています。400床の病院が、東北随一1,200床の総合病院である東北大学病院の上を行き、ダブルスコアでぶっちぎりのトップです。

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今まで経営的に有利なために急性期病院のほとんどが採用した7:1看護が、診療報酬の改定により、見直されています。地域の急性期病院は、1-2病院に集約され、慢性期や亜急性期病院が増えることが予想されます。そこであっても、ある診療科に特化し、地域オンリーワンとなりうる病院は生き残れると確信しました。

県道豊間四倉線改良整備促進期成同盟会

県道豊間四倉線改良整備促進期成同盟会が、豊間集会所で開催されました。豊間-四倉間の県道は、生活道路としてだけでなく、海水浴場や塩屋埼灯台などの観光スポットとしても重要な路線です。東日本大震災に起因する津波による直接的な破損と、地盤沈下による高潮で困っています。14mの幅員(歩道つき)整備が計画されています。

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総会には、地元区の区長を中心として30名余りが集まり、要望先である県、すなわちいわき国道事務所に対して、県道の早期整備及び整備の内容について、要望・意見を述べました。実施主体はあくまでも県なので、いわき市・地元区としては、県に対して意見・要望することになります。古参議員によれば、この期成同盟会も20年以上、同じような課題を持ち、同じような要望をし活動を続けているそうです。官公署の縦割り行政といえばそれまでなのですが、一般市民からいえば、まったくもって理解しにくい役割分担、といわざるを得ないと思います。

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東大五月祭 16万4千人が来場

東大五月祭は、5/17と5/18の2日間で、弥生キャンパスに延べ16万4千人が来場したそうです。さすが国立大学の頂点に立つだけあって、都心とは言え広大なキャンパスでしたが、来場者でごった返していました。特に医学部企画展は5/17がメインということもあって、来場には長蛇の列ができていました。

<東京大学五月祭 DA医LYは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/38205233.html
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東大にもチアリーダー部が!レアものかも。ありがたいものを見せて頂いた気がします。

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弥生キャンパス構内には、歴史を感じる建物がたくさんあります。最近、都心のキャンパスに高層のビルを建設して学生を集める手法(我が母校もですが)がありますが、一線を画しています。

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ランチは、露店の手作りの石窯ピザ。

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良い感じで焼けてました。美味しかったです。

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農学部では子ども向けに、海の生き物タッチプール企画が出されていました。ヒトデだけでなくキレイなウミウシ?などがいて、子供達に大人気。難しい展示よりもこちらのほうが、わかりやすい。

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おもしろいと思ったのが、アルコールに対する考え方です。私の母校では学祭とアルコール(の飲み過ぎ)はセットみたいなところがありましたが、こちらではビール等のアルコールを購入するには、「アルパス」という無料許可証を、身分証明書を提示して事前に入手しなくてはなりません。たばこのタスポ、みたいなものです。

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その「アルパス」の現物がこれ。お酒1杯につきひとつのチェックが入り、6個たまると、再発行を受けなければなりません。これで過度な酔っ払いを、やんわりと防止できるという仕組みです。よく考えてるなあ。

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東京大学五月祭 理系学部研究室ツアー

東京大学五月祭の理系学部研究室ツアーに参加しました。東大の研究室ってどんなところ?という極めてシンプルな好奇心です。今回は、学生ガイドの案内で、工学部と農学部の研究室へお伺いし、約2時間、実験や観察を体験してきました。
  
ガイド役は現役の工学部生でした。工学部と農学部とを結ぶ橋は、ドーバー海峡と呼ばれていて、とてつもなく遠いイメージであることや、農学部の門の由来や、敷地の歴史的経緯等も、楽しく聞けました。
 
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まず工学系研究科社会基盤学専攻 コンクリート研究室にお邪魔して、高橋佑弥 先生に研究内容をレクチャーいただきました。
http://concrete.t.u-tokyo.ac.jp/index-j.html
コンクリートの歴史は、数千年に及びすでに確立した技術であるものの、堅牢さと加工しやすさの両立や、価格を含めたベストミックス等、研究テーマはまだまだ無限にあるそうです。
 
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コンクリートの材料は、セメント(石灰岩を砕いて焼成したもの)、小石、砂利、水、基本的にそれだけです。ただその配分と水への添加剤がキーです。準備頂いた材料を混ぜ合わせて実際にコンクリートを作る実験をさせてもらいました。水だけできっちり練ろうとするとかなりの力が要ることがわかりました。そこで添加剤の登場。これをほんの少しだけ加えると、あら不思議。極めてなめらかに混ざりました。冷凍庫から出したばかりのカチカチのアイスクリームと、お店でうっているジェラートくらいの差があります。そんなとろとろの状態でも、1日放置すると、強固なコンクリートになるとのこと。実際15分くらい放置しただけで、かなり固まってきました。

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セメント100に対して水20と、セメント100に対して水60を加えたコンクリートでは、見た目が同じでも強度に大きくでるそうです。実際に破砕実験装置で、2種類のコンクリートに縦方向に圧力をかけて、どの程度まで耐えられるか実験してみます。

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セメント100に対して水20と、セメント100に対して水60を加えたコンクリートでは、3倍ちかくの強度に差がでました。加工するには、水が多い方がとろとろで現場施工がやりやすい、かつ材料代も安くあがるので、業者にとって都合がよいですが、強度にこんなに差がでてしまうんですね。高橋先生いわく、施工後に水の割合を検証することはほとんどできないので、現場施工中に検査しておくことが大事だそうです。

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破砕後のコンクリート柱。勢いよく壊れました。

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次に訪問したのは、農学生命科学研究科 生産・環境生物学専攻です。
http://papaya.ab.a.u-tokyo.ac.jp/users/ae-bio/weblog/cfba4/
 
こちらでカイコの卵から、遺伝子組み替えの基礎の実験をしました。初めてカイコに触りましたが、桑の葉を一生懸命食べるために、けっこうせわしく動く虫なんですね。カイコは家畜化された昆虫で、野生には生息しないそうです。白くめだつため、捕食されやすく、樹木に自力で付着し続けることができないので人間による管理なしでは生育することができません。成虫しても飛翔に必要な筋肉が退化していることなどにより、飛ぶことはできないそうです。ひたすら人間のために繭を作るのに生きているんですね。

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さてカイコの卵は、正常であれば黒いそうです。それが何らかの要因で遺伝子に傷がつくと、赤や白の卵が発生します。その発生割合を調べることで、傷がついた遺伝子の場所を特定する?(といっていたような気がする)実験です。私の理解が追いついていませんでしたが、カイコの卵自体初めて見ただけに、遺伝子で色が変るということが刺激的でした。

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最後に博士課程の学生から、実験の講評をしてもらいます。研究室の活動や、教授の指導スタイル、学生生活、研究テーマ等、幅広く何を日常活動としてやっているか教えてもらい、興味深かったです。

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福島県立医科大学 県内進学率わずか35%

福島県立医科大学は、1944年創設の福島県立女子医学専門学校を基盤として、1947年に旧制医科大学 (予科) が設立されました。その後、大学院・病院・附属研究所などを逐次設置し、1998年に、看護学部が開設され、現在に至っています。平成24年4月現在、医学部 1学年定員 125名 、看護学部 1学年定員 80名、専任教員数 513名、附属病院病床数 778床、事務・技能系職員1,000名以上を擁しています。

現在の医学部定員125名(実際の平成26年4月入学生は130名)ですが、福島県内の高校生の進学率が惨い。県内高校生の割合は、わずか35%。その他65%は県外からの進学者です。これは平成26年4月入学者のデータですが、平成25年4月入学者の傾向もまったく同様です。これでは何のための「県立」大学なのでしょうか。

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出典:福島県立医科大学ホームページ平成26年度入試結果より加工、単位:名

内容を見ていくとさらに惨い。県立医大では福島県内の高校生を優先するために、「推薦制度」「地域枠制度」を設定しています。その推薦(特別選抜)と地域枠を利用して入学している県内高校生は36名、それらを活用しなかった県内高校生はたった10名だけです。これの意味するところは、優遇制度でなんとか36名が入学できたが、他県との生徒とガチンコの学力勝負では、圧倒的に分が悪いということでしょう(一般枠等での合格者数は、県内10名 vs 県外65名)。

ここからは、福島県内の医学部を目指す高校生の学力が他県に比べて低下していると、推定できます。実際2014年度の全国学力テストの結果、中学3年生の数学A、数学Bともに、全国46都道府県中、福島県はいずれも44位と、ほぼ最下位でした。これは本気で早急にかつ中長期的に、対策を講じなければならないと感じました。

