吉田みきと ほぼ毎日ブログ

「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。」 吉田松陰・高杉晋作語録   「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない。」 西郷隆盛・山岡鉄舟語録

2014年03月

ローマから日本が見える 塩野七生著

古代ローマに実際に生きた一級品の素敵な男達に魅せられた著者塩野七生さんの壮大な研究、『ローマ人の物語』のエッセンスが詰まっています。これが面白い!一気に読み切ってしまいました。千年続いた古代ローマの歴史に、謙虚に学びたいな、と。

国家の盛衰を決めるのは、何なのか。混迷の時代に生きる現代日本人にとって学ぶべき歴史の教訓とは何かを、ローマ人たちの成功と失敗を通じて語られる「文明の法則」の数々を通して教えてくれます。当時の小さな都市国家ローマは、ギリシャやカルタゴに比べて、資源も富もありませんでした。しかし「衆知を集める」という共和政の利点をフルに活用することによって、地中海世界を制覇しました。その後、勝者となったローマも共和制の「制度疲労」は避けることができなかった。この危機を乗り越えるべく、不世出の指導者カエサルが採った帝国方式、そしてその後継者はそれを受けついで「普遍帝国」を築きました。ローマは倒した相手国を滅ぼしたりせずに、むしろ同化させ、市民権を付与したり、積極的に人材登用する等、民族・宗教を乗り越えていき、歴史上唯一の1000年もの統治を続けることができました。
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BC753年にロムルスが建国したローマ。BC509年、ユニウス・ブルータスによって王政は共和制へ移行。ここで執政官、元老院、市民集会の三権分立が確立。その後国家の要職を平民にも開放することで貴族と平民の対立の解消をはかる。試練は、BC264-BC146年のカルタゴ滅亡まで3次に渡るポエニ戦役。知将ハンニバルに苦しめられるが最終的にスキピオがカルタゴを打ち破り、ローマの領土が急拡大。地中海をわが海としたローマではあったが、逆にそれゆえに「制度疲労」を起こします。グラックス兄弟が改革に手をつけるも、守旧派の反対で挫折。ローマの再興はカエサルの登場を待たなければならなかった。終身執政官となったカエサルは、ローマを帝政とし寡頭政治を行います。しかし、そのカエサルもブルータスに暗殺され、以後、遺言により若いオクタヴィアヌス(アウグストゥス)が執政官となります。「敗者をも同化し」、その政体を1000年にわたり維持したのがローマ帝国であった。

付録として、著者が指導者を評価する基準が掲載されています。一番評価の高い指導者は「問題を把握し、的・味方を説得して、改革を実行した人」。次に評価が高いのは「問題を把握し、建設的な改革案を出すが、何らかの理由で挫折して、改革が実行できなかった人」。一番評価が低い指導者は、「問題は把握するが、建設的な改革案が出せず、実行もできなかった人」です。ペリクレス(ギリシャ統一のリーダー)、カエサル(ローマの不世出のリーダー)がすべての項目で満点ですが、ブルータス、クレオパトラ、ネロの評価はかなり低いです。ここには、現代のリーダーに必要とされる、「決断力」「実行力」「判断力」は含まれていません。何故なら、これらはリーダーが持っていて当然のことだからとのこと。

日本とローマを比較し、ローマの凄さを知りつつ、今の日本の民主政治とは一体何なのだろう?はたして民主政治が一番良い政治なのだろうか?といったことまで考えるようになります。著者は二点、背反する興味深いことを言っています。「現代日本が長い混迷時代から抜け出すためには、結局のところ、カエサルのような強力なリーダーが出てくるか否かにかかっている」と、「政治家にまずは思う存分に仕事をさせてみて、ダメならクビにしてしまう。そのくらいの気構えで政治家に仕事をさせてみたほうがいいのではないか」。ローマの歴史から国家盛衰の普遍化した法則を探り当てた著者は、日本の戦後の政治についてリーダー不在、改革が定着しない日本の現状を憂えています。

 

海陽学園 入試報告会

海陽学園の入試報告会に参加しました。全国でも珍しい全寮制、かつ新設校にもかかわらず、新設校ながら第1期生の東大合格者は13人(卒業生数101人ですから、いきなり13%!)を輩出し、教育界を驚愕させた学校です。東京開催にもかかわらず、100名近くの父兄生徒が参加していました。

当日は、卒業生2名(東北大学法学部と早稲田大学在学中、両名とも好青年!)が来てくれて、海陽学園の実生活を、良くも悪くも正直に話してくれました。
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海陽中等教育学校は、愛知県蒲郡市にある私立の全寮制の中高一貫制男子校です。2006年4月開校の新設校ですが、その特徴はトヨタ自動車やJR東海、中部電力などの中部地方の産業界から約80社から寄付を集め設立されていることです。理事長はトヨタ自動車名誉会長の豊田章一郎氏、校長は東京大学名誉教授、産総研出身の中島尚正氏です。新設校ながら第1期生の東大合格者は13人(卒業生数101人ですから、いきなり13%!)を輩出し、教育界を驚愕させました。

2006年の開校以来、一時期、生徒募集に苦戦していた時期はあったものの、5年ほど前から評判ともに、出願者の実績数を増やしてきています。なお、実出願者とは複数回受験の重複を除いた受験人数です。以前から入寮できる全生徒は100-120名定員で変わっていませんから、以前は合格した生徒のほとんどが入学していたのに、近年は生徒の他校(海陽よりレベルの高い学校との併願をし、かつそちらに合格していること)受験が一般化していることを裏付けています。

<海陽学園の出願者数推移 単位:人>
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イギリスの名門パブリックスクールであるイートン校をモデルとしており、イートン校では「ハウスマスター(HM)」がいますが、海陽では、HMに加え「フロアマスター(FM)」が1年ごとに、日本を代表する出資企業から派遣されてくるそうです。彼らも、生徒と一緒に寮生活を送り1年間を共にします。FMは20代の主に若手社員であり、生徒たちの兄貴分的存在。HMはさらに年齢が上で50才代、いわばハウスの父親的存在ともいうべきでしょうか。ひとつのハウスにつき生徒が約60人、それに対して、FMが3人、HMが1人つきます。

1学年は120名(1クラス30名×4クラス)の少人数教育、、英語・国語・数学の主要3教科は一般的な公立学校の2倍の授業を実施するそうです。入学生徒は全国から集まっています。もちろん学校自体が東海地方にあり、東海の企業が出資していることもあることから、東海地方の学生が5割近いです。逆にいえば、過半がそれ以外であり、関東・関西以遠からも学生が集まっていることに驚きます。

<生徒の出身地別割合:単位%>

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卒業生が正直に語ってくれた、いくつかの小話を紹介します。

・閉鎖空間
寮の中ではマンガやゲームはいっさい禁止。病欠以外の理由で学校を欠席することも禁止。辛くても逃げ出すことができない究極の「閉鎖空間」です。男だけで数百人が共同生活を送るわけですから、個人の価値観はぶつかりますし、ケンカもあります。しかし、「とにかく逃げ出せない」。参加してくれた卒業生によれば、どこかで折り合いを付ける必要があるわけです。何度もそれらを通じて、人間的に成長できたと感じているそうです。

・受験勉強
全国の進学校の多くが大学受験に備えて、高校2年生くらいから予備校に通うケースが多いですが、海陽学園では塾に通うことは(事実上)できません。そもそも最寄り駅の三河大塚駅には大手予備校はないから。ではどうしているか?それを補うのが、夜学習です。部活動後の夕食を終えた生徒たちは着替えを済ませると夜8時からの夜間学習するとのこと。FMに個人的にわからないところを教えてもらったり、FMによるキャリア相談など、自分も受験をくぐり抜けてきたFMによる支援はFMが敷地内に住んでいるからこその技です。

・学費
年間約280万円。支払総額だけ見ると日本一、学費が髙いらしい。もっともこれは、寮費・食費・光熱費などすべての生活費が含まれています。特徴的なのは、1学年100名のうち、20名は特別給費生といって、すべての学費が無料となっていることです。この特別給費生の選抜入試の偏差値は、慶応や早稲田の中等部入試より上位です。実際に、灘や開成の腕試しとしての受験も多く、実際そういった入学者もいるそうです。
 
・愛校心
青春の6年間を昼も夜も過ごす場所ですから、必然的に生徒たちの愛校心も強くなります。夏休み・冬休みの長期休暇は実家に帰省しますが、逆にいえばそれ以外で、週末に実家に戻る子はほとんどいないそうです。それは東海地方出身の子でも変わらない。長期休みも、全国から来ている同級生の実家に泊まりにいったりして、実家に帰らない生徒も多いそう。親とすれば、ちょっと寂しいかもしれませんが、確実に大人の男になって、生徒たちは巣立っていくそうです。実際に話してくれた卒業生2人は、大学進学後、自らのキャリアプランを模索中で、海外留学や社会人となった姿を描きながら、大学生生活を送っていることが、ひしひしと分りました。
 
・身の回りのこと
寮なのである程度寮母さんがフォローしてくれると思いきや、自分の洗濯物は自分で、ランドリーで行わなければならないとのこと。ランドリーの数にも限りがあるので、入学当初は先輩方に気を遣って順番待ちをしているあまり、深夜に起き出して洗濯しなければならなかった思い出等を話してくれました。(学校にとっても)辛い体験をよくぞ話してくれたと思います。

・ドロップアウト
当時の入学生約100名のうち、約1割にあたる約10名の同期生が卒業まで在籍せず、退学、いわゆるドロップアウトしてしまったそうです。閉鎖空間に耐えられない、授業についていけない等ざまざまな理由があります。この1割を多いと見るか、一定程度は仕方ないと見るか。参加してくれた卒業生2名の話では、「残念だけれど、仕方ない」とのこと。

・フロアマスター
海陽の肝はこのフロアマスター制度にかかっているのではないか、と個人的には感じました。すなわち、トヨタ・JR東海・中部電力などの企業から派遣された若手社員が、各ハウスの各フロアに1人ずつ住み多感な時期の生徒達と交流を深めたり相談に乗ったりすることです。生徒はフロアマスターに日誌を毎日提出し、その日の出来事や、相談に乗って欲しいことなどを書き、フロアマスターは返事を書くそうです。また定期的にコーチングと呼ばれる面談も生徒対象に行っているそうです。そこでは単に勉強や生活だけでなく、恋愛相談や、人にいえない悩み等もFMが受け止め、相談に乗るということです。FM自体も一人の人間ですし、若手企業人としての責任感もある。彼らが真剣に24時間、向き合ってくれるというのは、ひょっとすると全国何処でもそうそう経験できないことなのではないかと思うのです。そう考えると、卒業生2人が物怖じせずに、当時の経験を語る姿にも納得がいきました。社会人と話すこと、社会の仕組みについて話すことに、気負いがないんです。

海陽学園については、ネガティブな見方をする方もいらっしゃるとは聞いていますが、一方で、その強さの秘密は何がドライバーなのか。「閉鎖空間」だからこそ、たくさんの企業講師招聘や企業訪問を通じて、社会との接点を複数のルートで持つことができ、それが生徒の思考・行動様式に多大な影響を与えていること等、参加してはじめてそれがわかったような気がします。

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注)上記は、入試報告会で説明を受けた範囲の内容で、かつ当方の理解と印象を書いたものです。実際の海陽学園とは、異なる可能性があります。

共立病院 診療待ち時間は平均で87分

共立病院の平均待ち時間が、87分だそうです。共立病院の地域医療連携室だより(平成25年11月号 Vol.26)によれば、24科平均で最大147分、最小40分と公表されています。この待ち時間は、外来再来時において受付カードを機械に挿入した瞬間から、診療室へ入室するまでの時間です。この87分をどう解釈するか。

通院にかかる時間には、上記87分に加えて、医師の診察時間・投薬指示書をいただく時間、医療費支払の時間が加わります。駐車場渋滞があればその時間も必要です。患者も限られた時間をやりくりして通院しています。共立病院によれば、昨年に比較して待ち時間を12分短縮できたとのことで、努力が数字に表れてきているのかもしれません。一方、社会的経済損失(時間の機会損失)のみならず、すべての患者が(さまざまな家庭の事情で)通院に半日をあてられるわけではありません。長い待ち時間を嫌って、通院をためらう潜在的な患者がいることを慮ると、さらなる時間短縮が望まれます。

