吉田みきと ほぼ毎日ブログ

「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。」 吉田松陰・高杉晋作語録   「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない。」 西郷隆盛・山岡鉄舟語録

2014年02月

G1サミット 九州・沖縄

九州の自治体や企業のトップが観光や地域活性化について話し合う会議「G1九州・沖縄」が福岡市博物館で開催され、初参加させていただきました。

1日目は、世耕弘成官房副長官や日本総合研究所の藻谷浩介主席研究員、「くまモン」生みの親でもあるクリエーターの水野学氏、ボストンコンサルティンググループの御立尚資日本代表らが登壇。地元からは高島宗一郎福岡市長、福岡地域戦略推進協議会の後藤太一事務局長、樋渡啓祐武雄市長らが議論。

また2日目には、麻生太郎副総理が登壇し、「“とてつもない日本”を、九州から」と題してスピーチを行う予定。エイチ・アイ・エスの沢田秀雄会長やロート製薬の山田邦雄会長ら大手企業トップのほか、九州からはJR九州の石原進会長や麻生の麻生巌社長、福岡地所の榎本一郎常務、玄海キャピタルマネジメントの松尾正俊代表らが議論。

私は、2日目の午後から、上記の方々の対談を可能な限り拝聴しましたが、やっぱり、この手の人たちの話は具体的な実践が裏付けにあるため、話の内容がダイレクトに腹に落ちます。この知見とネットワークを今後の活動に活かしたいと思います。武雄市の樋渡市長が言っていますが、このG1サミットの内容は、まさに日本のダボス会議でしょう。私がこの場にいることが、かなり場違いで恐縮でしたが、逆にありがたい機会と捉え、勉強させて頂きました。批判よりも提案を!思考から行動へ!リーダーとしての自覚を!を体現されていらっしゃる方々ばかりです。それぞれの活動とその思いがビンビンに伝わりました!
 
武雄市長とお会いして、先日、武雄市図書館を視察させていただき、指定管理者制度の上手な活用について感心している旨、話しました。武雄市長の著書「市長パンチ」に気づきを得た私としては、こんな場で親しくお話しすることができる、樋渡市長の度量の広さにあたらめて、敬意を持ちました。

<武雄市図書館は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/35932399.html 
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福岡市観光案内ボランティア

福岡市役所1Fロビーに、福岡市観光案内ボランティアのブースがあります。毎日、櫛田神社をはじめとする博多のまち歩きしながら、博多の歴史や文化に触れる約1時間の定時ツアーが組まれています。

まちあるきの定時コースは、複数設定されており、参加者がそれを選んで無料参加しますし、別途観光ガイド料 ガイド一人につき1,000円で所要時間2時間程度のオリジナルツアーもアレンジしてくれるとのこと。

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ブースの設置は福岡市の負担でやっていますが、ツアーの運営自体は、本当の意味でのボランティアだけでやっているそうです。ボランティアは、一定の研修を受けた上で登録するのですが、まちに詳しく「福岡検定」等をやっている方も多そうです。この福岡検定の問題はマニアックでおもしろい!ぜひいわきでもやりたいと思います。
http://fukuokakentei.com/

観光ボランティア登録人数は80名以上いるものの、実際に自分の時間を割いてこのブースに立ってくれるボランティアは、半分くらいだそうです。登録者の多くは、定年直後の方が多いですが、それ以外の層も一定程度いるとのこと。ボランティアのメリットとしては、ツーリストに街のうんちくを教えることができ、福岡訪問の満足感を高めてもらうことと、ボラティア同士の交流だそうです。

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以前、伊勢参りをした際に、観光案内人の方に同行してもらって逐次説明いただいた際の満足度が高かったので比較したかったのですが、今回は、時間がなくまちあるきツアーに参加することはできませんでしたが、次回はぜひ参加して、街のうんちくを聞いてみたい。これもいわきにフィットするものかどうか、要素を分解して検証したいです。

<お伊勢さん観光案内人は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/31774680.html
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注)写真は、観光ボランティアさんの許可を得て撮影しています。

いわき市 学校給食に平成26年度産のいわき産米を使用を視野に検討

2月定例議会では、学校給食にいわき産米を使用することの是非の議論がなされています。いわき市教育委員会は市内の学校給食に、平成26年度産のいわき産米の使用を視野に検討することを、公の場で答弁しました。現在、いわき市では、福島第一原子力発電所の事故を受けて、平成23年に小中学校の学校給食での地元産(いわき産)米を使用しないこととしました。当時の判断理由は、米に含まれる測定線量の測定体制が整っていなかったことです。地元産米に代わって北海道産米が使用されるようになり、今日現在まで、それが継続しています。

その後、平成24年度から福島県内産米の全量・全袋検査が開始され、政府が決めた基準値100Bq/kgを全ての検査で下回っていることが確認されました。また平成25年度は、平成24年度に比して、全体的にBq数値が低減傾向を示していることが確認されました。

<平成25年産 いわき産米の全量・全袋検査 結果は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/36258935.html

いま、震災後約3年を経過し、学校給食にいわき産米を使用することに戻して欲しいという声が、農業関係者を中心に上がっています。これを受けて、いわき市教育委員会が 市内の学校給食に平成26年度産のいわき産米の使用を視野に検討しています(2月議会における教育部長答弁。実は、教育委員会判断でいつでも地元産に変更できるのですが、PTAの声を反映して現在も北海道産米使用を続けています)。一方、こどもたちへの放射能の影響を不安視する父兄からは、継続して北海道産米が使用して欲しいという声もあります。その立場・根拠をまとめてみました。

<地元産米を使って欲しいという立場:主に農業関係者・供給者側>
・すべての地元産米のBq数値は、政府の決めた基準値を下回っており、安全性は確認されている
・市外の風評被害を払拭するためには、市内で自ら「地産地消」しなくてはならない
・学校給食の食材Bq検査は、事前(全て)及び事後(サンプル抽出)によって、確認されている
・地域の農業に貢献したいという農業者の意思を、くみ取って欲しい

<地元産米を使って欲しくないという立場・主に児童の父兄・消費者側>
・政府が決めた基準値100bq/kgは、科学的に安全が完全に証明されたものではない
・現代科学は、あくまで現在ベースのものであり、放射能にはまだまだ知られていない未知の分野がある
・セシウムだけの測定では、安全性を担保できない
・こどもたちの低線量被ばくが、将来発達にどのように影響を受けるかは、未解明
・こどもたちは、大人に比べて放射線・低線量被ばくの影響を強く受ける
・こどもたちは、既に初期被ばくしており、これ以上の被曝の上乗せがないように、少しでもリスクを減らしたい
・学校内で集団生活を行う以上、こどもたちが、学校給食に供される食材摂取を、事実上強制される
・政府の決めたことは、信用できない

双方の主張には、それぞれの立場での理由があります。個人的に思うことは、立場が違えば主張も異なるわけで、多様性を認めたいということです。一方的に生産者側の立場を押しつけられても消費者側は困惑してしまいますし、消費者側も生産者側の事情を理解してあげたい。考え方の多様性を認めあう社会こそ、安定性があるし、そこからの発展性・創造性があると思います。。そして本当の問題の本質は、消費者側の最後の理由、「公的機関の情報が信用できない」ということではないかと思います。

災害に関して、最も信頼できない情報源を全国1,200人に2011.6に尋ねたアンケートで59.2%の人が「政府・省庁」と答えたとする結果が、2011.8に広瀬弘忠東京女子大名誉教授(災害心理学)によって明らかにされたそうです。調査は広瀬氏が運営する「安心・安全研究センター」が全国の15-79歳の男女を対象に実施したもの。同大学が2010年に、実施した同様の調査では政府・省庁とした人は22.7%で、東日本大震災での国の情報発信への不信感が明確に数字に表れました。

このように6割の一般人が、公的機関の情報が信用できないと言っている以上、さらに公的機関がひたすら声高に「風評被害の払拭」を訴えることは、(一定の消費者層にとって)逆効果なんではないだろうかと思ってしまうのです。
 

磐城平城 物見が岡 稲荷神社

鳥居忠政が、物見が岡に磐城平城を築いて400年以上になりますが、現在その城跡には物見ヶ岡稲荷神社が建っています。壕の形が草書体の「龍」の形に似ていた事から、別名「龍ヶ城」(りゅうがじょう)とも呼ばれました。天守閣の代わりに本丸の三層櫓を持ったその姿は、磐城名物三階櫓、竜のお堀に浮いて立つ」と詠われ名城を誇っていたそうです。城は戊辰の役で落城し、その際に火が放たれたため、当時の建物は焼失してしまっています。その後新政府によって民地として払い下げられ、この稲荷神社も、民間の手で建築されたようです。

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稲荷神社の建物は簡素な造りでした。
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平市街が一望できる高台にあるため、市の防災無線の設置場所としては最適です。実際、今でも運用がなされているそうです。
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ここにあった「本丸御殿」は、10畳程度の部屋が100室くらいあって、かなり広い面積の平屋の建物だったそうです。昭和の時代に、平城を再建・築城しようという機運が広がり、市民から募金を集めたことがあったそうです(史実では天守閣はなく三層櫓と、中央に本丸・平屋の執務棟があった)。物見が岡の中央部分には、そのコンクリート布基礎の遺構が広大に広がっていました。これを撤去するのには、相当なコストがかかりそうですが、逆に言えば、この広大な平たい敷地部分の潜在的な利用価値は大きいと思います。

現在は民有地のため、勝手なことはいえませんが、もし公有化できれば、いろいろなアイデアが考えられます。
・総合博物館(歴史・民族等)の敷地
・歴史・史跡公園
・三層櫓のみを作り、平市街から見上げることができるようにする
・イベント広場
・説明看板設置
・古民家宿泊体験 等

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<磐城平藩 最後の藩主 安藤信勇はコチラ>
http://www.mikito.biz/archives/36153045.html
 

磐城平城 白蛇堀(はくじゃぼり)

磐城平城の白蛇堀です。現在は、私有地内にあるため、出入りが出来ませんが、所有者の許可を得て見せて頂きました。当日は、いわきに珍しい積雪があり、なんとも風情がありました。

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敷地内は、植栽の剪定等の手入れがなされていましたが、白蛇堀の中に落葉がかなり溜まっていました。これを浚渫?撤去できれば、丹後沢ほどの広さはないものの、堀らしい姿がよみがえってくるでしょう。

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物見が丘からは、石段を使って降りていきます。どこか非日常体験ができそうな、ワクワク感の演出ができそうです。

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内堀跡にほんの少しですが、湧き水があり、井戸状になっています(殿様がお茶を点てるのに使った、という言い伝えがあるそうです)。したがって白蛇堀の水が枯れることがなく、周辺に川がないにもかかわらず、堀の姿が維持できています。

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白蛇堀の横には管理棟があり、建物内部からは白蛇堀が借景となりますので、建物の縁側から白蛇堀を見ながら、点茶等ができる仕掛けがあれば、楽しそうです。

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本丸跡が意外に広いので、公園として整備したならば、市街地に隣接した公園として市民の憩いの場、そして歴史の舞台としての着地型ツーリズムの拠点になり、また、その場所が市民の誇りになります。本丸跡から丹後沢、白蛇堀を回り本丸跡に至るルートを整備し回遊性を持たせることもひとつのアイデアです。 