<2013年度全国学力テスト 都道府県別正答率は、コチラ>
http://mainichi.jp/life/edu/etc/scholartest2013.html
 

JIAM地方自治セミナー

滋賀県にある全国市町村国際文化研修所で、缶詰のJIAM地方自治セミナーに参加しました。今回は、地方自治六法を教科書に、地方自治の仕組みと議会の役割・予算・決算制度・現在の地方自治を取り巻く諸課題等をテーマに、全国の地方自治体の議員68名が集まりました。4日間朝から夕方まで缶詰めのレクチャーです。

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一日目
・地方自治制度の基本について 首都大学東京大学院社会科学研究科教授 大杉覚氏
明治憲法下においては、地方自治や内閣が想定されておらず、規定もなかった。地方自治とは、住民自治と団体自治の2つを指す。前者はLocal Self Governingと呼ばれ、自己統治である。後者はLocal Autonomyと呼ばれ、他に依存しない地方の自立性を指す。地方自治法第1条の2でいう「住民の福祉の増進」の意味は、狭い意味での福祉ではなく、住民全体の幸せの意味である。これは憲法で規定する公共の福祉や、明治憲法下での臣民の幸福の増進と同義である。
 
・地方議会制度について 総務省自治行政局行政課地方議会企画官 田中良斉氏
現在、急激な人口減少、単独世帯の増加(特に老人単独世帯)、居住地域の点在化が進行している。これに対応するために、地方中枢拠点都市を核に、相互補完することが望まれる。
第一次分権改革は、平成11年7月に行われ、主に機関委任事務の廃止や地方への権限委譲を行った。平成23年からの第二次分権改革は、第1次一括法~第3次一括法が行われ、規制緩和・権限委譲が勧告された。現在は、第30次地方制度調査会答申に基づく、第4次一括法を審議中。
 
・地方議会改革の課題と議会制度 新潟県立大学国際地域学部准教授 田口一博氏
現行法下でも議会改革は可能。地方自治法100条に基づく、証人の喚問・公聴会の開催・参考人の意見聴取等は、現行法でも可能である。証人であれば、学識経験者に限らず、こども・高校生・医師・教員・国会議員・知事であっても、費用弁償することで呼ぶことは可能。
そもそも議会改革は、何のために行うのか?の共通認識の共有が必要。これができれば半分達成したようなもの。
議論はデータ&ロジックで行うべき。これをEBPM(Evidence Based Policy Making)、すなわち証拠に基づいた政策作りという。
議会広報は、庁側の広報ができない、市民が読んで面白いものを。議会の結果こうなりましたという結果でなく、EBPMをしました上でこれからどうしましょうと聴く公聴機能が望ましい。

二日目 
・地方議員と政策法務、条例演習・発表 北海道大学公共政策大学院教授 原田賢一郎氏
政策とは、自治体が目指していく目標と、その目標達成のための戦略・手段である。議員立法を増やしていくためには、①議員自身の知識と能力を高める、②議会事務局のサポート機能充実、③外部人材(住民グループ、NPO、研究者等)との連携
地方議会は、行政監視機能だけでなく、政策形成機能も担っている。
条例制定にあたっては、必要性・有効性・効率性・公平性・適法性に留意する。
 
三日目
・地方議会と自治体財政 地方公共団体金融機構地方支援部長兼総括主任研究員 緒方俊則氏
予算編成方針(9月)・予算要求書(11月)・予算原案(1月)・予算案(2月)
補正予算(9月)・最終補正(2月)
出納整理期間(5月)・決算認定(9月)
議会において決算不認定であっても執行した収支は有効。後は首長の政治的・道議的責任のみ。
基準財政需要額と基準財政収入額、普通交付税額との関係
課税自主権で、独自に税率変更した場合の普通交付税額と起債許可制へのペナルティ
歳出経費と歳入、普通交付税法定率分と加算分、臨時財政対策債との関係
合併特例債の元利償還額は、基準財政需要額に参入していくことで、普通交付税を増額させる

 四日目
分権時代の地方議会(議員)に期待されていること 元人事院総裁 中島忠能氏
地方自治法100条の2 専門的事項に関する調査を学識経験者を積極活用すべき。報告書を作成してもらい、それについて説明してもらう。そしてその場で議員間討議し、最後に学識経験者に総括してもらう等。
 
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各自治体で制定している議会基本条例を題材に、何が共通項目なのかを抽出し、また独自の項目は何なのかを書き出しました。その上で、自分たちの自治体に適用するとした場合、どのような点に留意すべきか、何が課題かを発表しました。

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全国の地方自治体の議員さん達と、積極的に意見交換できたのは財産になりました。人口規模の大小、議会事務局の積極性、議員報酬の大小等さまざまな違いを持つ議員さん達ですが、どのように地元に貢献できるか考えている点では共通しています。

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JIAM(Japan Intercultural Academy of Municipalities)の正式名称は全国市町村国際文化研修所で、略称「国際文化アカデミー」です。全国市長会及び全国町村会、総務省等が出資する「公益財団法人全国市町村研修財団」が設置し、運営しています。清潔で素晴らしい施設でしたが、難をいえば、ベッドメイクを自らしなくてはならないところ。インドのカルカッタで、サルベーションアーミーの安宿に宿泊して以来の、セルフベッドメイクに、あたふたしました(笑)。

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東京大学五月祭 DA医LY

東京大学五月祭に参加しました。五月祭は東京大学本郷キャンパスで開催される大学祭で、例年5月末の土日の2日間にかけて開催されます。今回訪問したのは、医学部4年生の企画「DA医LY~日常の医学~」です。
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「敷居が高いと思われがちな医学知識を身近に」という視点で、医学を分かりやすく解説したり、様々な医学・医療に関する事柄を楽しみながら体験できる企画がありました。パンフレットは、読み物として十分有意義だし、ためになるものでした。別添調査として、親の医師率や、希望診療科、アルバイト時給、彼女(彼氏)いる率、バレンタインのチョコ数等、具体的な調査結果が掲載されていて、医学生の生の声がかいま見えおもしろい。

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非常に興味深かったのは、本物の手術針と糸、はさみを使った結束の練習体験です。皮膚(もちろん疑似です)を縫合する体験など、そうそうあるものではありません。こういった企画は、医学部ならではのものですが、これが医療行為という近づきがたい領域を、少しだけ手前に引き寄せることができるのではないでしょうか。

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社会における「日常と医学」はどのように実践されるのか。医学の世界を超え、様々な場面でご活躍される東大医学部OBの三人の新進気鋭の先生(精神科医 × 漫画原作者である、ゆうきゆう先生、医療 × ソーシャルマーケティングを手がける石川 善樹先生、医師 × グラフィックデザイナーである、瀬尾拡史先生)によるご講演とパネルディスカッションがありました。瀬尾先生は20代、ゆうきゆう先生、石川先生も30代です。
 
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一人目は、精神科医 × 漫画原作者である、ゆうきゆう 先生です。先生は、東大病院精神科にて研修後、ゆうメンタルクリニックを開院し、現在では都内に5院を抱える経営者です。それよりも何よりも「マンガで分かる心療内科」をはじめ、多数の漫画を制作していることのほうが有名です。総発行部数は300万部以上とのことで、マンガと精神医療という組み合わせで、成功されている方です。心理学のテーマのいくつかを簡単な例を示しながら、ユーモアを交えて話してくださいました。

・コープランドの確率のゲーム
コープランドは、モテる男は恋愛を「確率のゲーム」だと考える。女性に声をかけて成功するのは一定の割合で、あとは失敗することを知っている。数多くの女性に声をかければ、「成功する」回数が増えることを知っている。失敗するたびに成功に近づいていると思うことができれば、気分はぐっと楽になる。女性に声をかけたり、気をひこうとしたりして、失敗するたびに、また一歩成功に近づく。もともと「モテる男」と「モテない男」がいるわけではない。挑戦をくりかえすのが「モテる男」なのである。そんな男が女性をモノにできる。

・プロスペクト理論
「価値の大きさは金額に比例しない。金額が2倍になると、価値は2倍にはならず、2倍弱(1.6倍ぐらい)になる」。さらに、損失はより大きな心理的インパクトがあるので、利益と損失が同じ確率で同じ額ならば、必ず後悔した気になる。

