吉田みきと ほぼ毎日ブログ

「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。」 吉田松陰・高杉晋作語録   「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない。」 西郷隆盛・山岡鉄舟語録

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム 木村守和氏

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウムの開催にあたり、いわき市医師会副会長の木村守和先生にご講演いただきました。木村守和先生は、いわき市四倉にある木村医院の院長も務められています。1984年に東北大学医学部をご卒業後、宮城厚生協会坂総合病院、1988年から、国立がんセンター外科で勤務されました。病院と診療所の連携、すなわち病診連携だけでなく、そこから一歩進んで、診療所と介護の連携に積極的に取り組んでおり、いわきの医療の大きな担い手の先生のお一人でいらっしゃいます。

3

 日本の医師数の絶対的不足に、地域における偏在、診療科における偏在が加わり、地方の医師不足は深刻な状況になっています。いわき市の病院勤務医数は、東日本大震災以前の10年間で379名から283名へと96名・25%も減った状況で大震災を迎えました。病院勤務医数・開業医数は震災前と比較して大きな変動はありませんが高齢化の傾向にあり、人口が約10%増えたこともあって医療提供体制は深刻な状況です。
診療科については、勤務医が不足ないしはゼロとなっている科も多い状況です。開業医と勤務医の連携・病院同士の連携・他の地域への紹介などが行われています。

 救急医療は、いわき市の医療において最大の課題となっています。磐城共立病院の救命救急センターは、震災前から常勤医が少ない状況が続いています。救命救急センターに搬送される患者の約1/4は軽症患者となっており、搬送先がなかなか見つからないために、最終的に「三次」救命救急センターで受けざるを得ないという状況です。救命救急センター常勤医の確保が急務ですが、救急患者の重症度に応じて「二次」病院や「一次」開業医でも受けられる体制を作らなければならないと考えます。
 また、現在いわき市は65歳以上の方が25%を超える「超高齢社会」となっており、医療・介護などが緊密に連携する地域包括ケアシステムの構築を、いわき市といわき市医師会が一体となって進めて行く必要があります。 
 今後ますます高齢化が進むことが予想される中、高齢者が住み慣れた場所で生活を続け在宅や施設で最期を迎える「看取り」を実現することで、最期だけは病院でという救急搬送を減らすことも重要であると考えます。
一方介護職員の不足が顕著であり、介護施設が職員不足のためにやむを得ずサービス制限を行っているところもあります。介護職員の不足も医師・医療関係者の不足とならんで大きな課題です。
いわき市医師会ではいわき市の救急・地域医療を守るため、「かかりつけ医」としての休日夜間の対応・休日夜間診療所などへの協力・在宅(施設)への訪問診療・「看取り」実現の取り組み・医療出前講座の開催などを会員へ呼びかけています。

    医師不足解消のために既卒医師・新卒臨床研修医を確保することは最重要課題であり、待遇面を含めて十分な配慮が必要です。磐城共立病院は症例が豊富で医学部卒業後の臨床研修に最適の病院であり、約3年後には新病院完成が決まっているということを全国に向けて発信することが大切だと思います。また、全国には訪問診療などに力を入れ地域に出ていく医療の魅力で研修医が集まっている病院もあります。今後、磐城共立病院でもこういった分野に力を入れることをご考慮いただければと思います。 
 
 医療を受ける市民の皆様には、医療資源が限られた資源であることをご理解いただき、日頃の健康管理と健診などの受診・体調不良時の早めの受診・救急車の適正利用などについてご留意いただきたいと思います。また、診療待ち時間が長くなっていることへのご理解とご協力をお願いしますとともに、休日・夜間などに受診した際は医師・医療関係者が疲弊していることへのご配慮をいただきたいと思います。

2

木村守和氏
1984年、東北大学医学部卒
宮城厚生協会坂総合病院勤務
(1988~1991年、国立がんセンター外科レジデント研修)
1997年より、木村医院院長
2002年より、いわき市医師会理事(介護保険・在宅医療)
2014年4月より、いわき市医師会副会長

出典:いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム ご寄稿集 

広野町産コシヒカリ 献上米

福島県広野町産コシヒカリを、友人からいただきました。知らなかったのですが、各省庁の職員食堂で買い上げている被災地の農産物割り当ての宮内庁分として、福島県広野町産コシヒカリをお納めすることになったらしい。

必ずしも天皇陛下がお召し上がりになるとは限らないけれど、もしかすると天皇陛下がお召し上がりになっているかもしれない。いずれにせよ宮内庁御用達、献上米となれば、ある意味、強力なブランドですよね。

もともとコメは、移行係数が低い(放射能土壌で栽培しても、作物に放射能が移らない)といわれており、現在の科学では安全であることが確認されています。それをもって安心とするかどうかは、それぞれ個人レベルの話です。まずは美味しいことの裏づけができたのは、嬉しいこと。

22

46



 

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム 開沼博氏

開沼博様は、福島大学うつくしまふくしま未来支援センターの特任研究員・社会学者でいらっしゃいます。いわき市四倉出身で東京大学文学部、同大学院学際情報学府博士課程をご卒業。「フクシマ論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」「地方の論理 フクシマから考える日本の未来」「1984 フクシマに生まれて」等の数々の著書があります。

磐城高校でも、かつて進路講演会をやっていただいたことがあります。
http://www.iwaki-h.fks.ed.jp/s_life/pdf/h24/120525_shinrokouenn.pdf
開沼

 震災から3年のうちに様々な形で復興は進んできました。しかし、いまも進まぬ復興があります。それは「理解の復興」と「生活の復興」です。「理解の復興」とは、「何となく福島はこうなのではないか」という事実とずれた認識がいつまでも続いていることを改善することです。地元から見える基本的な課題が被災地の外に暮らす多くの人に伝わっていない。その認識を改めていく必要があるでしょう。一方、「生活の復興」とは、そこで暮らす人の、仕事や教育、医療・健康づくりなど生活に根ざした問題を具体的に解決していくことです。
 
 ともすれば、震災や復興に関する課題は「大きな政治・科学の課題」を主語として語られてしまいがちです。例えば、「原発が」「避難が」「東電が」「防潮堤が」「復興予算の無駄遣いが」といったように。それはそれで重要ですし、被災地から遠く離れたところに暮らす人にとっても分かりやすいテーマです。しかし、それだけ、そればかり問うていても、現地に生きる人々の生活の状況は一向に改善しない現実もあります。その「復興」に関する議論が、本当にそこに暮らす人の生活に役立つものなのか常に意識されるべきでしょう。

 では、「大きな政治・科学の課題」ではない、そこにある「生活の課題」とはいかなる課題なのか。「若い人がいなくなって困っている」「この地域を支えてきた産業がダメになっている」「病院が混んでいて十分な対応ができない」「地域のつながりがなくなってしまった」これらの言葉は、一見震災によって特別に起こった被災地にしかない課題のようにも思えます。しかし、そうでしょうか。
  
 少子高齢化と人材流出、既成産業の衰退、医療福祉・コミュニティの崩壊。これらは日本全体、例えば、都市部でも団地とか郊外のニュータウンに行けば被災地同様に表面化してきている課題です。つまり、福島や他の被災地が抱える「生活の課題」は、日本全体、あるいは他の先進国でも普遍的に生じている課題です。それがとりわけ短期間に鋭く被災地に突き刺さっているのが現状だと言えるでしょう。今後の「復興」に必要なのは、生活に根ざした課題に向かい合い、そこに第三者を持続的に巻きこむ回路を作ることだと言えるでしょう。

 福島は「課題先進地」です。日本や他の先進国・新興国が今後抱える課題に対応する知見が眠っている。その課題を掘り起こし・解決のための道筋を示すことを目指す必要があります。そのために、私は昨年、「福島学構築プロジェクト」を立ち上げました。具体的には、「福島エクスカーション」や「2000人インタビュー」の取組みをしています。前者は、主に東京近郊に住む企業人、議員、NPO関係者などを対象にして行う日帰り視察会です。後者は、多様な「生活の課題」を、可能な限り把握するための回路、「生の口述データ」を用意するための大規模聞き取り調査です。
 
 必要とされる復興支援活動は、時間の経過とともに、短距離走型から長距離走・マラソン型へと変わってきています。私は「福島学構築プロジェクト」をはじめ、さまざまな具体的な取り組みの中から、少しでもそのような動きを生み出していければと考えています。
(2014年3月11日放送、NHK「視点・論点」で開沼が話した内容を要約)
 
開沼 博氏
福島大学 うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員・社会学者

出典:いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム ご寄稿集 

教育現場の疲弊 OECD国際教員指導環境調査(TALIS)

3.11東日本大震災から3年余りが経過しました。この3月の卒業生は、震災時に中学の卒業式・高校の入学式が満足にできなかった子達です。震災により直接・間接の親戚・友人を失い、また自宅の直接的な被害に会った子達です。それでも震災復興の3年間を、いろいろな思いを持ちながら磐城高校の生徒として通学し、卒業していきました。私の母校でもある磐城高校は市内の進学高校の一つで、多くの生徒が大学進学を目指します。

震災は間違いなく、各生徒の進学先・キャリアプランに少なからず影響を及ぼしました。特に、震災直後の救護活動や、福島第一原子力発電の事故を契機として、医療系を目指す生徒が増えたように感じます。また農業再生を目指す生徒もいました。事故は不幸なことですが、生徒が自分の進む道を自問した3年間となったので、強い意志をもって大学の学部選択をしています。そのような極めて強い意志や地域に貢献したい気持ちを持っていても、学力が伴わなくては希望の学部に進学できません。特に医学部は定員数も少ないため激戦、すなわち極めて高い学力が求められます。特に学費の面から私立医学部という選択肢がなく、国公立医学部先願という背水の陣を引かざるをえず浪人してしまう、もしくは医師への志をあきらめ、より合格が容易な他学部へ希望替えしてしまった生徒も少なくありません。ひとつの解決案として、6年間で数千万円という私立医学部の学費を完全に援助するファンドを作るという方法もあると思います。一定の条件を付した上で、私立医学部進学者に対して、学費負担ゼロで支援している自治体もあるそうです。
 
しかし何といっても生徒の学力そのものの向上に優る解決策はありません。ここにおいて残念なのは、現場の教諭が多忙すぎて、生徒の学習に直接向き合う時間が十分にとれていないことです。磐城高校においては、就業前の自己学習や、終業後の補習、任意のゼミ等、生徒の学習意欲を上げるようなたくさんの取組みをして、実際に効果を上げています。やりがいがある反面、教師の勤務時間がそれに比して増大し、現場は疲弊しています。例えば中学校の例ですが、経済協力開発機構(OECD)が行った国際教員指導環境調査(TALIS)※によれば、勤務時間も日本の教員は世界最長です。全世界平均の1週間の勤務時間が38.3時間に対して、日本は53.9時間と突出しています。多忙さの原因は部活や事務作業の時間です。また日本の先生は、指導への自信が低く勤務時間が長かったという調査結果も出ています。間接業務にはどのような業務の種類があり、それぞれ何時間を充てているのかまず全体を把握する必要あります。そして生徒に向き合う時間やその準備時間、そして教師としてのプロフェッショナリズムを維持する自己研鑽の時間等の優先順位を付けた上で、あるべき時間の割り振りをしなくては、効果的な学習指導がさらに困難になるでしょう。

※OECD国際教員指導環境調査(TALIS:Teaching and Learning International Survey)は、学校の学習環境と教員の勤務環境に焦点を当てた国際調査です。

talis2013cover
  
教育現場を見せて頂いて感じることは、高校生のポテンシャルは非常に高く、適切な「場」さえ与えれば、それに適応して能力を伸ばすことができるということです。昨年から、磐城高校と米イエール大学とで、毎朝スカイプ通話を始めました。これは語学力の向上というよりも、新しいものに対し、心のハードルを下げるという目的でやっています。そういった場を提供し続けていくことが大人の責務だと思います。

<スカイプ通話は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/32241947.html

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム 新田祐大・長塚智弘選手

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウムの開催にあたり、競輪選手中でも最高峰のS級S班選手、新田祐大氏から「自転車とまちづくりにかける思い」と題して、ご寄稿いただきました。基調講演当日には、同じくS級S班選手の長塚智弘選手と一緒にご登壇頂きました。新田祐大選手は、1986年生まれの福島県会津若松市出身。自転車競技の世界では日本強化選手に指定されており、ロンドン五輪出場経験を糧に、昨年は年内優勝10回、松阪バンクレコード更新と結果を残し、今年は現在日本ランキング6位です。

長塚智広選手は、1978年生まれの茨城県取手市出身。世界トップクラスのロケットダッシュで、2000年のシドニーオリンピック出場、2004年のアテネオリンピックのチームスプリントでは、銀メダルを獲得しました。早稲田大学スポーツ科学研究科トップスポーツマネジメントコースの社会人修士課程を卒業し、また株入門書も出版されるなど、様々な才能を持つ現役アスリートです。被災地の少年少女を対象とした、トップアスリートによる「バスケットボールクリニック」や「陸上クリニック」を開催したSS11のメンバーであり、昨年いわき平競輪で2回開催された「チャリーズ杯」というチャリティレースの立役者でもあります。

新田長塚選手

 福島県出身である私は、二〇〇五年より競輪選手としていわき平競輪場を中心として全国の競輪場にてレースに参戦する傍ら、自転車競技の日本代表としてロンドン五輪に出場し、現在は、二年後のリオ五輪でのメダル獲得を目指し、日々精進しております。今回は、愛着のあるいわき市にて、日常的に多くの人が利用しており、ファッション性の高さや近年のエコブームとしても大変注目されている〝自転車〟についてお話出来ますこと大変光栄です。
 
 何故ならば、環境に負荷を掛けず、化石燃料も使わず、健康に資する手段である<自転車>の魅力を届けて、子供からお年寄りまで多様に利用してほしいと思っていたからです。勿論、私のように競技者として志す未来のオリンピアンが地元福島から誕生してくれることも大変嬉しい限りですが、それだけではなく、子供の体力低下対策や子育て支援の一環として、また生活習慣病予防や足腰の強化といった健康増進が医療費削減などの効果にも繋がると期待されているのが、自転車のまちづくりです。

 私が、自転車の普及を図りたいと強く思ったのは、二〇一二年に出場したロンドン五輪での一戦がきっかけです。オランダやデンマークと並び自転車先進国であるロンドンでは、自転車は最も重要な移動手段であるとされ、車よりも優先する考え方を取り、これが「自転車革命」と言われています。地域の住民にもそれが根付いて、地元開催の五輪では、自転車競技会場は連日超満員で他国の観戦者はほとんど入れない状態でした。
その中で、叙勲制度においてナイトの称号が与えられている英国の自転車選手、クリス・ホイ選手と対戦した際です。選手の名前がコールされると同時に、会場には地鳴りのように英国コールが響き渡り、その声援を背に受け、クリス・ホイ選手は見事金メダルを獲得しました。私にとりましては、大変悔しい思いをした一戦となりましたが、国民が一体となり、自転車が国技として認められている、それを肌で感じた試合でした。

 最近では、日本でも自転車のまちづくりに盛んな都市が増えてきたように感じますが、自然豊かで、適度な高低差といった魅力的な地形であり、いわき競輪場やサイクリングロードといった環境も整備されているいわき市から自転車利用が地域の皆さんに根付くことで、ブームに繋がり、自転車ツアーやレース、サイクル事業の発端となり、環境、健康、経済、産業など様々な面で活用されていくことで、二〇二〇年東京五輪での日本選手団活躍の相乗効果に繋げていけたらと切に願っております。自転車のまちづくりの先進都市として、いわき市から発信される新たな自転車文化に期待しながら、老若男女問わず一人でも多くの自転車利用促進に向けて、私自身も競技者として、自らのパフォーマンスで広めていきたいと考えております。

新田長塚選手3

新田祐大氏
日本競輪選手会福島支部所属第90期S級S班 競輪選手 
自転車競技 日本強化指定選手 (2002年~現在)
ロンドン五輪出場経験を糧に、昨年は年内優勝10回、松阪バンクレコード更新(10’6)と結果を残し、今年は現在ランキング6位

出典:いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム ご寄稿集

医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい 上昌広著

8/9のいわき医療・まちづくり公開シンポジウムにおいて、トップバッターでご講演いただいた、東京大学医科学研究所の上昌広教授の新著です。昨今の各種雑誌でも、いわゆる医療崩壊が叫ばれていて、「医療崩壊列島ニッポンで超高齢社会をなんとかせねば!」調の表層的な記事をよくみかけますが、全く、分析の深度が異なります。まず「医療の不都合な真実」として、一般人にあまり知られていない事実を例示し、その問題点・原因・解決策を提示しています。事実を示すデータ&ロジックを踏襲した説明は、非常に具体的でわかりやすい。

