収蔵庫の敷地には、東日本大震災で崩落した、磐城平城の塗師櫓の石垣の一部が雨ざらしになっていました(石なので、屋外で保管で問題ないのでしょう)。震災後に補修された塗師櫓は、震災前よりも小さくなったように見えたのは、気のせいではなくて、もとの石垣のパーツを全部使っていないから、小さかったという事実がわかりました。早く本来の大きさに戻して欲しい。石垣のパーツには番号が振られており、本来の形に復元は可能のようです。
収蔵庫の内部を、いわき市考古資料館の樫村館長にご案内いただきました。シンプルなラックに、膨大な種類の「モノ」が保管されています。考古学的な観点から収蔵されたもの(化石等)がメインですが、民族や風土に関するものも多いです。これらは当初、いわき市に民族や風土を総合的に展示する博物館を作るための展示材料として収集されたものです。しかし、いろいろないきさつで総合博物館構想が頓挫してしまい、とはいえ収蔵物を廃棄するわけにもいかず、永久保管扱いとなっています。
市内の遺跡調査は、通常バイパス建設や建物建築工事の事前に行われるのが一般的です。調査作業は、いわき市教育文化事業団(いわき市の100%出資の団体。いちおう外部団体という扱い)に調査・研究委託されます。もしそこで収集すべき化石等が発掘された場合、考古資料館内の調査研究室で、丁寧に分析調査され、記録されます。そして適切な分類され、採番され、専用トレーに入れて、この収蔵庫に移動となります。
専用トレーには、番号・遺跡名称・遺物名・記録資料番号・ページ数等のシールが貼られ、後日、記録資料を見て、その番号から、このトレーを検索できるようになっています。
ラックには、民族・文化関連の資料も豊富にあります。いますぐにでも民族・文化博物館として展示できるくらいの種類・量が保管されていると思います。
地域に残されていた、古文書?戸籍簿?等の文書も相当数ありました。
これはかつての消防車でしょうか。
火消しの纏などもあります。とにかく写真では語り尽くせないくらいの種類なんです。
磐城平城は戊辰戦争時に落城、焼失されたとされていますが、一部の櫓・門は民間売却され残っているとされています。そのひとつが、平新川町の個人宅の倉として使用されていましたが、経年劣化により取り壊された「長橋門」です。取り壊された部材は、いわき市に無償譲渡されたと、人づてに聞いていたので、現物を見ることができました。
<磐城平城 裏門 消失は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/23667674.html
保管といっても、木造の部材は、倉庫敷地の屋外に置かれ、簡易やトタン屋根がかけられているだけでした。お世辞にも良いとはいえません。すでに3棟ある収蔵庫の保管スペースが容量限界に近づいており、限られた保管スペースをどのように使っているか、正解はないのでしょう。
部材には番号が振られており、復元は可能なようです。ただ今のところ、復元の予定や目処は立っていないとのこと。私は、12月定例議会で磐城平城の公有化を提案しましたが、公有化の際には、ぜひこの長橋門を復元してほしいものです。
<平成28年2月議会 一般質問(磐城平城本丸跡地の公有化)は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/47001812.html
ただ横殴りの雨を防ぐことはできないため、木造の部材の朽廃が、確実に進んでいるように見えます。これ以上、朽廃させないためには屋内保管が望ましい。