共立病院建替プロジェクト 第1回デザインビルド事業者選定委員会 開催報告

共立病院建替プロジェクトとして、第1回のデザインビルド事業者選定委員会が開催されました。
日時:2014.2.23 15:00-17:00
場所:磐城総合磐城共立病院 第一会議室(管理棟2階)
出席者:委員が10名、事務局が共立病院内の10数名。傍聴者は3名の報道記者(開始20分ほどで帰ってしまいました)と、市民からは私ひとりだけ。

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2013.2.4に総合磐城共立病院 病院建設課が公表した「いわき市新病院基本設計」に基づき、その次のステップである「詳細設計」と「施工」を一括発注すべく、第三者の意見を聞くために集められた委員会です。基本設計は、新病院の施設配置計画、建物の規模等を定めた建築計画、建物内の諸室配置等を定めた平面計画などが、主な内容です。通常であれば、これをたたき台にして、設計業者の設計コンペを行い、その詳細設計図を元にゼネコンへ工事競争入札をかけることになります。しかしながら共立病院は、それらの手続きを省略して、実施設計・施工をまとめて1社のゼネコンに単独発注する予定です(補助金申請に間に合わせるため、といわれています)。そして、これをデザイン・ビルド方式と呼んでいます。基本設計は、総合磐城共立病院 病院建設課が、株式会社梓設計に、新病院の建築基本設計・解体実施設計業務を委託し、それに基づいて作成されています(梓設計への業務委託料は99百万円)。

<新病院基本設計(要約版)は、コチラ>※重いです
<デザインビルド事業者選定委員会 委員名簿 11名>(敬称略)
伊藤邦明(東北大学 名誉教授)
小野栄重(いわき商工会議所 会頭)
上遠野洋一(副市長)
河口豊(滋慶医療科学大学院大学 医療管理学研究科 教授) 
強口暢子(社会福祉法人いわき市社会福祉協議会 会長)
斎藤充弘(福島工業高等専門学校 建設環境工学科 准教授)
新谷史明(いわき市総合磐城共立病院 副院長)
鈴木のりこ(いわき市総合磐城共立病院 副院長権看護部長)
長谷川徳男(社団法人いわき市医師会 会長)
宮崎典男(副市長)
湯本長伯(日本大学 教授)

注)長谷川徳男(社団法人いわき市医師会 会長)氏は、公用のため欠席でした。委員会の進行は、以下の事務局案に従って進められました。写真は、委員長の河口豊(滋慶医療科学大学院大学 医療管理学研究科 教授) 氏です。

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<基本的な考え方>
・新病院の実施設計・施工は、設計・施工の分離発注ではなく、一括発注(デザイン・ビルド)とする
・一括発注にあたっては、公募型プロポーザルとする

<事業者選定委員会の役割>
・デザインビルドにかかる募集要項と、その審査基準の作成
・事業者からの提案に対する審査と、提案事業者の絞り込み

<委員会スケジュール>
2月 第1回委員会(これまでの経過説明と、今後の進め方)
3月 第2回委員会(募集要項、提案内容、審査基準)、デザインビルド公募の公告
4月 第3回委員会(1次審査※)
6月 第4回委員会(公開プレゼン、2次審査※) 
7月 第5回委員会(採点・最優秀提案事業者の特定)
その後、7-8月に市と工事業者間で工事契約を締結予定とのこと。

※1次審査(書類審査):業者の業務遂行能力で振り落とす。具体的には、会社とその担当者の大規模病院の設計・施工の実績で判断
※2次審査(提案内容の審査):以下の4点で審査して、1社に絞り込む
①設計能力
・設計プラン(実施設計における基本設計からの改善提案)
・イニシャルコストの削減(可能な範囲での設計調整)
・ランニングコストの削減(設備や仕上げの調整)
・省エネルギーや防災への配慮 等
②施工能力
・施工計画(工事期間中の安全管理や騒音対策など)
・品質管理の考え方
・工事期間中の駐車場対策
・工期内完成に向けた工夫 等
③地元活用
・市内企業との連携、地域経済活性化など
④その他、有効な提案

<いわき市新病院デザインビルド事業者選定委員会設置要綱>
今後、会議は原則として、非公開とすることとされました。
http://goo.gl/vZwUG8

<次回、第2回デザインビルド事業者選定委員会 開催日程>
・日時:3/17(月)17:00-19:00
・場所:(磐城総合磐城共立病院 第一会議室(管理棟2階)、今回と同じ)
・非公開形式で行う
 
以上、委員からいくつか質疑は出たものの、基本的に事務局案どおりに進行されました。傍聴の立場なので、当方からの発言はできませんでした。
 
委員会の中で、出席委員全員で共立病院8階に移動し、敷地全体を見学しました。写真は、全体敷地の南東部です。遠くに見える第3駐車場部分が、新病院建設場所になります。

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第3駐車場といえば、共立病院創設者であり、偉大な医院長、畠山靖夫氏の記念碑が置かれているところです(なぜか病棟そばでなく、遠く離れた第3駐車場に置かれています)。「患者さんあっての病院」、これを忘れてはなりません。

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マイクロ水力発電 実験開始@いわき市小川

マイクロ水力発電(小水力発電)は、大規模なダムを利用しないで行う小規模な水力発電のことです。いわき市の小川地区の農業用の江筋を利用した水力発電の実験が始まりました。これが実用化(広い意味での商業化)できれば、水力発電の設置箇所は無限に広がる可能性があります。

ある程度の水量があれば、基本的にどこにでも設置が可能ですが、今回は設置実験したのは、0.2㎥/秒の水量で、0.2KW(100W電球が2つ点灯可能)を発電する規模のものです。水の高低差はたった数十センチです。発電した電気を、夜間の街灯、もしくはイノシシ除けの電線に流す予定です。これを太陽光発電で行おうとすると、蓄電バッテリーが必要になるため、その点で水力発電は、24時間運用できるので、メリットになります。
 
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 これまで、水力発電が普及しなかった大きな理由は、河川を流れる水は公共のものであり、利用に当たっては、農業用水、水道用水、工業用水、水力発電などの目的ごとに規制や、いわゆる水利権の存在です。マイクロ水力発電は、あまり場所を選ばない(装置が比較的小さいため、ある程度の水量さえあれば設置が可能)ので、水利権がシンプルで関係者の合意が得やすい場所を探せるという特徴があります。このためマイクロ水力発電の未開発地は無限ともいえます。

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逆に欠点は、河川などには落ち葉やゴミ等が流れてくるので、その撤去等のメンテナンスが必要となることです。今回も落葉が詰まってしまい、掻き出す必要がありました。京都の小水力発電を見学させて頂いた際も、その朝晩の落葉掃除は必ずやっており、それがきちんとできるかどうかがひとつのポイントかもしれません。
 
<京都嵐山の小水力発電は、コチラ>
 http://www.mikito.biz/archives/26001079.html
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マイクロ水力発電は、設置時の工賃や機材のイニシャルコスト、メンテナンスにかかるランニングコストが比較的高く、採算性が低いと言われてきました。イニシャルだけでも4-5百万円といわれる設置コストも、今回の発電機及び制御盤の実証実験で、ほとんどの部品が汎用品(主に普及している太陽光発電の流用)で製作できることが分ったので、今後は、数分の一のコストで組み立てることも可能になってきます。この発見のインパクトは大きい。安価な発電ユニットを大量設置できれば、そしてさらにそのノウハウを他地域にシェアし、震災時のヘルプの恩返しができれば、いわきが再生可能エネルギーの拠点となる可能性も見えてきます。

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発電は直流で行いますが、整流や配電の都合から、交流に変換することになります。これらも基本的には汎用部品で対応可能です。

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最終的には、一般的なコンセントをつけて、これに電灯等を接続すればOKです。このマイクロ水力発電が、採算ベースに乗ってくると、電灯が引けないような山間部にも、水力発電により、防犯のための夜間街灯や、イノシシ除けの電線が張れることになり、その有用性が一気に高まります。これからの課題は、どの程度安定した運用ができるか、メンテナンスにどの程度手間ヒマがかかるか、要はメンテナンスコストがどうか、という点です。これは、実証実験を通じて、検証していくことになります。

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また水量が少ない場合に安定した電力が得られないことも考えられます。写真は水流の吸い込み口ですが、この程度の水量では、安定した発電には覚束ないとのこと。最低でもこの2倍くらいの水量・高さが欲しいです。逆に言えば、その程度で発電可能ということです。この感覚を得られたことも、大きい収穫です。

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水が高い位置から低い位置までの高低差の落下時の水流によって羽根車を回転させ発電を行うことで、電力としてエネルギーを回収することができます。運動エネルギーは、水量と落差の相乗効果ですから、それぞれを増やせば、(理論的には)正比例して、発電量を増やすことができます。

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デザインビルド事業者選定委員会 傍聴案内

2/23(日)15:00~@共立病院で、新病院建替えの「デザインビルド事業者選定委員会」が開かれます。今、共立病院建替え計画は、院内で検討した基本設計が終わり、数100枚程度のラフ図面が出来上がった段階です(実際にこの目で確認済み)。通常であれば、これをたたき台にして、設計業者の設計コンペを行い、その詳細設計図を元にゼネコンへ工事競争入札をかけることになります。しかしながら共立病院は、それらの手続きを省略して、実施設計・施工をまとめて1社のゼネコンに単独発注する予定です(補助金申請に間に合わせるため、といわれています)。そして、これをデザイン・ビルド方式と呼んでいます。
 
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総工費が数百億円の、極めて重要な受注業者選定を、このデザインビルド事業者選定委員会が行うことになったのですが、そのメンバーが明らかになったのは、2日前です。委員のメンバーを見ると、大学教授と院内のドクターを中心に、社福・医師会・商工会議所ら約20名が選定されています(面識のない方も多数。どのような過程でこのメンバーが選定されたか不明)。これだけの人数が揃えば、各委員の発言時間は数分ずつなので、通例に従えば事務局案のとおりに、議事が進行することが予想されます。

いずれにせよ、このメンバーで2回だけ会議をして、ゼネコンからプロポーザルを受けて、選定を承認することになります。そして7月にはそのゼネコンと発注契約をする予定です。総工費300億円もの発注を実質的に決めるメンバー構成や回数とは、私には思えません。

デザインビルド方式では、1社単独受注となるため、設計・施工のそれぞれの段階で競争が働かない(市場の見えざる手が働かない)とともに、外部からのチェックが難しく(なぜなら自分の設計したものに、工事側から厳しい注文は付けにくいし、逆もまたしかり)、品質確保を期待することが難しいという点があります。当初予定の工事金額が226億円でしたが、いつの間にか積算が膨らんで、いまや300億円を超えようとしています。インナーの方々が作りたいものを税金で作っているように見える、という意見も聞きます。「76億円の補助金が出るから、またとない機会」とは、清水市長の答弁ですが、それも国民の血税です。補助金ほしさに工期短縮を図り、コストアップにも目をつむり、経営改革を先送りすることは、将来建設コストの元本及び利子返済や、毎年、恒常的な医業純損失を背負うことになる次世代に胸を張って主張できるか。

私は委員ではないのですが、傍聴予定です。今回は公開形式と伺っていますが、次回から委員長裁定で非公開になる可能性があり、市民が(工事発注前の)議論の過程を直接見ることができる、最初で最後の機会になるかもしれません。工事発注後に後悔しても、時計の針は戻せません。

日時:平成26年2月23日(日)15:00~
場所:共立病院第一会議室(管理棟2階)