不都合な真実 1 先端医療を食い物にする御用学者
不都合な真実 2 海外の特効薬が日本で承認されない理由
不都合な真実 3 大国立病院が軽症患者に占拠される実態
不都合な真実 4 救急車の患者たらい回しの「レッドゾーン」
不都合な真実 5 なぜ東北地方の急性白血病患者が多いのか
不都合な真実 6 薩長閥が作った歪な医師西日本偏重
不都合な真実 7 首都近郊の後期高齢者を待ち受ける地獄絵
不都合な真実 8 必須の「医学部新設」を阻む利権屋たち
不都合な真実 9 医療訴訟が本当に倒すのはだれか
不都合な真実 10 医療にも「ビジネスクラス」を

上先生がここまで 「医療の不都合な真実」を理解しているのは、ご自身もかつて国立がんセンター等でガン医療現場の最前線に立ち、不都合な事実を、毎日目の当たりにしてきたからでしょう(一般人には知り得ない情報)。また現在、医療ガバナンスの研究者という、医学界の権力の中枢部から一歩引いた立場で分析・研究できるからこそ見えてくることなのでしょう。この国の医師が本当のことを発言すると、途端に疎ましがられ、医療現場や権力から、徐々に排除される風土があります。もっともこれは医師の世界だけでなく、他の業界にもあてはまることなのですが、これまで医学界の情報が外部に漏れる機会がなかったので、ここにきて噴出しているとみるべきだと思います。いずれにせよこの本で、本当に役立つ医療とは何か、 医療をダメにする本当の「癌」は何か、があぶり出されています。
 
23

日本の医学は、明治維新の薩長雄藩のえこひいきで、医学部設置が西高東低になったこと、旧日本軍の医療施設が、現在の国立医療研究機関に看板替えしたこと等、の歴史的背景が、今になっても陰に日向に影響しています。また製薬会社・個人開業医・国立大学・私立大学のそれぞれの背景と事情がわかると、なぜそんな主張をするのかが理解できます。個人的には、国立病院の運営目的が、純粋にガンの臨床研究であるからこそ、ガンの重度患者を受け入れたくないという件は、驚きでした。特に、厚生労働省・日本医師会・全国大学学部長会議の行動ロジックを明快に書いてもらったのはありがたい。

上先生の提案する解決策は一貫しています。
<ダメなもの>国費・税金の投入、全国一律規制、ガチガチの岩盤規制、医療現場の過重労働
<進めるべきもの>将来の人材育成、医学教育のさらなる普及、健全な競争の導入、試行錯誤の積み重ね、自分の力で考えること

上先生地域偏在


 

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム 石崎芳行氏

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウムの開催にあたり、福島復興本社代表の石崎芳行氏からご講演いただきました。石崎芳行様は、東京電力 福島復興本社の代表です。慶應義塾大学法学部を卒業後、東京電力に入社し、広報部長や福島第二原子力発電所の所長を歴任され、東京電力代表執行役副社長となりました。広野町のJヴィレッジにある復興本社に常駐され、除染・補償・復興の前線を担当されています。将来を見据えどのように浜通りのまちづくりに貢献していくかという視点でお話しをいただきました。

石崎代表

 寄稿にあたり、まずは弊社福島第一原子力発電所の事故により、多大なご迷惑、ご心配をおかけしておりますこと、あらためて心よりお詫び申し上げます。廃炉には、これから長い期間を要しますが、弊社は、国と一体となり、さらに、海外の叡智を結集して、安全・確実にこれを成し遂げることを経営の最大の責務として全力を尽くして参ります。
 
 今年1月に新しい事業計画を公表しておりますが、その中でも福島、とりわけ浜通り地域の復興に向け、最大限取り組むことを明記しております。原子力損害の賠償を最後の一人まで貫徹するとともに、住民の皆さまの帰還に向けた生活環境整備に資するための住宅や公共施設の片づけ・草刈り・モニタリング等の活動に加え、地域の産業基盤や雇用機会の創出に、弊社としてもグループをあげて最大限の努力をして参ります。
 その具体策のひとつとして、常磐共同火力勿来発電所地点および弊社広野火力発電所地点での「福島復興大型石炭ガス化複合発電(IGCC)設備実証計画」を盛り込んでおります。貴市における経済復興や雇用回復・創出へ少しでもお役に立てるのではないかと考えております。現在、実現に向けて環境影響評価を行っており、2020年代初頭の運転開始を目指し、手続きを進めるとともに、運営形態を含めた詳細を詰めて参ります。
 
 また、今年1月に赤羽経済産業副大臣が主査となり、関係省庁、福島県、浜通り地域の5つの自治体の首長(清水いわき市長を含む)、大学等の研究機関、そこに私も福島復興本社代表として参加させていただき、福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想研究会が設立されました。6月までの議論の結果、今後、国をあげたプロジェクトとして、浜通り地域の復興を加速するために次の事業に取り組むことが示されています。
【①国際廃炉研究開発拠点の整備】廃炉に必要となる先端的な研究開発に関わる国内外の技術者が働き、生活できる拠点作り。
【②ロボット開発拠点】廃炉作業に今後必要となるロボットをはじめ、災害時に活躍可能なロボットなど幅広い分野における技術開発の拠点整備。
【③国際産学連携拠点】全国の原子力や廃炉等の研究を行う大学の研究室を集積するとともに環境修復や農畜産業等も含めた産学連携拠点の整備。
【④新たな産業集積】被災地から発生する廃棄物のリサイクルを行うとともに、そこから発生する熱エネルギー等を農業やまちづくりに利用するスマートエコパークの設置、再生可能エネルギー施設の積極的な導入により、地域経済への貢献と一定の雇用創出。

 日本は、本格的な少子高齢化社会を迎え、地方都市における生産者人口の低下は都市の活力を減じる大きな課題であると認識しております。原子力発電所の事故により若い世代の方の帰還の意志が低いという厳しいアンケート結果も目にしているところではありますが、浜通り地域を温暖で住みやすい環境をベースに、さらに魅力的な街にしていくことで、この地に住みたい、働きたいと思って頂ける方を増やすことが必須と考えております。そのためには、この地でなければできないようなオンリーワンを目指した新たな産業なり農業なりを考えていくことが必要であると思っています。東京電力としても微力ながら具体的なご提案や貢献策を一緒に考えさせて頂きながら、実現に向け全力で取り組んで参る所存です。

石崎代表2

石崎芳行氏
昭和28年生
慶應義塾大学法学部卒業
平成25年1月より 代表執行役副社長 福島復興本社代表兼福島本部長兼原子力・立地本部副本部長

出典:いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム ご寄稿集

セブンイレブン×エヴァンゲリオンキャンペーン作戦、始動。

セブン-イレブンで『エヴァンゲリオン』とコラボレーションしたキャンペーンが8月7日より始まっています。題して、「セブンイレブン×エヴァンゲリオンキャンペーン作戦、始動」。

【セブン-イレブン×エヴァンゲリオン作戦】は、エヴァンゲリオンのヌードルやベアブリックストラップなどがもらえるキャンペーンで、なんといっても、目玉は高さ約2メートルの『エヴァンゲリオン初号機ヒューマンスケールフィギュア』!セブン-イレブンカラーとレギュラーカラー2機合計で先着25体限定、一体170万円の価格設定です。8月31日(日)までレジにて予約受付中とのことですが、既に完売。話題性を持たせるのに十分です。

1

武雄市の樋渡市長やデザイナーの水野学氏が言っていますが、面白いモノやアイデアのほとんどが、既存の組み合わせ。大事なのは、くっつける接着力。そのために普段から情報を蓄積しておく。7-11とエヴァの組み合わせ、やってくれました^_^ 
 
<水野学氏、アイデアの接着剤は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/38840510.html 
 
2

 

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム 小松秀樹氏

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウムの開催にあたり、亀田総合病院副院長の小松秀樹氏にご講演いただきました。小松秀樹先生は、現在、亀田総合病院副院長です。東京大学医学部卒業後、山梨医科大学助教授、虎の門病院部長を経て、2010年5月より 亀田総合病院副院長に就任されました。亀田総合病院は、人口3万人の鴨川市という、ある意味人口減少に苦しむ地域にありながら、ベッド数700床、常勤医師が400人を超える、地域医療と高度医療を両立させている、日本を代表する経営をされている病院のひとつです。亀田総合病院は震災直後に、磐城共立病院の人工呼吸器装着患者や市内の知的障害者、人工透析患者を百名単位で受入れてくれた病院です。小松先生は「医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か」「医療の限界」等の著書を書かれており、医療界で日本を代表する論客のおひとりです。

小松先生浜通りの置かれた状況

 東日本大震災直後、福島県の透析患者、要介護者、人工呼吸器装着患者、知的障害者などを鴨川に受け入れた。筆者はこの作業に関与した。その後、南相馬市の医療再建を支援した。こうした活動を通して、いわき市のときわ会のような活動的な医療介護提供者と知り合うことができた。しかし、福島県に独立自尊の気風が弱いこと、地域エゴをコントロールできていないことが、医療の発展を阻害しているとしばしば感じた。
 
 震災前、浜通りの医師の供給は東北大学と福島県立医大に依存していた。医療の進歩や社会の高齢化のために、医師の需給は逼迫していた。東北大学も福島県立医大も医師の派遣要請に応えきれない状況が続いていた。それでも、福島県立医大の医局には、医師を引き揚げるにもかかわらず、他からの採用を邪魔することがあった。医局は、自然発生の排他的運命共同体であり、法による追認を受けていない。やくざの組織と同様、医局の勢力を他の医局と争っている。外部からのチェックが効きにくいため、何でもありの原始的な権力として行動する。医局出身者以外、あるいは別の大学から院長を採用したり、他の医局の医師を採用したりするだけで、医師を一斉に引き揚げることがある。
 
 日本で評価されている病院は、医師の教育制度を充実させ、自力で医師を育成している。地方の中規模病院でも、元気がよいのは、自力で医師を育てている病院だけである。医師の供給を大学だけに求めてきた病院が苦境に陥っているのは、医局員の数がニーズに対し相対的に減少したことに加えて、医局が医局外の医師の参入障壁になっているためである。
 
 筆者は、2011年9月、南相馬市の医療再建の支援を依頼された。自立を目標に作戦を考えた。自立するには、地域に臨床研修病院が必要である。そのためには、既存の病院があまり小さすぎた。そこで、公立相馬病院と南相馬市立総合病院を統合することを提案した。また、『攻めの医師募集』として、医師30名を募集した。ミッションを明確にして、医師に生きがいと価値を提示した。影響力のある医師12名に呼びかけ人になってもらった。病院は統合できなかったが、南相馬市立総合病院は、臨床研修病院に指定された。金澤院長、及川副院長が元気になり、積極的に発信するようになった。東大医科研の坪倉医師が南相馬市民の内部被ばくを測定し、世界に発信し続けた。亀田総合病院から出向した原澤医師が仮設住宅で診療開始。根本医師が在宅診療科を創設した。東大国際保健のチームによって震災関連のデータが世界に発信された。研修医が2年連続で2名ずつフルマッチ。常勤医師数は震災前の2倍を超えた。
 
 医師を集めるのに、特定大学だけに依存すると、全国区の医師募集はできなくなる。東北地方の大学病院そのものが医師不足なので、大学に頼っても、派遣医師は減少し続ける。医師1名、年間5000万円の費用を要する寄付講座からの派遣が増える。現状では、独立自尊の気概を持って、地域の戦略を考え抜くことでしか、医療提供体制を構築することはできない。

小松秀樹氏
東京大学医学部医学科卒業
山梨医科大学泌尿器科助教授、虎の門病院泌尿器科部長を経て2010年5月より 亀田総合病院副院長
著書「医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か」「医療の限界」等 
 
出典:いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム ご寄稿集 

アンのゆりかご 村岡恵理著

NHK連続テレビ小説で「花子とアン」が放映中です。赤毛のアンの著者、村岡花子のストーリーということを先日、初めて知り、その直系の孫の書いた著作を読んでみました。著者の村岡恵理氏は祖母、村岡花子の書斎を「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」として翻訳家の姉、村岡美枝と共に管理運営されている方です。著作物、蔵書、資料を保存だけでなく、書斎を愛読者や研究者に公開しているとのこと。一度、訪れたい。『赤毛のアン』の著者、モンゴメリの子孫や、赤毛のアンの舞台であるプリンス・エドワード島州政府と交流を続け、日加友好促進につとめているそうです。

55

ストーリーは、ほぼ、NHK連続テレビ小説で「花子とアン」と同じ。登場人物名や登場時期に若干、テレビ用にアレンジ・修正がされていますが、ほぼ同じ。貧乏な家庭に生まれながらも、東洋英和の給付生としてクリスチャン(プロテスタント・メソジスト派の学校)の女子校で英語による英才教育を受け、編集者となります。その後、印刷会社の経営者の息子と道ならぬ恋に落ちます。関東大震災では経営する会社をなくし、さらには最愛の息子を疫病で亡くします。太平洋戦争の間、大事な人からプレゼントされたの洋書「Anne of Green Gables 」を守り、戦後に翻訳して「赤毛のアン」を世に出します。最愛の息子を亡くしたかわりに、多くの子供達に明日への希望がわく物語を届けたいという想いを、情熱に満ちた生涯です。

実際にあった話として、実感できるのは、銀座にある「教文館」。プロテスタントのキリスト教を基盤とする企業で、財団法人日本キリスト教文化協会が運営に携わっています。各フロアには、キリスト教関連の書籍がところ狭しと並んでおり、非常に特徴にある本屋といえるでしょう。ここで主人公の花子が編集者として実際に働いていたそうです。連ドラで銀座が舞台になっていて、銀座のカフェで妹が給仕をやっている風景が想像できます。教文館の1フロアは、「ナルニア国」という児童書籍専用フロアになっていて、キリスト教以外の書籍も幅広く扱っています。私は、キリスト教ではありませんが、キリスト教文化の子女教育にかける熱意には頭が下がります。

もうひとつが「東洋英和女学院」。六本木にある有名女子校ですが、もともとは華族屋敷に囲まれていて、寄宿舎と校舎が一体になった立派な建物だったそうです。男子も受けいれた時期もあったそうですが、その後、第2次世界大戦で敵国の宗教や敵国語を教える東洋英和は、学校教育法の学校でなくなったため(各種学校扱い)、大学への進学が不利となり、キリスト教を捨てた分家が麻布学園(麻布中学校・麻布高等学校)になったんだそうです。先人の歴史の上に、現代人の生活はあるなあ。

この本は、花子の孫が書いたものですが、印象に残ったのは、村岡花子が「赤毛のアンの」舞台であるプリンス・エドワード島を訪ねることがないまま、その生涯を終えたそうです。晩年に米国を訪れたことはあっても、一度もカナダのプリンス・エドワード島を訪問しなかった(できなかった?)そうです。

外国に行かなくでも、素晴らしい文章が書けたのはなぜか?カナダ人教師からグローバルで自由な気質、生きた英語を獲得し、多くの華族や文化人・後の政治家たちと交わる中で、成長していったのでしょう。もってうまれた才能だけでなく、向学心に燃える時期の教育の重要性や、躾や学習環境の大切さを痛切に感じました。 

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム 上昌広氏

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウムの開催にあたり、東京大学医科学研究所 教授の上昌広氏にご講演いただきました。上昌広先生は、現在、東京大学医科学研究所 先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門の特任教授です。東京大学医学部、同大学院修了され、虎の門病院、国立がんセンターで造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事されました。「復興は現場から動き出す」「復興は教育からはじまる」の著者であり、日本を代表する医療ガバナンスの研究者です。

東日本大震災時後は、福島県浜通りの医療問題改善に取り組み、いわきにも何度もいらっしゃっています。南相馬への医師派遣にひとかたならぬご協力をいただき、現地での教育環境の向上に尽力され、また赴任された医師は現場に溶け込み、市民向けの医療セミナー等を頻繁に開催し、市民との期待ギャップ解消に努められておられます。

上先生地域偏在

 東日本大震災以降、福島県の医療支援を続けている。きっかけは原発事故後にいわき市のときわ会の透析患者を千葉県鴨川市に搬送したことだ。一連の活動を通じて痛感するのが、被災地の復興は人材育成にかかっているということだ。特に医療が果たすべき役割は大きい。それは高齢化が進むわが国で医療は住民の健康管理だけでなく、確実に雇用が見込める分野だからだ。現時点で医療分野の雇用数は、自動車産業と同じである。給与も比較的高い。例えば看護師の平均年収は約四七二万円だが、これは我が国のサラリーマンの平均所得(四〇九万円)より上だ。ただ、医療業界には問題がある。資格がいることだ。業務独占資格であるため、既得権をもつ抵抗勢力があり、新規参入が難しい。