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待ち時間短縮の工夫のひとつとして、「診療時間を事前予約しておく」という手段があります。予約時間通りに来院すれば、(理論的には)待ち時間が解消されるはずです。しかしこれにも限界があり、予約しておいた時刻から、診察室入室までに、平均で67分を要しているとのこと。たしかに前述の87分からは、20分以上も短縮されており、大きな時間短縮効果があります。その一方、それであっても1時間以上を、待合室で待機するというのは、それなりの改善の余地があるという見方もあります。

地域医療を担って下さっている医療現場の方々の献身的な努力に感謝するとともに、その大きな役割の故にさらに、期待してしまうのです。一市民として何らか役に立てることがあればと思っています。
 

4/11(金)夜開催 吉田みきと市政懇談会のご案内

定期的に開催している、当方の市政懇談会ですが、来月頭に予定しています。 
 
日時:4月11日(金) 18:30-20:00 (18:00受付開始)
場所:生涯学習プラザ大会議室 平字一町目1番地 T1ビル4階
会費: 500円 
駐車場:無料の童子町のいわき市公共駐車場をご利用下さい(徒歩5分)
申込:参加の事前申込は不要です。直接会場へお越し下さい。

今回のメインテーマは、いわきの医療の現状とその改善案の提案です。当方からお話しする形式をとりますが、それに対するみなさまからの率直な声をお聞きしたいと思っています。

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陽のあたる家 -生活保護に支えられて- さいきまこ著

生活保護のマンガです。生活保護については、タブー視されている面があると思います。最低賃金単価が、生活保護水準の受給レベルを下回っていること、いったん生活保護を受給すると賃金を得た分だけ受給額が減額されるため勤労インセンティブが削がれること等、いわゆる「不正受給」が発生する背景には、問題の本質が隠れています。

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あらすじは、夫の健康問題であっという間に生活に困窮してしまう若い家族の物語です。妻は若いから「もっともっと働けるだろう」と、PTA仲間や子供同士のコミュニティーでバッシングされてしまいます。生活保護申請での役所では、いわゆる水際作戦で申請を断られてしまう。ついには妻も働き過ぎで体を壊し、死がリアルに迫ってきます。親族からも 「生き恥をさらすな。人に迷惑をかけるな。」と生活保護申請は恥ずべきことだからやめてほしいと懇願され、「生き延びることは、恥ずべきことではないのか」と悩みながらも、まずは生き延びるために生活保護を受ける手続を始めます。しかし、受給後は親族からお小遣いをもらったり、簡単なアルバイトをしたりすることは著しく制限され、そんな生活が日常になっていく。というものです。

受給される側から描かれたものだけに一方的な面もありますが、制度の不備や偏見もわかり、普通の人があっけなく生活に困窮すること、非正規雇用が蔓延していて、いつ誰が生活保護制度を利用する身になっても不思議でない今日ですから、他人事ではないと思います。生活保護の問題点や受給後の注意点など様々なことがこのマンガで理解できました。

生活保護受給者のその後が課題だと思います。この家族の夫が健康を回復し日常復帰するようになれば、だんだんと生活保護費の割合を減らしていくことになるのかどうか、生活保護制度のことを考えさせられました。

磐崎坑の万石 石炭積込場

常磐湯本の幹線道路沿いに、磐崎坑のコンクリート製の万石(石炭積込所)があります。実はこの道路自体が、石炭の専用軌道の跡です。その専用軌道を走っていた貨車がの建物の下の部分に貨車が停車して、石炭の積込み作業をしていました。ここには、常磐炭鉱磐崎坑、矢乃倉鉱業矢ノ倉岩崎炭鉱、長倉炭鉱新長倉炭鉱等の石炭が集められ、湯本駅へと運ばれていったそうです。
 
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まず上部に石炭を貯め、この逆ピラミッド型の場所から、重力を使って石炭を落として、無蓋貨車に積み込んだのでしょう。万石は、所々鉄筋が露出している所もあり、いつまでこの姿があるのかは分かりません。かつては、市内の内郷町田坑にも万石が存在していたようですが、現在は、市内で現存する唯一の万石だそうです。
 
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昭和19年 出炭開始
昭和21年 ガス爆発。死者15名
昭和22年 ガス爆発。死者12名
昭和31年 自然発火事故。死者14名
昭和37年 中央選炭場を閉鎖
昭和43年 閉山
 
出炭開始から、関東地区のエネルギーを担うという活況を呈した炭鉱も、わずか24年で閉山という激動の時代でした。閉鎖の直接的な要因は、石炭の質が九州地区に劣るということの他、石炭採掘時に1トンの石炭を掘るのに40トンの地下の熱水を排水しないとトンネルが水没してしまうという採掘条件の悪さでした。

その熱水を使って閉山後に、「常磐ハワイアンセンター」(現:スパリゾートハワイアンズ)という温泉リゾートへルスセンターに転換できたわけですから、皮肉といえは皮肉です。逆転の発想で事業構造の転換を図る柔軟な発想と行動力を持った、当時の経営陣に賞賛を惜しみません。先人達の残したこの足跡をどう、現代に活かしていくかが問われています。
 
 

共立病院 秘密の畠山記念室

共立病院の創始者は、畠山靖夫先生です。磐城共立病院の前身は昭和25年に、複数の市町村組合立として、畠山靖夫院長はじめ医師5名、ほとんどが准看護師の看護師14名など総職員数33名、病床数 50床で内科、外科、産婦人科の3 科で開設されました。開院10年目の昭和35年には病床数730床、 医師21名、看護師77名の構成と大きく成長し、昭和37年に総合病院に認可されま した。昭和41年にいわき市立に移行しましたが、当時の病床数は783床、医師数32名、看護師数107名の東北でも1.2を争う規模と、質を誇る総合病院だったそうです。現在は、病床数 828床、医師数110名、看護士数660名ですが、その礎を築いたのは、間違いなく、畠山靖夫先生です。草野心平氏とともに、歴代で2名しか選定されていない、「いわき市名誉市民」のひとりです。

その畠山先生を偲んで、共立病院の2階に「畠山記念室」を銘打たれた部屋があります。非公開ではないものの、共立病院内の事務棟の中にあるため、一般市民でその存在を知っている方は、ごく少数だと思います。記念室には、在りし日の畠山先生の近影や思い出の品が陳列されていました。

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簡素な陳列ではありますが、当時先生がお使いになっておられた聴診器や、身につけられたいた品物が置かれていました。当時の様子や空気を感じることができるのではないでしょうか。新病院には市民に開放された図書室が併設されるとのこと。可能であればその図書室の一画に、先人の足跡として丁寧に陳列して欲しいと思っています。

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先生の業績を称えるひとつのツールとして、優れた研究や論文を書いたスタッフに対して、毎年「畠山靖夫賞」が贈られるとのこと。このような形でお名前が記憶されるならば、先生も草葉の陰で喜んで頂けるのではないでしょうか。

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当時の「磐城共立病院」の看板が保管されていました。現在、新病院の建設が計画されていますが、(新病院の名称は決まっていません)、正面のどこかに過去の歴史の上に現在があることを端的に示す、この看板を使ってもらえないでしょうか。

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「慈心妙手」は、仏典に由来する言葉で、患者さんを慈しみ思いやる心と、病気を治すための優れた医療技術のことを表しているそうです。現在の共立病院の基本理念となっている言葉です。畠山先生の恩師が自筆で書いたものが保管されていました。

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なぜか病院屋外の第3駐車場に、畠山先生の碑が置かれています。「患者さんあっての病院」、当たり前のようですが、それが(いろいろな理由で)当たり前にできなくなってしまうことが、問題なのかもしれません。

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 「過去に目を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目になる」。1985年のドイツのワイツゼッカー大統領の議会演説です。「小人は経験に学び、大人は歴史に学ぶ」ともいいます。過去の先人の歩んだ足跡をきちんと理解し、その上で、今後を考えていくという謙虚なスタンスでいたいものです。
 

薩摩藩 尚古集成館に感服

尚古集成館(しょうこしゅうせいかん)は鹿児島市にある博物館です。薩摩藩第28代当主島津斉彬によって始められた集成館事業が始まりです。現在は島津興業という会社によって運営され、島津家に関する史料や薩摩切子、薩摩焼などを展示されています。島津興業は、第19代当主の島津光久によって造園された仙巌園や、この尚古集成館を所有・運営しており、代表は、島津氏第32代当主である島津修久氏です。現在当主は、鹿児島市内のまちなかに在住とのこと。

1856年 磯に反射炉完成
1865年 島津藩の機械工場として集成館が竣工
1923年 尚古集成館として開館 
1956年 株式会社島津興業により運営 
1959年 敷地が国の史跡に指定(「史跡 旧集成館」)
1962年 建物が重要文化財に指定(「重要文化財 旧集成館機械工場」)
2007 経済産業省の「近代化産業遺産」に認定
2013年 旧集成館・旧集成館機械工場を含む「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」が世界遺産に推薦されることが決定

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薩摩藩では1840年代に、西欧の科学技術を導入して海防体制の強化が図られていました。1851年に藩主となった島津斉彬は、西欧諸国のアジア進出に対応し、軍事のみならず産業の育成を進め、富国強兵を真っ先に実践しました。それら事業の中心となったのが、仙巌園の隣りの磯に反射炉やガラス工場などを次々に建て、一連の工場群「集成館」を造りました。そして、ここを中心に、造船・造砲・ガラス製造・紡績・写真・電信など多岐にわたる事業を展開しました。幕府・諸藩が軍備増強ばかりを主としていたのに対し、斉彬は西欧諸国と対等な関係を築くため産業の育成・社会基盤の整備にも重点を置いたわけです。当初は、いずれの事業も蘭学書のみが先端技術習得の鍵であったため、斉彬は藩内の蘭学者だけでなく、幕府・諸藩の蘭学者を招聘し、研究に当たらせたそうです。さらに、不足している西洋技術は日本在来の技術を改良する形で補い、独自の設備を構築しました。
 
<写真は、当時、伊豆韮崎と佐賀鍋島等にしかなかった反射炉の跡地> 
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斉彬の死後、藩主に就任した忠義と忠義の実父久光は、斉彬の遺志を継いで富国強兵を推し進めました。使節・留学生をイギリスに派遣するなどして、最新の技術・機械を入手、技術者を薩摩藩に招きました。1863年に薩英戦争で大きなダメージを受けますが、英側は、戦後の講和交渉を通じて、かえって薩摩を高く評価するようになり、関係を深めていきます。2年後には公使ハリー・パークスが薩摩を訪問しており、通訳官アーネスト・サトウは多くの薩摩藩士と個人的な関係を築いたそうです。薩摩藩側も、欧米文明と軍事力の優秀さを改めて理解し、イギリスとの友好関係を深めていきました。そうしてイギリスの技術習得をして、1865年に竣工した集成館機械工場や、1867年に竣工した日本の初近代的な紡績工場・鹿児島紡績所など、薩摩藩は日本最先端の工業施設・技術力を所持するようになりました。1867年に開催されたパリ万国博覧会では、薩摩藩は「日本薩摩琉球国太守政府」の名で出品するほどでした。結果的に薩摩藩はこれらの技術力・資金力を背景に、幕末の倒幕運動を牽引することとなります。そして明治時代になると、集成館事業で活躍した人物が日本国内の工場に技師として招かれて指導した。集成館は近代産業の礎を築き、全国に富国強兵を広げた原点といえる場所といえるでしょう。

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明治に活躍した薩摩の人物達は、ここ尚古集成館を基点につながります。西郷隆盛は島津斉彬に見いだされ、重用されました。大久保利通も斉彬の薫陶を受けた薩摩藩士です。東郷平八郎(日露戦争でバルチック艦隊を破る)は、西郷隆盛の推薦でイギリス留学することができ、海軍に入ることになります。黒田清隆、大山巌(日露戦争の総司令官)らは、薩英戦争に直接参加しています。五代友厚(政商)は、イギリスから尚古集成館の紡績機械の購入並びに技師の招へいを行いました。これらの歴史上の人物は、歴史の机のお勉強でなく、生身の人間が当時、絡み合って、相互に影響し合って、明治の「坂の上の雲」が実現したのだということが実感できました。

このような人物達を生んだ薩摩という土地、新しいモノ、技術を積極的に自分のモノとして体得していく姿勢は、現代にも全く以て通用することでしょう。その姿勢を大事にし、将来世代に知ってもらうため尚古集成館のような施設を大事に残し、先人達の歩みを、次世代に伝えようとする薩摩の風土に感服しました。