<提言書は、コチラ>
http://goo.gl/LPSidA

 工事期間中は、敷地内の外来用駐車場のほとんどが、使用できなくなります。

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磐城平城 塗師櫓(ぬしやぐら)をきちんと復元したい

2011.3.11の東北大震災によって、磐城平藩の居城であった、いわき市指定史跡「磐城平城跡 塗師櫓石垣」の西面の一部崩落しました。現在は、一部修復されているものの、本来の高さには遠く及ばず、以前と比べると下部の部分しか復元されていないのは明らかです。市民の文化財なのですから、(お茶を濁さずに)一刻も早くきちんとした元の姿に戻したい。

<一部しか修復されていない現在の姿>
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震災前は、現在の2倍ほどの高さがあり、城跡を彷彿とさせるものでした。この姿に戻って欲しい。

<震災以前の姿>
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<震災による崩落時の姿>
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出典:北日本近世城郭研究会HPより

市教育委員会によると、塗師櫓の石垣が市道に崩落したため、記録を作成した後に崩落した石を撤去し、さらに安全な高さまで石垣を解体したそうです。そして限られた教育予算の中でやりくりし、現在の姿になったそうです。確かにそれぞれの石に番号が振られ、記録は残っています。

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しかし修復した部分は一部分のみで、それ以外の部分の石垣は撤去、解体され、その石材は、市の埋蔵文化財収蔵施設である、斑堂収蔵庫に野外保管されていますが、このまま部分修復した状態を続けることに意味はありません。われわれのルーツである、城跡をおざなりにしたままでは、先人に申し訳が立たないし、文化度や日本人としての誇りが問われているのではないかと思います。一刻も早く、完全修復したいと思っています。

<収蔵庫の屋外に放置され、完全修復を待っている磐城平城 塗師櫓の石垣たち>
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<斑堂収蔵庫は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/35887629.html

いわきSeaWaveのトーク番組に出演 グローバル人材とは

2014.2.2放送のいわきSeaWaveのトーク番組に出演しました。与えられたお題は、「グローバル人材」について。いろいろなところで、このキーワードを聞かされるのですが、私は正直、「グローバル人材」という言葉が嫌いです。その理由は、グローバル人材と唱える方が信用できないからです。

・グローバル人材、という人に限って(必ずといって)グローバルに活躍していない方である
・外国語が流暢に話せることを、グローバル人材の第一条件に挙げている
・グローバルの意味を自分の言葉で説明できていないのに、何故かグローバル化のお題目を唱えている
・なぜグローバル化が良いのかを、(美辞麗句はともかく)自分の言葉で説明できていない

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結果的に、当初の企画の意図に沿っているかどうかはともかく、個人的意見を話させて頂きました。私が考えるグローバル人材の定義を、私の言葉でオリジナルで話しました。リスナーの方がどのように受け止めたかはわかりません。以下のYouTubeに同時録音の生音声を載せておきましたので、お時間あればお聞き下さると、私の思いが直接伝わるかもしれません。

<音声は、コチラ>
http://www.youtube.com/watch?v=pbScYqjyjyI

追伸:どうしてこの企画が私のところに来たかというと、ファシリテーターのやないけいこさんが、私の小学校のときの、英語の先生だったからです。 やないけいこさんは、現在、いわき市と姉妹都市であるオーストラリア、タウンズビル市との観光大使的役割を担っている方です。私を小さいころから知っており、その関係から(ある意味、好き勝手)思うところを自由に話させて頂きました。それをも受け止めてくれたことに、本当に感謝しております。
 

夏井川河口の防潮堤をサイクリングロード・ジョギングロードにしたい

夏井川河口の夏井地区海岸堤防が、昨年末に完成したので見て来ました。これは海岸管理者である福島県が、津波と高潮対策に総事業費約11億円を投じて、2013年3月から工事していたものです。堤防は震災時の津波の高さとほぼ同じT.P 7.2メートル※の高さがあり、全長920メートルです。旧堤防5.7mですたが、それよりも1m高くし、それに地震に伴う地盤沈下分50cmを加えて、1.5メートル高くなるように設計されたそうです。

また災害ガレキを有効に使うため、全国でも珍しい「CSG」(セメンテッドサンド・アンド・グラベル)と呼ばれる工法を使っています。通常、コンクリートは砂利・セメント・水を混ぜて作りますが、砂利の代替資材として、数ミリ-6cm大に粉砕したコンクリートがれきを混ぜるものです。これにより、災害ガレキを減らすこととともに、砂利確保も少なくて済むというメリットがあります(強度、耐用年数等については、現時点では未知数といわれています)。

※ T.P.:東京湾平均海面(Tokyo Peil)とは、全国の標高の基準となる海水面の高さ。

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この海岸堤防の上面は舗装されており、人が歩けるようになっています。信号もなく交差点もない、この舗装路面は、市民のサイクリング・ジョギングロード(遊歩道)に最適です。ぜひ県民に開放して、自由に散策できるようにしたい。市民県民の健康増進だけでなく、海への親しみや公共施設に対する愛着にもつながります。

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そして既存の自転車道と接続して、連続して長時間サイクリング・ジョギングが楽しめるようになれば、減災のための設備が、日常時にも役に立つことになり、資源の有効利用につながります。既に市内の夏井川沿いには、自転車道(新川~夏井川ルート)が整備されており、それとなんとか接続したい。太平洋が太陽に照らされて輝く姿を見ながら、散策、ジョギング、サイクリング等するのは、気持ちが良い。まさにサンシャインいわきを体現できる場所になるはずです。

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福島県河川砂防課HPに、夏井地区海岸堤防 全体空中写真(2013.11撮影)があったので転載します。いわき沿岸には、このような海岸堤防が、減災を目的に数年をかけて順次整備されていきます。整備の第一の目的は減災であっても、税金を投入する以上、県民のために有効な施設としなければなりません。


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平成25年産 いわき産米の全量・全袋検査 結果

福島県内で生産した玄米は、全量・全袋検査を実施し、食品衛生法に定める一般食品の基準値(100ベクレル/Kg)以下であることを確認し出荷しています。いわき市の玄米の検査点数は、548千袋で昨年(523千袋)とほぼ同水準です。

これは、いわき市やJAなどの集荷事業者14団体でつくる「いわき地域の恵み安全対策協議会」が行っており、市内5カ所・9台(JAいわき市が5カ所・5台、JAいわき中部、相馬屋、米問屋、福島糧穀がそれぞれ1カ所・1台)で全量全袋検査を行っています。米の全量全袋検査は、消費者の信頼回復への取り組みの一環で、消費者の信頼を回復しようと、24年度に引き続き、25年に県内で生産されたすべての米(縁故米などを含む)を対象に、放射性物質検査を行うこととしたものです。

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その結果は、昨年同様、基準値の100bq/kg超のものは、ゼロでした。詳細に見ていくと、明らかに各レベルでそれぞれ含有放射線量の減少していることがわかります。
・76-100Bq/kgが、昨年4件から1件に減少
・51-75Bq/kgが、昨年37件から2件に減少
・25-50Bq/kgが、昨年1,482件から225件に減少

ちなみに、上記割合を円グラフで表すと、以下のとおりになります。放射線量が減少傾向なのは判明したので、今後重要なのは、継続的にウォッチしていくことと、土壌から作物へ放射線物質が移行する仕組みを研究調査していくことなのではないでしょうか。

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なおいわき市では、区域ごとに生産出荷管理しています。下図の赤色が全量生産出荷管理している区域で、黄色が全戸生産出荷管理区域です。

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磐城平藩 安藤信勇(のぶたけ) 最後の藩主

安藤信正(磐城平藩 第5代藩主、安藤家第10代目)は、江戸幕府での老中、公武合体の立役者、外交政策の手柄、そして最終的に坂下門外の変で失脚することで、歴史上の人物となりましたが、磐城平藩の最後の藩主の安藤信勇(安藤家第12代目)の活動が、その後の磐城平城の方向性を決定づけました。この経緯をまとめたものがないので、幕末~明治にかけての磐城平藩の動きをまとめてみました(未検証)。

文久3年(1863年) 磐城平藩第6代藩主 安藤信民(安藤家第11代目)が5才で夭折したため、隠居している安藤信正(第5代藩主)により、安藤信勇が第7代藩主として迎えられ、家督を継ぐ。ただ若年(14才)のため、藩政の実権は信正が掌握する。
慶応4年(1868年) 戊辰戦争。当時、藩主信勇は平藩分領の美濃加納にある別邸に滞在中だった。藩主不在の磐城平藩の藩論は二つに割れ、恭順派は儒学者・軍事掛 真木光、抗戦派は執政 上坂助太夫。結局、在国の隠居 信正が佐幕派として奥羽越列藩同盟に加わることを決定し、新政府と敵対することになった。反対に、藩主信勇は上京し、新政府に恭順した。なお、磐城平城は落城に際し火が放たれたため、当時の建物はほとんど残っていない。敗れた信正は仙台に落ち延びたが、謹慎。
明治元年(1868年) 信正が新政府と敵対したことで、信勇も謹慎を命じられる。そして、陸中磐井郡3万4千石への移封を命じられる。それに対し、信勇は新政府に嘆願書を提出し、旧領復帰を働きかける根廻しを開始。
明治2年(1869年) 信勇は、政府に7万両を献金する代わりに、磐城平藩主として旧領復帰する。そして版籍奉還により、横滑りして磐城平藩知事となる。この時期に、旧平藩庁(現存)を急ごしらえで建設し、そこに住んだ模様。
明治4年(1871年) 廃藩置県で免官。東京に移住し、華族となる。
明治5年(1872年) 隠居し、養子の信守(信民の弟)に家督を譲る。
明治17年(1884年) 子爵となる。その後、学習院で書道教授を務める。皇太子嘉仁親王(大正帝)の教官。忠君として元首の後継者により善くと思う、このときの厳しい教え方が、周囲から「安藤に不尊の念あり」との疑いを受け、礼遇停止(宮内省から華族へ渡る補助料)の処分を受けてしまう。大隈重信の「安藤家を潰してはならぬ」の一言で、どうにか家名だけは残る。晩年は磐城平に戻る。
明治41年(1908年) 死去

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その後ですが、
安藤信守(養子、信民の弟、13代目):子爵を継承。
安藤信篤(信勇の実子、14代目):子爵を継承。磐城中学(現磐城高校)で学んだ。かなり優秀で、将来が期待され八高(名古屋高校)に入学したが、在学中に結核で死亡。この学費調達に相当オカネがかかったらしく、前述の安藤家所有の磐城平城物見が丘の安藤家居宅とその敷地が、飯野八幡宮に売却された。その後、土地建物は民間に渡り、これ以来、安藤家はいわきの地を離れる。旧平藩庁は数度の改築等を経て、現在に至っている。

<現在の、物見が岡にある本丸・平藩庁跡に建つ建物外観 2014年2月撮影>
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安藤信昭(養子、有馬頼万次男の頼篤(よりあつ)、15代目):閑院宮戴仁(ことひと)親王の第一女王恭子(ゆきこ)を室に迎える。礼遇停止が解除される。子爵を継承。貴族院議員として活動。
安藤信和(信昭の実子、霞が関ビル隣の霞会館(旧華族の集会所)の正式登録者)
安藤綾信(信昭の養子、16代目。安藤家で伝承された茶道の御家流(おいえりゅう)の家元)、横浜在住。

福岡市カワイイ区民になりました

本日から、福岡市カワイイ区民になりました。私の区民番号は、46564。カワイイ区は福岡市が運営している「8番目の行政区」でバーチャルな区です。面積はゼロ平方キロメートルながら、人口は4.5万人を超える区です(住民票も発行されます)。もともとは、AKB篠田麻里子が、高島宗一郎福岡市長を表敬訪問した際の、ひょんなきっかけで出来た区なんです。
 