 我が国では、医療関係者の養成施設に極端な偏在がある。多くの人は「東京に集中している」と考えているだろうが、実態は違う。医師の場合、東京の医師養成数は西日本と同じレベルだ。人口が一三三五万人の東京には一三の医学部。人口が三八八万人の四国に四つ、人口一三〇七万人の九州に一〇の医学部がある。一方、東京以外の東日本は少ない。人口が一三四二万人の千葉県・埼玉県には三つ、人口一九四万人の福島には一つしかない。この結果、我が国でもっとも人口千人あたりの医師数が少ないのは埼玉(一・五人)、千葉(一・八人)となっており、徳島(三・二)や福岡(三・〇人)の半分程度だ。東北地方も状況は変わらない。いわき市は一・七人である。丁度、メキシコの平均程度だ。看護師や薬剤師などのコメディカルは病院で養成される。このため、医師が少ないところには、コメディカルも少ない。例えば、いわき市の人口千人あたりの薬剤師は二・〇人だが、これはほぼ人口規模が同じ中核市である高知市(三・〇人)とは比べものにならない。

 先日、埼玉県の有効求人倍率が〇・七四倍であると発表された。アベノミクスで経済界が活況を呈する中、意外に思われるだろうが、これは埼玉県では医療産業が未発達であることが無関係ではない。現在、いわき市の経済は活況を呈しているだろうが、復興バブルが終われば、千葉県と同じ状況になるはずだ。このツケは、住民自らが払うことになる。医療従事者が少ないところでは、当然ながら医療レベルも低い。震災以降、福岡県出身の医師が相馬市内で働くようになったが、「福岡より一〇年は遅れている。医師個人のレベルは高いが、十分に治療を受けていない」と語っている。
 
 問題は医療水準や地域の雇用だけでない。地域の医師数は、地元の中学や高校の教育レベルに直轄する。それは各地の教育は、地元の大学への進学を目指してレベルアップするからだ。そして、医学教育は大学教育の中核を担ってきた。現在も旧七帝大のうち四つの大学の学長の座を医学部出身者が占める。
前述したように、医学部の配置には極端な地域格差がある。そして、その格差には我が国の歴史、特に戊辰戦争が関係している。官軍となった西国雄藩が、地元に優先的に国立大学を作ったのだ。九州・四国・中国地方には、国立大学の医学部は実に十六もあるが、東北・関東地方には九つしかない。人口比とすれば、実に四倍もの差だ。戦後の関東地方の人口増だけでは説明できない。

 医学部は高等教育投資の一つの例だ。他の学部も状況は似ている。そして、これが地元の教育に影響する。例年、十八歳人口当たりの東大合格者が多いのは、兵庫・鹿児島・四国・中国の各県が上位陣を占める。
スポーツも同様だ。例えば、高度成長期以降、公立高校が甲子園で優勝したのは、取手二高を除き、全て九州・四国・中国地方だ。かの池田高校は、人口一・五万人の町の野球部が高校や球界に革命をおこした快挙だ。故蔦文也監督は、赴任から四一年かかり、全国の頂点に立った。山間の田舎町に、本気で、こんなことを考える監督がいたことが、常軌を逸している。徳島の地域力の象徴だ。徳島の人口は、ほぼ浜通りを等しい。ここからは大塚製薬、ジャストシステム、日亜化学などの大企業が生まれている。中村修二氏をはじめ、徳島大学出身者が多い。徳島大学こそ、この地域の財産だ。
 
 東日本大震災を経て、東北に医学部が新設されることが決まった。安部総理の英断で規制が緩和された。今こそ、戊辰戦争以来、抑圧されてきた東北の飛躍の時期かもしれない。ちなみに、東北地方での医学部新設に、もっとも反対したのが、岩手医大・東北大・福島医大の幹部だったことが、この問題の本質を表している。抵抗勢力が要望するのが、「被曝医療センター」などの「ハコモノ」だ。いわき市でも、総額三百億円を費やし、市民病院を建て替えようという動きがあると聞く。専門家がいないのに、ハコモノを作って一体誰のためになるのだろうか。その借金は、子どもたちが払うことになる。地域の生き残りは人材育成にかかっている。長期的な視野に立った議論が必要である。

上昌広氏
東京大学医科学研究所
先端医療社会コミュニケーションシステム社会連携研究部門 特任教授
93年東大医学部卒。97年同大学院修了。医学博士。
虎の門病院、国立がんセンターにて造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事。

出典:いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム ご寄稿集

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム 1日目 地域の医療(まとめ)

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウムの1日目、テーマは地域医療です。雑駁ですが、以下に講演内容を箇条書きでまとめました。基調講演は、3人の方(敬称略)。
・上昌広(東京大学医科学研究所 教授)
・小松秀樹(亀田総合病院グループ 副院長)
・木村守和(いわき医師会 副会長)

<福島民友2014.8.10に掲載>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140810-00010015-minyu-l07
1日目まとめ
 
その後、基調講演者3名に加えて4名のパネリストに登壇いただき、いろいろな角度からご意見・ご提言をいただきました。不肖私がコーディネーターを務めさせて頂きました。
・坂本うめ子(福島労災病院 看護師長)
・菅波香織(弁護士・子どもを持つ母親)
・松野由以(麻酔科勤務医)
・森田知宏(相馬中央病院勤務、3年目医師)
 
1日目パネル

雑駁ですが、以下に内容を箇条書きでまとめました。

・医療資源は有限であることを、市民がきちんと自覚する。
・医師を他から呼んできて医師不足を解消しようとするには、ムリがある。とにかく先を見据えて人を育てること。看護師は地産地消が大原則
・東京も神奈川も、看護師不足解消を一番の優先順位にして立ち上がった。関東より南といわきは競合しないが、看護師の消費市場という点では、関東は巨大なライバルとなる。若い人材がとられる。このまま何も手を打たなければ、いわきの医療は崩壊する
・人を引き寄せるのは立派な箱ではない。身近な尊敬する人の生き方、文化、利他の心、そういったものをもっと深く見つめ直さなければならない。
・巨大なハコモノである共立病院を、巨額の市債を発行してまで建て直している場合ではない。東京五輪の影響で建築資材も人件費も高騰して、結局予定以上のお金がかかることは必至である。ハード整備より看護師をはじめとする医療関係者のソフト待遇を見直し報いることで、専門家・スタッフを集めることが先決。
・医師に生きがいと価値を提示、ミッションを明確化する。
・自助努力の足りない自治体病院はいずれ存続できなくなる。自治体は仕組み上、破綻できず、ハコモノを作るための借金は次世代の負担となる。民営化の可能性を常に考えて行動する。将来の民営化の障害になるような行動をとってはならない。

上昌広先生や亀田総合病院の小松秀樹先生の歯に衣着せぬご発言に、目が覚める思い、ときに苦言も呈して下さり、有り難く身に沁みました。また、実際に現場でご尽力のいわき医師会副会長の木村先生のお人柄とご発言も心強く感じました。

そして結局は、いわきの医療を変えるのは、行政でも医師会でもなく、市民のひとりひとりであり、そうあるべきだという指針も頂けました。医療サービスの受け手側にこそ、改革のキーポイントが託されている。現実を正しく知る。問題を共有する。智慧を絞る。発進と行動、これらはどんなことにも大切なプロセス。同時に予防医学への理解と取り組みが同じ土俵で討論されるようになったら、医療の未来は大きく変わるのでは、と一市民として感じました。

注)上記は、参加者からのコメントを中心に当方が感じた部分をまとめたものです。正確な内容については、当日配布されたご寄稿集や、別途公開予定の収録ビデオ等でご確認ください。 
140715_シンポジウムチラシ

フラガール甲子園 オリジナルステッカー

第4回フラガールズ甲子園の開催日(2014.8.24)が近づいてきましたね。当日入場券は、すでに完売とのこと。盛り上がり間違いないです。先日、サポーターに配られる、ステッカーをいたただきました。かなり、カワイイ。早速パソコンに貼ってみました。

05

 

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム開催に寄せて 島田玲於奈氏

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム開催に寄せて、として主催者のひとり、いわき医療未来会議 代表の島田玲於奈氏からご寄稿いただきました。
140715_シンポジウムチラシ


 2013年1月よりいわき市内にて「いわき未来会議」という市民会議が開催されています。私もいわき市医師会として参加させて頂いております。参加者はいわき市内外に問わず、弁護士、企業家、住職、教員、お子さんを心配する父兄、市内のボランティア関係者、相双地区の避難住民等々多岐にわたります。いわき市の今後の30年間を考え、何かを実行していこうという会です。
 
 医療に関しては「医療・福祉・介護」をひとまとめのテーマとして私から第二回より挙げさせて頂きましたが、いわき市は大変ひっ迫してきており、もはや医療関係者の力だけではどうにもならない時代に来ております。勤務医数に関しては、震災前の10年間で379名から283名へと 25%も減っていましたが、そこへ2011.3.11の震災が襲いました。そして人口の1割に当たる約3万人前後が、避難や作業員として流入、高齢化も相まって、医療・介護・福祉の需要が高まってきています。特に病院常勤医不足(救命救急、麻酔科、神経内科、皮フ科、膠原病内科等)が顕著で、平成22年医師・歯科医師・薬剤師調査によれば、福島県の病院勤務医師数は112.6人/10万人で全国第41位、平成25年4月1日の県南部に位置するいわき市の病院勤務医数は県北部の673 人、県中部の572人に次ぐ264人ですが、人口10万人あたりでは80.4人と県北部の140.6人や全国平均の141.3人の半分強しかおらず、人口が3万人増加している事から考えても危機的状況といえ、救急車のスムーズな受け入れも難しく、地域内で治療が完結できないケースも増えてきています。

 眼科も例外ではなく、この原稿を書いている7月現在、病院眼科常勤医は基幹2病院に計3名しかおりません。市民に限らず医師も少子高齢化が進み疲弊する一方です。緊急手術や夜間救急も難しく、非常時には郡山市や水戸市まで紹介しなければなりません。しかし個人でも現状を少しでも打開できないかと考えたのが開業医による近隣病院のバックアップです。現在、いわき市には公立の基幹病院の他にもいくつかの私立病院がありますが、多くの病院には眼科はなく、主に入院中の患者さんを中心に、依頼があればいつでもフレキシブルに診察に出向き、重症化を防止しようと考えています。これが成功すれば他科における勤務医不足解決の手助けになるものと考え、少しずつではありますが努力していきたいと考えています。
私は小さな眼科の一開業医ですが「医師として何か出来ないか。」との思いから、いわき市が運営している軽症患者向けの休日夜間診療所で、微力ながら約10年ぶりに内科・小児科診療を勉強させて頂いているところです。

 このような現状ですが、かねてから市民と医療関係者の対話と共有も必要だと考えておりました。そこで、いわきの医療の現状と未来について考える「いわき医療未来会議」という市民会議も立ち上げさせて頂きました。今回はその縁もあって、吉田みきと氏の計らいでいわきの医療問題とまちづくり問題を考えるシンポジウムを開催頂ける運びとなりました。

 ある時の未来会議では「すべての問題は、今までの自分たちの責任」という意見がありました。そして「自分から、まず変わろう」という意見も。あの3.11以降、世界は変わりました。我々も変わらなければなりません。いつ変わるの?今でしょう!

島田 頼於奈氏
福島県出身。磐城高校卒業。金沢医科大学卒業。同麻酔科、順天堂大学眼科、南東北病院眼科勤務を経て現職。現島田眼科医院院長。南東北病院、常磐病院、国立いわき病院、松尾病院非常勤医師。いわき市医師会理事。いわき医療未来会議 代表

出典: いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム ご寄稿集より

街なか野菜工場 ひまわり信金 ふれあい農園

野菜工場「ひまわり ふれあい農園」が、いわき市平字作町に完成・運用開始したとのこと。場所は元のひまわり信用金庫作町出張所の一階です。統廃合に伴いひまわり信金の作町出張所は閉鎖されており、その空き店舗を活用した事業です。ひまわり信金の経営企画室のご案内で見学させて頂きました。

外見は、出張所当時のまま。現在でも店外ATM(現金自動預払機)が設置され、見た目には銀行店舗そのものですが、中身は完全な野菜工場でした。
R0024013

農園設置の目的は、発光ダイオードを活用して無農薬野菜の水耕栽培事業のモデル工場とし、空き工場や空き店舗の活用した事業者への情報提供とそれに関わる地域貢献事業とのこと。確かにイニシャルコスト・ランニングコスト・管理に要する工数等、実際にやってみなければ分らないことも多い。それを収益を目的とする事業者でなく、中立の金融機関がやる意味はある。なぜなら収益を目的とする事業者なら、運営することで得られるビジネスノウハウが、利益の源泉・同業との競争力の差になるため、事業の詳細をオープンにしない/できないためです。期間限定で、事業者への情報提供とそれに関わる地域貢献事業としての金融機関の事業ならば、そのおそれなく、実績データを潜在的な事業者に提供できるでしょう。

それにしても、イニシャルコスト・ランニングコストで数千万円は要するこの農園を設置した、ひまわり信金の深謀遠慮には脱帽です。将来的・長期的には、貸出審査のノウハウや、資金貸出実績につながる可能性もありますが、それは数年後の話。短期的には、まったく収益を獲得しない、地域貢献事業です。

R0024014

1ユニット4段の水耕棚で構成され、1ユニットで約320株のレタスを育てます。6ユニット計24段で合計約2千株を栽培が可能で、さらにユニットを増やすことも可能です。ただ1ユニットは磐城農業高校への試験栽培用にとってあるそうです。

R0024015

種まきから20-30日程度で収穫が可能で、サラダ菜、水菜等、いくつかの種を実験的に栽培もしています。収穫した野菜は各支店の窓口などで、無償で顧客に配るそうです。こちらでは日勤で2名の方を採用し、常勤してもらっています。基本的な作業は、種付け・植え替え・収穫の3点。作業されている方にお話しを伺うと、一番大変なのは、収穫だそうです。拝見させて頂きましたが、収穫は1株ずつ、はさみを使って根を切って、集め、はかりで量って、小さい単位に梱包するという流れです。確かに他の校庭よりも工数がかかりそうです。一方、このような作業は、ある意味、ルーチン作業が多く、一度作業内容を覚えてしまえば、やれそうだとも思いました。市内には知的作業者向けの作業場がいくつかありますが、そういった施設が導入すれば、障害者のやりがいと、事業性が両立するのではないでしょうか。今後、よく勉強した上で提案していきたいと思いました。

R0024020

驚いたのは、水耕栽培のセットを製造販売している会社がすでに存在していることです。単品の手作りでなく、運営ノウハウとセットで、業務として販売しており、1ユニットのセット価格は、百数十万円とのことです。こちらの施設整備は京都市のゼネラルプロダクションというメーカーのものです。

工場はクリーンルームになっており、入室する前にエアシャワーを浴びます。見学にあたっては、マスク・キャップ・白衣をお借りします。今回はクリーンルームの外からの見学も想定して、比較的高価な透明アクリル板の仕切りを使用していますが、本来はもっと安価な仕切りで大丈夫。というか室温・光量・減菌を安定させるには、完全密閉の空間のほうが望ましい。

R0024037

よって農園内は無菌状態に近く、室温は21度、湿度は50~60%に設定してあるそうです。確かに無菌であれば農薬も使う必要がなく、「無農薬野菜」のできあがりです。しかし感覚的に、太陽の光をたっぷり浴びた、虫や土がくっついた形の不揃いなイメージがある、無農薬野菜。密閉された真っ暗な工場で、順番待ちで生産される工業製品が、無農薬野菜といわれると、違和感があるのも事実。

R0024038

土を全く使わず、LED(発光ダイオード)の光と養分を混ぜた水の循環で栽培されます。ですので、屋内で天候や気候に左右されず、安定的な生産が可能となります。水耕栽培で使うLEDは一般的には白色が多いけれども、こちらでは成長効率が良いとのデータが出た赤、青、白の3色としていて、その3種類の光がとてもキレイ。写真は発芽したレタスです。もうちょっと育つと、植え替えられます。

R0024031

 

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム開催に寄せて 吉田みきと

過日、8/9.8/10の二日間にわたり、いわきの医療・まちづくり公開シンポジウムが、いわき市文化センターで開催されました。講演頂いた方々だけでなく、広く市内外、専門家であるかどうかを問わず30名の方々から貴重なご意見、提言をいただき、ご寄稿集を発行しました。主催者のひとりとして、以下の通り、挨拶文を寄せさせていただきました。

吉田

この度はご多忙のところ、当シンポジウムまで足をお運び下さりありがとうございます。市民生活にとって、医療やまちづくりの優先順位が高いのはいうまでもありませんが、それが市民の手から離れてしまっているのが現状です。現在、いわき市内の医師不足数は約200名以上といわれております。この10年間つるべ落しに医師の市外流出が続いており、震災後もそれがさらに顕著になっており、地域医療の崩壊一歩手前という状況です。今後も、市民が受けている低放射線被ばくの健康への影響の推移を慎重に見守る必要がありますし、長期的な廃炉に至るまで原発作業員の健康を守ることも重要です。