燃えたぎる石 片寄平蔵の物語 植松三十里著

「燃えたぎる石」は、いわき市で石炭を発見した、磐城の材木商・片寄平蔵の物語です。当時、石炭の使い道も、石炭がどこにあるかも、石炭の堀り方も全くわからなかった時代に、それらを切り開いた男です。最終的には、成功を妬んだ水戸藩浪士により暗殺されてしまうのですが、昔のいわきのことが描かれた著名な小説がほとんどない中、この小説は貴重です。

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いわきの近代史において、石炭・炭鉱を抜きにしては語れません。それは江戸時代末期に、片寄平蔵が磐城の国弥勒沢で石炭の鉱脈の露頭を発見したことに始まります。これがあったからこそ、石炭を効率的に運ぶために、小名浜港が整備され、また常磐線が引かれました。その後、エネルギー転換により、脱炭鉱から、新産業都市になったからこそ、工業団地が造成され30万人都市となることができ、それにより中核市の仲間入りすることができました。現在、東北で工業生産出荷額が第1位であることは、この流れに起因しているわけです。

<あらすじ>
貧しい開拓農民の家に生まれ、幕府に巨木を納入するまでになった片寄平蔵は、紀州藩の御用商人、明石屋次右衛門から「海外新話」で渡され、阿片戦争により中国が欧米列強に侵略されている現実を知り、衝撃を受けます。そしてアジアが欧米列強の植民地として狙われていること、清国に勝利したイギリスは小国ながら産業革命を成し遂げ、目覚ましい進歩を遂げていることを知ります。そして日本近海に異国船が頻繁に姿を現し、材木商・片寄平蔵は大型船建造のための木材需要を知りますが、さらにペリー艦隊が、「燃える石」が燃料として必要としていることを知ります。そこで西洋の先端技術を支えているのが石炭であることを知った平蔵は、国産の石炭を求めて地元、磐城の国を探索し、ついに石炭が地面に露出している場所を発見。横浜の居留地の一等地に、石炭販売店の大店をオープンさせます。その後、堀り方も一から勉強し、炭鉱開発に情熱を注きます。

外国との交渉にあたって、含蓄のあることを言っています。「異国人というのは、こちらが隙を見せず、誇りと誠意をもって接すれば、向こうも誠意を示す。むやみに恐れる必要はない。怖いのは、むしろ同胞だ」。

いわきの近代史の礎を気づいた片寄平蔵。その物語は、ほとんど知られていませんが、物語として成立しています。いわき出身の方はぜひ読んでほしい。そして近代いわき黎明期に何が起きたか理解すると、自分の町のことをより愛することができるのではないでしょうか。
 
石炭化石館・ほるるの正面玄関に置かれている、片寄平蔵です。
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ワールドドクターズオーケストラ いわきアリオス公演

ワールドドクターズオーケストラ(WDO:World Doctors Orchestra)の、いわき公演がアリオス大ホールで開催されました。世界中から、100名近いドクター奏者が集結するこのイベントは、日本初です。東京芸劇公演(3/24)の直前に、いわきで開催いただくことができました。これを誘致した事務局メンバーの一人としてお手伝いしました。

<ワールド・ドクターズ・オーケストラは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/34818564.html 
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WDOの創設者であり、指揮者でもあるステファン・ヴィリッチ氏も来日されました。氏は、シャリテ大学の医学部教授、疫学・医療経済学研究所の所長で、かつ、ベルリン音楽アカデミーの学長でもあります。今回コンサートマスターを務められた金森圭司氏は、東京の産科クリニックの院長先生で、かつ、東京芸術大学卒で全日本医科管弦楽団の常任指揮者でもあります。演奏者として、申し分ない方々ばかりです。

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公演はチャリティで行われ、無料チケットが配布されたのですが、予定枚数を終了し、当日はほぼ満席で迎えることができました。開演2時間前から、良い席を求めて行列ができました。実は、入場時にはまだリハーサルが完全には終わっていなくて、冷や汗ものでした。案内ボランティアに、現役の磐城高校吹奏楽部生にお手伝い頂き、大変助かりました。

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湯本一小、湯本二小の合唱部のメンバーも、3曲だけ楽団に加わり、「Believe」「故郷」「花は咲く」を協演しました。前日にWDOメンバーと常磐市民会館で音合わせをしたのですが、(理由はわかりませんが)WDOのメンバーが感無量で涙したそうです。フィナーレでは、全員が舞台上に出て挨拶をし、拍手が鳴り止みませんでした。
<演奏動画はコチラ>
http://goo.gl/G6vXsO
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公演終了後は、T1ビルで場所を移し、レセプションが行われました。といっても震災時のドクターとしてどのようなことができたか、その教訓を次の災害時にドクターとしてどのように行動すべきかという視点から、福島医大 放射線医学県民健康管理センターの橋本教授、元宮古市長でドクターの熊坂義裕氏、そして石井脳神経外科の石井正三先生が、2時間近くにわたり英語でプレゼンテーションを行いました。

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代表のステファン・ヴィリッチ氏へ、いわき医師会の長谷川会長が、記念品を贈呈しました。ステファン氏と少しだけ話せたのですが、WDO活動を一生懸命やっているけれど、やはり本業はドクターとして医学部教授、研究所の所長業務とのこと。きちんと本業をやりきることで、はじめてWDO活動ができるとおっしゃっていました。同様のことを台湾から参加されたドクターも、WDO活動をするために、通常業務をやっているんだと冗談交じりに、言っていました。フィンランドから初参加された女性ドクターは、ヨーロッパ内でもWDO活動の認知度はさまざまなレベルがあり、今後日本もWDO活動に参加するドクターが増えるだろうと言っていました。自費で渡航費を出してまで、他国に出向いて演奏活動するのは、それに自ら意義を感じているからです。

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レセプションでは、サプライズでWDO有志メンバーによるファゴット四重奏が披露されました。ファゴット自体、非常に珍しい楽器なのですが、それが四つも同時に聞けるとは、貴重な経験でした。音量は控えめで上品な音色でした。

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WDO東京事務局、いわき事務局の方々と、レセプション終了後に、記念撮影しました。世界医師会のメンバーでもある、石井脳神経外科の石井正三先生には、全体のアドバイスをいただき、感謝してもしきれません。昨年10月にいわき公演のお話しをいただいて、私もアリオスの会場予約から関わったのがきっかけで一緒に活動させていただきました。きっかけはひょんなことですが、人との出会いは一期一会。大切にしてきたいです。

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出産祝金/出産支援金 支給条例の審議

本日3/20のいわき市議会3月臨時会で、「いわき市出産支援金支給条例」が全会一致で可決されました。この背景には、いわき市が、少子・高齢化の進行が極めて高く、出生数から死亡数を差し引いた人口の動態が、全国の中核市の中で最も低い状況にあり、加えて、東日本大震災以降、子育て世代の市外への流出等により、人口減少が顕著になっていることがあります。

このことから子育て世代が本市に定住できるよう、さらなる子育て支援の充実を測る必要があると考えたことから、子育て支援策の一助となるよう、新たに出産支援金支給事業を創設したのです。

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子育て世帯への支給金額は、最大で8万円の一回のみです。これだけでは子育て全体にかかるお金の足しにならない、という声がすでに出ています。確かに生活費に対するインパクトは、相対的に小さいかもしれません。ただいわき市が「子育てを祝福する」という姿勢を明確にするためのものと理解していますし、今後、金額や制度自体の見直しも必要になってくると思います。

実は、この条例可決には、議会内での議論で紆余曲折がありました。
<2月定例議会>
当初、市長提案では「出産祝金条例案」(A案)だったのですが、名称がふさわしくないという理由で、この条例案は議会で否決されてしまいました。ある議員からの提案で、A案から出産を祝福するという文言を削除した「出産支援金条例案」(B案)が提出され、これが議会で可決されました。

その後、市長は、出産を祝福するという文言は条例案に欠かせないとして、このB案を受入れず、再度議会にB案を審議するよう求めました。そしてこのために3月臨時議会が招集されました。

<3月臨時議会>
B案を再度可決するには、出席議員の2/3以上の賛成が必要なのですが、賛成少数でB案は否決。別の議員から、出産を祝福するという文言を入れた「出産支援金条例案」(C案)が提出され、これが議会で全会一致で可決されました。

1. 議会で、出産祝金条例案(A案、祝意あり)否決
2. 議会で、出産支援金条例(B案、祝意なし)可決
3. 市長が、B案を拒否。再議に付す
4. 議会で、出産支援金条例(B案、祝意なし)が2/3を取れず、否決
5. 議会で、出産支援金条例(C案、祝意あり)が全会一致で可決

A.B.C案、いずれも、支給要件・支給金額・対象者等は、全く同じ。違う部分は、条例のタイトル・名称の呼び方です。支給される市民から見れば、議会でいったい何を議論しているんだ、もっと本質的なことを議論せよという声が聞こえてきそうです。市民目線を真摯に謙虚に受け止め、自分に与えられたポジションで何ができるか考えていきたいです。
 

磐城共立病院 医師住宅・スタッフルーム・休憩室

共立病院の医師118名(2014.3.13現在、研修医含む)のうち、86%が官舎(敷地内外)・民間借上住宅に居住しています。うち4割は病院の敷地内アパートに居住しており、病院支給のPHSを肌身離さず持つことによって、緊急時に備えています。勤務医がどのような待遇、勤務環境、居住環境で迎えられているかを、共立病院管財課のご案内で、見せていただきました。
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共立病院夜間診療(一次二次救急)の外科・内科診察室の奥には、スタッフルーム兼休憩室があります。当直時の夜間はこちらのソファベッドで休憩を取ることもあるそうで、生々しい生活感を感じる部屋です。自家用車で直接おこしになるこちらの一次二次救急診療だけで年間1.5-2.0万件の診療件数(日中夜間問わず)があるとのこと。通常の外来診療とは別に、一日40件もの救急外来診療(重篤患者の三次救急は別)があるわけで、内科2名、外科2名、小児科2名が常時待機し診療にあたっていますが、ドクターはおちおち寝られるはずもありません。当直明けのドクターにも、(完全交代制のナースと異なり)通常の日勤が待っているわけなので、かなり肉体的・精神的にきついことが想像に難くありません。

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救命救急センターの裏手には、応援当直のドクターのための仮眠室がありました。3畳あまりの小さな部屋には、シングルベッドと簡易デスクのみ。本当に「寝るだけ」の部屋で、何のアメニティもありません。ここは野戦病院か?と思わせる、緊急避難的な場所と感じました。

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病院敷地内には、研修医(初期研修医は、通常2年間程度で他病院へ移動)のための、1DKの単身アパートがあります。現在満室だそうです。

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敷地内には、2DKタイプの家族向けアパートもあります。こちらは応援当直(当直ドクターが不足しているため、当直フィーをお支払いすることで他病院のドクターに当直をお願いすること)の休憩室としても使用され、ほぼ満室です。

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2DKといっても、広さ60㎡程度です。官舎の基準に応じて、1-2万円程度(面積による)の家賃負担で入居可能です。非常に簡素で、リッチ感はまるでありませんが、キレイに清掃されています。

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風呂・トイレは、ユニットバスの3点セット。今時のスタンダードなマンション設備の基準からすると、かなり見劣りします。

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病院敷地外には、家族用の一戸建ての官舎もあります。6DK、駐車場付きですので、大家族にも対応可能です。

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築数十年経過しているため、機能的な陳腐化は否めませんが、よく清掃されています。昭和の香りがするキッチンです。

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よく修繕されているものの、デザイン的な陳腐化は否めないところです。年収2,000万円近い医師(公表されている「人事行政の運営等の状況の公表について」によると、月額140万円程度)が起居する場所としてふさわしいのだろうか?という気もします。一方、共立病院勤務医の平均勤続年数は7年程度。医局の指示で、異なる病院へ、定期的に移動されるドクターも多いとのこと。年収にかかわりなく自宅を建てる時期でなければ、あてがわれる官舎に、不平をいわず入居し、きちんと開業資金・マイホーム資金をプールしていた方が、合理的な判断なのかもしれません。

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雑駁なイメージは、斜陽産業の企業が保有する、転勤族の社宅に近いという印象です。建築年次が古く、設備の機能的陳腐があり、アメニティに対する意識が高くない一方、定期修繕や管理体制はきちんとなされています。毎年、数十人のドクターの入社・退職に伴い、住居の割り当て等、事務方の仕事は増える一方、法令やルールを遵守し、公正公平に執行するとこうなるという見本のようです。