・アドラー心理学
みんなに好かれようとするとみんなから嫌われ、最後には自分のことまで嫌いになってしまう。自由とは、他者から嫌われること。八方美人なのはダメ、嫌われてても良いから、自分のためにやってみることが大事。大切なのは、「今、ここ」。

・社会的交換論 
人と人との付き合いは、「報酬やコストの交換」によって行われている。好意を持ってもらうには、こちらから好意を上げることが必要。

ネットではあげられないのですが、ゆうきゆう先生の一発芸も登場しました。つい数か月前に習い始めた、ギターで「シングルベッド」を弾き語りしながら、フラフープを1曲歌い終わるまで回し続ける、というもの。セミナー会場で講師が予告もなく、一発芸をしたのをはじめて見ました。東大医学部OB、恐るべし。

二人目は 医療 × ソーシャルマーケティングを手がける石川善樹 先生です。東大医学部で博士課程まで修了し、ハーバード大学に留学。現在は株式会社キャンサースキャンでイノベーションディレクターとして、公衆予防医学について研究をされているそうです。バンデューラ博士の大発見として、問題解決には2つのアプローチ、すなわち①問題に着目する、②問題を無視する、があり、その例をシャンプーのCMを例に説明されました。
①の例:LUXのCMは徹底的に、髪のほころびを治す成分について、詳しく説明。いかに機能が優れているかを説明。
②の例:資生堂TSUBAKIは、全くシャンプーの機能に触れず、「日本の女性は美しい」のフレーズを連発し、いいところをほめつづけます。
いずれの手法も正しいという、CMの動画を使っての説明には納得しました。
 
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三人目は、医師 × グラフィックデザイナーである、瀬尾拡史先生です。学生時代に3DCG(三次元コンピューターグラフィックス)の専門スクールであるデジタルハリウッドとダブルスクールし、東京大学医学部を卒業後には、裁判員制度当初、医学に明るくない裁判員に対して手術の様子を理解してもらうため、3DCGを独りで制作したことを認められ、東京大学総長賞・総長大賞受賞。現在では医師の資格や経験を活かしながら、サイエンスCGクリエーターとして活躍中です。

いわく、医療関連の番組やCMには、医療を理解した適切な人が関与しないと、とんでもないことになる例として、ある医療学会が作成したCMの動画で説明されました。一般人には何とも感じないであろう画像であっても、医療関係者には耐えがたい、事実と異なる絵があると、本来の目的である普及のさまたげになるということを、実例をもって示されました。 

3人とも、医療プラスαという形で二足のわらじを持つ方々です。それぞれに努力や苦悩があることが垣間見ることができ、またそのような業際の仕事は、二足のわらじを持つ方にしかできない「オンリーワン」であることがわかりました。

今回の五月祭に合わせて、5分程度の自主映画「免疫劇場」が公開されていました。「メン・イン・ブラック」のパロディなのですが、忙しい医学生だけでの映画作成は珍しい。当日だけの上映のようですが、勿体ない気がします。
 
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東海道新幹線50周年記念弁当とひっぱりだこ飯

関西出張で、東海道新幹線に乗りました。いわずもがな、世界初、日本初の高速鉄道です。東京オリンピック開会直前の1964年(昭和39年)に開業したので、今年で50年の節目を迎えます。個人的にはインフラ更新をどうするのか等に興味が移ってしまいますが、それはさておき、今回は車内お弁当の話です。

<NHKスペシャル 調査報告 日本のインフラが危ないは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/30434113.html

東海道新幹線沿線各地の味わいが、いろんな種類の「東海道新幹線50周年記念弁当」という形で発売されてます。今回の出張は、昼食を取る時間がなかったので、往復とも車内でお弁当になりました。行きは、東京限定の記念弁当です。内容は、深川めし、穴子蒲焼きのせ俵ご飯、べったら漬け、わさび昆布、いいだこ煮、お魚ひろうす、玉子焼き、海老フライ、みそかつ、です。確かに東京と東海っぽい内容です。それなりに美味しい。千円でしたが、楽しめました。何よりも見た目がが分りやすいですね。鉄ちゃんならずとも、「こだま号」には愛着があるので、このパッケージに親近感を湧かない日本人は少数のはず。

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卵焼きに50thの焼き印あり。色合いが美しい。本当にたくさんの具が盛りだくさん。逆に言えば、それぞれが少量しか入っていないので、たくさん食べたい向きには、物足りないかも。

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帰りは、明石名物「ひっぱりだこ飯」にしました。なんといっても特徴は、容器がタコツボなことです。店頭で圧倒的な存在感です。もうこれは買うしかない。内容は、蛸と、穴子、薩摩揚げ?と季節の野菜です。味と陶器の容器の両方で楽しめます。このタコツボ、話のタネに家に持ち帰りました。

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お味は、、、これはうまい。たこの出汁がうまくきいています。総量は少なめですが、この味に文句を言う人は、まず、いないのでは。決して駅弁がまずい、というわけではありませんが、本当に久しぶりに、美味しい弁当にめぐりあえました。

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出張は、思いがけない出会いがあるから良いですね。うちにこもっているだけでは得られない気づきの宝庫です。旅の楽しみは、その地でしか出会えない経験だと思っています。その意味で50周年記念弁当と、明石名物ひっぱりだこ飯では、どうしたって後者に軍配があがりますね。
 

自警 森有礼

文部科学省に、ある打合せの用事がありました。文部省は2001年に中央省庁再編により、文部省(文化庁を含む)と科学技術庁を廃止され、これらを統合した文部科学省が設置されました。現在は、中央合同庁舎第7号館(霞が関コモンゲート)に文部科学省は入居しています。国の官庁庁舎整備においてPFI手法を導入する先駆的事例となった建替えですが、2008年から業務開始になっています。

旧文部省は昔の姿のまま保存棟として、旧大臣室等が公開されています。その「情報ひろば」一角に初代大臣森有礼の自筆の証書がありました。

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「文部省の職務を担当する者は、専心鋭意その責任を尽くして、学問をつかさどる行政管理の任をまっとうしなければならない。そしてそのためには、学問をつかさどる行政管理であることをわきまえ、決して他の官吏と比べることはせず、ひたすら文部省の職務に熟達することを計り、ある程度になったらといっても満足しないで、もっと、もっと上に進むよう努力し、最後にはその職に死んでもいいくらいの精神を自覚することが必要である。」

教育行政に対して、死んでもいいくらい努力せよ、とはあまりに凄絶。明治政府の教育にかける意気込み、そして不退転の決意を、直に感じます。果たしてこの思いが現代の教育にどれほど通じているか。

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情報ひろばには、この他貴重な資料がたくさん展示されていました。明治初期の地券もそのひとつ。当時からこの地に文部省があったそうですが、当時の地名は武蔵国麹町区竹平町1番地、面積は5,629坪、評価額は1,519円とのこと。

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丸の内タニタ食堂でランチ

丸の内タニタ食堂で、ランチしました。運営しているタニタは、先進の「ヘルスメーター」「体脂肪計」等の有名メーカーです。経営理念である「健康づくり」を自ら実践する場として、社員の健康の維持・増進を目的に本社に社員食堂をオープン。「おいしく、お腹いっぱい食べていたら、知らないうちにやせていた」というコンセプトが受け、この社食を紹介した『体脂肪計タニタの社員食堂』という書籍が爆発的なヒットとなりました。映画『体脂肪計タニタの社員食堂』も制作されました。そのレシピを基にしたメニューを提供する「丸の内タニタ食堂」です。

場所は、有楽町駅から徒歩3分ほど。 帝国劇場がある、国際ビルヂングの地下1階です。ランチタイムだったこともあり、長蛇の列。当日朝8:30-9:30に配布される整理券を事前にもらっていたので、スムーズに入れました(整理券なしでは、ランチタイムは、ほぼ入れない)。

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メニューは、日替わり830円と週替わり930円の2種類の定食です。それにそれぞれ副菜が2品、スープが1品つきます。
 
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主菜:鶏唐揚げオニオンソース、もしくはれんこん鶏つくねハンバーグ
スープ:キャベツのスープ
副菜: 糸こんにゃくとたけのこの中華煮、えのきのたらこ和え
ご飯:金芽米100g(自分でよそうセルフスタイルなので、大盛にするのは自由) 
上記すべてで、487キロカロリーだそうです。
 
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入口右側の厨房入口からトレイを取ってセルフでおかずを入れてゆきます。