今年3月に、国立社会保障・人口問題研究所の「日本の地域別将来推計人口」が発表され、日本の人口減少が本格化し、加速度的に進行していくことが明白になりました。しかし、多くの人はまだ「ああ、相変わらず少子高齢化が続くんだな」ぐらいの認識です。少子化の進行のみならず、高齢者も減っていきます。その結果、地方の小さなまちから順繰りに“消えて”いきます。その理由は、単純な人の数だけでなく、子どもを産める年齢の女性が半分になった時点で、街はインフラを維持できず、消滅することは不可避だからです。福島県は、不確定要素が多すぎるため、この予測の対象から外れています。これが意味するところは、いうなれば住民が、どんないわきのまちにしたいのか、自ら考え、実行していくことが問われているということです。

1日目まとめ

 医療サービスの質・量を決めるのも、どんないわきの街にするのかも、これまでは供給側であった公的機関や医療専門家・都市計画専門家らが担ってきました。しかし原発事故を契機に、需要側であるサイレントマジョリティである住民の意思・行動が、圧倒的に重要になりました。なぜなら望まない医療・望まない都市ならば、黙って住民は去って行くだけだからです。現実にそれが起きています。
 感情に流されず、きちんと現状を受け止めた上で、何ができるのか、いわきの強み・弱みはどこにあるのか把握した上で、まちを作る。私は、「まちづくりは人づくり」そのためには「若者・よそ者・馬鹿者」の視点が大事で、例を挙げれば、起業や遊びや文化芸能、将来や目の前の学習・仕事等にワクワク感が持てることだと思っています。若者は無限の可能性を持っていますが、それを開花させることができる「場」を提供するのは、われわれ大人の仕事ではないでしょうか。また若者は、そういったわれわれ大人の背中を見て、育っていくのではないでしょうか。

2日目まとめ

 震災前までの医療・まちづくりは、公的機関や業界関係の有識者らの意見が集約され、角がとれた、合意プロセスを経た一つのストーリーが提案・実行されてきました。それは安定した社会が前提だからできたことです。震災を機に、過去の単純な延長線上には未来はない、ということが明らかになりました。今回のシンポジウムは、業界関係者のみならず広く、市民さらに、市外(俯瞰できる、よそ者)からも論点出しと、建設的な提案をいただきました。それぞれの知見から、多様なご意見が出ることを期待しています。次のステップとしては、今回頂いたアイデアや提案を「どれを、いつやるか」「誰がどうやるか」になります。その素地を今回のシンポジウムで築きたいと思っています。

2日目登壇者一同

「弱くても勝てます」 高橋秀実著

全国屈指の東大合格者数を誇る超進学校開成高校を数年にわたって追い続けた、ルポルタージュです。常識を逸脱したユニークな野球部を、監督と選手たちへのインタビューを元に紹介しています。読むまで知らなかったのですが、テレビドラマ化もされているとのこと。

普通に考えたら、練習施設も整い、圧倒的な練習時間を費やしている強豪校に勝てるわけがありません。グランドを使って練習できるのは1週間にわずか1回だけ。その日に雨が降るとその週はグランド練習はなくなってしまい、定期テストの週とその前の週も部活禁止となるので、1ヶ月近く間が空くことすらあるそうです。そんなんで他校に勝てるの?

それでも「開成が甲子園?ありえないでしょう?!」と馬鹿にしてはなりません。実際、多数の学校が参加する東京大会において最高でベスト16。昨年の夏もベスト32。その秘密は、10点取られても15点取ってドサクサ紛れに勝つのが、開成野球なんだそうです。守備より打撃、サインプレーなし、送りバントもしない。守備練習はどんなにやったところでエラーするときはするからほどほどに。ピッチャーはストライクが入るのが条件。活路を見出したのは打撃。守備は積み重ねだが、打撃はコツをつかむと短期間で一気に上達する。そして点が入る。そのために、とにかく思いっきりバットを振る。そしてどさくさにまぎれて大量点を狙う。だから、勝つにせよ負けるにせよ、やたらコールドゲームが多くなる。このような徹底的な合理主義のもとに成立した弱いチームが強豪校相手にどう戦うのかという、常識を覆す大胆なセオリーは、感動的ですらあり、そこそこに強い。

開成高校野球部青木秀憲監督いわく、「一般的な野球のセオリーは、拮抗する高いレベルのチーム同士が対戦する際に通用するものなんです。同じことをしていたらウチは絶対に勝てない。普通にやったら勝てるわけがないんです」

42

「勝負以前に、(相手チームに)失礼があってはならない」「野球しようとするな」「一生懸命投げるな」「大雑把に振れ」「グラウンドでやるのは『練習』ではない」「何がなんでもヒットじゃなくて、何がなんでも振るぞ!」という謎のような監督の檄を生徒は理解しようとし、それぞれが自分の解釈を持ちます。
 
野球部の選手も、3年生になると東大を受験に専念し、進学するそうです。彼らはおそらく幼い時から勉強においては優秀な子として育てられてきたのでしょう。彼らは高校野球部で「自分たちは弱い」ということを改めて認識し、しかもそれを真剣に克服しようとしています。彼らが社会にでていってから、野球部で育んだしなやかさとしたたかさは必ずや、大きくプラスになるだろうという確証に近いものを感じました。

本郷学園 オープンスクール 私立大学上位校への進学実績の大躍進

東京巣鴨にある本郷学園のオープンスクールに行ってきました。本郷学園は、本郷中学校・高等学校の中高一貫の私立男子中学校・高等学校です。高校のラグビー部やサッカー部は全国を代表する名門。ラグビー部は1985年全国高等学校ラグビーフットボール大会では準優勝、2007年、2010年にも全国大会に出場しています。

OBには、こちら葛飾区亀有公園前派出所の秋本治、水泳金メダリストの北島康介らがいます。北島康介が、所属する東京スイミングスクールに一番近いという理由で、本郷学園に進学したことは有名。なお本郷には、学校のプールがありません。
 
24

訪問した一番の理由は、私立大学上位校への進学実績の大躍進です。2014年は教育関係者に、良い意味で大ショックを与えました。それまでの早稲田・慶応への合格実績は、二校合わせて100名台前半であったにもかかわらず、一気に273名まで倍増させたためです。これは尋常ではない、大躍進といえるでしょう。

早稲田・慶応だけでなく、上智や東京理科大への合格者数も、2014年に激増していることから、学生の学力の大きな底上げができたという証左といえると思います。

1
出典:本郷高校HPより加工(単位:人)

そもそも本郷高校は、過去に機械科を持っていたこともあり、近隣の巣鴨高校に比べ実学を重視した高校でした。しかし近年の「文武両道」の教育理念から、現在は普通科のみとなり、さらに特進コースが設置されています。この特進クラスでは、東京大学、京都大学、一橋大学、東京工業大学の入学を目標としており、この存在が、進学大躍進の根源かもしれません。

説明会では、先生によるプレゼンテーションの後、生徒による学内の生活の説明があり、生徒の引率で学校見学ツアーが行われました。実際の授業中の様子や、図書室、体育館、実験室等を見ることができ、校内の雰囲気が非常に明るかったのが印象的でした。生徒の運動クラブ所属率は、中学で9割以上、高校で7割以上と、まさに文武両道。

20

ラグビー部の練習を見学しました。ユニフォームには「NEC」のマークが。そうです。社会人と練習しているんです。遠目には社会人と高校生を見分けることができないほどで、技術はともかく、体格はまったくひけをとらないようでした。社会人から投げ方や戦術のテクニックを教えてもらっているようで、貴重な経験だと思います。

47



 

いわき市復興祈願土俵入り

いわき市復興祈願土俵入りが、上荒川の市立総合体育館で開催されました。大相撲の人気力士13人と70人に及ぶ相撲スタッフが、被災地を回る慈善事業です。4000席の会場のアリーナ席・二階席の入場は無料ですが、8000人の応募者があり、抽選になったそうです。
44

29

市長の両脇には、尾車親方と「スイーツ親方」大乃国・芝田山親方が。体格の良い市長が小さく見えます。

30

稀勢の里関、琴奨菊関の両大関、幕内の遠藤関らが、市内の小学生と「子ども相撲」でも盛り上がりました。特に、福島県出身の双大竜には拍手が多かったようです。関取は、小学生のまわしをつかんで振り回したりしていましたが、小学生に投げられたりする場面もあり、大きく盛り上がりました。

56

白鵬関、日馬富士関、鶴竜関の3横綱が復興祈願の土俵入りを披露すると満員の会場は拍手と歓声に包まれました。
 
34


いわき四藩のお殿様展と、小川江筋とその流れ展

いわき四藩のお殿様展と、小川江筋とその流れ展の同時開催@ラトブ5F総合図書館。分かりやすく、かつ内容が充実しています。超オススメ。平藩の内藤の殿様が石高増強のため命じて作った小川江筋、現在の飲料水の製造をしている平浄水場のほとんどの原水が小川江筋からです。われわれ現代人の生活は、ことごとく先人たちの歩みの上に成り立っていることが実感できます^_^ 

<小川江筋 血流記は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/30033098.html
<平浄水場は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/27926617.html
04-2

展示で秀逸なのが「小川江筋絵図」でsy。江戸時代に江筋割頭であったといわれる、下神谷の澤村神社宮司・金賀家に伝わる絵図で、小川江筋の維持・管理をするために描かれたものであるそうです。約30kmにも及ぶ小川江筋の流れを、縦30cm、横15mに渡る和紙でできた巻物に鮮やかな彩色が施されて描かれています。これは一見の価値があります!

<小川江筋 丸山隧道・蛇塚は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/30362258.html
57


 

旧警戒区域に行ってみっぺ 被災地スタディツアー なごみ邸の廃屋

旧警戒区域に行ってみっぺ 被災地スタディツアーに参加しました。ツアーガイドは富岡町出身の藤田大さんです。ツアー最後に訪れたのは、藤田大さんが経営されていた「お弁当のなごみ邸」です。藤田大さんの実家であり、職場でもあります。

<旧警戒区域に行ってみっぺ ゲンロン・ふたば商工株式会社ジョイント開催は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/39441989.html
27

「富岡は負けん!」のステッカーを持つ藤田大さん。「富岡は負けん!」は大きな横断幕や、Tシャツ・ステッカー等のグッズがあるそうです。私もステッカー、購入させていただきました。

33

外見からは建物はしっかりしているように見えます。実際、建物診断の判定は、「全壊」でなく「半壊」。
 
03

しかし建物内部は、雨漏りが発生して、腐った天井がほとんど落ちてしまっていました。床のカーペットにはカビが生え、鼻をつく臭いが玄関を開けただけで、漂ってきました。震災前は、親兄弟と協力して仕事をし、家も近くに住み、従業員と楽しくやっていた仕事場が、こんな悲惨な状態になっている。そしてそれを今、何のゆかりもなかった外部の人間に見せ、写真まで撮ることを許可して下さった藤田さんはどんな想いで、私的な家の中まで公開してくださったのかと思うと、胸がいっぱいになりました。
 
藤田さんの中にも、よそ者に私的空間を見せることには抵抗があったはず。またよそ者が地区に入ることに対して抵抗感を示す住民も多数いらっしゃるとのこと。それにもかかわらず公開し、あまつさえツアーガイドを引受けているのも、富岡町の復興には、外部の知恵や応援が必要と考えているため。復興のチャンネルのひとつとして、スタディツアー参加者を受け入れるのだそうです。
 
42

しっかりとした建物の外見と、内部の腐乱し異臭を放っている状況のギャップに驚かされます。このような状態の建物が、富岡町内にはたくさんあるのでしょう。外部から倒壊の危険性がわかる建物だけでなく、外見からわからない、経年の侵食があるので、これらの建物の撤去作業だけで膨大な工数と年月が必要でしょう。

38

注)写真は、ガイドの藤田大さん(なごみ邸の所有者)の許可いただいて、撮影しています。

旧警戒区域に行ってみっぺ 被災地スタディツアー 帰還困難区域と居住制限区域の境界

旧警戒区域に行ってみっぺ 被災地スタディツアーに参加しました。写真は地元富岡出身のツアーガイドをお引き受けいただいた藤田大氏と参加者で、桜の名所、夜ノ森です。ここは約500本のソメイヨシノが、2.5kmにおよぶ道路に、東北一の桜のトンネルを作っていることで有名です。

<旧警戒区域に行ってみっぺ ゲンロン・ふたば商工株式会社ジョイント開催は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/39441989.html
ゲンロンスタディツアー#3_集合写真

富岡町は、帰還困難区域と居住制限区域の両方が指定され、当然その境界はあります。向かって右手が帰還困難区域、左手が居住制限区域。見た目にはまったく変らない住宅地ですが、右手に入れないように、各戸の入口ごとにバリケードが張られ、それ以外はH形鋼を基礎にしたガードレールで囲われています。

23

ここから先は、帰還困難区域。住民のみが年間15回程度立入ることを許されておりますが、それ以外の人はこのバリケードを越えて侵入してはなりません。当然ですが、道をはさんでこちら側とそちら側で、空間放射線量が変わるわけではありません。

28

東電の原子力損害賠償は、個人に対しては、精神的損害、避難・帰宅費用、一時立ち入り費用、就労不能損害、財物賠償などが支払われます。一方、法人・個人事業主に対しては、営業損害、風評被害などに対して支払われます。

先日、帰還困難区域に対しては平成29年6月以降の精神的損害賠償として、一人当たり700万円を追加し、一括で支払うと発表されました(いわゆる、追加賠償)。これまでで、東電はすでに29年5月までの分として750万円を支払っており、総額は一人当たり1,450万円となります。家族5人として7,250万円、とても大きい金額ですが、生涯賃金が2億とも3億ともいわれている時代に、金額の多寡は個別事情によるとしかいえません。なお、追加した700万円は「長年住み慣れた住居や地域が長期にわたり帰還不能となった精神的苦痛に対する賠償」との位置付けだそうです。

さらに帰還困難区域は、元の家屋の新築価格と事故前価値の差額の75%を賠償する。東電の財物賠償と合計すると、事故前価値が最も低い築48年以上の木造住宅でも新築価格の8割が支払われる計算となる。宅地は避難先で新たに取得する土地の価格と、事故前に住んでいた土地の価格の差額の100%を賠償する、と福島民報では報道されており、帰還困難区域の住民に対しては、かなり手厚い補償といえるでしょう。

1
(出典:福島民報2014/03/06記事より)

それに対して居住制限区域の住民・避難指示解除準備はかなり、手薄い。精神的損害について帰還困難区域が600万円に対し、居住制限区域240万円、避難指示解除準備区域120万円。それぞれ1/2,1/5程度です。今回の一人当たり700万円の追加賠償もありません。これでは、帰還困難区域と居住制限区域の境界で、補償の大きな差を要因とする感情的ないさかいが起きるのは当然だと思います。なお、大熊町では、帰還困難区域と居住制限区域で補償の差を設けず、帰還困難区域の基準で補償を一律に行っています。非常に政治ネゴシエーションの匂いがします。なお、このような補償基準を決めているのは東京電力ではありません。原子力損害賠償紛争審査会というところです。

2

00

こちらがバリケード越しに撮った、帰還困難地域の風景。見た目には、日本の一般的な、どこにでもある住宅地にしか見えませんでした。

17

桜の名所、夜ノ森です。ここは約500本のソメイヨシノが、2.5kmにおよぶ道路に、東北一の桜のトンネルを作っていることで有名です。ちょうど午後3時になりサイレンが鳴りました。居住制限区域には住んではいけないので、自主ルールで15:00までに退去することにしているそうで、その注意喚起のサイレンでした。

23
 

旧警戒区域に行ってみっぺ 被災地スタディツアー 観陽亭

観陽亭は富岡町の太平洋を望む絶景の展望大浴場があるホテルです。いや、でした。東日本大震災による津波被害と、放射能で営業を停止し、現在に至っています。太平洋岸の絶壁の上に建てられているため、眼前に広がる太平洋の水平線から昇る日の出・月の出が美しかったそうです。本当に良い場所です。

海抜18mもの絶壁の上にもかかわらず、津波が1階部分を襲ったとのこと。富岡町の津波の高さは10m程度といわれていますが、地形によって20m以上も波が駆け上がったと言われています。こんな高い場所に津波がきたなんて、実際、この地で立っていても信じられません。

一方、このような被災地スタディツアーが広まってきていて、地元の方の案内や所有者の許可なしに勝手に私有地に立入ってしまうケースも見られるとのこと。現地に管理人が常駐しているわけではない、スタディツアーの難しさがあります。

<旧警戒区域に行ってみっぺ ゲンロン・ふたば商工株式会社ジョイント開催は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/39441989.html
59

未だに観陽亭の営業中の看板がそのまま残されています。観陽亭のオーナー遠藤氏は、いわきに長期避難中の間に、株式会社フタバ・ライフサポート 観陽亭という会社で、事業を再起すべく、仕出し弁当で急成長しています。ここのお弁当は、美味しいので私もときどきいただいています。

36

かつては、蝋燭岩(上記看板をご参照)という、ローソク状の岩が眼前に見えていましたが、3.11の津波で岩も流されてしまいました。現在は、小さな岩礁が残っていますが(画面右したの三角型の岩)、かなり小さくなってしまいました。