起居するドクターは、現在の官舎に対して満足感を得られているのかな?厳しい勤務条件に対する、われわれの感謝は各医師に伝わっているのかな?そのような視点を常にも持っていることが、医師を含む医療スタッフのモチベーションを維持することができる原点なのではないかと思っています。

共立病院建替プロジェクト 第2回デザインビルド事業者選定委員会 開催報告

共立病院建替プロジェクトとして、第2回のデザインビルド事業者選定委員会が開催されました。
日時:2014.3.17 18:00-
場所:磐城総合磐城共立病院 会議室(管理棟2階)
出席者:委員が10名、事務局が共立病院内の10数名。傍聴者は、私ひとりだけ(委員会内で事前に審議いただき、傍聴の許可をいただきました)。マスコミ取材もいらっしゃいませんでした。
 
<写真は第1回委員会時のものです>
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驚いたことは、当会議は原則、非公開となっていることです。市民病院の建替え、かつ300億円近い市民負担があるにもかかわらず、閉じられた空間で議論がなされることに、違和感を覚えました。審議の過程で非公開とすべき部分があるのは理解しますが、市民病院建設に対する市民の関心は高いので、原則を公開とし一部非公開とするポリシーを取れないものでしょうか。本日は、委員間の議論は傍聴できませんでしたが、会議冒頭の事務局からの説明部分だけ聞かせていただくことができました。傍聴人は、私1名だけです。

第2回の予定では、デザインビルドの募集要項、提案内容、審査基準と、公募の公告等を議論することになっていました。委員への配付資料は、傍聴人にシェアしていただけなかったので詳細は分かりません。また傍聴人退出後、会議は非公開となったため、委員間の話し合いがどのような方向性になったかどうかは不明です。いずれにせよ、近いうちに公募の要綱が公表され、提案者募集が開始になりますので、進捗を注視していきたいと思います。
 
<第1回デザインビルド事業者選定委員会は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/36563925.html
 

いわき准看護学校

現在、医療・介護サービスの人材が供給不足となっているいわき市ですが、その供給源であるいわき准看護学校で、事務長の山野邊様にお話しを伺ってきました。いわき准看護学校は、内郷のいわき市医師会の隣りにあり、同医師会が所有・運営しています。定員は1学年100名、法律上は「各種学校」です。

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いわき市内の看護士・准看護師養成学校は3校あり、磐城共立高等看護学院(正看40名)・松村看護専門学校(正看25名)・いわき准看護学校(准看100名)を、毎年輩出しています。正看と准看の違いは、前回書きましたが、雑駁にいえば単独で医療補助行為ができるか(ひとりで当直業務ができるか)どうかの違いです(もちろん、求められる知識や業務水準、役割等、違いはたくさんありますが)。

<磐城共立高等看護学院は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/36469006.html
 
実際に、過去5年間の卒業生370名の就職先は、いわき市内が58%(186名)を占めており、当校が市内の医療スタッフ供給に大きく寄与していることは間違いありません。

一番の進路は、病院(病床数19床以上)です。診療所もあわせると、医療施設だけで過半を占めます。ただ特別養護老人ホーム・介護老人保健施設等の、いわゆる福祉施設に就職される方も一定程度おり、医療と介護のボーダーが低くなっていることを感じさせます。学校に置かれている求人票を閲覧させて頂きましたが、概ね、病院であっても介護施設であって、初任給は15万円程度+諸手当(当直等)となっているようです。

一方、さらに「進学」する卒業生も3割以上、います。当校卒業で、准看護師の資格(都道府県主催の試験に合格が前提)が得られますが、さらに看護師(いわゆる、正看)資格を得るべく、他市に進学する場合です。正看護師は、准看護師に比べて受講期間が1年長いということから、給与面が良いという背景があります。さらに、大病院においては手術等のニーズから、准看護師の採用が見送られ、正看護師のみの募集ということもあります。見方によっては、結局進学して、2年(准看学校)+2年(進学学校)かけて正看護師を目指すなら、最初から3年の正看学校を目指せばいいという意見もありますし、ある意味正論だと思います。一方、様々な家庭の事情や当初の学力等の課題から、フルタイム3年間の正看学校に行けない方もいるのも事実です。それでも看護の道を目指したい方のルートとして、当校の意味づけがあるのかもしれません。
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校内には、ナイチンゲールの誓詞が掲げられておりました。医療の重要性を感じる一方、その重圧に耐えられずに進路を見直す学生も一定程度、いらっしゃるそうです。

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座学は教室で行われます。授業は週4日間登校し、28時間/週の2年間で、法定の1,890時間を履修します。そのうち、「臨地実習」として735時間を、市内の実習指定病院10ヶ所、介護老人保健施設、特別養護老人ホーム、保育所などで実習を行います。

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現地を見せて頂き、需要がある看護師の供給が、学校規模や講師のキャパシティの限界から、定員枠の増員は容易でないことがわかりました。既存校の増員が難しいとなると、新設校の選択肢が視野に入ってきます。あるべき看護・介護の水準の需要量を見据えた上で、中長期的な戦略を見通す必要があります。

いわき市の情報公開の現状

情報公開制度は、情報公開条例にのっとり、市の機関が、市民などの請求に基づき、保有する行政情報を公開することです。いわき市では、平成 10 年 に「いわき市情報公開条例」を定め、これに基づき「開示」を行っています。

実は、同条例の施行前は、市民が情報の提供を求めても、市の機関の裁量によって提供の可否や提供する内容が決められていました。同条例の施行後は、市民等は、市の機関が保有する行政情報を、不開示事項を除き、ありのままの姿で手に入れることができるようになっています。なお、公開を求めた行政情報の不開示や部分開示に納得がいかなければ、行政不服審査法に基づいて市の機関に不服を申し立てることもできます。 

過去5年間の開示請求件数は、400-1,300件とバラツキがあります。平成22年度がピークだった理由は、建設業を中心とする不況を反映して、水道・下水道等の入札に関する情報請求が多かったと聞いています。平成23年の請求件数が落ち込んだ理由は、東日本大震災の影響で、開示請求どころでなかったという事情があるようです。

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注目なのは、実施機関別開示請求内訳、いわゆる開示請求先です。生活環境部(下水道工事発注担当部署)と水道局(上水道工事発注担当部署)で、約5割を占めており、情報開示の目的が、入札関連が多いことが伺えます。いいかえれば情報開示請求は、工事業者の入札にあたっての研究材料のひとつとして認知されてきているともいえるでしょう。
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情報開示請求しても(なんだかんだ理由をつけられて)開示されないのではないかという、一抹の不安があるかもしれません。しかし情報開示請求されたものは、基本的に何らかの形で開示が認められることがほとんどです。全部開示(まったく墨塗りなしで、文書そのまま開示)が3割強、部分開示(一部墨塗り状態で開示)6割強を合わせると、申請のうち98%の開示が認められています。
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通常、市議会議員はこの情報開示制度を利用しなくても、執行部との取り決めで各種情報を得ています。ただ微妙な案件については、情報開示制度を利用することがあります。私も開示請求をしたことがありますが、市役所1Fにある、「情報公開センター」で必要事項を記入するだけで、非常に簡単です。担当者に聞けば、新設に記入方法を教えてもらえますので、気になった情報は請求し、コピーを入手するという姿勢が、一般市民市政をチェックしていくということにつながり、引いては市政一般に好影響をもたらすのではないかと思っています。

迷わない。 櫻井よしこ著

日頃から、視点鋭く、国内外の諸問題に警鐘を鳴らしている論客のジャーナリスト、櫻井よしこ氏の最新刊です。これまでたくさんの著作がある櫻井氏ですが、本書はこれまでの本格的な論争を仕掛けてきた著作とは、かなりイメージも内容も違っています。政治の話から離れて、自身の半生を振り返り、「仕事とは」「家族とは」「お金とは」「健康とは」「生と死とは」など、人生の本質的な話を、自らの経験で語っています。エッセイといってもいいかもしれません。

これまで櫻井さんの生き様を知ろうとも思いませんでしたし、実際知りませんでした。氏は、ベトナム・ハノイで生まれ、終戦後に日本に引き揚げてから、大分県中津や新潟県長岡での片田舎の生活をしてきました。たまさか父親がハワイで飲食店を出店したことがきっかけで、高校卒業後にはハワイ大学へ進学。しかし父の店舗の手じまいに関わって、父親から勘当され、無一文でハワイ大学生活をしたそうです。日本へ帰国後には、無名の英字紙クリスチャン・サイエンス・モニター誌の新米記者としてジャーナリストの助手として第一歩を歩みますが、ひょんのきっかけでテレビの「今日の出来事」のニュースキャスターとなります。当時、34歳と若くないTVデビューでした。その後、葛藤はあったものの多忙な16年間のキャスター時代を努めました。ニュース原稿をめぐって、辞任覚悟で番組のデスクとの大喧嘩に何度もあったそうです。また、プライベートでは結婚、そして離婚という大波も経験したとのこと。現在は103歳になる母親の介護をしつつ、公演活動、研究所の設立運営等、さまざまな活動を継続されています。本当に「人生を駆け抜け続けている」という印象の著者です。

たまたま昨年、櫻井氏がいわきにいらっしゃり、直接お話を伺う機会がありました。非常に礼儀正しく、丁寧な応対の中にも、温かい気遣いの感じられる方でした。論戦が始まると、しっかりした調査・論拠・証拠に裏打ちされた、筋がぶれない姿勢には、凜とした美しさがありました。

<櫻井よしこさんと勉強会は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/24118531.html
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これまで、反日の中国や韓国の言いがかりに対し、理路整然と強く反論され、正論を貫き通される方だけにちょっと窮屈だなあと感じなくもない櫻井氏でしたが、今回初めて生い立ちや私生活に触れられて、親しみが湧きました。家族の話、介護、生きる素晴らしさ、結婚観等、正直&まっすぐな櫻井氏にかかれば、説得力があります。美しい人生とは何か、とふと考えさせられた本でした。 

いわき市へ医学部誘致に関する請願書 全文

「いわき市へ医学部誘致に関する請願書」が市民から提出されました。以下に請願書の全文を掲載します。


平成26年2月27日
いわき市議会議長
根本茂様

いわき市へ医学部誘致に関する請願書

【要旨】ぜひいわき市に、医師不足解消のため、医学部・メディカルスクールの誘致活動をしてくださるようお願い致します。いわき市、福島県浜通り及び茨城県北部の医療の将来は、これまでの地方医療計画等に基づく既存の政策の延長線上にはありません。問題の本質に焦点をあて、医師に地域医療機関に従事してもらうよう働きかけなくてはなりません。そのためには、数十名単位の医師を毎年輩出する、医学部・メディカルスクールを誘致することが最も近道です。これまで医学部の新設は、1979年の琉球大学を最後に30年間以上も認可されませんでしたが、昨年末に安倍首相が、復興支援のために東北地方に医学部を新設するよう下村文科相に指示を出しました。今年5月が、その応募の当面の期限とされており、ぜひいわき市もそれに応募してほしい。

【理由】いわき市議会でも答弁のとおり、また避難民や原発作業員を考慮すると、現在、いわき市内の医師不足数は約200名以上といわれております。この10年間つるべ落しに医師の市外流出が続いており、震災後もそれがさらに顕著になっており、地域医療の崩壊一歩手前という状況です。救急車を呼んでも、受入れ先の病院探しの手待ち時間(いわゆる、たらい回し)により、医療機関到着までの時間は、消防署から現場到着までにかかる時間の3倍以上となっています。特に、市外からの避難民・原発作業員等が純増しており、それに対する医療サービスの手当てがなされていない状況にあります。一般市民が受けている低放射線被ばくの今後の影響の推移を慎重に見守る必要がありますし、長期的な廃炉に至るまで原発作業員の健康を守ることも重要です。市民生活にとって、医療の優先順位が高いのはいうまでもなく、福島第一原発に最も近い中核市であり、また原発事故収束作業員・技術者にとっての最前線都市であるいわき市において、放射線の影響の臨床・研究・治療をすることは、いわき市民だけでなく日本全体に意義があることです。
医学部誘致のためには、いわき市全体を上げて歓迎する活動が必要です。特に、市長・市長部局の積極的な誘致活動及び用地提供等を含む受入条件の整備等が求められます。また多くの市民の協力・賛同も必要です。ぜひ誘致活動を応援下さり、積極的に関与していただけますよう、切にお願い申し上げます。