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本当の設立目的は、福岡市の魅力を「カワイイ」という切り口で発信し、地域振興につなげる目的、すなわちシティプロモーションです。プロジェクト全体は福岡市で情報発信を担当する市長室広報戦略課が担当しているとのこと。担当の係長(やはり、女性でした!)に、市役所内で、設立からこれまでの経過や、論点等のお話を伺ってきました。

カワイイの意味は、厳密には国語辞典に載っている意味ではなく、『愛すべき』や『心を和ませる』などの意味とと定義しており、女性のみならず、あらゆる人や動物、行動などについてもあてはまる言葉としているそうです。
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2012年に、当時AKBメンバーで福岡県出身の篠田麻里子を区長として始まった区は、当初は、登録の開始直後に登録者数が3万人を突破し、現在は(紆余曲折があって)区民が4万人超、広告効果は2.8億円だそうです。(広告効果だけで測るのは、一面に過ぎませんが)運営予算1千万円のプロジェクトとしては、一定の成功モデルといえるかもしれません。ただ、初めての試みなので、つまずきや反対意見、等があったことは事実です。これを、アナウンサー出身の高島宗一郎福岡市長があきらめずに、本来の目的(市全体のシティプロモーション)を貫き通したことで、現在に至っています。

初代は、AKBの篠田麻里子が、福岡を応援したいという気持ちから6ヶ月間無償で区長を務めましたが、多忙なため、実質的な区長活動ができませんでした。そのため結局半年だけで退任し、その後継者が決まらないという状態が半年も続いたそうです(その間、住民票の発行業務は、高島市長が代理執行)。そこで県内在住の在日カナダ人でブロガー、英会話講師のミカエラ・ブレスウェートさんの2代目起用となりました。ミカエラさんは、20代の女性で、日本語・英語(ネイティブ)とも流暢に話し、同時通訳も可能で、外人の視点を持ちながら、福岡に10年近く住み、福岡の魅力もよく知っており、情報発信力もあるだけに、最適の人材であることは間違いありません。
 
また、男女共同参画の観点から批判的意見が出されました。すなわち、「カワイイ区は男女差別を助長するものではないか」などの苦情が4件寄せられ、男女共同参画審議会でも委員から「男女共画の視点を欠いている」などの意見が出たそうです。さらに、市議会でも「市長が公金をもてあそんでいるという市民の声もある」と取り上げられたりしていますが、市執行部としては、それら意見を取り入れた上で、現在のオペレーションを行なっているそうです。

カワイイ区は区民に対して特別住民票を発行したり、区政だよりを配布するといった「行政サービス」を行っています。カワイイ区の区民登録手続きは公式サイト上で行われ、登録はニックネームとメールアドレスを登録するだけで無料で行う事ができます。福岡市民でなくとも可能で、現在は50%が福岡市民、25%が東京だそうです。市民には区民番号が与えられ、メールマガジン形式の「カワイイ区政だより」を受け取る事ができるそうです。

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カワイイ区は「カワイイ区特別住民票」を発行しており、特別住民票は福岡市役所一階の「情報プラザ」にて有料(300円)で発行しています。市内の協力店や施設で提示すると様々なイベント・サービスを受けることができる[16]。ちなみに、使われている用紙は、スカシや福岡市ロゴマークが入っている本物で、300円という値段も実際の他の区の住民票発行にかかる費用と同じです。

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そのほか、福岡市は民間の事業者・団体に届出・審査のうえでロゴの使用を認めているほか、趣旨に賛同する民間からの名義後援やタイアップを受け付けているそうです。今日は、そのサンプルとして、地元企業が作ったコーヒーバッグ(1杯ごとにドリップコーヒーを淹れることができるもの)をいただきました。実際に、地元の宿泊施設に備え付けてある無料コーヒーとして、販売開始するそうです。バーチャルがリアルと融合する、瞬間ですね。

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五霊神社 鎌田山

五霊神社は、いわき市平鎌田にある通称、権現様で、元文一揆の義民の霊場とされています。場所は、東日本国際大学の裏手になるのですが、鎌田山(写真正面左)の森の中にあります。
 
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鎌田山は、東日本国際大学側は開発されてしまっていますが、五霊神社側の森はうっそうとしていて陽があまり差し込みません。
 
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ここには、元文の百姓一揆の碑があります。封建時代の農民は労働と納税の為にのみ生存しました。服従以外に道のない彼らは善政に遭えば感泣し、悪政が続けば哀泣したそうです。しかし無力忍従の民も、苛性極まれば時に政令に抗して暴徒と化しました。

享保10年、幕府は磐城平藩に対し、遠く栃木県下に土木工事を命じました。磐城平藩の財政はすでに窮乏していたため、増税を重ねて対応しました。家財建具にも税を課し、さらに夫役金として百石につき1両3分の追加課税すると発表しました。すでに重税に苦しんでいた領民からは、怨嗟の声があがりました。

そして元文3年に、いわき地方は米の大不作に見舞われました。農民は藩主内藤政樹候に税の減免を願い出ましたが、藩の財政も窮乏しており内藤氏はこれを却下しました。そこでついに、耐えかねた領民の磐城4郡181ヶ村の百姓衆2万人が税減免等の要求を掲げて総決起しました。平城下に怒涛のように押し寄せ、一挙に城下町を占拠しました。途中、割元や商家を打ち壊し、郡方の田町会所(町役人が詰めて、町内の住民を集めて奉行所などからの町触などの規則を伝達したり、逆に住民が提出する届書を作成する事務を行ったりした場所)を打ち破り、土蔵に保管の諸帳面を庭に持ち出し、一冊残らず焼き捨てたそうです。

藩の重臣達の屋敷も打ち破られ、これには藩当局は震撼しました。御番頭 赤井喜兵衛が農民と直接交渉し、いったんは農民の要求の大半を飲むことになりました。農民の要求は新歩役金賦課の全面撤廃を中心に、年貢率・役金・貯穀・検見役人・貨幣交換など、藩の基本的な農民政策全般に及ぶ20箇条でした。

赤井はこれらの要求を、江戸に出仕中の城主に取り次ぐということで時間を稼ぎ、騒動はいったん収まり、農民は帰村しました。しかし、その後、一揆の代表者はお尋ねの儀あり、として田町会所に招集され、計略によりそのまま投獄されて、翌年に鎌田河原で斬首されたわけです。結果的に藩は、農民の要求のほとんどを拒否しました。
 
柴原村 長治兵衛(死罪獄門7日さらし)
中神谷村 武左衛門(死罪獄門7日さらし)
藤間村 理右衛門(死罪獄門3日さらし)
平久保村 与惣治(死罪獄門3日さらし)
中好間村 理四郎(死罪獄門3日さらし)
八茎村 五三郎(死罪獄門3日さらし)
荒田目村 伊三郎(死罪獄門3日さらし)
下高久村 甚五兵衛(牢屋打首)
狐塚村 藤三郎(永牢)
下高久村 太平次(永牢)
下船尾村 伝兵衛(村預け)
荒田目村 喜惣次(死罪獄門3日さらし)

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本町通り側から急な階段を上っていきます。元文義民霊場入口の搭が立っていますが、見過ごしてしまうかもしれません。

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こちらの碑には、以下のようなことが彫られているそうです。
暴動の罪たる論ずるまでもなく而も悪政に抗して農民を塗炭の苦より救い首謀と目されて身命を落としたことは義民の名に恥ないものである。戦後人心軽薄となり犠牲献身の挙を軽じて義人烈士の名も漸く忘却されようとしている。これ果たして新日本建設の道であろうか。神谷農民組合の有志相謀って九義民の顕彰会を組織し世の賛助を得て碑を立て、永くその人を顕わしその霊を弔う所以である。

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 もう一つの登り口には、「地井戸」があります。現在は使われていませんが、地元の方のお話しでは、使おうと思えば使用できる状態にはあるそうです。まちなかにも井戸は、あるんですね。
 
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いわき市役所 マイクロフィルム室

いわき市役所には、一般人になじみがない、いろいろな不思議が部屋があります。そのひとつが、「マイクロフィルム撮影室」です。市役所8階にあるこの部屋は、展望食堂と同じフロアにあるにもかかわらず、人の気配が希薄な場所です。

実は、多くの公文書の10年間の保管期限が定められており、永久保管に分類されるもの以外の文書・図面等は、原則として廃棄処分されてしまいます。しかし後々、参考にすべきものもあるため、マイクロフィルムに撮影して、小さなテープに焼いて保存しているのです。

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こちらが、マイクロフィルムを閲覧するための機械(リーダー)です。マイクロフィルムが連続的にネガとして記録されているリールが入ったカセットを機械にセットします。次に、見たいマイクロフィルムのコマ番号をテンキーで入力します。すると、自動的にリールが回り出し、該当マイクロフィルムのネガ番号の位置で停止するという仕組みです。裏から光を照射し、画面に拡大されたものが投影されるわけです。

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閲覧簿には、庁内からの閲覧者が一日数件程度、記入されていました。過去の記録はとても重要なものです。以前、NHKスペシャル調査報告 日本のインフラが危ないを見て、いわき市庁内のインフラの図面・資料の保管期限を確認したことがありました。やはり原則10年間だそうで、一部の永久保存のものを除いて、廃棄されてしまい、インフラ建設時の重要な図面の多くが廃棄されてしまっていることがわかりました。今後、インフラ更新や補修を検討する際に、当時の図面や書類の閲覧が必要になってくるので、こういった記録を保存する機械は、(仮にローテクであっても)大事でしょう。

<日本のインフラが危ないは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/30434113.html

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大平楼 献上粕てい羅

大平楼 献上粕てい羅を、あるところでいただきました。磐城平藩の藩主、安藤家の家紋が使われているのが目を引きます。

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安藤家12代信勇(のぶたけ)公は、明治時代に平県の県知事になりました。平町の旦那衆の茶会で出されたカステラを度々賞昧されだそうです。この献上カステラは、当時のまま、お茶にあうカステラとして赤ざらめ糖の心地、しっとりと した古風な味わいに、上がり藤の御紋を押してあります。

なおこの絵は、磐城平城の物見ヶ岡の三層隅櫓の絵図です。磐城平城は、天守閣こそなかったものの、物見が岡とよばれる、頂上台地部分に本丸御殿を持ち、茶室「緑天庵」・「台子の問」、能舞台があった城です。 仙台藩伊達候が参勤交代の折、タ日に照らされた平城を遠くに眺め大変美しいと感嘆され たと伝えられています。

カステラ本体にも御紋の押印がありました。

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いわき市考古資料館 修復作業

常磐藤原町にある考古資料館に行きました。1997年に開館したこの施設は、財団法人いわき市教育文化事業団が運営しています。市内の遺跡で発掘された古墳時代や旧石器時代~江戸時代の遺構や遺物の常設展示を行っています。小中学生対象の勾玉や埴輪作りの体験学習や講座なども実施しています。

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コチラの特徴は、市内発掘の土器展示と、貝・動物の骨関連の展示が充実していることです。土器は、縄文時代・弥生時代・平安時代~と、年代別に順を追って展示されているので、土器の形状の発展の仕方・流行等を視覚的に感じることができます。

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ホンモノの貝塚の断面をはぎ取った、地層の断面モデルが展示されていました。貝塚を構成する貝の種類が年代によって違うことがわかります。