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ご飯は、タニタが推奨する金芽米(栄養価が高く、上質な甘味、旨味の元となる健康糖質を作る酵素が含まれる亜糊粉層や、胚芽の底の部分を残して精米しているお米)です。ふっくら炊けるので同じ量を入れても10%カロリーを抑えることができるとのこと。

大切なのは、よく噛んで時間を掛けて食べること。最適な食事時間は、20分だそうです。ここはさすがは、タニタ。すべての各テーブルにも計りとタイマーが置いてあり、ご飯のカロリー量と、何分で(ゆっくり)食べたかがわかるようになっています。

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実際に食してみて、健康食ということで塩分少なめには感じましたが、極端な薄味ではありませんでした。ボリュームも主菜がこじんまりしているものの、2種類の副菜はしっかり嵩がありました。私は適量だと思いましたが、一緒に食べた友人曰く、3時にはおなかが空いてしまったとのこと。食べることを楽しみつつ、健康にも留意したいという向きにオススメです。このような食生活を社員だけでなく、広く実践的に啓蒙したいとタニタの企業姿勢に、賛同しました。 

ハワイ移民史 いわきハワイ交流協会

いわきハワイ交流協会様から「ハワイ移民史」を頂いたので拝読しました。実は、これまでいわきハワイ交流協会の活動を存じ上げませんでした。いわきとハワイ州カウアイ郡との間では、「観光・文化・スポーツ分野における交流促進に関する友好協定」が、東日本大震災後の2011年9月に締結されています。それに至ったのには、1989年から10回近くも、同協会が「ハワイ親善の旅」を企画し、特に2004年には四家市長をはじめとして、78名がハワイを訪問し、関係性を深めてきたからです。それ以来、カウアイ島からはいわきサンシャインマラソンに必ず招待選手が来るようになりました。
  
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明治政府はハワイへの移民を民間に委託して進めた時期があり、1894-1900年まで、民間の移民会社の斡旋で、労働契約書にサインした私約移民がハワイに渡ったそうです。その後、1900-1907年の間、契約労働でなく自由移民として、約7万人がハワイに渡ったそうです。その後アメリカは移民規制に入りますが、その後も一定の条件を満たす呼び寄せ移民が、1924年まで約6万人がハワイに渡ったとのこと。最終的に、約22万人が日本からハワイに渡り、そのうち約12万人が日本に帰国もしくは米国西海岸へ去りましたが、残りの10万人はハワイへ定住し、家族を築き、日系2世、3世、4世と脈々とハワイへ根ざしたそうです。

移民の最初のきっかけが私約移民ですが、当時のハワイ共和国の移民官が、福島県三春出身の勝沼富造氏だったそうで、富造氏の父親はいわき市出身だそうです。地域間の交流というのは、目先のことだけでなく、歴史をひもとくと何かしら由来があるということの証左かもしれません。

放射線治療を考える 市民公開講座

切らずに治す「放射線治療」を考える、「市民のためのがん治療の会」講演会に参加しました。川崎幸病院放射能治療センターの田中良明先生と神奈川県立がんセンターの中山優子先生から、がん放射線医療の現場と、重粒子線治療の仕組みをレクチャーいただいきました。重粒子線がん治療は、がん病巣をピンポイントで狙いうちし、がん病巣にダメージを十分与えながら、正常細胞へのダメージを最小限に抑えることが可能とされる放射線を用いた最先端の治療法で、従来のX線や陽子線のがん放射線治療に比べて、格段に副作用は軽くなっているそうです。

日本人の3大疾病の一つの「がん」、その科学的根拠に基づく標準治療は、①外科的手術、②放射線治療、③抗がん剤による化学療法の3つです。悪いところを取ってしまう手術、良い薬で治すという化学療法は、一般人にとっても感覚的に分かりやすい。一方、放射線治療はどのような治療なのか、そしてどう効果があるのか分かりにくいです。一般的に放射線は、体に悪影響を及ぼすものとして認識されており、放射線への忌避感は、根深いものがあります。しかし、何と言っても「切らずに」「機能・形態が温存できる」という、患者にとってのメリットは、治療後のQuality Of Life(生活の質)に大きな意味を持ちます。

重粒子線治療に関しては世界の治療症例のうち、9割近くが日本で行われているそうです。川崎幸病院の講堂で開催された、200人ほどの会場は満員。重粒子線治療は、まだまだ発展可能性がある治療技術ですが、一般人の関心度の高さを感じました。 

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市民のためのがん治療の会代表 會田 昭一郎様、川崎幸病院 院長   笹栗志朗様からご挨拶を頂いた後、「がん放射線療法の進歩ー高橋信次先生の原体照射からー」と題して、川崎幸病院副院長・放射線治療センター長 田中良明先生から、ご講演をいただきました。現在は単純に放射線を部位にあてるのではなく、IMRT(強度変調放射線治療)という、コンピュータ技術を用いてがんの形や位置に合わせて放射線の強度や形状を変化させる技術により、正常組織を避けてがんだけを狙い撃つ治療ビーム照射や、IGRT(画像誘導放射線治療)という、照射直前にCT画像でがんの位置を再度確認し、照射計画とのわずかなズレを修正しながら治療する技術が使われているそうです。またVMAT法(回転原体照射の変法)により、機械を体の周りを回転させながら連続的に照射することで、短時間で照射を完了することを目指しているとのこと。

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引き続き、「重粒子線治療について」を神奈川県立がんセンター放射線腫瘍科部長  中山優子先生からご講演いただきました。まず重粒子線治療は、これまでの放射線治療とは、かなり異なる治療だということ。
1.細胞を破壊する力が強いこと
2.ピンポイントで治療(破壊)場所を停められること

すなわち、これまでの放射線治療はX線も用い質量が軽かったが、重粒子線治療は炭素という非常に質量の重い物質を使うため、細胞破壊のインパクトが大きいことです。これによって、少ない照射回数で済むことになり、患者への通院負担が軽くなるそうです。またこれまではX線の放射線が直線方向に突き抜けて、正常部位も傷つけてしまっていましたが、重粒子線のパワーをコントロールすることで、治療部位をピンポイントで止め、必要箇所のみを治療することが可能となるそうです。

これまでの放医研での治療の成功事例を写真画像で見せて頂きました。黒い部分の腫瘍が数回の重粒子線照射で消滅もしくは減退しているのが、明らかに見て取れます。これらの成功の裏にはうまくいかなかった事例もたくさんあると推察しますが、画像には治験効果の説得力があります。

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日本の重粒子線治療施設は、現在4カ所のみ(千葉の放医研HIMAC・兵庫県立粒子線医療センター・群馬大学重粒子線医学研究センター・九州国際重粒子線がん治療センター)。といっても、1994年に稼働した千葉の放射能医学研究所だけでも、世界の治療数12,000件の内、8,000件以上を占めているそうで、この分野で日本は圧倒的に進んでいます。なお、他の国としては、ドイツ・イタリア・中国です。これまでの研究で、重粒子線治療の治験効果が認められたことから、今後世界各地で治療施設が予定されているとのこと。

神奈川県立がんセンターは、日本国内の5例目の重粒子線里長施設を建設中です。外科や内科、麻酔科、緩和ケア病棟等の一般のガン治療施設と併設した重粒子線治療施設は、日本初で、来年2015年に治療開始を目指しています。

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一定の初期段階の肺がんの症例では、一日の照射で治験効果があった例もあるそうです。重粒子線治療はすべてではありませんが、多くのガンに適用でき(下図参照)、夢のような治療技術ですが、昨年から先進医療として認められ、患者の自己負担額が314万円(定額)で治療を受けることができるそうです。

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例えば前立腺ガン(Ⅰ期、Ⅱ期)だと、重粒子線を72グレイ以上照射した場合の重粒子線治療の効果は、一般的な外科手術を上回るという報告がありました。逆に言えば、72グレイ以下の照射では、外科手術の方が治験効果が上回っており、治療方法はケースバイケースで選択する必要があるということです。

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北海道がんセンターの西尾正道先生からは、深い経験と忌憚のないご意見に圧倒されました。曰く、治療方法の選択に関しては、現在医療情報がたくさん出ていることから、ある程度患者も勉強が必要だということです。すなわち医療施設の事情や背景もよく考えた上で、治療方法を考えるという視点です。西尾正道先生自身、40年近くにわたって放射線医療現場に立ち、日本のがん治療の問題点を指摘し、改善するための医療を推進されていらっしゃいます。