<請願書の賛成討論は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/36918287.html 

福島県防災ヘリ

福島県の防災ヘリとして、平成10年から消防防災ヘリコプター「ふくしま」が導入・運航開始しています。通常は、福島空港に待機しています。県立医大に待機しているドクターヘリ1機とあわせて、2機のヘリが福島県にあることになります。いずれも年間出動回数は約200-300回、ほぼ毎日に近く稼働している計算になります。

<福島県のドクターヘリは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/33676704.html
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本来の運行目的は、地震・津波、風水害等の大規模災害に対して上空からの消火、救急・救助等の消防防災活動です。2トンを超える荷物を積むことができ、時速250km近くの早さで搬送できます。福島空港からいわき市中心部までは、ものの12分。これをドクターヘリのように、急病者の搬送に利用できないでしょうか。ドクターヘリのように医師による医療行為は行えませんが、重篤な急病人等の救助者の搬送には、素晴らしくその機動力を発揮できるはず。

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現在の出動割合は、訓練(自隊訓練・防災訓練)の出動回数は半分を占めており、実際に救助活動(救急活動・救助活動)の割合は3割に満たない現状です。訓練も大事ですが、さらに本物の救助活動回数を増やすことも可能です。防災ヘリの運行は、市町村又は各消防本部からの要請で行います。救急搬送は、緊急性があり、かつ消防防災ヘリコプターによる活動が最も有効な場合に出動となります。いわき市には、ドクターヘリは離発着できる場所が57カ所あります。これをさらに増やすことで、ドクターヘリ、防災ヘリが有効活用できるようになります。
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出典:福島県災害対策課ホームページ、運行実績(平成10年~)を集計・加工

防災ヘリのスペックです。

型  式

ベル式412EP型(アメリカ製)

登録番号

JA821F

定  員

15名

全  長

17.1m

最大全備重量

5,398kg(離陸時の最大重量)

有効搭載量

2,318kg

最高巡航速度

243km/h

航続距離

783km

限界高度

6,096m

エンジン

双発タービンエンジン(最大出力1,800SHP)

主な装備品

・救助用ホイスト(吊り上げ能力 272.2kg)

・消火用ドロップタンク(容量 約1,400l)

・救急医療用ベッド(患者監視モニター等を搭載)

 など




高学歴女子の貧困 女子は学歴で「幸せ」になれるか? 大理奈穂子著

「高学歴ワーキングプア」を著した水月昭道氏が関わっている、連続モノです。女は女というだけで貧乏になる、のか?というテーマです。高学歴女子というカテゴリの女子の中には、努力家が多いでしょう。しかし、旧帝大の博士号を取得し、教授職を夢見てがんばっても、実際には10年後にワーキングプアになっている現実。己の力とは関係のないところに大きな壁がそびえているかもしれない、という事実を「女子と学歴、そして人生との関わり」という視点での疑問提示する本でした。

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では、女子を貧困に追いやる社会構造のなかで、教育、キャリア、結婚、子育てをどう考えればいいのか? 専業主婦を目指すのがもっとも賢い選択なのか? 当事者が自らの境遇を語り、とりおり客観的なデータを混ぜながらその実態を考えています。娘のキャリアプランを考える親御さんには少し、衝撃が大きいかもしれません。

お茶の水女子大学大学院博士後期課程満期退学し、一橋大学非常勤講師である大理氏による「研究者コミュニティは男性社会」という指摘は、マイノリティたる女性がハラスメントの被害に遭うリスクを大きく持ちながら、孤軍奮闘せざるを得ない構造を指摘しています。
 
大阪大学大学院文学研究科博士後期課程中退のライターである、栗田氏は、「女は女であるというだけで貧乏になるのだ」と率直に語っています。

美術作家を経て、最終的にはアート系の道を断念した大野氏は、芸術系学部での教員の男女比の不均等さや、結婚と制作活動をめぐる独特な実態を述べています。

立命館大学研究員を経て、現・筑紫女学園評議員である水月氏は、日本における女子教育の歴史と実際について述べています。単なるエピソードの羅列ではなく、客観データも織り交ぜられています。
 
確かに一つ一つの問題やデータなどは、掘り下げが甘い部分もありますが、高学歴女子&ワーキングプアである本人達が自ら語る本書は、臨場感あふれるものになっています。それぞれが感じる理不尽さを普遍化していくと「社会制度やシステム」の、共通している問題点が見えてくるのではないか。

いわき市へ医学部誘致に関する請願書 本会議で「否決」されました

いわき市へ医学部を誘致する会から、市議会へ提出されておりました「いわき市へ医学部誘致に関する請願書」が、常任委員会では可決すべきものとされていたにもかかわらず、本会議で否決されてしまいました。内訳は、賛成14、反対18、棄権4です。私としてはここしばらく、この請願を実現させるべく奔走していただけに、とても残念です。誘致する会の思いは議場で伝えることができ、実際に多くの議員の賛同をいただきましたが、議会内では純粋に市民のためのあるべき政策の議論でなく、派閥・会派の力学で動いてしまっていることを露呈することになってしまいました。私は、当該請願の紹介議員として、請願に賛成の立場から、議場にて討論を行いました。

<賛成討論の録画は、コチラ>
http://ur2.link/xUC4
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<請願書原文は、コチラ>
http://goo.gl/i4VlBo

詳細は「いわき市に医学部を誘致する会」のホームページをご覧下さい。
<以下、私の賛成討論の原文そのままです>
私は、請願第1号 いわき市に医学部を誘致に関する請願書について、請願並びに委員長報告に賛成の立場から討論を行うものであります。これまで医学部の新設は、1979年の琉球大学を最後に30年間以上も新設が認可されませんでしたが、昨年末に安倍晋三首相が、復興支援のために東北地方に医学部を新設するよう下村博文文部科学大臣に指示を出しました。今年5月が、その応募の当面の期限とされており、ぜひいわき市もそれに応募して頂きたい。

先日、いわき市へ医学部を誘致する会の臨時総会に参加して参りました。多数の市民が参加され、市民からは、医大誘致活動により、いわき市が市民の健康不安に対して真剣に取り組む姿勢を市民、及び市外に明確に見せることが重要だという意見が出ました。また現役消防団員の方からは、消防本部職員は毎日必死の活動をしているにもかかわらず、受入搬送先の病院が医師不足で受け入れできず、救命救急医療がうまく機能していないという、現場の生の声が出ました。また小さなこども持つお父さんからは、短期的な課題にとらわれるのではなく、将来世代にわれわれ大人が何を残せるかという視点で、最高学府を誘致するという活動を全面的に支援するという意見も出ました。

いわき市議会本会議での答弁のとおり、市内の医師不足は顕著であります。長期避難民や原発作業員・技術者等を考慮すると、現在、いわき市内の医師不足数は約200名以上といわれております。この10年間つるべ落しにいわき市の医師の市外流出が続いており、震災後もそれがさらに顕著になっております。現場の医療スタッフの献身的な努力になんとか支えられているものの、地域医療の崩壊一歩手前という状況です。特に、市外からの長期避難民・原発作業員等が純粋に増加しており、それに対する医療サービスの量的手当てがまったくなされていない状況にあります。今後、一般市民が受けている低放射線被ばくの影響の推移を慎重に見守る必要がありますし、50年ともいわれる長期的な廃炉に至るまで原発作業員や技術者の健康を守ることも重要です。市民生活にとって、医療の優先順位が高いのはいうまでもなく、福島第一原発に最も近い中核市であり、また原発事故収束作業員・技術者にとっての最前線都市であるいわき市において、放射線の影響の臨床・研究・治療をすることは、いわき市民だけでなく日本全体に意義があることです。

医学部・メディカルスクール誘致は、医療の質・量の改善が主目的ですが、いわき市にとって、たくさんの副次的メリットや多方面への好影響が期待されます。例えば、好待遇の医学部教員・職員が居住することによる消費経済効果、働く場の拡大や、医学部が身近にあることにより高校生の進路の選択肢が増えること、医学部を目指す高校生が増えることにより、個々の生徒が学力を伸ばす動機付けが強く働くこと、そして一部の高校生の学力向上は周辺に波及し他の高校生の進路も広がること、いわき全体の教育レベルが上がれば、安心して首都圏の大企業の幹部サラリーマン家庭が、いわきに転勤できること、それがいわきの産業・雇用を下支えすることです。さらには、東京を頻繁に往復する医師や技術者が増え、常磐線のスピードアップの道筋が見えてくることにもなります。

医学部・メディカルスクール誘致のためには、いわき市全体を上げて歓迎する活動が必要です。特に、市長・市長部局の積極的な誘致活動及び用地提供等を含む受入条件の整備等が求められます。また多くの市民の協力・賛同も必要です。ぜひ誘致活動を応援下さり、積極的に関与していただけますよう、切にお願い申し上げます。

最後になります。いわき市、福島県浜通り全体及び茨城県北部の医療の将来は、これまでの地方医療計画等に基づく既存の政策の延長線上にはありません。問題の本質に焦点をあて、各医師が地域医療機関に従事することで地域から感謝され、そのことに喜びを感じていただけるような環境整備をしていかなくてはなりません。そのためにも、数十名単位の臨床医師を毎年輩出する医学部・メディカルスクールを誘致することが最も有効であります。国が認めた被災地への医学部新設について、千載一遇のチャンスととらえ、スピード感を持って、取り組んで頂きたい。

これらのことから、私は、請願第1号 いわき市に医学部を誘致に関する請願書について、請願並びに委員長報告に賛成の意を表するものであります。以上、請願について私の意見を申し上げましたが、党派・会派を超えて、いわきの安全安心そして光り輝く未来のため、議員各位の絶大なる御賛同を賜りますようお願い申し上げまして、私の討論を終わります。

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「医学部誘致に関する請願書」に反対する理由が、議場で反対議員から開陳されました。その内容は以下のリンクのとおりです。とてもその内容に納得できるものではありません。

<「医学部誘致に関する請願書」反対理由に対する反論>
http://www.mikito.biz/archives/37853794.html
 

「法令遵守」が日本を滅ぼす 郷原信郎著

昨今の企業の起こす不祥事、混迷を深める経済社会、迷走する政治等、様々な問題の根源は「法令遵守」の考え方そのものにあると思われてなりません。そのような考えをベースとして、元検事・法科大学院教授の異色のオピニオンリーダーが、官製談合、ライブドア、村上ファンド、耐震偽装などの最近の経済事件を通して、法治国家・日本の病理に迫っています。
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ライブドア事件、村上ファンド事件、耐震データ偽造事件、不二家、パロマ、東横イン、そして各地で発覚し続ける談合問題は、うわべだけのコンプライアンスこそが、組織を蝕む元凶といってよいでしょう。問題が発覚すすと、経営陣が記者会見で、「申し訳ございません。違法行為を二度と起こさないよう、コンプライアンスを徹底いたします」と一斉に頭を下げます。こんな光景は、不祥事を起こした際の謝罪会見で、何度繰り返されてきたことか。もはや企業が法令遵守の姿勢を表明するための常套句になっています。しかし、本当に法令遵守するだけでいいのでしょうか。こうした「コンプライアンスとは単に法を守ること」と考える法令遵守原理主義そのものが、会社はおろか、この国の根幹をも深く着実に蝕んでいるのではないか。この本では、世の中に蔓延する「コンプライアンス病」の弊害を取り上げ、法治国家とは名ばかりの日本の実情が明らかされています。

冒頭の「日本は法治国家か」という問いが鋭い。官製談合、ライブドア事件、耐震偽装などの事件について、そもそも何故これらが事件になったのか。表面的な対応の限界と本質的なコンプライアンスとしての対応はどのようであるべきか示唆を与えてくれる。すなわち、「法令の背後にある社会的要請に応えていくことこそがコンプライアンスであると認識し、その観点から組織の在り方を根本的に考え直してみることが重要」。これからは単に法律違反をしないだけでなく、法律が定められた背景をよく考えた行動をとるということです。これは肝に銘じたい。

問題が生じるたびに、企業の中での法令遵守は、その周知徹底にばかり対応が集まり、その場しのぎ的な火消しの対応が繰り返されています。本来、企業の社会的責任を果たす上で、何をせねばならないのか。「終章 眼を持つ組織になる」が著者のメッセージになっていました。