50

観陽亭から南に目を向けると、富岡漁港の奥に、福島第2原子力発電所が見えます。1-4号機とともに、タービン建屋も肉眼ではっきり見えます。震災時には、完全にポンプモーターは水に浸かり原子炉が冷やせなくなり、1日と持たずに格納容器の設計圧力に達するおそれがあったそうです。すなわち福島第一原発と同様に、第二原発もメルトダウンの危機だったわけです。

外部電源4回線のうち3回線が被災し、1回線だけ生き残りましたが、炉心を冷却する建屋から遠い場所にありました。そこで当時の福島第2原子力発電所の所長は800メートルも離れた外部電源の回線を、建屋まで人海戦術でケーブルを担ぎながら運ぶという指示をだしました。ケーブルといっても、何トンもする大変重いもの。自衛隊のヘリでケーブルを運んできてもらい、200人もの作業員が2メートル間隔でケーブルを担ぎ、建屋に引っ張りこんだそうです。当時の福島第2原子力発電所の所長が、電気を専門とする増田尚宏氏が所長だったから判断できたそうです。

事故を引き起こしたのは東京電力の施設ですが、当時の現場作業員がいなければ最悪の事態になっていた。またその後の廃炉も現場作業員がいなければ事態は改善しない。素直に私は現場作業員の方々それぞれに感謝したい。

57

注)写真は、ガイドの藤田大さんの許可いただいて、撮影しています。

被災地スタディツアー 殉職したパトカーを震災遺構に

被災地スタディツアーで、富岡町出身の藤田大さんの案内で、富岡小学校を訪問しました。

08

「富岡は負けん!」のステッカー。歩道橋の横断幕や、いろいろなところで見かけます。ステッカー・タオル・Tシャツ等のグッズもは販売されています。

21

藤田大市は、創立90周年を迎える富岡小学校の卒業生。「ドロケー」して遊んだエピソード等を話してもらいました。荒れた校庭には、セイタカアワダチソウが生え始めています。この秋ころには大変な繁殖になるでしょうか。

48

校庭の土を削り取って、除染したことがわかります。概ね地表から5cm程度を削ったことが、ここから判明できます。そして「原子力規制庁」の鋲が打たれています。

12

本日の最高の空間放射線量は、富岡小学校横の側溝で7.53μSV/時。富岡市内は、0.2-0.6μSV/時程度ですが、側溝等の溜まりやすいところは、放射線量が高い。

18

こちらは富岡漁港近くで、津波に流されたパトカーです。この辺の空間放射線量は1.1μSV/時でした。震災時にこのパトカーで避難誘導にあたって2名の警察官が、殉職しました。1名は遺体で発見されたものの、佐藤雄太警部補はいまだ発見出来ていないそうです。この場所は、フレコンバッグ仮置き場予定地で、近々パトカーは撤去され、整地され跡形もなくなってしまうかもしれないとのこと。こういったもの、現物を、「震災遺構」として現場保存し、市内・市外・後世の人達にリアルに見せていくことで、震災を記憶にとどめておくことこそが重要なのではないでしょうか。

30

注)写真は、ツアーガイドをしていただいた、藤田大様の許可を得て撮影しております。 

楢葉町 ここなら商店街

楢葉町の仮設商業共同店舗「ここなら商店街」にお邪魔しました。7/31にオープンとのことなので、オープン3日目、花輪が並んでいました。現在、一般人が最北端でご飯が食べられる場所です。帰還に向けた環境づくりの柱の一つで、地元業者が営むスーパーと二つの飲食店、計3店が入居しています。「ここは、ならはまち」と「ここなら、買える!」をかけて、ここなら商店街だそうです。

1. おらほ亭: そば、うどん、ソフトクリーム等
2. 武ちゃん食堂 役場前店: ラーメン、カレー、丼物、定食等
3. ブイチェーン 楢葉店: 食品、日用品等(スーパー)
 
32

店は作業員と思しき方々で満員でしたが、回転が良いのですぐに席につけました。そばとうどんなので、注文から提供までの時間も短い。ただ注文・調理・片付けを3人の方で回していましたが、開店直後ということもあり大混乱。

55

なぜか、そば・うどん屋さんにソフトクリームのメニューがある。その理由は、愛媛県に避難中の南相馬市の果樹農家、渡部寛志さんから取り寄せた「河内晩柑」を材料にしたソフトクリームを販売しているからだそうです。

18

なんといってもスーパーです。ほとんど街中のスーパーと品揃えは変りません。野菜だけでなく、肉・魚・お刺身などもあり、生鮮食料品のほとんどがここで足りると思います。

14

お弁当・お総菜もチェックしました。製造も楢葉でやっているようです。地元への帰還が実感できました。

27

旧警戒区域に行ってみっぺ ゲンロン・ふたば商工株式会社ジョイント開催 富岡駅

ゲンロン友の会主催の福島第一原発災害被災地へのスタディツアーに参加しました。東京発着なので、参加したのは関東を中心に25名。遠くは広島から参加された方もいらっしゃいました。ガイドは『福島第一原発観光地化計画』にインタビューが掲載されている富岡町の藤田大氏。富岡では、「なごみ邸」という仕出し弁当の会社を手広くやっておられましたが、震災で壊滅。その後家族とともにいわきへ長期避難し、いわきで仕出し弁当屋さんを再開されています。この度、観光ガイド事業を事業化すべく、ふたば商工株式会社を商工会と一緒に立ち上げています。今回はそれに、ゲンロンの東浩紀代表とスタッフが全行程に同行しています。

20

現在、富岡町は一部が帰還困難区域で、多くが居住制限区域に指定されており、朝夕の出入りは基本的に自由になっています(自主的に、居住制限区域から出るときは、福島第二原発の横にあるスクリーニング施設で、汚染の有無をチェックしてから出る)。まずは、有名な富岡駅をご案内いただきました。驚いたのが、我々以外に観光バスが3台も先に来ていたことです。福島ナンバーの大型バスで、いかにもツアー客然とした一行をガイドらしき方が引率されていました。事実上、観光ツアーは組まれています。早急に地元富岡による受入の整理が必要ではないかと感じました。ただし、富岡町民の中でも、未だに市外から「スタディツアー」として自宅等を見られることを心良しとしていない方々と、逆に復興のためのひとつのキーとして必要と考える方々が、それぞれいらっしゃるので、細心の注意が必要とのこと。

35

現在のルールでは、福島第一原発事故による避難指示区域は、下記の3区分になっています。これを理解していないと、まず話が始まらない。
1.帰還困難区域:放射線の年間積算線量が50ミリシーベルトを超える区域(例:大熊町のほとんど)
2.居住制限区域:、放射線の年間積算線量が20ミリシーベルトを超える区域(例:富岡町の半分くらい)
3.避難指示解除準備区域:放射線の年間積算線量が20ミリシーベルト以下の区域(例:楢葉町のほとんど)

帰還困難区域は、住民だけが年間15回のみ、立入ることができます。居住制限区域は、日中だけですが原則自由に立入ることができます。現在は15:00までの自主ルールだそうです。ただ警察の検問や職務質問用に、富岡町民には立入証が配布され、必要に応じて提示します。

56

もう非常に有名となった、「改札のパイプ」。ホーム施設のほとんどがなくなり、これだけが残っています。

06

もういわきではあまり見られなかった放置車両が、富岡ではまだまだ通常の光景です。住民がいないと本当に時間が止まっています。

50

富岡駅前の建物。いわきでは全壊認定されれば、市の予算で(最終的に国から補填されるのですが)で取壊しが終了しています。一方、富岡ではほとんどが手つかずという状況に驚かされます。これには、住民が住んでいない、取壊し業者もいない、不動産賠償の行く末が見えない等の複数の理由でそのままになっています。
06

富岡駅前に慰霊碑がありました。線香でなく、水やジュースをお供えするんですね。

47

注)写真は、ツアーガイドをしていただいた、藤田大様の許可を得て撮影しております。 

<旧警戒区域に行ってみっぺ 被災地スタディツアー なごみ邸の廃屋>
http://www.mikito.biz/archives/39453167.html 

<旧警戒区域に行ってみっぺ 被災地スタディツアー 帰還困難区域と居住制限区域の境界>
http://www.mikito.biz/archives/39453148.html

<旧警戒区域に行ってみっぺ 被災地スタディツアー 観陽亭>
http://www.mikito.biz/archives/39453135.html

<被災地スタディツアー 殉職したパトカーを震災遺構に> 
http://www.mikito.biz/archives/39453100.html 

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム ご寄稿集・小論文集を無料プレゼント

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム 8/9・8/10開催。来場された方には、他では手に入らない小論文集を無料プレゼントします!ご寄稿いただいている方は以下の通り(敬称略)。決してオカネでは買えない、さまざまな観点からの、まさに叡智の結集です!

○医療
上昌広(東京大学医科学研究所 教授)
小松秀樹(亀田総合病院 副院長)
木村守和(いわき医師会 副会長)
坂本うめ子(福島労災病院 看護師長)
菅波香織(弁護士・子どもを持つ母親)
森田知宏(相馬中央病院勤務、3年目医師)
新谷史明(総合磐城共立病院 院長)
小山敦(総合磐城共立病院 救命救急センター長)
石井敦(かしま病院 総合診療科)
樋渡啓介(佐賀県武雄市 市長)
村岡寛(村岡福祉医療総合研究所 所長)
柴田香織(パライソごしき 施設長)
藤岡将(南相馬市立病院初の初期研修医 2年目医師)
嶋田裕紀(南相馬市立病院 後期研修医 3年目医師)
柴田幸子(杏林大救命センター 看護師)
井出恵伊子(東京ベイ浦安市川医療センター 看護師)

○まちづくり
石崎芳行(東京電力 福島復興本社代表)
新田祐大(競輪選手 SS級)
開沼博(福島大学 特任研究員)
鈴木修典(ポレポレいわき 館主)
松本丈(夜明け市場 プロデューサー)
白岩春菜(平商業高等学校 高校3年生)
福迫昌之(東日本国際大学 教授)
東浩紀(ゲンロン 代表)
有賀督夫(あるが家具 代表)
豊田善幸(中之作古民家プロジェクト)
ユアサミズキ(パークフェス 主催者)
中野夏海(元磐城高校生、医療系大学1年生)
五輪美智子(県立小名浜高校 元校長)
川延安直(福島県立博物館 学芸員)
140715_シンポジウムチラシ

白い巨塔 山崎豊子著

山崎豊子著の「白い巨塔」単行本全5巻をあらためて読み直しました。「白い巨塔」といえば、主演 唐沢寿明の映画のイメージですが、原作はさらに面白い。Hayley Westenra の「Amazing Grace」が脳裏に焼き付いて離れません・・・
http://goo.gl/UQQ9Ii

浪速大学に勤務する財前五郎と里見脩二という対照的な人物を通し、医局制度などの医学界の腐敗を鋭く追及した社会派小説なんですが、まさに傑作といわざるをえません。最後は胃がんに冒された主人公が、自分の一生を振り返り、患者を死なせたことを悔いつつも、最高裁への上告理由書と自らの病理解剖所見書を残して最期を遂げる。壮絶な最期です。またしても私の脳裏には、Hayley Westenra の「Amazing Grace」が流れる・・・

個人的には、野心まんまん、出世を成し遂げるまで、そして成し遂げた主人公が、実母を大阪に呼び寄せないところが興味深い。母は、貧乏ながら奨学生として一人息子を国立大学へ送り、たった一人で窮乏生活を続ける。その息子の立身出世だけが一生の楽しみだったのに、その一人息子を、息子の将来のために、大きな医師一家に養子に出してしまう。それでも主人公は、実母に心を寄せつつ、大阪には呼ばない。一方、妻へ隠れて、毎月一度、まとまった金額を送金することに、密かな楽しみを見いだす。何のために生を受けたのか、何を目的に一生はあるのか、考えさせられます。

02

本来は、医療訴訟や、医学部の閉鎖体質に光を当てた小説なんですが、主人公とその母との関係性、働く意味や愛情の表現の仕方のほうに、非常に興味を持ってしまった本でした。

超高速!参勤交代への苦言

「超高速!参勤交代」の封切りが絶好調らしい。いわきの小藩がこれほどまでに、取り上げられたことはないし、このような映画がヒットすることは、いわき市民として素直に嬉しい。もし映画の由来に興味をもち、いわきにいらっしゃる方がいるかもしれないし、超高速!参勤交代グッズが販売され、いわきの認知度がそれで高まればそれはそれで良い。

<超高速!参勤交代 磐城国の湯長谷藩の物語 全国での封切りは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/34737297.html
 
一方、苦言というか、思うところがあります。当方が、超高速!参勤交代の映画の存在を知ったのは、昨年末。ほとんどのいわき市民(いわき市役所の幹部も含めて)がそれまで、このような映画が制作中であったことを知りませんでした。実際には、いわき市内でロケハンが行われておらず、脚本家や監督がいわき湯本を訪問し、館跡(磐崎中)を視察しただけだと聞きました。実際の撮影は、京都の太秦や山形市霞ヶ城で行われました。出演した俳優も試写会で初めていわきを訪問したらしい。

現在いわき市は公金である市予算を投じて映画の販促に相乗りしています、完成済みのものに相乗りするのは、映画の制作リスクをとらなくてすみ、その成果だけとれるので安全という見方ができます。一方、本来であれば、いわき市なり、いわき市のフィルムコミッションなりが、映画の制作企画を事前に察知し、ロケハン誘致活動をし、ロケハン(の一部でも)をいわき市内でやってもらうのが、あるべき姿なのではないでしょうか。そういった労苦やリスクをとらず、できあがったものだけに後から乗る、というのはいささかズルイ気がします。制作側もそう感じるはずですし、あえて市のオファーに乗るのは販促費の肩代りをしてもらえるからでしょう。

いわき市常磐地区の西郷に金山(かなやま)という地名があるそうです。映画ではそれを、幕府が金山を隠していると誤解したことによるフィクションです。当時、磐城の諸藩は、江戸と磐城間は、通常の参勤交代は4泊5日、もしくは5泊6日で参勤していたそうです。主人公である、内藤政醇(まさあつ)の時代は、湯長谷藩は、参勤交代をしない定府(じょうふ)、すなわち常時江戸詰めの譜代大名家で参勤交代はなかったそうです。史実を完全に無視したフィクションなんです。素直に地元素材のエンタメとして楽しみたいと思います。

3

7月臨時会

本日、7月臨時会。メインの議題は補正予算の審議・承認と、市が25%以上出資する団体の経営状況の報告です。報告される団体の事業報告書のフォーマットはバラバラ。プリンシパルがあって、役に立てるための、公会計が必要です。
30

 

好間地区まちづくり懇談会

好間地区まちづくり懇談会。興味深いテーマを聴くべく、好間公民館は、満員御礼です。産業遺産として、産業戦士の像、レンガ橋脚、V字谷、つり橋等がある地区なので、どうこれらを使っていくか。テーマは「安心・安全で自然が輝く調和のとれたまち、好間」をめざして」

34

質問は、5つ。
1. 産業遺産を活用したいわき市の交流人口拡大について
平成21年から好間ジャンボメニューが10店、13メニューで開始された。震災の影響で第四回フラオンパクが中止し、機運が盛り下がったが、東京都港区と文京区から81名のモニターツアー参加者があり、絵本200冊寄贈があった。JRのグリーン車に備え付けられている車内誌「トランヴェール」にも掲載された。現在、吉田ジャンボメニューは、9店12メニューとなっている。今後どのように交流人口の拡大を図るか。
(回答)
震災前は1000万人だった観光交流人口は、367万人まで落ち込んだが、平成25年は789万人まで回復している。今後は、旅行商品販売奨励事業・マスメディア発信活用事業等を活用して、JRのディスティネーションキャンペーンの素材としていきたい。また来年、太平洋・島サミットが本市で開催される。産業遺産として、産業戦士の像、レンガ橋脚、V字谷、つり橋等の産業遺産は、平成19年4月に経済産業省から近代化産業遺産に指定されている。いわきヘリテージツーリズム協議会と協力していきたい。またいわきサンシャイン博のひとつとしていきたい。

2. 好間のまちづくりについて
「好間わっしょい」は地域のイベントとして極めて重要であり、市からの開催補助金をぜひ継続して欲しい。
(回答)
原則として「まち・みらい創造支援事業」は、イベントの自立を支援するものであり、3年間の時限がある。検討が必要。新たなまちづくり計画のため、支所ごとに地域振興担当員を配置している。