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いわきの化石の特徴のひとつが、完全な骨の状態で動物の化石が見つかることだそうです。樫村館長によると、ちょうどその時代に貝塚があると、貝のカルシウムが、動物の骨の浸食を守る効果があるそうです。

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骨材による釣り針です。制作段階ごとの化石がすべて揃うのは非常に希だそうで、先人がどのようにして釣り針を加工していったがわかるものとして、他からの展示に引っ張りだことのこと。

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粘土で作られた棺桶です。西日本にだけ見られるもので、東日本からはこのような形の棺桶の出土がありません。すなわち、埋葬されたいわきの豪族と西日本の朝廷が直接、結び付いていたであろうことを推測させる資料のひとつです。

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2Fは、教育文化事業団のスタッフが、発掘調査した遺物の記録・管理・保存作業をされておられました。調べる対象は膨大なため、バックオーダーが数年分以上、積み上がっているそうです。なお事業団の調査関連の正規職員は10名(館長等の事務局を含む)、日々雇用と嘱託職員が24名の合計34名です。事業団としては、他に以下の施設の指定管理者として運営を、55名で受託しています。合計89名。
アンモナイトセンター 4名
考古資料館 5名 
草野心平記念文学館 10名
暮らしの伝承郷 12名
生涯学習プラザ 12名
いわき海浜自然の家 16名

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作業風景。かなり細かな作業です。

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欠けている土器は、何日もかけて修復・再現していきます。根気のいる作業です。

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いわきでは「勾玉」もよく出土します。現代でも通用するような、貴石で作られていて、とてもキレイです。

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記録された遺物は、連番管理されます。最終的には、書籍の形で調査報告書にまとめられます。それに記載されている冊番号・遺構区・図番号を特定できれば、保管されているトレーを探し出すことができ、現物を見ることができます。実際、他の研究者が、調査報告書を見て、必要とする遺物を特定し、現物を出した上で研究の参考とすることもあります。

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何でも保管するのではなく、保管に値しないものは写真等に記録した上で、廃棄対象になります。

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写真はネガという形で、永久保管されます。

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最終報告書は、通常1冊の書籍となります。遺跡規模が大きいと複数分冊に分けて刊行されます。通常、数百冊が出版され、市内の図書館お呼び各自治体の教育文化事業団へ参考資料として送られます。逆に言えば、全国各地で調査され出版される報告書は、随時こちらの考古資料館へ送られてくるため、その保管だけでもラック10個以上が占有されていました。

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文化財は、その廃棄のタイミングが難しいです。通常の行政文書は保管期限が10年なので、自動的に廃棄手続きになるので、無限大に増え続けることがありません。しかし文化財は、いったん保管扱いになると永久に保管が継続になるため、増え続ける宿命にあるわけです。文化財の特徴の一端をかいま見た思いです。

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坂本紙店 リニューアル

いわき平字一町目の坂本紙店が、平成26年1月にリニューアルオープンしていました。震災後、本店ビルは取り壊され、ラトブ内のテナント「ふみの処さかもと」として移転営業していましたが、新店舗オープンにより、元の創業地に戻ったことになります。

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明治15年 現在地で平活版所(印刷業)を創業
大正7年 坂本紙店(和洋紙・文房具販売)を開業
昭和33年 現在地に鉄筋コンクリート4階建ての坂本ビルを新築
震災後、上記ビルは取り壊し
ラトブ内のテナント「ふみの処さかもと」として移転営業していましたが、新店舗オープンにより、元の創業地に戻ったことになります。「ふみの処さかもと」は、便利な場所にあり、営業好調のようなのでそのまま支店として営業が続けられています(私も、しばしば利用してます)。

建物は2F建てですが、文房具・紙店としての営業は1F部分のみ。段差がなく全体が見通せます。以前の店舗のような暗い照明でなく、今風の暖色照明です。

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「紙店」の矜持のとおり、紙材のラインアップは市内随一かもしれません。紙を使った製品等が展示されています。

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書画用品・香の老舗専門店の「鳩居堂」コーナーも置かれています。和の文房具フェチには、たまらない。

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2Fは将来的にはオープンスペースになると聞いていますが、まだ改装のようでした。

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入口付近には巨大が地球儀が置かれており、高校生カップルが興味深そうになで回していました。知的好奇心をくすぐる、このような仕組みはいいですね。本屋・文房具店の存在は、街の文化度を測るひとつの象徴といわれています。いわきには、ヤマニ書房・鹿島ブックセンター等の書店がありますが、大人や高校生が、頻繁に利用できるような文房具店が身近にできたことは、(自分も含めて)文化度・教養度向上のために、ありがたいです。今後、待ち合わせや、ふらっと立ち寄りに利用していきたいです。

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ミクロネシア ジョン・フリッツ大使 来市

在日ミクロネシア連邦のジョン・フリッツ特命全権大使が、昨日にいわき市役所にお越しになり、清水市長を公式訪問され、私も同席させていただきました。

大使からは、「第7回太平洋・島サミット」の平成27年度いわき市開催決定のお祝いが述べられ、市長からは、ミクロネシアからの来市を歓迎している旨の返答がありました。大使いわく、太平洋・島サミットの開催にあたって、単に会議だけでは勿体ない。ぜひ学生の国際交流の機会を作りたいとおっしゃって下さり、外務省とも協議の上、「中身のある」イベントにしたいと、熱く語られました。今でも、何か国際交流のきっかけになればと思いで、東京のミクロネシア大使館では積極的にいわき市の中学生の訪問を受入れていらっしゃるそうで、いわき市にとって非常にありがたいお話でした。
 
大使は、森喜朗元首相と家族同様のお付き合いをしているとのこと。私個人としては、2020年東京オリンピック開催時には、聖火ランナーにいわき・浜通りを走って欲しいと思っています。森元首相は2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長であり、旧知のジョン・フリッツ大使といわき市がタッグを組んでおくことは、後々重要な意味を持つはずです。
 
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フリッツ大使は、前日からいわき市入りしており、いわきサンシャインマラソン(10km部門)に参加される予定でしたが、大雪のため大会は開催中止になってしまいました。これについて、清水市長から陳謝がありました。なお、大使は、来週に開催される東京マラソンのフルマラソンに出場予定とのことです。

昨日も除雪が完全でなかったため、宿泊先の小名浜オーシャンホテルから市役所まで到着するまで時間がかかってしまいご迷惑をおかけしてしまいましたが、当初20分間の会談時間を延長し、和やかな雰囲気でお話し頂けました。終了後は、市役所玄関までお見送りさせていただき、東京にお車で戻られました。
 
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いわき市には、除雪車がありません

いわき地方に、45年ぶりの積雪があり、市内で数10cmの積雪が見られました。開催予定だった第5回サンシャインマラソンは、中止決定。なぜなら除雪しようにも、いわき市には除雪車がないからです。

除雪車とは、道路や鉄道線路の除雪を行う車両で、その機能は雪を掻き分けたり飛ばしたりすることです。磐城国道事務所では、幹線道路である国道6号・49号の冬季交通の安全を確保するための除雪作業車を保有しているのですが、通常、大雪が降らないいわき市では持つ必要性が低いので、保有していないんです。

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(参考:磐城国道事務所の除雪グレーダ)

積雪がある地方(例えば、会津若松市)では、通常、年間数億円の除雪費を恒常的に計上します。そしてその予算で、除雪業者に出来高払い(積雪がある度に出動依頼し、その出動回数・時間数×単価で請求)、もしくは季節ごとの包括払い(積雪の度に出動依頼するが、請求額を固定)するわけです。今回、いわき市は市内の主要な道路を除雪しますが、当初予算を取っているわけではないので(市議会承認、ありません)、まずは予備費から除雪費用を捻出することになると思います。

そもそも、いわき市には(除雪車の有無もさりながら)、専門の除雪業者が存在しません。今回の大雪では、市内の31の建設業者が、(通常の建設機械としての)ブルドーザー等を使って、除雪作業を行っています。しかし除雪能力には限りがありますので、総延長3,500kmの市道全部は無理です。優先順位を付けて作業せざるを得ません。今回の大雪でも、その能力を最大限使って努力をいただきましたが、一部地域にご不便をおかけすることになってしまったようです。

交通対策課によれば、通行量等を考慮すると、一般的な除雪の優先順位としては、①高速道路、②国道6号、49号線、③県道、④主要市道(鹿島街道や平-内郷線等)、⑤一般市道、⑥生活道路の順になるそうです。そうこうしているうちに数日間もすれば融雪してしまう可能性が高く、⑥まで除雪作業が入ることは、まず現実的でないとのこと。人道的な見地から一刻も早く除雪しなければ人命にかかわるという緊急的な事情等は別として、一般的には「自分たちの地域は、自分たちで」という、それぞれの地域・コミュニティで除雪対応する形にならざるを得ないということでしょうか。市では、地域と共同による除雪対策も検討していますが、具現化の道筋は簡単ではありません。 

いわきサンシャインマラソン 中止後のフォローアップが大事

本日(2014.2.9)開催予定だった、いわきサンシャインマラソンが、記録的な降雪のため中止となってしまいました。私もこれに合わせて日程をやりくりして練習してきただけに、がっくりしてます。天候次第の野外イベントのため、(いろいろな批判はありますが)致し方ありません。ただ、今後の主催者である実行委員会の、参加予定者に対するフォローアップの方法が大事です。

というのも、サンシャインマラソンの参加の過半数が市外からであり、これらの方々に不満を残さないような対応をしなければ、次回開催の参加者数に大きな影響を及ぼしかねないからです。
<サンシャインマラソンの分析は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/23495678.html

まず、今回中止に当たってのいろいろな批判を、(フルの参加申込者の一人として)整理します。

1. 開催中止の発表タイミングが遅い
前日から大雪が降っていましたが、前日夜の懇親会は予定どおり行われました。前日夜の段階で大雪警報が発令されていたにもかかわらず、前日の段階では開催中止決定せず、出走9:00am直前の当日6:00am(出走3時間前)の中止発表は、タイミングが遅い。
→天気の予測は難しく、また降雪があっても路面状態を除雪車によって整備できるかどうかは、主催者も直前にならないと判断できないと思います。その意味で3時間前でぎりぎり判断したのは仕方ないと思います。他のマラソン大会で当日朝に中止発表されているケースがあります。なお、主催者は事前に開催の判断は6:00am段階に行うと通知していました。

2. 開催時期2月は、東北の大会として望ましくない
東北地方に2月に降雪が多いのは、周知の事実なのだから、この時期の開催自体がふさわしくない。
→春・夏・秋にも、それぞれ台風・強風・梅雨・猛暑等の、マラソンに不適な天候不順イベントの発生確率はあるわけで、屋外イベントである以上、完全に天候リスクを回避することはできないと思います。いわき地方に、今回のような大雪が起きる確率は、他の天候不順イベントの発生確率に比べて著しく高いとは言えないと思います。全国のマラソン大会に参加しているベテランランナーの中には、さまざまな天候不順による当日中止を複数回経験されている方もいると聞いています。

3. 参加料の返還がない
実際にコースを走っていないのに、参加料が返ってこないのは納得がいかない。
→すでに、盛り上げるための経費(例えば、エイドステーションの飲み物や食べ物、安全確保のための警備員手配等)は支払い済みで、主催者側が、開催中止を理由に返還を求められるような性質のものではありません。もし主催者側が、返還を負担するようだと、今後中止リスクも折込んで参加料や企業協賛金を募ることになり、開催自体がしにくくなってしまいます。なお、参加申込みにあたっての申込規約で返金がないことを、事前にお知らせしています。