1㎝のがんには、10億個のがん細胞があり、ひとつのがん細胞が10億個に達するには、2の30乗が必要であること。すなわち30回の細胞分裂が必要であることを離されました。がん細胞の細胞分裂は、早いもので1ヶ月に1回分裂活動があり、遅いもので3ヶ月程度だそうです。とすると、がん細胞が1個体内にできてから、早くて30ヶ月、遅くて90ヶ月で、CTスキャンでやっと見つけられる大きさである1㎝になるということ。分裂休止になる例もあるけれど、この段階で早期に上記①~③の対応をすべきというお話しをされました。

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千葉の放射線医学総合研究所のHIMACの建設費は300億円だそうです。また施設規模は、120m×60mと巨大です。普及実証機の群馬大学からは大きさ自体は1/3程度に小さくなったそうですが、それでも巨大な建設費は変わりありません。高価な施設(比喩的に、「医師にとっての高価なオモチャ」と揶揄する向きあり)であればあるほど、そのコスト回収のために稼働率を上げる、病院経営のインセンティブが働きます。治療方法の選択が、施設稼働率目的や診療報酬請求額を上げるためでなく、複数の適切な医療方法を検討した結果、高価な施設を使ったほうがより患者(個人・全体)の治験に効果があり、その結果、社会全体の福祉向上につながるという仕組みとしなくてはならない、と感じました。

川崎幸病院では、市民公開講座やかわさき健康塾と称して、毎週、川崎周辺で市民向けの医療公開講座を開催しています。目的は地域の方々が病気や医療について知識を深め、健康維持・増進、疾病の早期発見・早期治療に役立てて欲しいということ、とのこと。その姿勢に賛同します。これこそ「地域医療」に根ざす、医療のあり方ではないかと感じます。

<かわさき健康塾は、コチラ> 
http://saiwaihp.jp/file/leaflets/leaflets22_file1.pdf

開成学園 運動会

全国有数の進学校として知られる開成中学校・高校を運営する「開成学園」の最大のイベント、開成運動会に行ってきました。例年5月の第2日曜日に行われることになっていますが、昨年はアクシデントで外部公開が中止となり、今年は2年ぶりに公開されました。昨年の文化祭に引き続いての開成訪問です。

<開成 文化祭は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/32402231.html

開門は6:30、開会式は7:10開始です。西日暮里の開成学園第二グラウンドに、中1から高3まで2,000人を超える男子生徒が、紫、白、青、緑、橙、黄、赤、黒の8組に分かれて一同に集結します。高校は8クラスあるので、クラスごとの色になりますが、中学は各クラスばらばらに縦割りで8組に振り当てられます。その特徴は、生徒による運営される「運動会準備委員会」、「運動会審判団」、「運動会審議会」のもと、高3が中心となって、つくり上げていることです。早朝に、8色の旗、団長、組責らが整列する姿は美しい。
 
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この運動会は、生徒だけで運営され、実際、先生方の役割は警備くらいで、ほとんどタッチしないそうです。そのかわり生徒がかける熱意は、尋常ではありません。はっきりいって、常軌を逸しています。毎年6月には、運動会審議会で、今年の運動会の反省を行い、来年の応援団長および組責任者を決める、つまり、前の運動会が終わった直後から来年の準備が始めるとのこと、準備期間を丸一年とっているわけです。だから?高校2年から高校3年にかけてはクラス替えがないのかも。また、高校生は一クラス50人ですが、これは高2、高3で行われる「棒倒し」に最低限必要な人数で組まれているためらしい。そう考えると、開成学園って、運動会開催のために存在しているのでしょう(冗談)。でも実はこれは、柳澤校長もその著書のなかで、なかば半分、認めています。
 
運動会当日に飾られる7m×9m程のアーチ(巨大な絵)が作成されます。鯨だとか、龍だとか、不死鳥、天馬?等の強そうな絵が、生徒自身の手で書かれています。美術部員が活躍するらしい。不思議な、かつ巨大な絵が8枚も、運動場をぐるりと取り囲みます。このスタイルは、相当昔から変っていないようで、昭和36年の映像にも残ってました。

<昭和36年9月16日_開成高校運動会>
https://www.youtube.com/watch?v=j7aRiIXJCy8
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アーチの前はひな壇状になっていて、チームメンバーが交代で応援します。自分たちのチームの出番のときは、エールの他、典型的な応援として「ぶっとばせ」等の大合唱となります。

<ぶっとばせ節は、コチラ>
http://goo.gl/9EZjlw
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アーチの裏はこんな感じ。本格的な足場が組まれているので、数十人が乗っても大丈夫なようです。毎年、チームTシャツ(名前の刺繍入り)を各チームのカラーを基調に、デザインを変えて作っています。

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「アーチ賞」や「エール賞」という形で、このアーチの出来不出来や、エール・入場時の行進も、観客者の投票により得点化され、チーム戦のスコアに反映されるので、本気での絵の制作、行進の練習となるわけです。なるほど、生徒が自主的に運営すると、どこで力を入れるか抜くかが本質的にわかっているので、どうやれば大会を盛り上げるインセンティブになるか、よくわかってるなあ。

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進行も細かい点まで工夫されていて、感心しました。大掲示板には、プログラムだけでなく、現在の時刻・進行の遅れ(何分予定より遅れているか)・現在行われている競技と、対戦チーム・8組の現在のスコアと順位が、リアルタイム(10分単位)で表示され、今何の競技をどのチームが対戦しているか、現在どのチームがトップなのかわかりやすく、初めての観戦でしたが楽しめました。

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8組もあるので、どの競技でどのチームが何位だったかが、一目でわかるように一覧表になっています。もちろん観客だけでなく、生徒も競技の結果がリアルタイムで分ります。

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点数表示や、色の表示は、すべて生徒による人力です。大掲示板は、足場が組まれていて、その裏手で運動会実行委員による、手動掲示板(かつての野球の掲示板がそうでした)です。これは人手がかかって、大変だなあ。実行委員の裏方の努力が忍ばれます。

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各クラスはのエールは毎年見直すことになっているようですが、実際には過去の先輩が作ったエール(例えば黄組は、第69代が作ったエールを使った)を使うようです。すなわち70年前の先輩が作詞・作曲したのを今でも引き継いでいるということですね。(訂正:エールは毎年、いちから作っているそうです。開成の運動会は創立時からある訳ではなく、69代黄組も去年度の高3だそうです)

 <参考:139th開成学園大運動会エール全曲 feat.Miku>
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10681375
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各組の運営は高3に委ねられ、下級生の指導も高3が行います。運動会練習は、すべて高3の責任で、高3の指導の下、放課後だけで行い、体育などの授業中には一切やらないそうです。東大合格することよりも運動会の優勝のほうが、開成生にとって誇れることだと、1993年のナイスデイでインタビューを受けた生徒は語ってました。

<開成学園 男涙の運動会 (1993年のTV番組おはようナイスデイより)>
https://www.youtube.com/watch?v=ev3KX5RNxsE

そんな運動会ですが、昨年は運動会の中止を求める脅迫文が届いて、一般公開が中止になりました。開成の敷地内のポストに入れられていた手書きの1枚の書面に「運動会を中止しなさい。さもなくば、開成生の肉を召し上がっていただく」などと記されていたそうです。結局、生徒の家族だけに入場を制限して運動会を開催することになりました。OBや受験生はもちろん、近隣住民の方も楽しみにしていたそうで、残念でした。逆に言えば、脅迫状が出るほどの社会的イベントともいえ、それだけ注目されていることの証でもあります。

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出典:平成25年5月12日の産経新聞

今年のプログラムを見ると、「俵取り」「馬上鉢巻取り(騎馬戦の簡易版)」「騎馬戦」と、プロテクター着用義務の危険な競技が多いです。実際、競技中にしばしば、ケガもしくは強打して動けなくなった生徒を運び出すのを目にしました。このプログラムには各種競技の内容だけでなく、ルール・見所・用語集が収録されていて、読んでいて、とても楽しい。

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プロテクターがなくヘッドギアのみの「棒倒し」では、棒を支える守る側の男子のかたまりの中に、攻める側の男子がほぼ丸腰でダイブします。そして守る側はその足をつかんで「引っぺがし」ます。そんな闘志むき出しの若者の姿は、秀才ってモヤシっ子で、勉強ばっかりのイメージとは大分違います。見ると、良いからだつきの子が多い。一生懸命で何かに打ち込むと、体もしまってくるのかもしれません。非常に素直でまっすぐに学習をつきつめていく生徒は、方向性を与えてあげると、これまたまっすぐに打ち込むのかもしれません。
 