3. 好間第三小学校の児童数の減少などについて
ピーク時の平成34年には、1,005名の生徒が在籍した市随一のマンモス校だったが、平成35年の北好間炭鉱の閉山から生徒数の減少が続き、現在生徒数は28名のみ。来年には半減する見込み。全部で4学級編成、教員数は10名。人口減少の要因のひとつに当該地域のほとんどが市街化調整区域であることである。都市計画変更の可能性はあるのか。通学区域は広域であるが再編の可能性はあるか。生徒の通学の安全性はどう確保していくか。
(回答)
いわゆる都市計画の線引きの見直しは、秩序あるまちづくりの趣旨から、原則として市街化区域の拡大は困難である。ただし地区計画等を活用して開発する余地はある(好間地区で、地区計画を活用していくという事例はいまのところ出されていない)。
通学区域の見直しはオーダーメイドで行うべき。市内では田人・豊間地区で小中学校の学校再編がなされ、三和・川前でも検討中である。こちらは地区として対応すべきで、子供達へよりよい学校環境を提供するため、地区とともに考えていきたい。
生徒の通学の安全性確保については、適宜ガードレールの補修や、横断歩道の再塗装等を実施している。

4. 好間工業団地の環境整備について
324haに及ぶ好間工業団地は、当初19社の進出で始まったが、現在は74社、7,500名が勤務している。業態としては、ハイテク・ロボット・エネルギー・被災企業等である。進出企業は、工業団地協議会を組織し、団地内の公園や遊歩道を整備し、近隣地域の住民に開放している。一方、市内の住宅事情が逼迫していることから、通勤に多大な時間を要している社員もおり、対応を検討してほしい。
(回答)
住宅不足については、土地利用動向調査等で把握はしている。ただ大規模な民間の宅地開発については具体的な事業者は予定されていない。

5. 安全で快適な道路環境の整備について
大畑吊り橋・松坂吊り橋等は、昭和20年前後に炭鉱会社が通勤用に設置し、その後市へ移管された者である。その大畑吊り橋が2月に、ケーブル破損により落橋し、5ヶ月が経過したが、復旧していない。住民は大きく迂回して川を渡らなければならず、不便を強いられている。復旧の見通しはどうか。また、松坂吊り橋の管理はどうなるか。
(回答)
大畑吊り橋の復旧については、幅員が狭いため国の復旧事業採択要件に合致せず、事業費が下りない。今後、市の負担で復旧することを検討する。松阪吊り橋は生活道路として、部分補修を続けながら使っていきたい。

注)上記は、当方のメモをもとに当方が把握できた内容ですので、実際と異なるおそれがあります。正確な情報は、市の公式発表をご参照下さい。

58

※京浜工業地帯の重工業化と地域の経済発展を支えた常磐地域の鉱工業の歩みを物語る近代化産業遺産群(出典:経済産業省)

<いわき市内構成リスト>
八茎鉱山関連遺産 八茎鉱山跡 
常磐炭田関連遺産 古河好間炭鉱専用鉄道橋梁 
古河好間炭鉱産業戦士像 
古河好間炭鉱ズリ山(田代ズリ山) 
好間炭鉱隧道跡、鉄道盛土帯、鉄道橋台跡等 
常磐炭礦内郷礦山神社跡、相撲場跡 
弥勒沢炭鉱資料館内展示物 石炭採掘・運搬関連炭車、道具類 
常磐炭礦内郷礦坑口、扇風機上屋、水中貯炭場、選炭場、
三星炭礦大煙突と煙道及びズリ山 
常磐炭礦磐崎礦坑口、石炭積込場、選炭場跡、ズリ山他 
常磐炭礦湯本山神社
常磐炭礦湯本坑第六坑坑口
砿夫の像
常磐炭礦西部礦竪坑櫓
いわき市石炭化石館内展示物 坑口銘板、採炭機械、道具類

常磐炭田(南北約 95km、東西約 5~25km)は、石狩炭田、筑豊炭田に次ぐ規模を有し、石炭埋蔵量は本州最大を誇った。幕末より地元資本による小規模な鉱山経営がなされていたが、1884 年(明治 17 年)、渋沢栄一・浅野総一郎・大倉喜八郎らが磐城炭坑社(後に磐城炭鉱㈱と改称)を設立し、大資本による炭鉱経営が始まった。
1887年には馬車鉄道を敷設し、1889 年には蒸気巻揚機、コルニッシュ気罐、排水機を使用し斜坑開削に着手するなど、設備の近代化を図り、炭鉱経営を軌道に乗せた。これよりやや遅れて、川崎八右衛門を中心とする京浜資本が内郷地区に進出し、入山採炭㈱を設立した。同社は、1944 年に前述の磐城炭砿㈱と合併し、常磐炭砿㈱(現:常磐興産㈱)が設立され、本州東部地区最大の炭鉱となった。
このように、常磐炭田では、明治期以降に相次いで外部の資本が参入し、近代技術の導入や企業統合を経て大規模な鉱山経営が支配的となり。石炭の大幅な増産を果たした。
常磐炭田の北側に位置する八茎鉱山は、1908 年に八茎鉱山合資会社が設立されて以降、近代技術の導入が進められた。主に銅鉱石及びタングステンの材料である灰重石の採掘が行われていたが、第一次世界大戦後の不景気で操業を中止した。これ以降は、経営者を変えつつ、石灰石の採掘が行われていたが、2012年に中止された。
これらの鉱山は、京浜工業地帯に近いという利点を生かし、水戸~東京間が鉄道(日本鉄道海岸線)により直結された後、石炭や金属の供給源として重工業の発展に大きく寄与した。また、日立鉱山の近代化を契機として今日の鉱工業都市・日立の礎が築かれたことや、常磐炭田の豊富な石炭が小名浜に東北地方有数の臨海工業地帯を形成させる契機となったことなど、地域経済発展の事例としても重要な存在となった。

◆閉山後の地域振興:観光業と近年の新たな展開◆
1950~60 年代にかけ、エネルギー革命の進行と採炭コストの増加、公害問題などにより、炭鉱を取り巻く社会経済状況は大変厳しいものとなった。そこで、常磐炭鉱㈱は事業の多角化を図り、常磐紙業㈱、常磐開発㈱などの系列会社を創設するとともに、1964 年常磐湯本温泉観光㈱(現:常盤興産㈱)を設立し観光業にも活路を求めた。
そして、かつては採炭の障害であった温泉を利用する大型レジャー施設として、「常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾート・ハワイアンズ)」を建設し、東北地方に常夏の「常磐ハワイ」を出現させて人気を博し、多くの観光客を集めた。これは、温泉を活用したテーマパークの先駆け的存在であった。
閉山後、炭鉱従事者の雇用主として、常磐炭田と関連が深い日立製作所㈱をはじめ、常磐工業地域が存在したことが大きいものの、観光業により地域の存続を成し遂げた国内では希有な例といえる。石炭業縮小期におけるこのような様子は、2006 年公開の映画「フラガール」により伺うことができる。
一方、近年では、「スパリゾート・ハワイアンズ」という拠点集中型の観光だけではなく、地元の団体である「いわきヘリテージツーリズム協議会」が、「いわきヘリテージ実験ツーリズム」として地域内の炭鉱遺産を巡る観光を企画・実施するなど、近代化産業遺産にスポットを当てる地域内回遊・学習交流型の新たな観光も模索されている。   

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム いわき民報 

いわき民報(2014.7.26版)にいわきの医療・まちづくり公開シンポジウムの記事が掲載されました。

CCI20140728_00001

 

インフラ老朽化問題 セミナー

インフラ老朽化問題のセミナーに参加しました。講師は、「朽ちるインフラ」著者の根本祐二 東洋大学経済学部教授です。将来世代に、過大なインフラ維持・更新費用を押しつけてはならない。初期投資よりも、維持・更新費用のほうが、より重要であることを再認識しました。

<朽ちるインフラは、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/21911242.html
写真 (1)


2㎡


ニューハート・ワタナベ国際病院

ニューハート・ワタナベ国際病院を視察しました。こちらは東京・浜田山にある個人・私立病院で、心臓手術(心臓大血管疾患および胸部疾患等)に特化していることが特徴です。心臓外科手術成功率は世界トップの 99.5%以上だそうで、ほとんど失敗はないというに等しい。また、手術支援ロボット「ダヴィンチ」を 用いることによって、外科的に切り取る部分が小さくなり、患者負担の少ない手術を多く手がけています。その結果、手術後3日間で退院することも可能だそうです。現在、ベッド数は43床(ICU9床)です。

総長である渡邊剛医師の専門は、まさに心臓手術のスペシャリストで、日本ではじめて手術支援ロボットで心臓手術を実施・成功した医師で、既に200例以上のロボット手術を行っているそうです。41才で国立金沢大学 第一外科教室の教授職を務められた方です。地方大学病院・保険治療での限界を感じ、自ら育てた医療チームを東京に引き連れてきて開業したそうです。

河内理事長の許可を得て、手術支援ロボット「ダヴィンチ」手術室前で、写真を撮らせていただきました。手術室の中では、いわゆるチームワタナベの一員である、経験豊かな主任オペ看護師と若手看護士がピースしてくれました。相次ぐマスコミ取材にも慣れ、心にゆとりをもって職務についているそうです。

16

手術前の準備中。奥に見えるのがダヴィンチ、操作する医師は左手奥から操作するらしい。

24

館内には、手術中の渡辺医師。ダヴィンチ、子どもたちへの開放等の写真がありました。

06

これが、ダヴィンチのトレーニング証明書。もともと医療ロボットはいろいろな機種があったものの、淘汰や合併・吸収等を経て、現在では医療ロボットといえばダヴィンチ、というデファクトスタンダードを築きつつあります。OSやパソコン業界に相通じるところがあります。

38

医療CTがありました。

52

医療CTは、機器の精度の高さもさりながら、写し取った画像を読み取り、分析する能力如何で、医療レベルに差がつきます。スタッフが常駐して分析をされていました。

44

待合室。医療コンシェルジュと呼ばれるスタッフが常駐しています。

25

最高の医療レベルのみならず、入院療養環境については、全室個室、デザイナーズルーム等のきめの細かいサービスを充実させているとのこと。案内された個室は同じデザインの部屋はなく、現代的な部屋もあれば和風・クラシックの部屋もありました。

42

ここは和風旅館か?と思わせる個室も。新築ということもあり、清潔で快適です。

20

導線のキモは、患者の導線とスタッフの導線を分けること。スタッフ導線は、セキュリティで見えない/入れないようになっていて、一方、スタッフ導線の廊下は広く、障害物がない。大きなベッドもすれ違えるくらいひろいです。

15

注)上記すべての写真は、施設をご案内いただいた河内理事長の許可をとって撮影されたものです。

 

潜在看護職復職支援センター 開設記念講演

看護職復職支援センターの開設記念講演会@ワシントンホテル椿山荘、に参加しました。現在、医療機関や看護機関を中心に、看護師不足が叫ばれています。一方で、看護師資格を有して、休職中もしくは完全にやめてしまった方を、「潜在看護師」と呼びます。その日本全国に散らばっている潜在看護師は、全国で55万人いらっしゃるそうです。せっかく医療の志を持ち、苦労して資格を取った看護師が、何らかの理由で、本来の職についていない訳です。

00

資格を持ちながら、職につかない理由は、いろいろな事情があることは推測できます。ただ、しばしば聞かれるのが、出産や家庭の事情でいったん看護職を辞めなければならないことになったけれど、看護の技術変化や、後輩達とのギャップ、また勤務時間の長時間化や固定化が、復職しようとする潜在看護師に後ろ向きにさせているようです。

それを解消するには、復職に要する知識や技術の習得とともに、最新の現場感覚を得ることが必要です。そのための研修施設が、今回創設されたエバーグリーンです。特定の病院に囲い込むわけでなく、地域にオープンで無料開放する研修施設です。

もし潜在看護師が医療現場に出てきてくれることになり、現在の医療事情の逼迫に貢献するとともに、潜在介護師の働きがい、生きがいにつながり、また給与を得ることにより、生活水準の向上が見込めます。いわき市としても、医療の量・質の向上のみならず、給与が消費に回ることにより、市内経済にも好循環の影響があります。本来、公が担うべきような取組みです。現状のままであってはならない、というサイレントの声に対して、民間が打ち破ろうとする姿勢に、賛同します。

03
 

横須賀海軍カレー

一般家庭の定番メニューであるカレーライスは、横須賀が発信の地だそうです。なぜなら、旧日本海軍の海軍食にイギリス海軍のカレーシチューを採用し、日本人の口に合うよう小麦粉を加え、とろみをつけてご飯にかけて食べるようにしたのが、家庭で食べられているカレーライスのルーツといわれているからです。それに便乗して、平成11年から横須賀市は、カレーのルーツである「海軍カレー」を、 新たに「 よこすか海軍カレー 」と名付けました。市内には、海軍カレーを名乗るお店を多数見つけることができます。

03

そもそも、明治初期、海軍・陸軍軍人の病死の最大の原因は脚気でした。この脚気の予防法を確立したのは海軍軍医総監(軍医中将相当)、東京慈恵会医科大学の創設者の男爵、高木兼寛氏。この方は白米中心で栄養バランスの偏った食事が原因であることを突き止め、イギリス海軍の兵食のカレーシチューを参考に改良したのがカレーライスのルーツだそうです。結果、脚気の撲滅に尽力し、「ビタミンの父」とも呼ばれています。
 
Kanehiro_Takaki

ではそれが何で、横須賀なのか?
平成10年、海上自衛隊横須賀地方総監のお別れパーティーの席上で、総監から「呉市と舞鶴市の肉じゃが本家争い」の話題がのぼったことがきっかけだそうです。その後、横須賀市役所・商工会議所、海上自衛隊が共同で調査を開始し、平成11年に、「カレーの街よこすか推進委員会」が発足。「当時の味を再現しよう」をテーマに、「よこすか海軍カレー」(平成13年商標登録)が誕生。 「海軍割烹術参考書」(明治41年)のレシピにあるカレイライスの作り方を忠実に再現します。基本的には「レトロ」、「昔なつかしいカレー」が特色です。

では、「海軍割烹術参考書」なるものはどのようなものだったか?以下、抜粋です。
【原文】三、カレイライス
材料牛肉(鶏肉)人参、玉葱、馬鈴薯、「カレイ粉」麥粉、米
初メ米ヲ洗ヒ置キ牛肉(鶏肉)玉葱人参、馬鈴薯ヲ四角ニ恰モ賽ノ目ノ如ク細ク切リ別ニ「フライパン」ニ 「ヘット」ヲ布キ麥粉ヲ入レ狐色位ニ煎リ「カレイ粉」ヲ入レ「スープ」ニテ薄トロヽノ如ク溶シ之レニ前ニ 切リ置キシ肉野菜ヲ少シク煎リテ入レ(馬鈴薯ハ人参玉葱ノ殆ド煮エタルトキ入ル可シ)弱火ニ掛ケ煮込ミ置キ 先ノ米ヲ「スープ」ニテ炊キ之レヲ皿ニ盛リ前ノ煮込ミシモノニ鹽ニテ味ヲ付ケ飯ニ掛ケテ供卓ス此時漬物 類即チ「チャツネ」ヲ付ケテ出スモノトス

【要約】材料は、牛肉(鶏肉)、にんじん、玉ねぎ、じゃがいも、塩、カレー粉、小麦粉、米。
作り方は、肉、玉ねぎ、にんじん、じゃがいもを「四角にあたかもさいの目のごとく細かに切り」炒める。 フライパンにヘッド(牛の脂)をひき、小麦粉をきつね色になるまで炒め、カレー粉、スープを入れ、肉、野菜を入れて弱火で煮込み塩で味付けする。スープで炊いたご飯にかけて漬物類(チャツネ)を付けて出す。

【現在】下記の条件をクリアしていれば「よこすか海軍カレー」の名称を使用できることとされています。これは毎月1回、定期的に商工会議所等がチェックし、新規に「よこすか海軍カレー」を名乗りたい事業者は、この承認を得る必要があるそうです。
1. 材料: カレー粉、小麦粉、肉(牛肉または鶏肉)、人参、 玉葱、馬鈴薯を入れる事。
2. 調理法: カレー粉、小麦粉を炒ってルーを作ること。
3. 提供法: 原則として、カレーライス、牛乳、サラダの3点 セットで提供。薬味にチャツネを付けること。

【よこすか海軍カレー五原則】
1. 「海軍割烹術参考書」のレシピを元にしている
2. 横須賀市内でしか提供されない
3. サラダと牛乳をセットにして提供
4. 「ご当地グルメ」です。B級グルメではありません。
5. 認定店だけが名称使用を許可されてます。

確かに、昼食にいただいたカレーセットは、上記要件を満たしていました。アイスミルクはかなり違和感がありましたが、それもまた一興。日本最大級のカレーイベント「よこすかカレーフェスティバル」や「「護衛艦カレーグランプリ」等の関連イベントも開催され、それだけで市外から参加者を呼べています。ネット通販でも一定の評価を得ています。海上自衛隊では現在でも遠洋航海中の曜日感覚を失わないため、金曜微には必ずカレーを提供していた風習を今でも受け継いでおり、船上勤務の部隊に限らず、すべての部署で実施しているそうです。これだけ、歴史やストーリー満載のご当地グルメにもかかわらず、地元横須賀民にはすこぶる評判がよくない。タクシーに運ちゃんにいわせると「ただのカレー」に1,000円も払う気になれない、ということのようです。こんなに成功している「よこすか海軍カレー」であっても、ご当地グルメの難しさを感じました。