4. 当日サンシャインマラソンのホームページにアクセスできなかった
中止決定の有無を知るために、サンシャインマラソンのホームページにアクセスしたが、つながらなかった
→アクセス集中のため、接続できない状態が続いたものと思われます。これは謝るしかない。

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では、遠く市外から参加申込みされ、往復の交通費や前泊の宿泊費まで自己負担して参加されようとした、ランナー(もちろん市内参加者も4割以上いますが)に対し、主催者側はどのようなフォローアップをすればよいのでしょうか。

1. ごめんなさいのお手紙を出す
まずは早い段階で実行委員会から、開催中止をお詫びするお手紙を出したい(クレーム処理の鉄則が早期対応というのは、たくさんの先例で検証済)。主催者がコントロールできない天候不順が理由であっても、ランナーにとって、実際に当日走れず残念だったことは事実です。この事実に素直にお詫びしたいです。これは主催者ホームページに陳謝分を載せるだけでは不足と考えます(ランナー側に実行委員会のHPを見に来いという姿勢は、お詫びする側の態度として良くない)。直接、一対一でのお手紙が効果的で、読んで納得される方は多い。

2. 収支報告を添付する
参加申込みにあたっての申込規約には返金がないことは書いてあるので、法的には返金がないことは問題ないのですが、本当に全部使ったのか?という疑問は当然のことだと思います。したがって上記お手紙には収支報告書を添付すべきでしょう。残金があれば、慈善団体へ寄付することの承認を求めるお願いをしたいです。

3. 次回開催時に、特典を付ける
今回参加申し込んだ方は、いわきになんらか好意を持って頂いている方です。その方に、よりいわきを好きになってもらうため、今回の残念をフックとして、次回開催時に特典をあげることでそれを実現したいです。具体的には、参加申込時の優先申込や、特別なゼッケン(早い番号や、特別な色のゼッケン等)を用意する等が考えられます。これはお金をかけずともアイデア次第です。

上記の内容を、週明けに実行委員会に提案してくるつもりです。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
追加報告:
本日2/10(月)いわきサンシャインマラソン実行委員会と話して、当方から上記の提案をさせて頂きました。そして実行委員会事務局から、下記の回答を頂きました。

1. については、可及的速やかにランナー全員対して、郵送で陳謝のお手紙を出す方向です。参加賞(Tシャツ)をもらっていない人向けには、引換券を送付いただければ、Tシャツを無料で郵送するご案内もします。
2. については、収支報告は通常1ヶ月程度要し、実行委員会メンバーの承認も必要なことから、1のタイミングに間に合わない。要検討です。
3. 提案していただいた特典設定は、何らかやる方向で前向きに検討します。今回申し込んだランナーには、次回参加申込時の優先申込や、特別なゼッケン(早い番号や、特別な色のゼッケン等)が実現できるかもしれません。 

首切り地蔵 河原子地蔵堂 磐城平藩元文一揆

夏井川にかかる歩道橋、鎌田橋の平側のたもとに、首切り地蔵(河原子地蔵堂)があります。お堂の後ろが夏井川の堤防です。ここは、磐城平藩で起きた元文一揆の首謀者が斬首された場所です。一揆の指導者は若く、地域の中心的な人達であったため、後年御仕置きになったここに地蔵尊を建立し供養しているとのこと。たまたまサンシャインマラソンの向けて、河原をジョギング練習していたときに見つけました。
 
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今から260年程前の元文3年に、いわき地方は米の大不作に見舞われました。農民は藩主内藤政樹候に税の減免を願い出ましたが、藩の財政も窮乏しており内藤氏はこれを却下しました。そこでついに、耐えかねた領民の磐城4郡181ヶ村の百姓衆2万人が税減免等の要求を掲げて総決起しました。平城下に怒涛のように押し寄せ、一挙に城下町を占拠しました。途中、割元や商家を打ち壊し、郡方の田町会所(町役人が詰めて、町内の住民を集めて奉行所などからの町触などの規則を伝達したり、逆に住民が提出する届書を作成する事務を行ったりした場所)を打ち破り、土蔵に保管の諸帳面を庭に持ち出し、一冊残らず焼き捨てたそうです。

藩の重臣達の屋敷も打ち破られ、これには藩当局は震撼しました。御番頭 赤井喜兵衛が農民と直接交渉し、いったんは農民の要求の大半を飲むことになりました。農民の要求は新歩役金賦課の全面撤廃を中心に、年貢率・役金・貯穀・検見役人・貨幣交換など、藩の基本的な農民政策全般に及ぶ20箇条でした。

赤井はこれらの要求を、江戸に出仕中の城主に取り次ぐということで時間を稼ぎ、騒動はいったん収まり、農民は帰村しました。しかし、その後、一揆の代表者はお尋ねの儀あり、として田町会所に招集され、計略によりそのまま投獄されて、翌年に鎌田河原で斬首されたわけです。結果的に藩は、農民の要求のほとんどを拒否しました。
 
柴原村 長治兵衛(死罪獄門7日さらし)
中神谷村 武左衛門(死罪獄門7日さらし)
藤間村 理右衛門(死罪獄門3日さらし)
平久保村 与惣治(死罪獄門3日さらし)
中好間村 理四郎(死罪獄門3日さらし)
八茎村 五三郎(死罪獄門3日さらし)
荒田目村 伊三郎(死罪獄門3日さらし)
下高久村 甚五兵衛(牢屋打首)
狐塚村 藤三郎(永牢)
下高久村 太平次(永牢)
下船尾村 伝兵衛(村預け)
荒田目村 喜惣次(死罪獄門3日さらし)
  
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内藤候は徳川譜代大名でしたが、一揆終了後、幕府からその責任を問われ日向国(宮崎県)延岡に移封になってしまいました。延岡では、内藤家当主は、文化人として優れ、幕末まで安定した政治をして、今でも延岡の人達に愛さされています。不思議なものですね。
 

Mama'n Chu Cafe@みさきプレステージリゾート

Mama'n Chu Cafeという会に、ご招待いただきました。いわきの「子育てママさん」が、それぞれの思いを自由に話すという場です。場所は、小名浜のみさきプレステージリゾートという、風光明媚なところの会議室でした。

「こどもは未来の宝」とよくいわれますが、そのこどもを育てる母親の役目はとても大きい。事実として低線量被ばくがある状況下で、放射能に対する不安は誰にでもあります。我々大人はしっかりそれを受け止めて、それぞれが勉強する・測定する・納得する・防ぐ・避難する等の判断をしなければなりません。またいったんそれを決めたら(継続的に活動しますが)、こどもの前ではその不安を見せず、不安をこどもに伝播させないことも大事だと思います。その不安が、精神状態や成長発育、勉強や活動に悪影響を及ぼすことがないようにしないと。それらをしっかり理解され、行動されているママさん方ばかりで、共感しました。

常々、「復旧・復興」が予算配分や経済のことばかり焦点があてられていることに、やや違和感を感じています。ケインズ経済は私の基本的スタンスですが、市場が合理的に動くことが前提条件です。その前提条件が崩れている中で、財政投入・予算措置だけが一人歩きしている感があります。現在のいわきにおいて、こどもを持つ家庭の一定割合から、隙あらばいわきを逃げ出したいという声も聞かれます。そこには、行政機関への信頼が失われていることや、地域に対する郷土愛の薄れ等が遠因のひとつなのではないかと思っています。復旧・復興の予算措置と同時平行で、行政への信頼を取り戻し、こどもたちや家庭が主体的に郷土愛を持てる環境を整備することが重要なのではないでしょうか。

振り返ってみれば、地域に住み続けるのも離れるのも、今の職業を続けるのも転職するのも、日本国民の自由です。各家庭の行ったそれぞれの選択は、褒められるものでも批判されるものでもありません。震災後、いわき内から出た方は、ある意味でいわきの伝導大使として、行かれた地域でいわきの良さを伝えて欲しいし、たまに帰ってきて欲しい。そのためには、気持ち良く送り出したい。また新たにいわきに来られる方こそを、一番大切にし、温かく迎えたい。それが地域の持続的な成長の原動力の原点ではないかと思っています。

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主に原発事故を要因として、放射能に不安を持つママさんが、その思いを外に出す機会というのが、意外に少ないんだそうです。それを語る機会がMama'n Chu Cafeで、今回はその思いを行政に伝えるべく、私たちが招待されたというわけです。今回は第2回目の開催とのことで、スタッフの方々が懸命に準備・運営されていらっしゃいました。みなさん、積極的に自ら放射能の勉強をし、測定等の活動をし、情報交換をしています。

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子育て中で、多忙なママさん方。預かり保育等を利用して参加された方もいます。正直、どのような属性の方々がいらっしゃるのか全くわからない中での参加でしたが、皆さんが、「良い顔」をしていたのが印象的でした。

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本田技術研究所 小林三郎氏講演会

本田技術研究所出身の技術者、小林三郎氏の講演を聴きました。ホンダの創業者、本田宗一郎氏を「オヤジ」と呼び、直接指導を受けている、ホンダ創業時のホンダイズムを体現している方です。本田技術研所時代に、日本初の量産型のエアバッグを開発した方で、ホンモノのイノベーターです。「本田技研は、技術を研究する場所ではありません。人を研究する会社です」。ここから始まった講演は、ホンダ創業期の魅力とともに、イノベーションをお越し続けるヒントが満載でした。

ホンダの経営企画部長であった小林氏は、常に「イノベーションを成功させるためにすべきことは何か」ということを考え、その問い続けてきました。その答えがホンダでは、ワイガヤ、三現主義、哲学等の企業文化です。それぞれの技術開発プロジェクトにそれらがどう作用し、どんな効果を生んだかを生々しいエピソードと共に紹介していただきました。

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・本田技術研究所が持つ哲学
企業は、商品を売るのではなく、顧客へ価値を売るのです。従って顧客がどんな価値を求めるのかを、ひたすら担当者それぞれが考える必要があります。それが自分の腹に落ちてから、その顧客の求める価値を実現するため、どんな商流を構築する必要があって、その後で、どんな商品・技術を用意すればよいかの順に落とし込んでいくわけです。それが小林氏のいうところのフィロソフィーで、いきなり商品・技術を求めると、他社との差別化ができなくなるところに陥ります。逆にフィロソフィーを持って作り込んだ製品は、自ずと差別化ができている。

・イノベーション(革新)とオペレーション(通常業務)の違い
一般に企業が行う業務のうち、90%が通常業務(オペレーション)にあたり、残りの10%が革新(イノベーション)にあたるそうです。しかしイノベーションとオペレーションの違いについて理解している人は、経営層にもほとんどいない。「イノベーション」と「オペレーション」はまったく別の企業業務だとし、オペレーション力で出世した役員にイノベーションの管理は不可能。創業企業はイノベーションを原動力に成長するが、大企業になるほど2代目製品の開発などオペレーションの仕事が増える。イノベーションの経験がなく、オペレーション力だけを評価された役員が増えると、得意顔でイノベーションのタネをつぶして回るようになる。それが創業者のカリスマなき後の企業を衰退させる、とのこと。