いわき市へ医学部を誘致する会 臨時総会

いわき市へ医学部を誘致する会(会長 高野達也、顧問 志賀由直)の臨時総会に参加しました。多数の市民が参加し、福島民報、福島民友、いわき民報の3社も取材に来て頂けました。医大誘致の経緯や、進捗等を会長からお話いただき、現在、市民の声を公に届けるという意味で「請願」を議会に提出している経過報告がありました。また、当方からは「請願」が常任委員会で僅差で採決された旨、3/12の本会議での多数決を得るには、さらなるハードルがある旨を報告させて頂きました。

市民からは、医大誘致が医師不足解消に役立つという点だけでなく、いわき市が医療に取り組む姿勢を市民、及び市外に見せることが重要だという意見が出ました。これにより市民の健康に対する不安に対して真剣に取り組む姿勢を明確にすることができます。また消防団員の立場から、消防本部職員は毎日必死の活動をしているにもかかわらず、受入搬送先の病院が医師不足で受け入れできず、救命救急医療がうまく機能していない点について、現場の生の声がでました。また将来世代にわれわれ大人が何を残せるかという視点では、短期的な課題にとらわれるのではなく、長期的な視点に立って、最高学府を誘致するということをやらねばならないという意見もでました。

次第
1. 会長挨拶
2. 顧問挨拶
3. 議員紹介
4. 誘致の会 経過報告
5. いわき市議会 状況報告
6. みなさまの声
現役消防団員の声
小さな子供さんを抱える方の声
7. 臨時総会決議案
8. 閉会

最後には、臨時総会の決議として、 下記3点を決議して閉会としました。
1、 医学部および大学病院の東北地方への新設場所は、その認可目的、その場所の現状から、原子力最前線のいわき市がオンリーワンの候補地である。
2、 市長は、「医職住」を掲げ、医療問題を喫緊の課題として当選された。国が認めた東北地方への医学部1校新設について、千載一遇のチャンスととらえ、いわき市への医学部と大学病院誘致を、必ず成し遂げてほしい。
3、 市議会は、いわき市への医学部誘致に関する請願について、新設構想の受付締切は5月なので、スピード感をもって取り組んでほしい。市民の命は最優先の問題なので、党派・会派を超えて、いわきの安全安心そして光輝く未来のため、医学部誘致の議決をしてほしい。
 
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詳細は「いわき市に医学部を誘致する会」のホームページをご覧下さい。
http://www.k-mikuniya.co.jp/iwaki-igaku/

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医療大転換 日本のプライマリ・ケア革命 葛西龍樹著

知人の医師の勧めで、「医療大転換 日本のプライマリ・ケア革命」を読みました。著書の葛西先生は、カナダ家庭医学会認定専門医課程で学び、日本プライマリ・ケア連合学会理事で、現在、福島県立医科大学医学部地域・家庭医療学講座主任教授です。本書を読んで、プライマリ・ケアの幅の広さと、これまでの医療のあり方を変える可能性についての見識を持つことができました。

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・プライマリ・ケアとは、
かかりつけ医。家庭医といわれている領域です。一次医療を担当し、日常的に地域住民の疾病予防に努め、病院に来ない人も含めた地域の健康維持・予防に努める役割だそうです。また必要に応じて他科専門医と連携し、そこで患者が治癒した後も経過を見守る役割。家庭医の特徴として、病気だけに着目するのでなく、患者の生活や家庭の状況などを把握した上で治療を進めるそうです。それには、多部門の知識・技術を持ち、技術・テクニックだけでなく、全人的な医療を提供できる医師が求められます。

・機能
家庭医に関する懇談会報告書(昭和62年4月)によると、以下の機能を持つことだそうです。
1 初診患者に十分対応できること
 ① 疾病の初期段階に的確な対応ができること 
 ② 日常的にみられる疾患や外傷の治療を行う能力を身につけていること 
 ③ 必要に応じ適切な医療機関へ紹介すること 
2 健康相談及び指導を十分に行うこと 
3  医療の継続性を重視すること 
4 総合的・包括的医療を重視するとともに、医療福祉関係者チームの総合調整にあたること 
5 これらの機能を果たす上での適切な技術の水準を維持していること 
6 患者を含めた地域住民との信頼関係を重視すること 
7 家庭など生活背景を把握し、患者に全人的に対応すること 
8 診療についての説明を十分にすること 
9 必要な時いつでも連絡がとれること 
10 医療の地域性を重視すること 

医師としての能力としては、専門家としての基本的臨床能力とともに、 一定程度の他科の臨床能力を持つこととされています。

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・メリット
複数の専門医と連携を取りつつ,患者の治療をトータルに管理(具体的には、各課で処方される5種類の薬×各課の数=膨大な薬の種類、を減らすことで患者の体に対する副作用を軽減)することで、患者の健康に資する
専門医の負担を減らすことで、専門医のスペシャルティをさらに向上させる
予防を第一とすることで、全体的な医療費削減に資する
 
・日本のこれまでのプライマリ・ケア
日本でこれまでプライマリ・ケア医としてのスペシャリティは存在せず、開業医や一般病院の外来などで、一般の内科医、小児科医などによってその役割は果たされてきました。しかし、専門のトレーニングを受けた上での対応でないため、そのサービスレベルは属人的な能力、経験、意欲に負っている面が強いです。患者の健康状態全体を見るジェネラリストを、臓器別のスペシャリストよりも格下に見る雰囲気があるといわれています。

・プライマリ・ケア先進国
日本やアメリカはプライマリ・ケア後進国であり、イギリス,オーストラリア,カナダなどが先進国だそうです。これらの国では,内科,小児科,産婦人科,整形外科,精神科などに該当する疾患の患者の8割以上を、家庭医が治療しているとのこと。家庭医と専門医が連携して働くことで,合併症が減少し,平均寿命が延長し,終末期ケアに対する満足度が向上することなどが臨床研究で証明されているそうです、この効果の背景には,患者の大半を占めるありふれた疾患に家庭医が対応することで、専門医が高度な医療に集中できるといわれています。

・制度としての総合診療医
これまで、18種類の専門医制度がありましたが、2013年に19番目の基本領域の専門医として位置付ける総合的な診療能力を持つ医師として、「総合診療医」が始まりました。その専門医を「総合診療専門医」と呼びます。新人医師に対しては2017年度から研修を開始する予定で、総合診療医で専門医認定を受けようとする者は、医学部卒業後2年間の臨床研修を経て、専門医研修を3年間受けることになるそうです。

今後、日本における総合診療医の議論が深まっていくのだと思うのですが、現在頻発している、救急患者のたらい回し、誤診や医療ミスの放置、無駄な検査や過度の投薬、老人医療の複合的な問題といった日本の医療問題が、プライマリケア家庭医の導入で解決する可能性があるのではないかと感じました。

磐城平城 旧安藤家住宅

磐城平城物見が岡にある安藤家住宅は、戊辰戦争後、最後の磐城平藩主、安藤信勇(のぶたけ)が住んだ住宅で、明治30年前後に建てられたそうです。安藤家旧宅は数度の改築等を経て、現在は土地建物ともに民間の所有で、現在に至っています。宅地開発・マンション開発の波に乗らず、民間によって維持・保存されてきたことは、奇跡に近いと思います。

<磐城平藩の最後の藩主 安藤信勇は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/36153045.html
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正面玄関。旧平県知事もここから出入りしていたかと思うと、先人の足跡をさらに知りたくなります。現在、こちらに起居している館主はいませんが、毎日清掃や補修の人の手が入っているそうです。広大な敷地と建物の管理に、どれほどの労力が投入されているか、検討もつきません。



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建物内部も定期的に補修・修繕されていました。掛け軸や調度品は、直前の館主が使っていた当時のままです。今でもここに先人が起居しているかのようです。

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何とも味のある廊下。日本人にとっては変哲もない廊下かもしれませんが、外国人にとっては、相当なインパクトがありますよ。これは。

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調度品も当時のまま。

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個人的にイイと思ったのは、洗面所です。モザイクタイル貼りで制作されたこれは、ちょっとした芸術です。磨き上げれば、かなり良いコンテンツになると思います。

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台所。明治の建物であるにもかかわらず、建物を使い続けるために、相当なリニューアル工事をしています。このリニューアル工事については、文化財保護の観点からさまざまな意見があると思います。ただ単純な経済計算だけでは、歴史的意義のある建物には経済的価値は低く、スクラップ&ビルドをすべきということになってしまいます。建物を残していくためには、使い住まい続けていくことが必須であり、そのための改修が自然な流れだったのでしょう。そんなことにも思いを馳せることができるダイニングルームです。

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風呂釜。懐かしい!炭でお湯を湧かすやつです。絶対、欧米人には理解できないであろう、風呂文化。これは、キラーコンテンツのひとつになるはず。

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キラーコンテンツといえば、裏口に通じる階段は何とも情緒があった。昭和の時代にタイムスリップしたかと思った。こんな家はまちなかに、そうそう見れるもんじゃない。

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いわき駅方面を望む。駅そば、徒歩2分ということがわかる、絶好のポジションなんです。こんな好立地なロケーションが開発されず、民間によって、維持保存されていることが奇跡です。この場所こそ、可及的速やかに公有地化し、いわきのルーツの知るきっかけとし、次世代の郷土愛育成のためのツールとして欲しい。

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磐城共立高等看護学院 訪問

昨今、看護師を含む医療従事者、すなわちコメディカルの人員不足が叫ばれています。いわき市の看護師養成校は、磐城共立高等看護学院・松村看護専門学校・いわき准看護学校(それぞれ、「高看」「松村」「准看」と略して呼ばれるそうです)の3校のみです。その中で最も規模が大きく人気のある(入試倍率という意味で)、磐城共立高等看護学院を訪問し、教務主任の先生に直接お話を伺ってきました。
 
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磐城共立高等看護学院は、地域医療に貢献する看護師の養成のため、昭和43年から共立病院の附属施設として設置されました。平成25年3月まで、1,627名の卒業生を共立病院だけでなく、市内外の医療機関等へ送り出しています。昭和59 年に現在の内郷御厩町で新校舎が完成し、扱いは専修学校認可となっています。

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看護学科のみの3年課程で、定員40名 × 3学年 = 120名が、日中フルタイム(9:00am-4:20pm)で学んでいます。ほとんどの学生が高校卒だそうで、(例外はあるものの)18-20才の若者たちです。授業の様子を見せて頂きました。

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授業料は、年額約12万円です。それに加えて教科書代や実習衣代等で、約20万円の自己負担があるそうです。もちろん、この授業料だけで学校全体の運営経費がまかなえるわけはなく、運営費の多くは補助金でまかなわれています。
・基準財政需要額から算出される、国から交付される地方交付税交付金相当額は、62,920千円(平成25年度ベース)
・一般会計から、企業会計へ繰入されている他会計負担金は149,304千円(平成26年度ベース) 
 
こちらで3年間の勉強・実習を卒業すると、以下の資格を得ることができます。
・看護師国家試験の受験資格
・保健師、助産師及び養護教諭の養成課程の受験資格      
・4年制大学編入学試験の受験資格  
・専門士(医療専門課程)の称号が付与
 
看護系の仕事(看護職といいます)には、仕事の内容によって4種類(看護師・保健師・助産師・准看護師)の資格があります。

<看護師>
医師の指示に従って、看護業務を行います。主な勤務場所は大病院等ですが、医療機関ならどこでも働けます。
 <保健師>
看護師の上位資格。乳児健診や地域住民、企業の従業員等の健康相談、快適な家庭内での療養などについて助言、指導を行う。主な就職先は、保健所や自治体職員、企業、病院等。
<助産師>
看護師の上位資格。出産の介助のほか、妊娠中、出産後の健康管理や育児に関する助言、指導を行う。主な就職先は、病院や診療所だが、個人で助産所も開業可能。
<准看護師>
看護師の下位資格。医師や歯科医師・看護師の指示に従って、看護業務を行います。主な勤務場所は、診療所、介護老人保健施設、訪問看護ステーション等。
 
看護師のキャリアプラン(進路図)は以下の通りなのですが、福島県内には、看護系の学校は、看護大学院(定員15名)、看護大学(定員84名)、助産師(定員20名)、看護師(定員940名)、准看護師(定員320名)があります。いわき市には、磐城共立高等看護学院・松村看護専門学校・医師会附属の准看護師養成校の3校があります。
 
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そのうちやはり人気なのは、こちらの磐城共立高等看護学院です。准看護師でなく、いわゆる正看護師の資格がとれ、公的機関のため学費も安いためです。医師だけでなく、看護師等の医療スタッフ不足が叫ばれているいわき市ですが、こちらはその貴重な人材供給源になっています。

病床数からみた共立病院の経営改革の必要性

いわき市の病院にあるベッド数(許可病床数)は、約3,000床です。福島県の第6次福島県医療計画での現状ベッド数は3,638、一般社団法人日本病院会によれば2,892なので、まずは約3,000床といってよいでしょう。市内で最大のベッド数を持つのは、いわき市立総合磐城共立病院で、ベッド数828(内訳:一般755、結核46、感染症6、精神21)です。次が労災、呉羽、かしまと続きます。
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共立病院の病床べースのシェアは、約29%、2位の労災病院の約2倍です。圧倒的な地域一番店といえるでしょう。いまさら経営学を持ち出すまでもないですが、シェアナンバーワンは、圧倒的に病院経営に有利です。販売競争に勝つための理論と実務として体系化されたランチェスターの法則では、2位に対して√3倍以上のシェアを持つ顧客層を、首位独走のナンバーワン企業と定義しています。この定義でも、共立病院は、ナンバーワンであり、競争戦略上、極めて有利なポジションにあります。

そのような共立病院が、恒常的な赤字経営となっており、過去10年間の医業純損失の累積額は200億円にも及んでいます。そのため、顧客たる患者のためのサービス向上のための投資や、医療スタッフ・ドクターの待遇改善の投資もままならない。さらにこのような状態を嫌ってドクターが定着しないため、さらにドクターにとって過酷な労働条件になるという悪いスパイラルにはまり込んでいます。なぜブランド力、認知度とも地域一番店の病院が、こんな経営状態になってしまっているのか?