07

なお、横須賀市が売りだそうとしているご当地ぐるめは、「よこすか海軍カレー」のほか、「ヨコスカネイビーバーガー」(本格的なハンバーガー)、「チェリーチーズケーキ」(濃厚なクリームチーズケーキ)があります。いずれも、米海軍横須賀基地とのタイアップ商品です。日米のつながりはこんな形でも現れています。

劇的救命.jp@八戸市立市民病院の救命医療 by今明秀医師

劇的救命.jpの今明秀医師に、八戸市立市民病院の救命医療についてお話を伺いました。現在救命救急専従医23名、それに加えて後期研修医が13名在籍しています。救命が好きな初期研修医を育てる、ある意味で教育者の役割をされています。地方の一般的な医師不足はこちらでも同様。その条件下での八戸市民の消防救急体制に対する評価は、76%が満足と回答。 

57

八戸市は田舎、近くに医科大学もありません。そんな悪条件の中で、今年度の八戸市立市民病院卒後臨床研修プログラムの研修医フルマッチを達成し、平成21年度には病院機能評価の救急医療機能分野で4項目中3項目に評点5、国内で最高点を獲得したそうです。救急医17名を擁し、共立病院の4名体制からすると、羨ましい限りです。今医師いわく、医師不足は地方ということが原因ではない、と断言されています。いわく、まず地域の唯一・頂点・先駆者の病院となり、それを商品として精力的に今医師が自ら広報し、学生や研修医が読む雑誌への多数の論文投稿、研修医向けの救急講習会の全国展開等により、病院自体の魅力度を上げる努力を継続的に行っているそうです。いわき市では救急は、医師にとってはつらい、病院にとってはもうからない、患者にとっては搬送に時間がかかる、と3重苦の悪循環に陥っています。そのソリューションのひとつが、八戸の取組みにあるのではないでしょうか。
54


19

いわき市消防本部の救急者出動回数は、年間約10,000回。そのうち約4割の4,200回(4,200台の救急車)を共立病院が引受けています。365日で割ると、一日あたり11.5台という計算になり、いわきの救急医療の最後の砦になっています。他の病院の夜間当直が1名程度の体制しか組めない状況下では、必ず複数の医師が当直している共立病院が、夜間の救急搬送を事実上、一手に引受けているといってもいいくらいの状態です。現場の医療スタッフの献身的な努力で支えられていますが、その疲弊が心配です。

18

キャッチが「八重洲口から3時間で手に入る学習環境」。これは、初期研修医向けの名刺でしょう。新幹線を使えば、八戸市まで、たった3時間ということと、「劇的救命」という、最先端の救命救急を学ぶことができることを、うまく訴求できている名刺です。

09

ドクターヘリとドクターカーを組み合わせた救命救急体制を、独自に「八戸型救急」と呼んでいるそうです。すなわち、急報と同時にドクターヘリとドクターカーを同時出動させることもあるのだそうです。

31

常に臨戦態勢の今医師ですが、臨床に、後進の指導に、救命救急課の経営に、人材募集に、と八面六臂の活躍のようでした。

19

救命救急センターとは、急性心筋梗塞、脳卒中、頭部外傷など、二次救急で対応できない複数診療科領域の重篤な患者に対し高度な医療技術を提供する三次救急医療機関です。全国200か所以上ありますが、県内では、福島県立医科大学附属病院・いわき市立総合磐城共立病院・太田綜合病院附属太田西ノ内病院・会津中央病院の4つです(正確には、共立病院は二次救急医療機関で、それに併設されている救命救急センターが三次救急医療機関です)。常時高度な救命医療に対応できる医師や看護師等の医療従事者を確保しておくことが必要とされています。
 
現在、共立病院の救命救急センターに所属している救命救急の常勤医は4名のみ。いわき市・双葉地区・北茨城の医療圏が、この4名の救命救急医に支えられているかと思うと、頭が下がります。もちろん他科からの応援や、応援当直といって他病院からの若い医師の派遣がないわけではありません。とはいえ、最終的に救命救急センターとしての責任をもって対応する常勤医の勤務体制は激務といって過言ではありません。平日昼間は、4名いるから大丈夫ですが、救命救急センターは休日・夜間も対応しなければならないからです。仮に休日・夜間に2名体制とすると、毎月10-15回の当直が必要になり、医師の疲弊は火を見るより明らかです。救急の専門ではない後期研修医の当直や各科からの医師応援があるとはいえ、持続的な仕組みではありません。
 
患者にとっても夜勤明けで疲れ切った医師に診療してもらうより、体力気力知力が充実した医師に診療していただいたほうがよいのは明らかです。なお、臨床指標による大学病院の医療の質・安全・患者満足度に関する調査という資料によれば、大学病院における薬の誤投与率は100件中2.3件、輸液の誤注入率は100人中1.4件という調査結果が出ています。このように人が携わる行為に完璧はないわけですが、医師のひとりひとり忙しさの軽減は、このような事故率の低減にも大きく関わってくると思います。 
 
57

今明秀医師にいわく、地方の病院もブランド化し(実はこれが難しい)、それを適切に熱意を持って広報できれば(これはもっと難しい)若い研修医が集まってくる、とのこと。キャッチフレーズは、予測救命率が低い患者を救う「劇的救命」と、ドクターヘリとドクターカーが同時に出動する「サンダーバード作戦」です。と、まとめれば簡単ですが、実際の取組みは地道が努力の積み重ねです。

31

 

いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム 8/9・8/10開催

市民生活にとって、医療やまちづくりの優先順位が高いのはいうまでもありません。でも、それが市民の手から遠く離れてしまっているのが現状です。そこでさまざまな情報や問題点、解決案を市民と共有するシンポジウムを企画しています。「いわきの医療・まちづくり公開シンポジウム」では、登壇者及び寄稿者の提言を論文集としてとりまとめ、次のステップの素地とします。テーマは「明日は、我が身」。
 
【開催日程】
日時:平成26年8月9日(土)・10日(日)13:00~ 
場所:文化センター大ホール
基調講演・パネリスト
・東京大学医科学研究所    上昌広様
・亀田総合病院 副院長 小松秀樹
・いわき市医師会  副会長 木村守和様
・東京電力 福島復興本社代表 石崎芳行様
・競輪選手 SS級 新田祐大
・福島大学 特任研究員 開沼博様 他

これまでは医療サービスの質・量を決めるのは、どんないわきの街にするのかも含めて、供給側であった公的機関や医療専門家・都市計画専門家らが担ってきました。しかし原発事故を契機に、需要側であるサイレントマジョリティである住民の意思・行動が、圧倒的に重要になりました。なぜなら望まない医療・望まない都市ならば、黙って住民は去って行くだけだからです。現実にそれが起きています。
 
震災前までの医療・まちづくりは、いわゆる公的機関や業界関係の有識者らの意見が集約され、角がとれた、合意プロセスを経た一つのストーリーが提案・実行されてきました。それは安定した社会が前提だからできたことです。

震災を機に、過去の単純な延長線上には未来はない、ということが明らかになりました。今回のシンポジウムは、業界関係者のみならず広く、市民さらに、市外(俯瞰できる、よそ者)からも論点出しと、建設的な提案をいただきました。それぞれの知見から、多様なご意見が出ることを期待しています。
140715_シンポジウムチラシ
現在、いわき市内の医師不足数は約200名以上といわれております。この10年間つるべ落しに医師の市外流出が続いており、震災後もそれがさらに顕著になっており、地域医療の崩壊一歩手前という状況です。今後も、市民が受けている低放射線被ばくの健康への影響の推移を慎重に見守る必要がありますし、長期的な廃炉に至るまで原発作業員の健康を守ることも重要です。
 
今年3月に、国立社会保障・人口問題研究所の「日本の地域別将来推計人口」が発表され、日本の人口減少が本格化し、加速度的に進行していくことが明白になりました。しかし、多くの人はまだ「ああ、相変わらず少子高齢化が続くんだな」ぐらいの認識です。少子化の進行のみならず、高齢者も減っていきます。その結果、地方の小さなまちから順繰りに“消えて”いきます。その理由は、単純な人の数だけでなく、子どもを産める年齢の女性が半分になった時点で、街はインフラを維持できず、消滅することは不可避だからです。福島県は、不確定要素が多すぎるため、この予測の対象から外れています。これが意味するところは、いうなれば住民が、どんないわきのまちにしたいのか、自ら考え、実行していくことが問われているということです。
 
感情に流されず、きちんと現状を受け止めた上で、何ができるのか、いわきの強み・弱みはどこにあるのか把握した上で、まちを作る。私は、「まちづくりは人づくり」「医療の充実には、まちづくりの視点が必須(逆も真)」、そのためには「若者・よそ者・馬鹿者」の視点が大事で、例を挙げれば、起業や遊びや文化芸能、将来や目の前の学習・仕事等にワクワク感が持てることだと思っています。若者には無限の可能性を持っていますが、それを開花させることができる「場」を提供するのは、われわれ大人の仕事ではないでしょうか。また若者は、そういったわれわれ大人の背中を見て、育っていくのではないでしょうか。

次のステップとしては、今回頂いたアイデアや提案を「どれを、いつやるか」「誰がどうやるか」になります。その素地を今回のシンポジウムで築きたいと思っています。

特急・急行・普通電車ときて、「快速」?

JRや私鉄電車には、特急・急行・快速・普通電車等のカテゴリーがあります。他にも、通勤快速やモーニング/イブニングライナー等の派生も無数にあるようです。

急行:駅ごとに停車するのでなく、「急いで行く」から急行。
特急:急行よりも、「特別に早い急行」なので、特急。

ここまでは日本語的に直観で理解できるのですが、理解できないのが、「快速」。「快適な速度で走るから?」もしそうなら、 なかなかウィットが効いた造語です。

亀田総合病院 アメニティ施設見学

築20年目の亀田クリニックを見学させて頂きました。亀田クリニックは、病院ではなく独立型の外来専用施設です。総床面積約22,000㎡、診察室約100室という大規模な外来専用施設です。一日の外来患者は3,000人にも及ぶそうです。クリニックの正面には巨大なスロープ階段&エスカレータがあります。遠近法を使った装置に乗り、大きな吹き抜けを太陽の光を浴びながら上がっていくと、治療に向かう気持ちが励まされるとのこと。

38

1階から4階までの吹き抜けからは優しい太陽光が降り注ぎ、独特の開放感があります。築20年の設計とは思えません。

24

1階フロアのテーマは「海」だそうです。浜辺にうち寄せる波をイメージした快適なソファは、院長のこだわりで、国内産でなく、海外で直接目で見て買付けてきたものだそうです。
 
17

こんなところに青山フラワーマーケットが!院長が、パーク・コーポレーションの井上英明代表に直に頼み込んで出店してもらったそうです。基本的に有名店であっても亀田直営だそうですが、花屋さんだけはセンスが問われるので、パーク・コーポレーションに運営してもらっているとのこと。井上社長のお言葉を借りれば、美しいモノを自分が納得するまで眺める、なぜ美しいかの原因を相手に伝わるように文字化・数値化する、それを相手に伝授することを繰り返している、とのこと。青山フラワーマーケットのスタッフは、だから美に対するこだわりが文字化・数値化されている。センス商売の花屋商売でどんな店舗でも一定の美しさの水準を保つことは容易なことではないけれど、それが実現できている。

10

タリーズの店舗も、Kタワー1F、受付コンシェルジュの横にありました。こちらは、亀田産業がフランチャイジーとなって運営しています。そのほかに有名美容院、ネイルクリニック、千葉県一の売上を誇るローソンや、日販60万円の販売をするパン屋さん等があります。ある意味、都心よりも都心らしい店舗がそろっています。

33

Kタワー最上階は、レストラン・バー・バンケットフロアです。太平洋を一望できる13Fの鉄板焼きレストランなど、日本唯一ではないでしょうか。

56

レストランには個室もあって、接待に使えそうです。もっともこの辺の給与所得者の多くが医療関係者なのでしょうが・・・

14

 

いわきの新築マンション建設 グランフォセット平中央公園Ⅱ

いわき市役所北側のエリアで、マンション建設が進んでいます。もとは葬祭場があった場所で、現在は既存建物の解体工事が行われています。いわきのマンション市場は、郡山市のほぼ1/6程度。それにもかかわらず、住宅需給の逼迫を遠因として、マンション建設がされています。

こちらには、15階建(地下なし)の分譲タイプが建設予定です。施主は東北パートナーズリアルエステート(本社:仙台)、建設会社は、金田建設(本社:郡山市)のようです。

<いわきの分譲マンション市場は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/33214577.html

04

すぐ隣接地(ツルハドラッグの裏手)には、震災後に分譲し、即日完売となったグランフォセット平中央公園、震災以前からあるライオンズマンションいわき童子町があります。いわき市役所近くは、10階を超える中高層マンション3兄弟が立ち並ぶことになりそうです。

58


 

亀田総合病院 病院施設見学

亀田総合病院は、亀田メディカルセンターの中核として機能する施設です。千葉県南部の基幹病院として、急性期医療を担っています。また、医療サービス全般にわたるISO9001の認証や、国際的な医療機能評価であるJoint Commission International(JCI)から日本初の認証を取得しています。診療科は33 科、病床数は、一般 865床 (うち開放病床 30床)/精神 60床です。所属する勤務医は400名以上、出身大学のかたよりはほとんどないそうです。
 
医療法人鉄蕉会が経営を行い、亀田総合病院の院長は、亀田信介氏ですが、医療福祉関係施設を運営する社会福祉法人、太陽会や亀田産業株式会社の代表でもあります。亀田信介院長は4人兄弟の3男で、4兄弟全員が亀田の経営に携わっています。亀田クリニック院長は、弟の亀田省吾氏(産婦人科医)だそうです。
 
亀田総合病院の中心は、Kタワーと呼ばれる13階建て、2005年竣工の新病棟で、350床のすべてが外房の海を望むオーシャンビューの個室だそうです。A棟、B棟、D棟、Kタワーの4つの病棟に、個室、共同室の病室があります。
 
28

隣接したヘリポートの稼働は、年間400回以上とのこと。ほとんどが緊急搬送だそうです。いわき市の2013年のドクターヘリ飛来回数は、年間3回。100倍以上の差があります。第3次救命救急医療施設として指定され、ヘリポートは、離島救急や洋上救急にも使用されます。ICU(内科的集中治療室)、NCU(脳外科集中治療室)、CCU(心臓集中治療室)、NICU(新生児集中治療室)、ECU(外傷集中治療室)などの各集中治療室と連携しているそうです。

57

Kタワーの看護師の休憩室は広い。ここは休憩目的だけでなく、書類作成や打合せ、簡単な執務もできるそうです。訪問したときは、たまたま全員出払っていました。

04

手術室横の看護師待機室。年間1万件の手術、一日約50件の手術があります。10台以上の壁掛けモニターで、どの手術室で何の手術が行われているかわかります。その意味で、看護師が詰めるこの部屋がコントロールタワーになっています。

18

各フロアにある、いわゆるナースステーション。防犯上や法的理由で、ナースステーションはガラス越しである必要があると勘違いしていました。こちらは、完全にオープンスペースです。

38

各フロアエンドにある、休憩所。面会に来られた方との談話スペースにもなりますし、普段は、入院患者の憩いの場所としてつかわれているそうです。

00

必見の差額ベッド代54,000円の広さ60㎡の個室です。ジャグジーが備え付けられており、ロールカーテンを開ければ、外房の海が一望。リゾートホテルの高層フロアにいるかと錯覚します。専属のコンシェルジュが、入院中の様々な手伝いをしてくれるそう。当初5万円の差額ベッドは搾取だと思っていましたが、これを見たら納得の価格設定です。

50

5万円個室には、ダイニングルームも備え付けられていて、家族が宿泊し、患者と一緒に生活できるようになっています。食器やグラスも備え付けで、なんといっても全体に流れる木の温かい雰囲気がいいです。

17

ソファベッドや家具類も充実しています。

21

Kタワーで最もスタンダードな部屋が、21㎡の個室(室料14,000円)です。ソファベッドが変形し、ベッドになり、家族がそこで寝泊まりできます。亀田院長自らが、ソファベッドをベッドできることを実践して下さいました。このベッドを選定し発注したのも亀田院長自らだそうです。病院の設備の隅から隅まで本当によくご存じでした。経営企画室の小松氏いわく、院長ほど、施設見学の案内役として適役はいない!とのこと。それだけ、設備導入に当って深く検討し、コンセプトを考え抜いた上で、発注し据え付けてあることが感じられます。

44

病室には、3つの名前が掲示されます。担当医師名・担当看護師名・補助者名です。患者の名前はプライバシーの観点から、パブリックな場所には掲示されません。

39


 

亀田総合病院 亀田信介院長

地域医療の現場のお話を伺いに、千葉県鴨川市にある亀田総合病院の亀田信介院長、小松秀樹副院長を訪ねました。亀田総合病院の規模は、日本最大規模の私立総合病院(大学病院を除く)のひとつで、県の災害拠点病院、救命救急センター、地域がん診療連携拠点病院、総合周産期母子医療センター、臨床研修指定病院です。有名医師のヘッドハンティングで規模を拡大してきた等、いわゆる「やり手」の病院経営といわれますが、それを人口3万人あまりの鴨川市で実現できている理由を知りたく。

どうやって、房総半島の先っぽの小さい街で(院長いわく、実はこの考えが既存の枠組みにとらわれている、とのこと)、勤務医師数は400名以上、一般病床865床、第3次救命救急をしながら、年間売上高は400億円近くを維持できるのか?高名な医師を確保しつつ、私立病院経営を成り立たせているのか?