いわゆる、イノベーションのジレンマにも言及されていました。19 世紀に商用の蒸汽船が登場した時、そのエンジンはまったく信頼の置けないものでした。また重量の嵩む石炭を積まねばならない蒸気船は、それが要らない軽量級の帆船からすると(風の条件が揃えば)全く相手にならなかったわけです。そこでイノベーションを志向する新興企業は、風の吹かない内陸の運河や湖など、限られた顧客に向けて売り込みました。まだエンジンは大陸間の航海に耐えられなかったので、大型顧客を抱える既存の造船会社はマストと蒸汽のハイブリッド船を開発しました。新興企業が限られた顧客のために蒸汽のみに開発を集中する一方、既存企業は最後までマストにこだわり、最終的に市場から撤退した話です。この話は、創業時のソニー社員から教えられたとのこと。

小林氏の発明したエアバッグも、当時の役員全員が開発製品化に反対だったそうです。それは金型製作にかかるコスト(当時4億円)や、他社もやっていない、すぐに必要とも思えない機能と判断されたためです。それでも顧客の求める価値(くだらない事故でも、不注意な同乗者をシリアスなケガから自動的に守る)を追求し、何度も直談判したとのこと。今でこそ、全世界標準となり、誰もがその必要性を認めるエアバッグですが、開発当時は、海の物とも山の物ともわからず、ホンダの経営陣であって、それがわからなかったという事実です。

・革新的な製品が生まれる仕組み
通常イノベーションが成功する確率は10%未満だと言われています。論理的よりも熱意や想いが推進力となること、長い時間がかかる仕事である点が特徴です。しかし、本田技術研究所はその倍という高確率で成功させてきました。ではなぜ本田技術研究所では成功率が高いのでしょうか。そこには、本田技術研究所ならではの仕掛け・仕組みがあります。ホンダの場合それが「ワイガヤ」「2階に上げてはしごを外す」などです。

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ここから氏は、提言します。
1. 40才以上は、イノベーションをすることは、ほとんど期待できない(数少ない例外のみ) 
2. 若者のイノベーションのアイデアの9割がカス。だけれど残りの1割にイノベーションのネタがある
3. 上司は、若者のアイデアに磨きをかけていく場を作る(EX.ワイガヤ会議) 
4. 経営陣は、上がってくるアイデアの担当者の目を見て判断する。本気だと3回感じたら、その案にGoサインを出す。

今回は、NUS(シンガポール国立大学)の同窓生の会が主催となって、小林先生にご講演いただきました。講演後も、同窓生の輪の中に入って下さり、貴重なお話ができて良かったです。本当にありがとうございました。

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いわき市立総合磐城共立病院 救命救急センターの疲弊

いわき市には、「救命救急センター」がひとつだけあります。救命救急センターとは、急性心筋梗塞、脳卒中、頭部外傷など、二次救急で対応できない複数診療科領域の重篤な患者に対し高度な医療技術を提供する三次救急医療機関です(正確には、共立病院は二次救急医療機関で、それに併設されている救命救急センターが三次救急医療機関です)。全国200か所以上ありますが、県内では、福島県立医科大学附属病院・いわき市立総合磐城共立病院・太田綜合病院附属太田西ノ内病院・会津中央病院の4つです。常時高度な救命医療に対応できる医師や看護師等の医療従事者を確保しておくことが必要とされています。

現在、共立病院の救命救急センターに所属している救命救急医の医師は4名のみ。いわき市・双葉地区・北茨城の医療圏40万人近くが、この4名の救命救急医に支えられているかと思うと、頭が下がります。もちろん他科からの応援や、応援当直といって他病院からの若い医師の派遣がないわけではありません。とはいえ、最終的に救命救急センターとしての責任をもって対応する常勤医の勤務体制は激務といって過言ではありません。平日昼間は、4名いるから大丈夫ですが、救命救急センターは休日・夜間も対応しなければならないからです。仮に休日・夜間に2名体制とすると、毎月10-15回の当直が必要になり、医師の疲弊は火を見るより明らかです。救急の専門ではない後期研修医の当直や各科からの医師応援があるとはいえ、持続的な仕組みではありません。

患者にとっても夜勤明けで疲れ切った医師に診療してもらうより、体力気力知力が充実した医師に診療していただいたほうがよいのは明らかです。なお、臨床指標による大学病院の医療の質・安全・患者満足度に関する調査という資料によれば、大学病院における薬の誤投与率は100件中2.3件、輸液の誤注入率は100人中1.4件という調査結果が出ています。このように人が携わる行為に完璧はないわけですが、医師のひとりひとり忙しさの軽減は、このような事故率の低減にも大きく関わってくると思います。 
 
震災後、救急車による搬入件数は急激に増加しました。やや沈静化していますが、それでも震災前の8%増です。青森県八戸市立市民病院救命センターでは、17名の医師が救命救急センターに所属して、救命救急の先駆者から技術を学んでいるそうです。志がある医師が働きたくなるような市民病院、地域としていかなければ医師招聘にはおぼつきません。

<医師招聘の案は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/34605520.html

いわき市消防本部の救急者出動回数は、年間約10,000回。そのうち約4割の4,200回(4,200台の救急車)を共立病院が引受けています。365日で割ると、一日あたり11.5台という計算になり、いわきの救急医療の最後の砦になっています。他の病院の夜間当直が1名程度の体制しか組めない状況下では、必ず複数の医師が当直している共立病院が、夜間の救急搬送を事実上、一手に引受けているといってもいいくらいの状態です。現場の医療スタッフの献身的な努力で支えられていますが、その疲弊が心配です。

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出典:共立病院地域連携室だより
 

いわき市内の暴力団関係逮捕者 急増中

暴力追放いわき市民大会でのいわき中央警察署長によると、全国の暴力団員数は63,200人、福島県1,050人、いわき市260人。人口比でいうと、いわき市の暴力団員比率は、全国平均より5割程度多いです。これには、複雑な歴史的背景等があるのでしょう。

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いわき市内の暴力団関係逮捕者は、平成23年15人、平成24年58人、平成25年168人と、2年前の10倍以上に急増しています。犯罪件数自体は増えていないので、暴力団逮捕者数だけが際立っているといえます。市内にもともといた暴力団員が260人であることを踏まえると、これら逮捕者のかなりの割合が、市外からの暴力団員が起こしたものと思われます。
 
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上記、暴力団関係逮捕者の過去3年間の合計241名のうち、除染作業員が171名だそうです。除染を名目に市外から暴力団員が入り込んでいるという噂は、どうもある程度本当のようです。一般人の除染作業員がほとんどでも、その中に暴力団員が少しでも混じって犯罪を犯したりすると、除染作業員全体として色眼鏡で見られてしまうのは、残念です。

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暴力団員が、除染作業員として市内に来る場合、遠くは四国・九州からも送り込まれてくるケースもあるとのことです。復興を機に、積極的な人材交流はウェルカムですが、負の一面も発生してしまっているようです。

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東京都知事選挙 掲示板のポスター貼り作業は公費負担でやるべき

東京都知事選挙の選挙期間に入って一週間あまり。(2/9投開票)。新人16人が立候補していますが、都内のポスター掲示板は半分が空欄です。実は、選挙費用の多くの部分は公費負担といって、税金が投入されて行われます。公費負担の対象の主なものは、選挙カーのレンタル代・ポスター作成費用・掲示板設置費用等です(基本的に、全国どこでも同じ)。東京都ではこの公費負担による支出を、約50億円と見込んでいます。猪瀬知事は東京オリンピック誘致という実績を残した直後だったのですが、都議会は5,000万円受領をやり玉にあげて辞任に追い込み、都知事選挙に持ち込みました。それには50億円かかってしまうわけで民主主義には多大なコストがかかる、というのが正直な感想です。

ちなみに、ポスターが貼られる掲示板の数は、都内全域に14,132台。都知事選のポスター掲示板は都選挙管理委員会が大きさを指定し、市区町村の選管が業者に発注します。掲示板の設置費用は都が全額負担し、掲示板の設置コストは、1台当たり約4万円といわれています(候補者のポスター貼り作業は、別)。
 
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選挙活動を経験した者としての実感ですが、この掲示板にポスターを貼るのが、選挙活動の最大のハードルのひとつなんです。1日かかっても、60-80カ所の掲示板を貼って回るのがせいぜいです。とすると、300人以上のポスター貼付け人員が必要になります(14,132台 ÷ 80カ所/日 × 2人チーム)。さらにいえば、掲示板設置から1-2日で貼り終えるためには、150人以上、まる二日間、ポスター貼りだけをやってくれる、ポスター貼りに熟練した支援者軍団を、事前に準備しておかなくてはなりません。理想をいえば、インターネット上で協力を呼びかけてボランティアを募集して、ポスターを張ってもらう方法もありますが、バーチャルなボランティアに、まるまる2日間のリアルの作業を依頼するのは、実際、非常に困難です。なお、ポスターの貼り方は、(慣れれば簡単ですが)間違うと選挙違反になり、貼り直しを命じられるおそれがありますので、最低でも1チームに1人は熟練者がいることが望ましい。ちなみに、専門の業者にポスター貼りの作業を依頼すると最低でも数百万円がかかるといわれています。

したがって、ポスター掲示板が新人等にとって、非常に不利な選挙ツールとなっているという事実があります。公職選挙法の理念は、「お金が無い候補者も公平に選挙で戦えるように、お金がある候補者が何でもかんでも金で解決しないで済むように」、という理念で作られたモノのはず。この理念に沿えば、ポスター掲示板も公費負担で「ポスター貼り作業」をやって欲しい。だって(頼んでもいない)大量の掲示板の制作・設置を税金でやっておいて、そのポスター貼り作業負担は、候補者が貼っても貼らなくてもご自由にどうぞ(結果として、人員や資金に余裕のある方に有利)というのは、論理的に整合していない。それに加えて、現在の掲示板設置業者にポスター貼りと一括発注すれば、1台4万円の設置コストと、大きく作業単価は変わらないはず。

立ち戻って考えると、掲示板の設置箇所数が少なければ少ないほど、選挙コストという税金投入が少なくて済むし、どの候補者にも公平ということに気づきました。同じく選挙カーへの補助もやめて、政見放送を毎日朝昼晩繰り返し流すことで立候補者の生の声を聞いてもらい、また選挙公報の立候補者の1人当たりの紙面を大幅に拡大することで人となりを判断してもらうほうが、より有権者のためになるのではないか。

公費負担の範囲や金額等については、「東京都議会議員及び東京都知事の選挙における選挙運動の公費負担に関する条例」で規定されています。これを改正すれば、法律的には可能です。一方、その場合、ポスター掲示板設置の前に、ポスター印刷が完了し設置業者にわたっていなければなりませんが、経験上、十分に対応可能だと思います。
 

認定こども園 まことアソカ保育園

いわき市には、現在、認定こども園が3つあります。保護者が働いていれば保育園、働いていなければ幼稚園などと、就労の有無により施設が限定されるのではなく、就労環境の多様化に対応して、子供たちに質の高い教育・保育を一体的に、そして0才児から就学前まで学びと成長の一貫性を追求した幼児教育学校が、認定こども園の理念です。
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既存の幼稚園と保育園と、運用上何が違う(同じ)なのか把握するために、認定こども園の一つである、常磐地区にある、まことアソカ保育園で、園長先生からお話しを伺いました。ここは学校法人まこと学園が運営し、まことアソカ保育園が0-2才児を預かる定員30名の施設で、それにまこと幼稚園が、定員60名(1学年)×3学年で200名を超える比較的規模の大きい園です。

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認定こども園とは、小学校就学前の子供に対する保育及び教育並びに保護者に対する子育て支援の総合的な提供を行う施設です。親が働いている・いないにかかわらず利用できる施設という点で、既存の保育園から進歩しています。