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 <今年の棒倒しの様子は、コチラ>
http://goo.gl/B1DUL5
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驚いたのが、「土下座」です。自分の競技で負けるとチームの元へ返り、全員がグラウンドに土下座して仲間に詫びます。仲間は「お前ら、がんばっただろ!胸を張れ!」と声をかけ、一人ひとりに手をかけて揺り起こす。負けて帰ってきたメンバーは本当に泣いています。何割かは肩をふるわせて号泣してました。

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逆に優勝すると、歓喜爆発です。各種目で優勝したチームは、チーム旗をもって一周を凱旋することができます。(優勝した場合の凱旋のルールは、1周まで。正面席のラインを一度だけ通過することができる、という細かいルールを、定めているところも開成らしい)。

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休憩のランチは、学生食堂が営業していたので、そこでいただきました。基本的に開成の中学生はお弁当持参で、食堂は利用禁止。高校生からの利用になります。もっとも、パン屋やお弁当屋が出張販売してくれるので、不便は感じないかも。ポークカレー300円、カツ丼380円でした。

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簡素なつくりの学生食堂でした。

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朝7:10に始まって、終わるのは夕方17:10。丸一日中、10時間もかけて、運動会をやってました。開成の高3年生はこれが終わると一気に大学受験体制に向かうとのこと。開成は高校が1学年8クラスです。その8クラスがそれぞれ「赤・青・黄・緑・白・黒・橙・紫」の8つの組に分かれて戦います。中高一貫校なので、中学生と高校生が縦割りで同じ組になります。中1から高3までの6学年が、一つの組になって、戦うわけです。同じチームであっても入学したばかりの中学1年生と高校3年生では、大人と子どもの違いがあります。開成に入学してくるような子ども達は、これまでおそらく真面目に勉強するタイプのはずで、泥臭い男の縦社会なんて一度も経験した事がない。そんな新1年生が入学後1ヶ月で、大人に見える高3生から厳しい指導を受けるわけで、相当のカルチャーショックが予想できます。しかし6年後には、今度は立場が逆転し、後輩を指導し、チームをまとめあげ、他チームからの勝利を目指す集団を作り上げることに邁進します。江戸時代の藩校や昭和の青年団の役割に似ていると感じました。これこそが、リーダーシップ育成の原形、それが開成学園がやろうとしていることのような気がします。

益川博士のロマンあふれる特別授業 子どもたちに、伝えておきたいこと

ノーベル物理学賞受賞者・益川敏英さんが、子どもたちに向けて語ったメッセージ集です。一人ひとりの人間の能力に大きな差はない、と考える益川さんは、子どもたちには「勉強から多少はみだしても、自分の好きなことをとことんやったらいい」と語りかけます。既成概念にとらわれず、自分の頭で論理的に考える大切さや、学ぶ楽しさに気づくことを、繰り返し述べています。「ノーベル賞がうれしくなかった」という逸話は本当のようで、研究者にとって純粋な学問の追求こそが目的であり、賞を得ることが目的ではないという趣旨だったとのこと。

「勉強」という言葉の響き、語感がもつ意味がネガティブだとして、「学ぶ」「学習する」「Studyする」等の言葉を多用されています。なるほど、確かに、テキストや教師から習い、知識身につけ、自分のものとするという行為を指すなら、「学習」のほうがより適切のような気がします。明日から、「勉強」はやめて「学習」にしよう。

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ただ益川先生は、熾烈な中学受験を決して否定的なものとは捉えておらず、逆に公平に人を計る手段と捉え、それ以外にどのような手段がより良いのか?と疑問を投げかけています。昨今のAO入試等、英語だけできれば、あとは一芸さえ秀でればよいという、熾烈な受験勉強回避策に警鐘を鳴らしています。

上記は、けっこう当たり前の内容なのですが、小学生向けにわかりやすく、易しい言葉で語る姿勢には、益川先生自身が発する何か温かいモノを感じました。

 

航空科学博物館 社会科見学

航空科学博物館は、成田国際空港に隣接して設置された日本最初の航空専門の博物館です。もともとは、地元の芝山町から出された空港開港関連の博物館建設要望で作られた施設で、現在は公益財団人航空科学博物館が運営管理しています。

日本初の国産旅客機であるYS-11試作1号機(実機!)の屋外展示や、実際にパイロット養成訓練で使用されたDC-8のフライトシミュレータ、ボーイング747の客室の実物大モックアップ、成田空港の模型などが展示されていました。

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やはり、なんといってもYS-11です!日本のメーカーが開発した初の純国産旅客機、その試作機第1号の実機がこちらにあります。YSの生産累計は1965年-1973年の18年間で182機(うち、海外輸出70機以上)、2006年に日本国内の民間定期路線から引退しています。

戦後、連合国の占領下では航空禁止令が布告され、日本のすべての飛行機が破壊され、航空機メーカーも解体されました。大学の授業から航空力学の科目はなくなり、自国製の航空機を再び飛ばすことは、1957年まで禁止されていました。

1957年に、「財団法人 輸送機設計研究協会」(通称、「輸研」)が東京大学内に設立。輸研での設計には、零式艦上戦闘機や雷電、烈風を設計した新三菱の堀越二郎(「風立ちぬ」主人公のモデル)、中島飛行機で一式戦闘機「隼」を設計した富士重工業の太田稔、川西航空機で二式大艇や紫電改を設計した新明和工業の菊原静男、川崎航空機で三式戦闘機(飛燕)や五式戦闘機を設計した川崎重工業の土井武夫といった戦前の一線級の技術者が参加、設計に没頭したそうです。1960年からの実機製作は三菱の技術部長、東條輝雄が参加。陸軍大臣や首相を歴任した東條英機の実子です。そんな蒼々たるメンバーが、設計制作にかかわったのがYS-11です。
 
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機種名であるYS-11の「YS」は、輸送機設計研究協会の「輸送機」と「設計」の頭文字「Y」と「S」をとったものだそうです。モックアップ完成披露時のキャッチフレーズが「横浜・杉田で11日に会いましょう」であったので、これはYに横浜、Sに杉田を掛け、11に合わせて公開日を11日にした語呂合わせでもあるそう。

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1960年の設計だけあって、コックピットは狭くかつ貧弱でした。当時はこれがスタンダードだったんですね。

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館内5階にある360°見渡せるロビーからは、成田空港が一望でき、そこには航空管制塔で実際使用されていた器材が移設されていました。まさに航空管制塔の一角にいるように錯覚します。

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成田空港の模型が展示されていました。これだけの国際空港で滑走路が2本しかない(1本は2,500mしかない)というアンバランスさに、あらためて驚きます。ここの特筆はバーチャルリアリティです。タブレットを模型にむけると、実際の時刻表と1秒違わずに、離発着する飛行機が3Dで表示されるだけでなく、誘導路に向かう飛行機がその詳細情報とともに画面に映し出されることです。この技術はすごい。非常に近い未来の日常を見たような気がします。

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4階の展望レストランで機内食セット930円をいただきました。機内食の雰囲気は出ていて美味しかったです。
 
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展望レストランからは、成田空港が一望できます。同じ滑走路を、数分単位で出発便と着陸便が、交互に使っているのが手に取るように分ります。利便性だけでなく安全性を考えたら、滑走路は複数、できればたくさんあるに越したことはありません。

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成田空港には、かれこれ数え切れないくらい来ていますが、その周辺施設を見学したのは初めてでした。土地買収を巡る成田空港闘争は過去の歴史のようですが、成田空港の拡張の遅れがハブ化を阻み、それが現在でも影響を及ぼし、それが羽田空港の国際化や滑走路拡張に発展していっているのは、連綿とした事象のつながりなんですね。
 

いわき秀英中学校・高等学校

いわき秀英中学校・高等学校にお邪魔しました。同校はいわき市で中高一貫教育を提供する私立中学校・高等学校の一つです。秀英高等部が設立される、2001年より前のいわき市には、公立高校が15校ありました。成績順に磐城高校(男子校)・磐城女子高校(女子校)・湯本高校(共学)等に、実質的に学力でヒエラルキー化されており、大学進学を目指したい生徒は、自分の中学の成績・順位を見てそれに合致する高校を受験していました。