<市立磐城総合共立病院 医業純損失 累積200億円は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/33704463.html
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その答えは、経営主体にあります。すなわち、いわき市そのものが経営しているのが原因です。一般的に公機関の経営の舵取りの悪弊はこのようなものだといわれています。
・経営がうまくいかなくなっても、市の一般会計からの赤字補填がなされる
・市の定められた給与テーブルに則って正しく公正に支払われるため、労働対価としての賃金を用いた労働インセンティブが弱い
・市立ブランド(いわき市民は、お上に弱いという意見あり)により、経営努力しなくとも患者がそれなりに集まる
・遊休病床があっても、地域医療を担っているのだから仕方ないというムードが蔓延

現実の共立病院の医療現場のドクターは、過酷な労働条件にあまりにも疲れています。配置人数が少なく、しかも三次救命救急を代表に、仕事量が膨大で、どんどん増えているからです。その一因は、無限に要求を拡大する、私たち患者側にもありますが、また、医療の複雑さ、難しさをほとんど理解していない行政や政治、そしてそれを許してきた私たちにも重大な責任があったといえるでしょう。

医療現場で献身的に働いていらっしゃる医療関係者の方々に深く感謝申し上げると共に、心から熱いエールを送りたいと気持ちの一方、継続して迷走を続ける医療行政と病院経営の失敗に頭がかきむしられる思いです。病院が必要な医療を安定的かつ持続的に提供するためには、経営基盤が健全で持続的な組織であることが必要。正しい経営判断をするために、可及的速やかに現経営体制を変えなくてはならない。
 

いわき市へ医学部誘致のメリット

いわき市の医師不足解消の切り札として、いわき市議会に「いわき市へ医学部誘致に関する請願書」を提出しました。
http://goo.gl/YFgrnp

ぜひいわき市に、医師不足解消のため、医学部・メディカルスクールの誘致したい。いわき市、福島県浜通り及び茨城県北部の医療の将来は、これまでの地方医療計画等に基づく既存の政策の延長線上にはありません。医師不足の問題の本質に焦点をあて、医師に地域医療機関に従事してもらうよう働きかけたい。
<医師不足については、コチラ>
 
そのためには、数十名単位の医師を毎年輩出する、医学部・メディカルスクールを誘致することが最も近道です。これまで医学部の新設は、1979年の琉球大学を最後に30年間以上も認可されませんでしたが、昨年末に安倍首相が、復興支援のために東北地方に医学部を新設するよう下村文科相に指示を出しました。今年5月が、その応募の当面の期限とされており、ぜひいわき市もそれに応募してほしい。

双相地区からの長期避難民や原発作業員を考慮すると、現在、いわき市内の医師不足数は約200名以上といわれております。この10年間つるべ落しに医師の市外流出が続いており、震災後もそれがさらに顕著になっており、地域医療の崩壊一歩手前という状況です。救急車を呼んでも、受入れ先の病院探しの手待ち時間(いわゆる、たらい回し)により、医療機関到着までの時間は、消防署から現場到着までにかかる時間の3倍以上となっています。特に、市外からの避難民・原発作業員等が純増しており、それに対する医療サービスの手当てがなされていない状況にあります。一般市民が受けている低放射線被ばくの今後の影響の推移を慎重に見守る必要がありますし、長期的な廃炉に至るまで原発作業員の健康を守ることも重要です。市民生活にとって、医療の優先順位が高いのはいうまでもなく、福島第一原発に最も近い中核市であり、また原発事故収束作業員・技術者にとっての最前線都市であるいわき市において、放射線の影響の臨床・研究・治療をすることは、いわき市民だけでなく日本全体に意義があることです。

上記のように医療の質・量の改善が主目的ですが、いわき市にとって医学誘致の副次的なメリットとして以下のものが挙げられます。これは、実は非常に多方面に波及すると思います。
・好待遇の医学部教員・職員が居住することによる、消費経済効果
・医学部が身近にあることにより、高校生の進路の選択肢が増える
・医学部(一般的に偏差値は高い)を目指す高校生が増え、学力を伸ばすインセンティブが強く働く
・一部の高校生の学力向上は周辺に波及し、他の高校生の進路も広がる
・いわきの教育レベルが上がれば、安心して(中高生の親である)首都圏の高級サラリーマンが、いわきに転勤できる
・東京を往復する医師や技術者が増え、常磐線のスピードアップの道筋が見えてくる

医学部誘致のためには、いわき市全体を上げて歓迎する活動が必要です。特に、市長・市長部局の積極的な誘致活動及び用地提供等を含む受入条件の整備等が求められます。また多くの市民の協力・賛同も必要です。ぜひ誘致活動を本格化させ、医学部誘致を実現させたい。

<いわき市に医学部を誘致したいは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/35884943.html 

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総合磐城共立病院 建替えにあたっての重大な問題点

総合磐城共立病院は、目下、平成28年度中の本体工事完成に向かって、デザインビルドの発注契約に向けて進んでいます。設備が更新されることはプラスの面がありますが、当然マイナスの面もあります。ここで共立病院の建替えにあたって、重大な問題点を指摘しておきたいと思います。

1. 本体工事費の高騰(市民負担の増加)
2. 工事期間中の外来用駐車場がなくなる(通院が著しく不便)
3. 工事期間中の工事騒音と工事車両による粉じん(入院患者の環境悪化)
4. 建替期間中の病院経営の赤字拡大
5. 医療機器の予算が十分でない
6. さらなる土地買収費やシステム投資予算等が、343億円に含まれていない(さらに事業費拡大)
7. 建物は新しくなっても中身は一緒
8. 建設工事を発注手続を担当する委員会が、市民に非公開
9. 詳細設計の工数が省略されている
10. 将来の用途拡張性がない

それぞれ検討していきます。
1. 本体工事費の高騰
共立病院の建替計画のベースは、平成24年12月の基本計画です。当時の工事見積りは、226億円でした。
http://goo.gl/pDOLaL 
この見積り金額は平成25年まで変わらなかったのですが、平成26年2月の基本設計において、突然、323億円に訂正になりました。約5割のコストアップです。
http://goo.gl/J1Txbv
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このコストアップの主な要因は、建築設備工事費が86億円も増加していることと、当初見込んでいなかった造成工事費等を43億円、新規に見込んだことです。そもそも建替候補地は、広大な市有地でありアクセスに優れる中央台高久地区、小名浜金成地区、平上荒川地区等がありました。それらを総合評点方式で比較検討したのですが、結果は僅差でした。結局、それら30haを超える市有地を第一候補とせず、僅差で、狭い(7ha)現在地(内郷)を選んだ理由のひとつが、造成工事費がかからないため事業費が安いということでした。それが今回、あっさり反故にされています。小名浜金成地区、平上荒川地区ならば、将来の拡張性(放射能研究機関や医科大学とのリンク)の余地があることや、建替にあたっての工事騒音問題は発生しないだけに、非常に残念です。
http://goo.gl/ikymcT
 
当然、コストアップ分は病院事業債257億円という負債が原資になります。要は市民の負担が増加し、血税をもって償還していくことになります。市の通常時の一般会計の総額が1,200億円程度の1/4を占めるという巨額さです。一般の事業会社の売上の1/4を使って、本業でない投資を行うようなものと考えれば、イメージできるでしょうか。
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2. 工事期間中の外来用駐車場がなくなる
現在の病棟を運用しながら、新病院の建替え工事を行います。すなわち、新病院の敷地である現在の第3駐車場のみならず、工事車両のための用地として、現在600台分の外来用駐車場のほとんどがなくなります。工事期間は平成28年度中までですが、それから現病棟を取壊し、駐車場として整備するためには、さらに数年を要します。

これってスゴイことです。現在でも、連れてこられる病人のかなりの割合は、正面玄関入口まで自家用車を横付けにして、病人を下ろしてから駐車してます。今後は、それが不可能になります。また自ら運転して、通院してこられる方も、敷地外の駐車場に自家用車を停めて、シャトルバスを待ち、それに乗り換えて、徒歩で病院まで行くことになります。帰りも同様に、シャトルバスを待ち、それに乗って、敷地外駐車場まで行き、自家用車に乗り換えることになります。敷地外駐車場の距離にもよりますが、おそらく通院までに要する時間は、激増します。通院の利便性低下の影響は、工事開始から平成29年以降まで、ずっと続きます。

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3. 工事期間中の工事騒音と工事車両による粉じん
新病院は、現病院の東隣りに隣接して建設されます。13F建ての鉄筋コンクリートの建物の基礎を打つ等に建設作業には騒音がつきものです。また斜面を崩し、建設敷地の地ならしのためのブルドーザーや重機の騒音、粉じんが発生します。現病棟には工事期間中も引き続き入院患者が入っていますが、これら騒音が病状によい影響を与えないことは明白です。

4. 病院事業会計の赤字拡大
いまでも総合磐城共立病院は、一般会計からの赤字補填(10年間で170億円)をしなければ、経営がなりたちません。
http://www.mikito.biz/archives/33704463.html
それがさらに上記、通院の利便性低下による外来患者の流出と入院時の工事騒音を嫌う入院患者の流出により、収益性は著しく低下します。工事期間中のみならず、新病院稼働後も、平成34年度前後まで赤字が継続します。

5. 医療機器の予算が十分でない
建設コストに343億円も投じる割には、医療機器に投じる予算は20億円(当初は48億円だった)しかありません。結局、リース等で割高に調達せざるをえなくなってしまうことが容易に想像できます。これは当然ながら、将来の病院経営の収益圧迫要因のひとつです。

6. さらなる土地買収費やシステム投資予算等が、343億円に含まれていない
現在の、デザインビルドの対象は、建設工事費と土地造成費用です。実は、これにさらなる土地買収のコストや、病院の情報システム構築のコストは含まれていません。要は、343億円は仮の金額であり、さらに金額はつり上がるであろうということです。

7. 建物は新しくなっても中身は一緒
医療の質は、建物の新しさでは計れないことは周知の事実です。総合的なチーム医療の水準が医療の質を決めるといわれています。過去に140名在籍した共立病院は、現在115名の常勤医師しかおらず、25ある診療科のうち、6つの診療科が常勤医不在です。そして現在の診療科数・診療体制・経営体制が、そのまま横スライドで新しいハコモノに引き継がれます。

8. 建設工事を発注手続を担当する委員会が、市民に非公開
建設工事は、デザインビルド方式で発注されますが、その業者の選定基準及び選定過程は、デザインビルド事業者選定委員会で行うこととされています。その審議過程は、「非公開」とされており、400億円もの支出が密室で決定されようとしています。