認定こども園となるためには、いままで運営してきた保育所もしくは幼稚園等が、一定の要件を満たした上で、認定してもらう必要があります。一定の要件とは、保育及び教育を一体的に提供し、地域における子育て支援を実施する機能であり、具体的には、厚生労働大臣・文部科学大臣が定める指針及びいわき市条例が定めます。その認定は都道府県・いわき市が担当するのですが、指針及び条例がどうにでも解釈できる(よくあることです)ことから、申請者にとっては、ブラックボックス化しているという面も否めません。実際に、いわき市において平成23年に10校が申請し、認定されているのは、現在3校のみです。

認定こども園には、以下の4つのタイプがあることになっています。
1. 幼保連携型:認可幼稚園と認可保育所とが連携して一体的な運営を行うタイプ
2. 幼稚園型:認可された幼稚園が保育所的な機能を備えたタイプ
3. 保育所型:認可された保育所が幼稚園的な機能(幼児教育)を備えたタイプ
4. 地方裁量型:認可のない地域の教育・保育施設が認定こども園として機能を果たすタイプ
ただ、いわき市の仕組みはちょっと変わっていて、既存の幼稚園(年少-年長の3年間)に、保育園(0-2才)が付け加わるが、場所も内容も実質的に同じ場所で行われるという形になっています。

私立の幼稚園は、一定の基準さえクリアすれば、教育の内容は園側で自由に設定することができます。こちらでは、毎日1時間弱、ネイティブの英語の先生(いわき在住のアメリカ人)に依頼して、英会話レッスンをしています(任意、オプション料金発生)。年中及び年長さん、約15名が参加していました。基本は、絵本の読み聞かせです。その後に、内容について先生と児童との間で、英会話のやりとりがなされるわけです。児童それぞれに英語の名前を選んでもらい、この時間中は日本語・日本名は禁止、英語・英語名だけのやりとりです。はじめて半年も経つと、英語へのハードルも低くなるそうで、自然と先生と英会話していました。児童の吸収力の早さと適応力の高さには、舌を巻きます。

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こちらで驚いたのが、広い!体育館です。これはスゴイ。外部から来て頂いている体育専門の先生と、児童が広い体育館を追いかけっこしていました。私は、いわき市立の保育園出身者なので、ある意味、私立保育園とは対局にありますが、この施設の充実度は、正直うらやましい。

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体育館の壁には、ボルダリング(壁登り)の施設がありました。楽しそう。これらの施設は教育関連の補助金(こども元気アップ交付金等)を利用して購入したものが多いそうです。

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校舎の中には、こども図書館もあります。太陽光発電(一般家庭の10倍の規模)も取り入れ、エネルギー情操教育も行われていました。これらの施設は、全て園側の任意で設置されているものです。園長の教育に対する考え方で、施設の充実度が大きく変わるということです。

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校舎は南側に校庭があり、校舎自体は鉄筋造2階建、南側はテラスになり、なだらかに半円形になっており、デザイン性が高い。内装には木がふんだんに使われていて、暖かみがあります。平成23年3月引渡しだそうで、東日本大震災時を経験しています。幸い引渡し検査期間中であり、構造に影響はなく、一部内装クロスの手直し等で済んだそうです。総工費は3億円以上、一部は補助金が利用できるものの、園の経営側(私立です)の負担も、相当程度あります。

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こちらの特徴のひとつが、保育園・幼稚園(認定こども園)とともに学童クラブも併設されていることです。小学校放課後に、学童のバスで湯本地区8校から、50人余りの小学生が、学童クラブ員として、ここで宿題等をやります。兄弟がいる保護者にとっては大助かりでしょう。なぜなら、別々の保育園・幼稚園・学童クラブに子供がいる場合、それぞれ回って子供をピックアップして帰宅させなければなりませんが、それが一カ所で済むからです。この時間・手間の短縮は、純粋なゆとり時間の増加ですから、多忙な家庭にとって大きなメリットです。こちらでは、ワンストップサービスをさらに進めており、オプションで体操教室やそろばん教室等のお通いごとも、施設内でやっているそうです。消費者目線の経営だなと感じました。

なお、奇しくも0-10才までを同じ場所で預かることになりますが、組織上3つの経営体がひとつの建物に入っていることになるわけで、園側の事務手続きはかなり煩雑、書類は多岐に及んでいるのが現実です。重複する書類作成作業は、余計な人的資源の浪費ともいえるわけで、制度の改善の余地は大きいでしょう。

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最後に、手作り給食のランチをご馳走になりました。園長・先生・児童・私等すべて同じメニュー(量は違いますが)。麦ご飯・マーボー豆腐・春雨サラダ・スープです。薄めの味付けで、美味しかったです。

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注)写真は、まことアソカ保育園様の許可を得て撮影しています。

日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ 安倍晋三、百田尚樹著

第72代内閣総理大臣の安倍氏とベストセラー作家の百田氏の対談が収録されています。経済政策、憲法改正、外交安全保障、靖国問題、など現代日本に課された様々な問題をテーマに議論しています。二人に共通する政治観が理解できました。

安倍総理は、百田氏が「海賊とよばれた男」で本屋大賞を受賞する前から百田本を繰り返し読むほど愛読しているそうです。百田氏も「永遠の0」に込めた想い、そして「海賊とよばれた男」を書いた理由を語っています。いま、私たち日本人に本当に必要なことは日本人としての誇りを持つことだ、が百田氏の一貫した主張です。
 
<海賊とよばれた男は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/27665170.html 

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<永遠のゼロは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/30321342.html

ベストセラー作家・百田尚樹と安倍総理大臣の対談ですが、百田さんは安倍さんが総理に返り咲く前から応援されていた生粋の熱烈な安倍支持者です。その意味で、対談中は、百田氏は快刀乱麻を断つ勢いのある言葉で熱く語っていますし、安倍氏のそれに答え、非常に率直に語っています。その結果、安倍首相が熟慮を重ねた、明確な政治姿勢が浮き彫りになっています。

安倍首相が掲げた「戦後レジームからの脱却」を百田氏は「戦後の自虐史観からの脱却」と解釈されていますが、なるほどなあと思いました。百田氏が詳細に記した様々な事実を多くの日本人は知識として共有していないと思います。例えば、靖国神社が戦後、ドッグレース場とならず存続が決まったのは、駐日バチカン公使代理ブルーノ・ビッター神父の「いかなる国も、その国家のために死んだ人々に対して敬意を払う権利と義務がある。それは、戦勝国か敗戦国かを問わず平等の権利でなければならない。もし、靖国神社を焼き払ったとすればその行為はアメリカ軍の歴史にとって不名誉極まる汚点となって残るであろう。歴史は、そのような行為を理解しないに違いない。靖国神社を焼き払う事は連合国の占領政策と相容れない犯罪行為である」との意見に連合国総司令部が肯いたからだそうです。私は、初めて知りました。

また総理就任以来、日々どのようなことを考えて行動されているのか、その貴重な本音が伺え、日本国に対する熱い思いがひしひしと伝わってきます。それにしても、百田尚樹は、日本人として、またテレビのシナリオライターとして、某新聞社に対し、激しい怒りと憂国の情を強烈に持っている方だと改めてわかりました。

巻末には、安倍首相の種々のスピーチが収録されています。いいたいことがしっかり章立てされ、論理的な文章(実際には口頭ですが)で、かつリーダーとしての品格が感じられ、政治家としての厚みを感じました。

田人第二小学校 閉校予定

田人第二小学校は、いわき市南部の国道289号線沿いにある、市立小学校です。田人地区にはかつて炭鉱があり、田人二小も最大180名の児童が所属していた時期がありましたが、現在の全校児童は1年生1名、2年生1名、4年生1名、5年生2名の全部で5名です。児童数減少に伴い、残念ながら今年度末で田人一小に集約され、閉校予定です。閉校の主たる理由は、児童には一定の集団生活を経験させるべきであるからと聞いています。このような極端な少人数の児童に対してどのような教育が行われているか把握するために、閉校前に校長先生にお話しを伺ってきました。

なお田人地区は、田人第二小学校の他、四時川分校・南大平分校・石住小学校・貝泊小学校の5つが同時に閉校となります。これらの廃校後の建物の利用方法はまだ決まっていませんので、地域の方と相談しながら、(廃墟になる前に)単に除却するのか、他の何かに転用できるのか等、活用の方法に知恵を出していく必要があります。

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校舎は木造平屋建、築19年だそうで、地元の杉材がふんだんに使われています。クラシカルな建物様式は、映画に出てきそうです。丁寧に使われているせいか非常にキレイでした。学校の隣りを流れる小川にはヤマメが泳ぎ、裏の土手にはカタクリの花が咲き誇るとても自然豊かな場所にあります。毎年5月に開かれる運動会には、保護者の他、地域の方が一緒に参加する競技がたくさんあり、200名近くが参加され、地域交流の大イベントだそうです。全校児童生徒5人で構成される鼓笛隊は、毎年お客さんから大きな拍手が。11月には「わくわく森の秋祭り」が行われ、全校児童と先生方が、合唱・合奏・ダンス・劇などを発表します。みんなで豚汁を作り、150人以上の来場者にふるまわれます。

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これで全校生徒、全員。5人の児童(うち2人は兄弟)に対し、先生も5人(校長先生を含む)。究極の少人数教育が(図らずも)達成されていました。

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極端に人数が少ないケースは、1.2年生、3.4年生、5.6年生でそれぞれ一クラスとするのが一般的だそうですが、田人二小の場合、そうしてしまうと4年生の生徒がひとりぼっちになってしまうので、さらに変則的な組み合わせでクラス編成するそうです。いずれにせよ、異なる学年の生徒が、異なる学習進度で、先生1に対し生徒2人(もしくは3人)という教え方で、生徒個人の授業をします。校長先生のお話では、先生がひとりひとりの学習理解度を完全に把握しながら授業ができるので、他の小学校に比べて生徒の学習理解度は極めて高く、少人数教育の利点はかなりあるようです。

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少人数教育の利点のひとつは、1人当たりの学校施設がふんだんにあることでしょう。ドラムや太鼓等を含む楽器は、取り合いになることなく、自由に練習できます。

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広い!体育館には全校児童5人と、体育の先生1名 計6名で体育の授業が行われていました。私は市立平第三小学校出身で、当時は1学年40名×6クラス×6学年=1,500名近い、マンモス校でした。体育というと、たくさんのクラスメイトとドッジボール等をした経験とは、全く異なる世界がここにありました。

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近くには学校林があり、季節毎に歩きながら動植物の変化を観察したり、地域の方々と一緒に作った遊具で遊んだりすることができるパワースポットになっています。ツリーハウス等を作ったりして、これは、とても面白そう!まちなかの子供には絶対出来ない経験で、正直これは羨ましい。

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学校横にはキレイな小川が流れており、ときおりヤマメが見られるとのこと。この水は、学校のプール(25m×5コース)に引き込んで、そのまま使えるほど澄んでいるそうです。学校の回りは杉林に囲まれ、人工物は限りなく少ない。時計の針の進みが、街なかの1/3ぐらいに感じた訪問でした。

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注)写真は、校長先生の許可を取っています。 
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吉田みきと プロフィール

ふるさとの福島県いわき市で、市議会議員として活動を開始しました! いわき市は、今、複層的な問題が山積しています。公認会計士としてのキャリアを生かし、フレッシュな視点で問題点を洗い出します。



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