なぜなら、公立高校の併願はできないため、滑り止めには私立高校を受験することになるわけですが、市内には私立高校が男子高と女子高が1校ずつしかなく、その2校は決して大学進学者が多いとはいえませんでした。このため、市内の上位県立高校を志望する生徒の滑り止め校は茨城県の茨城キリスト教学園を受験するか、中学浪人するなどの方法を取らざるを得ませんでした。実際、私が磐城高校を入学したときのクラスメートの1割、すなわち40人教室のうち、4-5人は1歳年上の中学浪人組でした。

その現状を打破すべく、地元有力者であった志賀利彦氏によって、開校となりました。志賀利彦氏は、受変電設備・設計・施工・技術管理等を業とする泉電設株式会社の代表取締役を務めたこともある企業経営者です。2013年には、念願の中高一貫校となりました。
 
沿革
2000年 学校法人いわき秀英学園設立、いわき秀英高等学校設置認可
2001年4月 いわき秀英高等学校開校
2013年4月 いわき秀英中学校開校 
 
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開学当初より進学対策を重視し、毎週土曜日の授業を実施。大手受験塾である河合塾のサテライト校も併設されています。学校では中高一貫により、中学校の1年・2年で中学校3年分の学習内容を学び、中学校3年と高校1年・2年の中間で高等学校3年間分の学習内容を終えてしまうそうです。そして高校3年は大学受験対策にあてることができます。この方式は、東京の私学でも一般的で、特段珍しいものではありませんが、いわきにおいては先駆的な試みのひとつです。 
 
正面玄関を入ると、昨年の合格者一覧が掲載されています。このような例は磐城高校でも例年行われていますが、個人情報に配慮してか、実名表示はありませんでした。

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当日は、東京私学校教育研究所の清水氏をお招きして、「肯定からはじめよう 私学の持つ視点」として保護者・教員向けに講演をいただきました。清水氏は、世田谷にある中高一貫の女子校、鷗友学園の常務理事でもあります。こちらでは毎年東大合格者を輩出しており、中高一貫教育による学力の向上だけでなく、情操教育の重要性等を繰り返し、おっしゃっていました。
乳児の頃は決して肌を離さず、
幼児の頃は肌を離して決して手を離さず、
子どもの頃は手を離して決して目を離さず、
青年期には目を離して決して心を離さず という話です。

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タワー棟上層部には、図書館(改装中)や実験室等がありました。泉ヶ丘ハイタウンのその10数階からの眺めは、素晴らしい。小名浜も一望できます。この建物は大手ゼネコンの大成建設が施工し、震災時にはヒビも入らなかったという逸話があります。ただ震災後は、一般教室として使用するのは控えているとのことでした。

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開学の精神は、「大学進学」。それに対する批判も多いです。授業コマ数は多く、勉強時間が長すぎる、情操教育の時間が少ない、体育系のチーム部活動がない、詰め込み教育で自ら思考することが訓練されていない等の批判です。それらは、いわきにおいての私学の新しい試みに対する批判ともいえ、今後、どのように生徒の教育方法の舵を切っていくか注目していきたいと思います。
 

いちえふ 福島第一原子力発電所労働記

福島第一原発作業員が描く、原発ルポルタージュマンガです。それまで知らなかったのですが、講談社の週刊マンガ誌「モーニング」に連載されていたものが単行本化されたとのこと。描かれるのは作者がその目で見てきた、福島の現実です。メディアが報じない福島第一原発、(タイトルの、1F、いちえふ)とそこで働く作業員の日常、そしてこの先何十年かかるともしれない廃炉作業の現実を、現場作業員の立場から見た労働記といえるでしょう。
 
これはフクシマの真実を暴く漫画ではない、という帯の文句の通り、脱原発・原発推進等のバイアスから離れ、あくまで一作業員の視点から1F作業の模様を描いています。1F内での作業員の写真撮影は許可されないでしょうし、作業中にスケッチする余裕もないでしょう。しかしよく観察され、丁寧に細かく絵で描かれた1F施設内のスケッチは、ある意味で貴重な記録となるでしょう。しかもこれだけのスケッチをアシスタントなしで描いていることに舌を巻きます。
 
1F内のいってらっしゃいの言葉は、「ご安全に!」だそうです。これは製鉄所などでも使われるあいさつですね。 
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作品を読み終わって、良くぞ見てきてくれた!良くぞ言ってくれた!良くぞ描いてくれた!という感謝の気持ちすら覚えました。いくら福島民報・福島民友・テレビユー福島等をチェックしていても、現場で働く作業員しか分からないことがあります。絵が丁寧なだけではなく、作業員の作業段取りの一つ一つが丁寧に説明されており、一般人の読者でも、その作業や装備が何のために必要なのかがわかりました。以下のようなことは、事故調査報告書でも精読すればわかるのかもしれませんが、一般人には簡単には読みきれません。このようにマンガで描いてくれたことで、口伝えの伝聞だけではイメージできなかった現場の様子が、感覚として分かりました。

・現場作業員の作業環境、毎日の装備品
・現場作業員の毎日の被ばく線量
・現場作業員の日常生活、通勤、食事
・現場作業員の福利厚生、給与、衛生 
・1F内の詳細な建物配置(汚染水タンクや作業員休憩所、免震重要棟等) 
・飼い主不明の放れ牛、自然繁殖
・被ばくで区域外に出せなくなった高級車

高線量放射線下での大事故収束作業の異常性・特異性の一方、単調な作業の繰り返しである原発作業員の日常生活との対比が不思議です。そして原発事故収束作業の矛盾や、原子力推進事業、国の事故後の対応、東京電力と関連企業群の行動について、自分なりのフクシマを考える際の判断材料になりました。
 
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出典:『いちえふ』第1話をためし読み

納税者保護誓約書に署名しました 子供にツケをまわさない

納税者保護誓約書に署名しました。納税者保護誓約書は、「子供にツケをまわさない」。雑駁にいえば、借金頼りによる行政運営ををしないという姿勢を明らかにすることです。税金はシンプルで公平かつ判りやすく、均一に安い必要があります。

そもそも法律は、人々の自由を守るために作ったもの。そして税は、個人で解決できない課題を、それぞれが負担を出し合って解決しようとするために拠出しています。しかし現在、労働時間の半分近くが、税金や社会保険料という形で費やされており、この負担が市民の自由な活動を制約しているといってよいと思います。市民の自由を奪う力は最小限とすべきものですから、税は簡単で判りやすく安くなければならないという理屈なんです。これは限られた資源を効果的に使うという視点にも合致しています。

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署名の立会人には、元消費者庁長官、我孫子市長の福嶋浩彦氏にやっていただきました。氏の著作「市民自治」は、市民が自分たちでできることは、まず自分たちの権限と責任で全部やっていく。どうしても自分たち、民間でできないことは、税金を払って行政にやってもらうというスタンスです。行政は、納税者であり主権者である市民の意思に基づいて仕事をしなければならない、という主張に賛同します。

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増税政策や規律のない歳出は、将来世代に負の遺産を残します。ポリシーはシンプルに、「子供にツケを残さない」です。

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今年は、明治147年

今年は明治147年だそうです。そう考えると、日本人全員が和服を着て、幕府を敬っていたのはついこのあいだという気になってきます。たった150年の間に、「坂の上の雲」を経験し、殖産興業を行い、日清・日露戦争の勝利、太平洋戦争の敗戦、戦後復興、高度経済成長、バブル崩壊を、すべてやってきたんですね。

平成26年は、皇紀2674年、明治147年、大正103年、昭和89年。西暦一辺倒でなく、和暦は年代感覚を持つのに役立ちます。

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東京23区、進学率が高い地域はどこ? 納税額との関係は?

東京都の平成25年度 学校基本調査報告によると、東京都高校生の大学率は65%で、全国平均の53%を上回っています。しかし、23区内でも大きく差がでているようです(元ネタはThe Huffington Post)。

大学進学率のトップは渋谷区・千代田区・港区で、進学率は75%を超えています。一方、下位では江戸川区・江東区等が60%を下回り、葛飾区・足立区の進学率は、40%をも下回り、全国平均を大きく下回っています。その原因は何か?