<デザインビルドは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/36563925.html

9. 詳細設計の工数が省略されている
通常、数百床の病院建設にあたっては、基本設計に1年、詳細設計に1年、合計2年を要します。どうして一般のオフィスビルに比べて設計に時間がかかるかというと、病院設備が複雑で、スタッフ・病人の効率的な動線確保、医療設備の配管取り回しの詳細設計に、工数がかかるためです。今回、デザインビルド方式により、建設工事と同時並行で詳細設計を行うことになっています。要は詳細設計がおざなりになってしまい、通常の方式に比べて、完成後に不具合が発生する可能性が高くなります。

10. 将来の用途拡張性がない
いわき市では医学部誘致と、ナショナルセンター(放射線医学総合研究所)誘致を目指したい。いずれも、広大な敷地が必要なことと、共立病院のような総合病院との連携が望ましいことから、隣接地に立地することがベストです。また経営的には医療と関連性の強い介護施設や医療者従事者教育施設も併設し一体運営したほうがよい。残念ながら、現在地の敷地規模(7ha)では、これら施設を隣接地に建設することができず、連携が限定されてものになってしまいます。

<いわき市に医学部を誘致は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/35884943.html

こう考えてくると、400億円近くを投じて、建設作業員の確保が困難なこのタイミングで、将来も経常的な医業損失(市民負担)が発生する、診療科・診療体制・経営体制が変わらない、市民病院建設が本当に今、必要かという疑問が湧いてきます。ちなみにいわき市よりも医療水準が高いと巷でいわれている郡山市には、市民病院がなくすべて私立の病院です。建替えで確かにピカピカの病院になり、一市民として誇らしい気持ちはあるものの、それ本当に医療サービスの改善に結びつくのか、まだ私にはその答えが明確に見えていません。
 

いわきサンシャインマラソン 市外からのエントリー急増

いわきサンシャインマラソンは、第1回大会の出場者数6,238人から、順調にエントリー者数を増やしており、2014.2.9に開催予定だった第5回大会では10,361人と、初の1万人超えを達成するところでした(大雪のため、開催中止)。

<第4回の開催結果分析は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/23495678.html

よく見ると、市外からのエントリー者数が急増しています(逆に言えば、市内ランナー数は頭打ち)。前回から、市内からの参加者数を超え、もはや市民のためのマラソン大会とはいえなくなっています。第1回の市外参加者数が2,000人だったことから比べると、約3倍にふくれあがっています。なぜこのように市外からのエントリー者が激増したのか。東北大震災があったのが2011.3.11。私見ですが、2012.2.12開催の第3回大会がターニングポイントだったのではないかと思います。すなわち、震災後のいわきを応援しようとする一定の層が、第3回にエントリー→いわきでの温かい声援に感激して口コミ→第4回・第5回エントリー者急増、という仮定です。市内からの参加者が頭打ちである以上、メインターゲットである市外からの参加者のウォンツ・ニーズをより深くくみ取る必要がありそうです。


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なぜいわきサンシャインマラソンが市外の方に選ばれるのか。江名地区の「大漁旗」での応援、「走りに来てくれてありがとう」の応援、小名浜マリンパークでの「ハイタッチ」等、まさにおもてなしの心。いわき市民誰もが「狙って」やっていることではないのだけれど、これこそが他県から来られたランナーの心を動かすのでしょう。市民みんなでおもてなしする、という姿勢はきちんと必ず評価されます。この姿勢が継続できれば、いわきサンシャインマラソンはこれからも市外ランナーに愛されることでしょう。

<いわきサンシャインマラソンが、選ばれる理由は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/23383050.html 

この成功事例を普遍化して、同じ構図を他の分野(商業、工業、農業等)にあてはめることはできないか。いろいろ考えることは尽きません。
 

いわきノート @東京渋谷

「いわきノート」は、いわきの現状を世界に届けるために、11名の筑波大学の大学生が取材を重ねたドキュメント映画です。数百時間にも及ぶインタビューや取材を続け、アップリンク様の協力を得て、86分間の映画という形になりました。
http://www.youtube.com/watch?v=zYWEZ1iVnJU
 
観ての感想は、今のいわきの現状を、ニュートラルに、多くの部分を切り取っているなあ、ということです。 86分間にすべては語り尽くせないものの、いわきに住む方(富岡からの避難者等も含む)の、感情の移り変わりや、絶望、希望等が、シンプルに描かれていると思います。3/2の東京会場@アップリンクの回に、首都圏の友人と一緒に参加しました。

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当日、筑波大生11名のうち8名が、舞台挨拶及び上映後の質疑応答をしてくれました。壇上の筑波大の学生は、学部も年次も異なり、男性2名、女性6名でした。映画制作には卒業単位にならないものの、熊本・広島・岩手出身の彼らは、何らか被災地にシンパシーを感じて、映画制作の呼びかけに応募したそうです。

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現在のところ、完成披露上映会スケジュールは、無料で以下の4日間です。アップリンクの浅井社長によれば、今後、評判を見て、全国へ上映館を拡大していきたいとのことでした。アップリンク様は、独自性の高い映画制作・配給を手がける独立系の映像会社です。渋谷区宇田川町(NHKのそば)で、小さな映画館の運営をしつつ、いわきノートようなメッセージ性の高い作品の制作支援をしているそうです。
■ つくば会場 3/11(火)MOVIXつくば
■ 東京会場  3/2(日)アップリンク FACTORY
■ つくば会場 2/21(金)筑波大学大学会館ホール
■ いわき会場 2/16(日)いわきアリオス小劇場 

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取材のとっかかりは、ワールドカフェ形式で複数回、開催されたいわき未来会議です。このメンバーである、菩提寺の霜村真康さん、夜明け市場の松本丈さん、デザイナーの藤城光さん、弁護士の菅波香織さんらの語り、そこから紹介された地元の方々へのインタビューをもくもくと続けたそうです。仮設住宅にお住まいの方、薄磯海岸のサーファー、富岡町の漁師、元東電協力会社の社員ら、多種多様な方々です。

取材を通じて、当初映画制作の単発の予定だった、筑波太生のいわきとの関わりが、将来も継続的なものになると確信しているそうです。質疑応答に丁寧に対応していただけました。

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いわき市民にとっては、この映画に出てくることは日常の一コマになっていて、「何を今更、いっているの」「もう、震災当時のことや現実を見たくない」という一部の批判はあるでしょう。ただ、いわき以外に住んでいる方々にとっては、この映画に描かれていることは、はじめて知ることなんです。実際、渋谷の会場に詰めかけた首都圏の層は、男性6割女性4割、年齢は20-50代、中心は40才代でしょうか。このような方々は、自らの時間を使って、お越し頂いたわけで、なんらかいわきの情報を取りたいと思って集まった方々です。感想を伺うと、やはり、いわきの現状をかいま見ることができてよかったという意見が多いと感じました。

いわきに住む限り、福島民報・福島民友・いわき民報の地元新聞、またFTV、TUF等の民放局の報道には、フクシマ特有の偏りがあります(だからこその、全国紙に対する存在意義なのですが)。結果的に他市、特に首都圏からどう見られているかが、自分たちで把握できていないという面があります。この会場に来られた方々の反応を見て、首都圏の一定層には、いわきの現状を知りたい、被災地を見たいというニーズがあることを確信しました。後は、これらの層を受入れる体制を、どういわきで作っていくかです。これを考え、構築していきたい。

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首都圏に住む友人が、このようなTシャツを制作し、いわきサンシャインマラソンに参加予定だったそうです。当然、前泊でいわき入りし、大雪で中止になったため、交通費・宿泊費はムダになってしまったわけですが、まったく意に介していませんでした。逆に来年こそ、出場・完走するぞ!との意気込み。彼をかき立てたのは、小名浜マリンパーク周辺での沿道の方々とのハイタッチと、「いわきへ来てくれてありがとう」の声援だそうです。これはぜひ、継続したい。

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真岡SL鉄道 体験試乗

栃木県真岡市を走る、真岡SL鉄道に体験試乗してきました。真岡線は下館駅 - 茂木駅の41.9km・17駅です。SLといっても、旧国鉄特定地方交通線を転換した第三セクター鉄道会社が運営している第1種鉄道事業といい、本物の営業鉄道です。

当日は、地場産の木綿のPRを担当する、ミスコットン2名も乗車してくださり、華やいだ雰囲気でした(どんなシチュエーションに登場するかは不明)。本来は、木綿宣伝イベントに出演するのですが、このような地元イベントであれば、積極的に来て下さるそうでうす。当日、かなり気温が低かったのですが、コートも羽織らず、木綿着物だけで通して下さったところにプロ意識を感じます。

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1994年から蒸気機関車牽引列車(SL列車)として「SLもおか」の運転を行っており、2両の蒸気機関車を保有している。蒸気機関車は、基本的に自社線内での運行しますが、ときには各地に地域興しのイベントに有料で貸し出されているそうです。

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本当に釜に石炭を放り込んで、その熱で発せられる蒸気を使って運動エネルギーを動輪に伝えています。

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栃木県と沿線自治体などが出資していますが、ご多分にもれず、営業赤字もしくは収支トントンです。主要な駅である真岡駅の乗降客数が、1,000人程度なのですから、ある意味必然でしょう。出資者は、栃木県を筆頭株主として、真岡市、筑西市、足利銀行、常陽銀行、益子町、市貝町、二宮町、茂木町、はが野農業協同組合、真岡信用組合、栃木銀行、東野交通等です。鉄道運行による、総売上は約5億円で、経費削減により、なんとか営業を続けていますが、それも出資者たる自治体から、補助金を毎年数千万円を入れての数字です。補助金投入の理由は、①地域交通の足を確保、②地域興しもしくは地域を好きになってもらうためのツールのひとつとしての鉄道であり、SLとということのようです。この理由だけで納税する住民への説明責任を果たせるか。

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SLの車内は、旧国鉄の雰囲気を残したものですが、単に少し古いという印象です。車窓から見える景色も、正直、見るべきものがない山林・田んぼがほとんどなので、期待外れでした。せっかくなら大井川鐵道のように、ノスタルジーを感じさせるストーリー作りまでやらなければ、顧客のニーズをつかむことはできないのではないでしょうか。

<大井川鐵道は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/31736936.html
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乗降客数1,000人の駅とは思えない、立派な駅舎で、SLの動輪をイメージしています。

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SLの動態保存のために、駅舎と隣接して展示館も設置されていました。確かに立派で展示内容も納得なのですが、ここに地元の方々が何度も訪れるものなのでしょうか・・・設置・運行目的が、地元のウォンツ・ニーズに合っているようには感じられませんでした。これを他山の石としたいです。

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客車に配置されている、JR時代の灰皿。

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いわきサンシャインガイド

いわきサンシャインガイドさんに久しぶりにお会いしました。現在のいわきサンシャインガイドさんは、第27代目。愛着をもって広く、いわき市内外にその素晴らしさをPRし、多くの人々の交流を生むために活動し、震災後は、風評被害の払拭、復興へのアピールを積極的に行うイベントに参加されています。現在は3名、内田彩子さん、高塚三枝子さん、箱﨑幸永さん、が任期2年で任命されています。

前回お会いしたのは、2013年7月の四倉海水浴場の海開きですから、ほぼ半年ぶりです。私もサンシャインガイドさんも、市内の公式行事にたくさん参加されているはずなのに、なかなか会わないものなんですね。

<四倉海水浴場の海開きは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/29549404.html

先日お会いしたのは、鹿島のいわやで行われた新春市民交歓会です。いつもの洋装と打って変わって和服もとてもお似合いでした。
 
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吉田みきと プロフィール

ふるさとの福島県いわき市で、市議会議員として活動しています。いわき市は、震災後、複層的な問題が山積しています。公認会計士・一般社団法人日本アンガーマネジメント協会 認定 アンガーマネジメントファリシテーターとしてのキャリアを生かし、フレッシュな視点で問題点を洗い出し、解決策を提案していきます。

ギャラリー
  • 任期満了に伴い、市議会議員の職を卒業
  • 令和2年7月議会 一般質問⑤(医師不足解消)
  • 令和2年7月議会 一般質問④(骨髄バンクドナー)
  • 令和2年7月議会 一般質問③(いわきの先人たちの顕彰)
  • 令和2年7月議会 一般質問②(仮称)磐城平城・城跡公園
  • 令和2年7月議会 一般質問①(いわき七浜海道)
  • 医者が教えるサウナの教科書
  • QVBとは
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