13

亀田メディカルセンターの中核は、亀田総合病院(入院・手術)と、亀田クリニック(一般外来)ですが、そのうち病院側のKタワーは13階建て、2005年竣工の新病棟で、350床のすべてが外房の海を望むオーシャンビューの個室だそうです。オーシャンビューの経営企画室でお話しを伺いました。
 
亀田信介院長は整形外科医ですが、実家である亀田総合病院を引継ぎ、僻地にある病院を先進的な人気病院へと進化させた経営者です。亀田の病院経営は、地域の基幹病院として地元に根ざす(ローカル)一方、医師や患者を、広く東京や海外からも呼び込む(グローバル)という、ユニークなポジションをとっています。

ご多忙のところ、数時間に及ぶインタビューに時間を取って下さり、書き切れないほどの気づきをいただきました。その中で、一番印象的だったのが、病院の院長の役割です。いわく、亀田では院長の役割を、たとえて言うなら「アイドル養成の総合プロデューザー」、もしくは「興業のプロモーター」に類する役割だと考えているそうです。すなわちそれぞれの個人、タレントの自己実現できる場の環境を作ることが使命。それぞれの個人、タレント達の価値観は異なるが、それぞれに合わせた満足感を得られるようにする。一見、えこひいきに見えることもあるが、それも含めて全体の満足感が向上すればよい。その結果、医師も患者も経営にとっても好循環が生まれる。ここまで割り切ったスタンスの経営者に久方ぶりに会いました。

2番目に印象的だったのは、「街」に対する愛着です。亀田というインフラがなくなったら南房総は壊滅するでしょうし、逆に南房総の人口が減少すれば亀田も生き残れない。共存共栄を目指すというのは至上命題です。亀田として、真剣に子育て支援や、まちづくり支援を独自にやっており、地元サッカーチームの応援や、セミナー開催等、きめ細かく多数の地元貢献事業を同時多発的にやっていることです。

<亀田信介院長に病院見学をご案内いただきました>
http://www.mikito.biz/archives/39106883.html
28

院長のインタビューを終えてから、改めて、「亀田メディカル・センターの使命」を読み直すと、院長のおっしゃっていた意味が、よく分りました。
<最後の抜粋>
・職員一人の向上は、亀田メディカル・センター全体の進歩であり、一人の停滞は、亀田メディカル・センター全体の停滞である
・専門分野での成長、経歴の付加など、個人の向上への努力は、積極的に奨励され報いられる
・我々は、患者さま及び外部から、高い評価を受けることは勿論、行った医療の過程と結果を自ら検証し、その質の向上を通じて、医療界を常にリードする
・新しい技術の開発に積極的に取組み、全ての人々の幸福に貢献する。

42

こういった病院で働きたいという医師が引きも切らずいらっしゃり、現在の勤務医は400名を超えます(数十名の出入りもあるそうですが)。病院の規模はあまり変らないものの、勤務医師数は磐城共立病院の約3倍です。勤務医のほとんどが、単身赴任も含めて亀田が用意した近隣の社宅(シーサイドのタワーマンションも!)に住むそうです。鴨川は東京駅から特急で、約2時間。房総半島の先という地理的条件や、飲食街の充実を考えると、考えようによってはいわきのほうがまだ有利性があるかもしれません。保険診療という共通ルールの土俵であっても、経営形態やその巧拙で、その運営の姿に大きな違いが出るということを実感してきました。

25
 

LINEのアカウントが乗っ取られた

当方のLINEのアカウントが、乗っ取られてしまったようです。当方からプリペイドカードや、振込や、その他の案内があっても、恐縮ですが無視して下さい。お手数をお掛けして申し訳ありません。

先ほどアカウント削除を、LINE本体に申請しましたが、時間がかかるかもしれません。すでに複数の友人から連絡が入っています。どのようにしてパスワードを入手できたか想像もつきませんが、多数の方が同じ被害にあっているときいているので、LINEのサーバに侵入して入手したか、一定のアルゴリズムで多数のパスワードを試せるシステムを作ったか、はたまたLINE内部の反逆者の仕業としか考えられません。皆様もお気をつけ下さい。
写真

 

法政大学法友会 会計士OB会

法政大学 公認会計士法友会の会員研修会に、特別講師として参加させていただきました。会場は、法政大学の一口坂校舎です。

いただいたお題が、「CPA市議として活動する現場から ・・・・公会計・公監査制度に思うこと・・・・」です。
・議員の仕事
・会計士としてどのような貢献ができるか
・現在の公会計制度の課題
・なぜ、現在の公会計が変われない理由
・あるべき、公会計の理想型 等

企業会計との対比することで、現在の公会計の特異性に光を当ててみました。私自身も勉強になりました。公会計の神学論争はもう終わりです。今は、本当に導入に向けて役に立つ、簡単な、わかりやすい公会計の実現に向けて、貢献していきたいと思っています。

59

会計士の大先輩方を前にしての講義は、恐縮でしたが、私独自の視点も盛り込めたと思います。質疑応答も鋭いものがあり、非常に有意義な会でした。

53


 

いわき市新病院建設事業の公開プレゼンテーション

いわき市新病院建設事業の公開プレゼンテーションを傍聴しました。今回、募集に応じたのは1社のみ。応札者なしという事態は避けられたものの、1社では競争原理が働くのかとか、建設コストは300億円を超えるのではないかとか、いろいろ噂を聞きます。震災前に見積もられた建設コストは220億円程度だったのに、いつの間にか300億円に膨らんでいます。市民一人あたま(幼児、高齢者も全員含めて)、10万円近くの負担金額ですから、本当にこの形で進めるのか、将来に禍根を残さない判断が求められています。

34

いわき市新病院建設事業プレゼンテーションという、A4両面、2アップ白黒の資料が当日配布されました。それに従って、ゼネコンの方が説明をして下さいました。壇上に上がったのは、応募した1社のご担当者10名です。プロジェクトマネージャー(営業)を中心に、施工担当者、管理担当者、設備担当者等がそれぞれ説明して下さいました。

12

今回は、いわき市新病院デザインビルド事業者選定委員会の選考課程をオープンにするという意味で、「公開」されました。上記委員はプレゼンターに対して質問できるものの、一般の傍聴者(私もその一人)は質問できる機会は与えられない旨の説明がありました。

選定委員会の委員の質問は、技術的な説明・事項が多かったように感じられました。当初から疑問を持っている点について、結局、腹に落ちる説明がなかったことが残念です。残念ですが、当初から疑問を持っている各8項目について、全く説明がなかったことに落胆しました。

<総合磐城共立病院 建替えにあたっての重大な問題点>
http://www.mikito.biz/archives/36737347.html

1. 本体工事費の高騰(市民負担の増加)
2. 工事期間中の外来用駐車場がなくなる(通院が著しく不便)
3. 工事期間中の工事騒音と工事車両による粉じん(入院患者の環境悪化)
4. 建替期間中の病院経営の赤字拡大
5. 医療機器の予算が十分でない
6. さらなる土地買収費やシステム投資予算等が、343億円に含まれていない(さらに事業費拡大)
7. 建物は新しくなっても中身は一緒
8. 建設工事を発注手続を担当する委員会が、市民に非公開
9. 詳細設計の工数が省略されている
10. 将来の用途拡張性がない

一体、いつのタイミングで、公設民営、独立法人化、民間病院の資本を入れノウハウをキャッチアップ、等等するのか、アイデアはあるので、それまでに、大手新聞社の記事を鵜呑みにせず、それぞれに自説を持っておくべきでしょう。
 

超高速!参勤交代 ロケ地は山形

超高速!参勤交代が、全国公開されています。非常に「入り」が良い映画らしく、「フラガール」のようが思いがけない大ヒットの予感もあり、地元いわきの人間として誇らしく、嬉しく思います。

<超高速!参勤交代 磐城国の湯長谷藩の物語は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/34737297.html

磐城国の湯長谷藩の物語であるにもかかわらず、この映画の撮影ロケはいわきで行われていません。東京や京都太秦ならともかく、同じ東北の山形でロケハンがされたそうです。山形城趾が、参勤交代で報告するときの舞台とのこと。非常にもどかしさを感じるのは私だけでしょうか。

CCI20140709_00000

ここは山形フィルム・コミッション事務局を褒め称えるべきなんでしょう。事前に脚本をチェックし、ロケハンが必要とする撮影地案を提案する。今回、いわき市がこのような磐城を舞台とした映画が企画されていると知ったのは、すでにクランクアップが終わってからでした。外部からの情報収集能力と、アンテナを張っている姿勢、タイムリーに柔軟に対応する姿勢が必要です。

東北・新市議会議員研修会@山形市

東北新市議会議員研修会@山形市に、いわきの新人、小野議員、木村議員と来てます。東北各県の新人議員で構成されん任意の勉強会です。東北の都市共通の課題等を共有化します。

58

山形市観光部長に六魂祭の開催経験の成功、反省談をしていただきました。いわく、観光施策は6勝9敗で良いとのこと。無謬が求められる公務員の原則でなく、現実的にどう民間とどうコラボレーションしているかを話されました。観光資源があって観光客が来るというのはおかしい。地元の風習等を活かして、こんなに市民が楽しんでいますよ、という情報を発信する。併せて季節はいつがいいか、何時ごろがいいかの情報を発信する。そうすると自分たちも行ってみようという気になる。旅行先で、楽しんでいる現地の方の日常を見ることが面白い。

42
 

名称決定 「いわき市作町東団地」 災害公営住宅

いわき市施工の災害公営住宅で、もっとも応募が多かったのが、平字作町の住宅45戸です。8月からの入居に向け、ほぼ内外装工事は完了。完成形を見せています。5階建(エレベータ1機付)が、2棟(20戸、25戸)です。それにしても、なんとまあ、画一的なデザインなんでしょう。まちなか居住促進のため、また街や復興住宅のシンボルとして、周辺環境に配慮した高層住宅の建設を要望してきましたが、残念ながらこのような汎用的な住宅になってしまいました。

44

集会所にはすでに「いわき市作町東団地集会所」の看板が掲げられています。災害公営住宅の土地・建物コストのほとんどが国・県の予算から充てられますが、あくまで法律上の扱いは、市営住宅です。一団地の市営住宅には集会所の設置がルールで定められており、それに従って設置されます。作町にはもうひとつある市営団地の団地専用の集会所があるので2つめの団地集会所である一方、町内独自の集会所は存在しない、という非常に不思議な状態になっています。

1階住戸と駐車場とは、目と鼻の先、同じ高さの目線です。プライバシーに配慮した高さ設計とか、植栽による目隠し等はないのでしょうか。今後、団地内の管理は、団地住民による自治会の自主管理となります。エレベータの保守点検や、共用部の清掃も自主管理です。民間マンション開発に携わった経験からすると、自治会自主管理方式になると、共用コストをなるたけ圧縮しようという力学がはたらき、管理レベルが将来荒れていくことが予想されます。

45

建物の外観デザインにせよ、団地ごとの集会所の設置にせよ、1階住戸と駐車場の高さにせよ、ルール遵守は正しい行政執行ではあります。しかし法令遵守だけでは、現状回復はできても、新たなな価値を生み出すイノベーションは生まれないのではないか。本来、「復興」事業とは、原状回復ではなく、新たな価値を生み出すことではなかったか。

<「法令遵守」が日本を滅ぼす、はコチラ>
http://www.mikito.biz/archives/29809983.html

01

市民サービスには公平性が必要であり、そのためのルール設定・遵守であることは理解します。またその枠組みの中で、最大限、知恵と努力で、国・県から予算を獲得し、市の単独予算からの負担をなるたけ軽減して、立派な災害公営住宅建設にこぎ着けたのは、賞賛に値すると思います。それが10年後に、もしくは20年後に現状のようなピカピカの状態ではなく、市営住宅の所得制限をクリアできる層の入居が進み、自主管理となったとき、荒れた管理状態が推測されます。

35


いわき市消防操法大会

第40回いわき市消防操法大会、に参加しました。市内7つある消防支団から選抜されたチームが、ポンプ車、小型ポンプの操作を競い、タイムと規律で優勝を競います。直近2ヶ月かけて訓練してきた民間消防団員の晴れ舞台です。天気は晴れ、選手は暑いですがそよ風があるのが救いです。

34

ラッパ隊の演奏に合わせて行進。ここは採点の対象外ですが、緊張されているのが伝わってきます。先日、陸上自衛隊の少年工科学校を視察させていただき、「行進は左足から!」「音楽の強い音は、左足のタイミング」ということを習ってきましたが、それを実践されていました。

<陸上自衛隊高等工科学校 旧少年工科学校は、コチラ>
http://www.mikito.biz/archives/38878024.html
32

消防団のラッパ隊。こんな小さなラッパでメロディを奏でるなんて、楽器音痴の私には理解不可能(笑)。

45

これがポンプの訓練です。4人一組で、防火水槽に貯めてある水を、小型ポンプを使って、消火活動します。小型ポンプをセットアップし、ホースを貯水槽に沈め、連結ホースを繋ぎ、筒先を消火先に向け、固定する。これら一連の流れのタイムを競い、また定められた規律に沿っているかを採点されます。どちらかというとタイムより規律が重視されるとのこと。数十年前からは大分技術進歩し、ボタン一つで水の圧送ができるようになったとはいえ、まだまだ熟練の技が必要だそうです。

別件ですが、この小型ポンプは、汎用機ではなく、各自治体の独自仕様によ艤装メーカーがそれぞれ図面を引いて、手作業で組み立てると、聞きました。ここに何かイノベーションの種があるような予感がします。

43


 
 
記事検索
最新記事(画像付)
   吉田みきと Official Website

吉田みきと プロフィール

ふるさとの福島県いわき市で、市議会議員として活動しています。いわき市は、震災後、複層的な問題が山積しています。公認会計士・一般社団法人日本アンガーマネジメント協会 認定 アンガーマネジメントファリシテーターとしてのキャリアを生かし、フレッシュな視点で問題点を洗い出し、解決策を提案していきます。

ギャラリー
  • 任期満了に伴い、市議会議員の職を卒業
  • 令和2年7月議会 一般質問⑤(医師不足解消)
  • 令和2年7月議会 一般質問④(骨髄バンクドナー)
  • 令和2年7月議会 一般質問③(いわきの先人たちの顕彰)
  • 令和2年7月議会 一般質問②(仮称)磐城平城・城跡公園
  • 令和2年7月議会 一般質問①(いわき七浜海道)
  • 医者が教えるサウナの教科書
  • QVBとは
  • QVBとは
  • QVBとは
  • QVBとは
  • 人生が楽になる達人サウナ術
  • 成城学園前駅 空中庭園
  • 成城学園前駅 空中庭園
  • 成城学園前駅 空中庭園
  • 成城学園前駅 空中庭園
  • 人生を変えるサウナ術 なぜ、一流の経営者はサウナに行くのか?
  • いわき平競輪 場外食堂
  • いわき平競輪 場外食堂
  • いわき平競輪 場外食堂
  • 社長が入社式で鉋をかける理由 アキュラホーム宮沢俊哉氏
  • 言ってはいけない中国の真実 橘玲著
  • エクササイズコーチ パーソナルトレーニングジム
  • エクササイズコーチ パーソナルトレーニングジム
  • エクササイズコーチ パーソナルトレーニングジム
  • エクササイズコーチ パーソナルトレーニングジム
  • エクササイズコーチ パーソナルトレーニングジム
  • ジム・ロジャーズ 大予測 激変する世界の見方
  • 女帝 小池百合子
  • 小名浜駅跡 福島臨海鉄道
  • 小名浜駅跡 福島臨海鉄道
  • 小名浜駅跡 福島臨海鉄道
  • 小名浜駅跡 福島臨海鉄道
  • French Pound House 日本一のショートケーキ
  • French Pound House 日本一のショートケーキ
  • French Pound House 日本一のショートケーキ
  • French Pound House 日本一のショートケーキ
  • French Pound House 日本一のショートケーキ
  • French Pound House 日本一のショートケーキ
  • IKEAのスウェーデンミートボール
楽天市場
  • ライブドアブログ