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<出典>
https://www.google.com/fusiontables/DataSource?docid=1lXjH-v2a-rgOQ6OfgyONC5zLvWt1MwzrrpjalD7l

家庭の収入が低いと大学の学費が出せないので、進学率が低くなるのではないかという仮説があります。家庭の収入額の目安となる住民税額と進学率との関係を調べたデータがありました。これによれば、世帯あたり住民税納税額とは、納税額が高ければ進学率も高いという分布になっています。分散の相関係数は0.544で比較的強く、一定の説得性があります。収入だけが、進学率のドライバーとは断言できませんが、やはり一定の関係はあるのですね。

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出典:東京都税務統計年報、単位:縦軸%、横軸:円
http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/22/shingaku-ritsu_n_5189027.html
 

割烹一平 小名浜の名店

いわき経済同友会の会合で、小名浜の名店「割烹一平」にお邪魔しました。お名前はいろいろなところで伺っていたのですが、実際に来店するのは初めてです。敷居が高かったのですが、ある会合で初めて暖簾をくぐることになりました。

ひとことでいうと、「これでもか!」というくらい、海産づくし、です。どれも美味しい。私は日本酒は飲めないのですが、いかにも日本酒のアテにぴったり、というのが伝わります。細かいですが、お手ふきが一平オリジナルでした。このへんに女将のこだわりを感じますね。

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今回は季節では有りませんでしたが、こちらの一押しは何と言っても名物の「歩くウニ」だそうです。分かり易くいうと、雲丹の活き造りです。殻の針が動くほど新鮮で、テーブルに置くと雲丹が歩くのが登録商標されているそうです。ウニの解禁は5/1からだそうですが、下記看板は通年営業(笑)。
 
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小名浜と言えば、東北でも屈指の歓楽街ですが、こちらはその歓楽街の中に看板を揚げる老舗割烹です。小名浜なのに、なぜか「鎌倉」の名を冠するお店が多いのは謎です。誰か教えて欲しいものです。 
 
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ランチ営業もやっているとのこと。一見さんには敷居が高いですが、入ってみると全然そんなことはなく、女将を始め、みなさん気さくな方ばかりでした。

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Vege Cafe at いわき駅 Hyaccoi スムージー

Vege Cafe at いわき駅、に立ち寄りました。小川の無農薬栽培の篤農家、白石さんの作ったブロッコリーを素材にしたHyaccoi スムージー、美味しかったです。出張の際の立ち寄りにオススメです!

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Hyaccoiは 『100%いわき市産』にこだわったグリーンスムージーです。「ひゃっこい」とは「冷たい」という意味の方言で、いうまでもなく地元の方言です。新開発の中心メンバーは、小川の無農薬栽培をやっている篤農家の「ファーム白石」代表 白石長利さん、「Hagiフランス料理店」のオーナーシェフ 萩 春朋さんらです。

<焼きねぎドレッシング by ファーム白石は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/34729528.html
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なんといっても最大の売りは、「原材料は全ていわき市産」であること。野菜はとまとランドいわきのサンシャイントマト、そしてファーム白石のブロッコリーや小松菜、ニンジンなど。豆乳は地元の豆腐工房「とうふ屋大楽」が厳選した大豆から作った豆乳だそうです。氷までもが津波被害から再建した丸和製氷の純氷らしいです。いわき産だけで、ほとんどの原材料が揃うことに改めて驚かされました! 
 
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人間力をはぐくむ 東日本国際大学 いわき短期大学の実践

「人間力をはぐくむ 東日本国際大学 いわき短期大学の実践」を拝読しました。著者は、東日本国際大学の緑川浩司理事長です。サブタイトルが、人のため、社会のために生きる人間形成をめざす就職率100%達成の教育の原点とは?です。

東日本国際大学・いわき短期大学は、必ずしも入学時の偏差値が高い学校ではありません。しかし野球や柔道などスポーツに積極的に取り組んでいる学生、将来、福祉・介護サービスや幼稚園・保育園の先生の道をめざす学生が集まっています。またボランティア活動にも積極的で、たいら七夕祭りや夏井川灯籠流しのお手伝いや町内清掃等の活動を通じて、人間力を高め、自立の精神を養い巣立っていくそうです。

その建学の精神は、儒学の基本理念である「仁義礼知」の実践です。学問としての儒学でなく、どう実生活に適用するかを、人間らしい生きる姿勢と方法を若者に伝えることをしているそうです。建学の精神は「義を行い以って其の道に達す」。全国でもめずらしく「儒教」科目を必修とされているとのこと。雑駁にいえば、これらを通して、人間力を高め、それぞれが生き延びる力を持つことです。

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そのような建学の精神は、設立の経緯や創立者について知らないと、理解できないかもしれません。現在の姿は、元理事長の田久孝翁によるところが大きいです。1964年に現在地に、学校法人昌平黌(いわき短期大学)を、さまざまなハードルを乗り越え公の力を全く借りずに建設して、理事長となりました。その後1994年に東日本国際大学を開設し、2000年にいわき市発の中高一貫校である、附属昌平中学高等学校を開校させました。

田久孝翁氏については、説明が必要かもしれません。氏は実業界で成功を収めた後、一代で学校法人昌平黌、社会福祉法人昌平黌を立ち上げ経営者です。一方、いわき市議、福島県議を歴任した政治家でもあります。
1966年 東京の昌平高校を運営する学校法人の経営を引き継ぎ、昌平黌短期大学を開学
1972年 いわき短期大学に改称
1995年 東日本国際大学を開学
2000年 東日本国際大学附属昌平中学・高等学校を開学

もっと遡ると、昌平黌のルーツは、幕府の林羅山がかかわった昌平坂学問所です。それが明治になり、開成学校になるわけで、現在、東大進学者でナンバーワンの開成高校は、遠縁?みたいな関係になります。

1903年 東京市神田区淡路町の東京開成中学校内に昌平黌が開設
1923年 関東大震災により、開成中学(後の開成高校)は日暮里道灌山に移転し、開成夜間中学(後の昌平中学)は神田駿河台へ校舎を移転。
1948年 学制改革により、昌平高等学校となる
1964年 北区上中里へ移転 
1966年 いわきに昌平黌短期大学を開学するに伴い、土地建物をすべて売却処分
 
偉大な理事長を5年前に失い(2009年没)、大学にはリーダーがいない、学生も集まらないという時期があったそうです。新たに大学をリードしていくことになった緑川理事長は、東京理科大学出身で、一般企業でシステム設計をやっており、大学経営とは距離を置いていたそうです。しかしいわきに戻り、女子寮の舎監を当初から現在まで務め、まさに「義を行い以って其の道に達す」を大学経営に実践してきたそうです。ここに学生への教えも、大学の経営も儒学・東洋思想という、全国にまれに見る形の大学となったわけです。
 
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私がおもしろい視点だなあと思ったのは、東日本大震災からのいわきの復興活動を、「復興学」として授業に取り入れようとされておられることでした。復興活動に関しては、非常にうまくいった取組みや、携わった方々の熱意等のいわゆる「良い話」はたくさんありますが、一方、うまくいっていない取組みや、活動が空回りしてしまった「悪い話」もあります。前者は多くの方が研究したがりますが、後者こそ、過去の失敗を将来に活かすという点で、より学問的な重要性が高いのではないでしょうか。このような分野こそ、地元の研究者の強みであるフィールドワークを通じて、体系化できれば、いわきの研究機関としてもの存在価値があるのではないかと思います。

 

新会派結成 清政会

5/1付けで、市議会へ会派結成届を提出し、新会派「清政会」(せいせいかい)を結成しました。構成メンバーは、蛭田克・小野邦弘・磯上佐太彦・大平洋夫・赤津一夫(以上、敬称略・順不同)と私の6名です。これまで志道会という大きな会派や、失敗の本質・知行合一という独立会派に所属してきました。それらの活動で、いろいろ役に立つ経験をしてきた上で、考え方や行動を共通するメンバーが揃った形になりました。

早くも新会派結成で、「これで、せいせいした」などという冗談が交わされていますが、文字通り「清い政治をやっていこう」という基本姿勢を素直に表したものです。6人の中では私が一番若輩ではありますが、広報委員長として、今後会派だより等により(市受け売りの情報だけでなく)会派の考え方が見えるような情報発信をしていきたいと思います。また神学論争を続ける議会改革も、実効性がある姿にしていかなくてはなりません。一構成員として、やれることを着実にやっていきたいと思います。

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早速清水市長室へ伺い新会派結成の報告を行い、清水市長からは市政運営の協力要請を受けました。清水市政に対し、積極的にかつ建設的かつ定期的に、意見を申し述べていきたいと思います。

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吉田みきと プロフィール

ふるさとの福島県いわき市で、市議会議員として活動しています。いわき市は、震災後、複層的な問題が山積しています。公認会計士・一般社団法人日本アンガーマネジメント協会 認定 アンガーマネジメントファリシテーターとしてのキャリアを生かし、フレッシュな視点で問題点を洗い出し、解決策を提案していきます。

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